第二部

 十日にわたる地方巡回を終え、王都に戻ったレント・プラージは、騎士団長リュッケのもとへ報告に向かった。騎士館の長い廊下を進んでいると、最奥の騎士団長室から一人の騎士が出てきた。簡素な茶色のマントをまとった三十がらみの男で、レントには見覚えのない者だった。
 至近距離で視線が交差すると、男は足を止めた。
「おお、これはこれはプラージ伯」
 揶揄するような響きがあった。レントは眉をよせる。
「直接言葉をかわすのははじめてでしたな。わたしはダリオ・モーロと申す。以前は竜騎士団第五部隊に属していた」
「第五部隊の……」
「あなたの兄君、グイドバルトどのとはよく模擬試合で戦ったものだ。面差しが兄君とよく似ておられるな。今後は顔を合わせる機会も多かろう」
 では、と手をあげ、横をすり抜けていった。
 竜騎士団第五部隊は、その大半が軍法会議でなんらかの処分を受けており、隊長のディーター・ルーメル将軍をはじめ十名が追放、九人が斬罪に処されている。
 そんな者がいったいなぜ?
 よもや謹慎が解かれたのか?
 はやる気持ちを抑えて騎士団長室に入ると、リュッケはマントの留め具をとめているところだった。
「レント、戻ったのか」
「はい。将軍はこれからどこかへおでかけに?」
「わたしはこれよりアカネイア公館へ出向かねばならん。殿下はいま執務室におられる。直接ご報告申しあげてくれ」
「あの……先ほど、ダリオ・モーロという者と話しました。竜騎士団旧第五部隊に属していたそうですが」
 リュッケが渋い顔つきになる。
「旧第五部隊から十名の復帰が決まった。先ほど来ていたダリオ・モーロもその一人だ。今後、個別に精査すればさらに増えるやもしれん」
「ルーメル将軍はどうなるのでしょう?」
「さすがに追放処分の撤回はありえぬ。殿下もルーメルには思うところもおありのようだが、こればかりはな」
「……そもそもルーメル将軍にかけられていた嫌疑はアカネイア捕虜虐殺です。よく追放ですんだものと思いますが」
「あくまで嫌疑にすぎぬし、本人は関与を否定している」
 リュッケはマントをまとってふりかえる。
「第五部隊のうち九名が捕虜虐殺に関わっていたのは事実だが、なにが真実かなど見極めることなどできはせぬ。なにぶん、当時のパレスはグルニア軍にドルーア軍、さらには賊までが入り乱れ、暴虐のかぎりを尽くしたのだ。殿下はパレス占領後ほどなく本国へ帰還されており、当時のことをじかにご存じではない。ルーメル自身、好き好んで規律を犯すような者ではなかった。監督責任はあろうが、部下を扇動したわけではないというのは信じてやってもよいだろう」
「それはそうですが……」
 戦後の軍法会議は、グラとグルニアは占領軍によって行われた一方、マケドニアはミネルバ王女主導のもとで行われた。これは特別なはからいであったが、アカネイアからの訴えはほとんどそのまま受け入れる形となった。ルーメルの嫌疑もアカネイア直々の請求であったため、本来であれば死罪相当だったのだ。いかに関与が不確かな面があったとはいえ、ルーメルの命乞いを受け入れ、罪を一等減じたミネルバの判断には驚きの声が上がった。
「あの者たちを復帰などさせれば、さらなる混乱を招きかねません」
「決定を不服に思うなら、殿下に直接申しあげればよい」
 ではゆくぞ、とリュッケはあわただしく部屋を出ていった。
 リュッケは騎士館の前に停められていた馬車に乗りこんでいった。なかにはメスト公がいるのが見えた。
 馬車が前衛門をくぐるのを見送って、レントは主宮へ向かった。ミネルバ王女は執務室にいると聞いていたため、まっすぐ三階へ向かったのだが、扉の前でしばし逡巡した。
 彼がこの部屋へ来るのは初めてだった。執務室を出入りできる者はほんの一握りにかぎられている。はたして自分が入ってよいものなのか。
 しばし悩みつつも、ためらいがちに扉を叩く。
「失礼いたします、殿下」
「入れ」
 すぐさま返事があった。扉を開けると、王女は机に向かい、一心不乱にペンを走らせていたが、レントの顔を見るや肩を大きくはね上げた。この様子では文字を書き損じたに違いない。
「も、申しわけございません、失礼を」
「いや、よいのだ」
 ペンをおいたミネルバは、すぐに彼のよく知るおだやかな目に戻った。
「さきほど帰還いたしました。リュッケ将軍から、殿下はこちらにおられるとお聞きしましたのでうかがったのですが」
「そうか、ご苦労だったな」
 うながされ、レントは王女の近くに歩みよった。
 はじめて足を踏み入れる王の執務室は、重厚な紫檀の調度で統一されており、物々しさを感じさせる。壁には亡き国王夫妻の肖像画が飾られているが、若かりし日の王と王妃は、ミシェイルとミネルバと驚くほどよく似ていた。
視線をミネルバに戻したとき、その威厳にみちていたたたずまいがやわらいだ。困ったように眉を下げる。
「まったく。リュッケはそなたへの配慮が足りなかったな。わたしはそなたをここへは呼ばぬようにしていたというのに」
「なにゆえでございますか」
「八年前、ここで惨劇があった。父と宰相メスト公、ヴェーリ伯、そしてそなたの父プラージ伯が殺された」
 ミネルバは無表情のまま、暖炉の近くの床を指さした。
「プラージ伯が倒れていたのはあのあたりだ」
 レントが後じさると、ミネルバは苦笑をうかべた。
「知らなかったのか」
「……場所までは、聞いておりませんでした」
「そうだと思ってな、ここに呼びたくなかったのだ」
「失礼ながら、そのようなご配慮は無用です」
「そうか。まあ、わたしもはじめのうちは思うところもあったのだが、じきにここで過ごすことにも慣れた。そなたもじきに慣れるやもしれぬな」
 王女はこともなげに言って、手元の書類を引きよせた。
 威勢よく訴えたものの、レントは落ち着きなく視線をさまよわせた。八年も前の出来事だと言い聞かせても、かえって意識してしまう。
 そわそわしていると、助け舟のように王女から声がかかる。
「ところで、西部の様子はいかがであった?」
「このたびはネヴェラ周辺をまわったのですが、あのあたりの荒廃は想像以上にございました。地方を巡回するにつれ戦争の爪痕を痛感いたします」
 辺境の荒廃が一気に進んだのは戦争末期のころと言われている。敗色が濃厚となってのち、脱走兵が後を絶たず、その者たちが賊に身を落とした。負け続きで兵力を失った国軍は、賊を取り締まる余裕をも失っていた。
 ミネルバは机上においた手を組み合わせる。
「兵士として駆り出されていた者たちが故郷に戻り、これでも一時よりは改善したと報告は受けている。だが、なにぶん故郷に戻れた者が少ないのでな。村々の自助では限界があろう。これからは刈り入れの季節であるし、賊の襲撃も懸念される」
「はい、当面は国軍が目を光らせねば」
「その件についてだが、今後は治安維持に回せる人員も多少だが増える」
 朗報にもかかわらず、ミネルバの口ぶりはそれを好ましく思っていないようだった。その要因に、レントはすぐ思いいたる。
「さきほどリュッケ将軍よりお聞きしました。謹慎処分を受けていた者の復帰が決まったそうですね。そこには竜騎士団旧第五部隊の者もふくまれているとか」
 レントは非難めいた口調になる。
「よくアカネイアが認めたのですね」
「捕虜虐殺の件はすでに決着している。アカネイア側も、われらの方針に反対してはいない」
「では、ラディス・シェンケルは軍に復帰するのですか」
「あれにはまだなにも伝えてはいないが、シェンケルが望むのであれば復隊させることに異論はない」
「なぜ殿下はあの者を許すのです? 騎士団には、シェンケルがなんの咎めも受けずにいることに不満をいだく者も少なからずおります。これでは釣り合いがとれぬと」
「なんの咎めもないというのは誤りだな。すでに部隊長の任は解いて領地で閉門中だ」
「あの者の罪は、それですまされるようなものとは思えませんが」
 ラディス・シェンケルはミシェイルの最側近のひとりで、オズモンド王暗殺にも関わったとささやかれている人物である。それが事実ならば、レントにとっても父の仇である。
 しかしミシェイル王が敗れ、城が落ちるや、麾下の部隊を引き連れてただちに降伏したのだ。シェンケルが討ち死にしたものとばかり思っていたレントは、捕虜名簿にシェンケルの名をみつけたとき、勝利のよろこびが吹き飛ぶほどに憤りをおぼえたのだった。
 それでも厳罰が下れば溜飲は下がっただろう。なにぶんシェンケルはドルーア併合下のマケドニアにおいて重要な作戦指揮に関わってきた将軍である。アカネイアからの処罰感情も強いはずであった。
 しかし多くの騎士が捕虜の虐待、民の虐殺、掠奪行為につき厳正に裁かれるなか、シェンケルに下ったのは無期限の閉門のみだった。シェンケル本人には罰するに足る理由はみつからず、第二部隊の騎士たちの多くも軍法そのものに触れる行いをした者はいなかった。結果、彼は軍人として王命に従い、各地へ侵攻を行ったにすぎないと判断されたのである。この公正にすぎる裁きが、禍根を残している。
「わたしはあの者が許せぬのです。せめて王に殉じる道を選んだならまだしも、よもや降伏などと……! それもこれも自分がけっして裁かれはしないと確信していたからでしょう。どこまでも奸智ばかり働く――」
「レント・プラージ」
 静かな威圧をひそませた声だった。
「そなたにはきちんと伝えておくべきであったが、わたしは父の死の真相を公にするつもりはない」
「なにゆえにございますか」
 レントは声を鋭くした。
「民のためですか? 彼らは真実を知るべきではありませんか」
「むろん民のためでもある。民には知らぬほうがよいこともある。なにより……対外的にも公表は避けたほうがよい」
 ミネルバは声を落としてつづける。
「兄は、父の死をアカネイアの刺客によるものとした。そしてそれを多くの者が信じ、わが国は戦争の道へと進んだ。それがどういうことか、わかるな?」
「よもやアカネイアからなにか……?」
 ミネルバは答えなかったが、その暗鬱とした表情が、よくない事態に陥っていることを物語っていた。いましがたリュッケがユスタスをともなってアカネイア公館へ向かったのも、後処理に手を焼いているだめだと察する。
 下手にかの一件を掘りかえせば、かえって王女の首を絞めることになりかねないのだ。
「……軽はずみなことを申しあげました」
 レントはこうべをたれた。ミネルバはなにも言わない。
 沈黙のなか、おそるおそる顔をあげる。
「殿下、教えてください。いま、この国はどうなっているのですか」
「別にどうともなっていない。ただ、アカネイアから大使が派遣されたというだけだ」
「ごまかさないでください」
「現状はなにも変化はない。だが、今後の情勢はあまりよいものではないと覚悟しておいてほしい」
 レントは目をみひらいた。こうもはっきりと言われると動揺を隠せなくなる。
「だからこそ、せめて国内の不和の種は潰しておきたいのだ。八年前、父と兄がドルーアに対する方針で意見を違えたことで、宮廷が二分され、ドルーアに国土を侵されているさなかに貴族たちが相争った。それがドルーアに付け入られる隙になった。いまもまた、あのころとおなじなのだ。あれほど多くの者が死に、国が荒廃しているというのに、ひとつにまとまることができぬ。これはわたしの力不足によるところもあるのだが、ひとつの国に勝者と敗者が混在する状況、とても危ういと思っている」
 王女はしばし沈黙をはさみ、レントに まなざしをそそいだ。
「わたしの行いにより、そなたらには一時とはいえ国賊の汚名を着させてしまった。だからこそ、大逆者を討ち、国を救ったという大義を掲げ、華々しく凱旋させてやりたかった。だが、われらが正しさを ように掲げつづければ……この二つに割れた国を立て直すことはできぬと思う」
「おっしゃることはわかります。しかしそれでは殿下のお立場が……」
 ミネルバの考えは理解できたが納得はできかねた。レント自身、栄誉を求める気持ちはあれど、おのれの中に信念はあった。虚飾の栄光を得たいわけではない。
「わたしたちはよいのです。しかし、なぜ殿下があの者たちのために不名誉をかぶらねばならないのですか」
「肉親殺しという汚名は、いかな大義をもってしてもすすがれることはない」
 レントは言葉を失った。
 あなたとミシェイル王は違う、そう喉元まで出かかっていたが、声にはならなかった。そんな言葉がなぐさめになるはずもない。
「……わたしは、おのれの行く道を定めんとするとき、そなたの兄のことを考える」
 思いがけぬ言葉に、レントは顔をふり上げた。
「ドルーアとの戦いで、多くの者が死んだ。セルジョの弟もむごい死に方をした。わたしはずっとあの者たちの死に報いねばならぬと思って生きてきた。とりわけ、わたしをかばって死んだグイドには格別に想いがある。グイドが生きていたなら、なにを望むのか、そして、どう道を切り開こうとするか、と今日も考えていた」
 ミネルバは目をふせる。
「グイドが望んでいたのは祖国の平和、ほんとうにただそれだけだった。だから兄がドルーアに与したとき、わたしは激しく抗議した。これではグイドたちの死が無駄になると。すると兄はわたしに言った。このまま国が滅亡すればそれこそ無駄死にだと。……間違ってはいないと思う。アカネイアからの援軍が望めず、ただ前線の兵士が倒れてゆくばかりの状況において、すぐさまドルーアの侵攻を止めるにはドルーアの要求を呑むほかなかった。たとえその先にさらなる泥沼の戦いが待っていようともな。……あの当時のことをふりかえってみても、なにが間違っていてなにが正しかったのか、わたしにはわからない。ただ、グイドの無残な死が、兄を凶行に駆り立てる一因となったのだと思う」
「それは……どういうことですか」
 レントは混乱していた。
「兄さん……いえ、兄の死が、なぜミシェイル王子を?」
「もともと兄は、グイドとわたしがドルーア前線に出ることに強く反対していたのだ。われら先遣隊はアカネイアの援軍が来るまでの時間稼ぎだった。そして火竜と戦い、わたしをかばったグイドはその背に火竜の爪を受けて息絶えた。ほかに多くの若者たちが倒れていった……。兄からすれば、かたくなにアカネイアの援軍に頼ろうとする父とメスト公に殺されたようなものだったのだろう。父は裏ではいろいろと手を回されてはいたのだが、前線の兵士を捨て駒にしているようにしか見えなかったのも事実だ」
「それでミシェイル王子は陛下への謀叛を企てたと?」
「いや、そうは言わぬ。ただ、大きな影響を与えたとは思うのだ。兄は、グイドの死をわたし以上に悲しんでいたはずだから……」
 うなだれるミネルバを見て、レントは茫然となった。
 ミネルバがレントの前で兄グイドバルドについて語るのはこれがはじめてだった。兄の死の原因となったミネルバを恨んだことはなかったが、兄のことをどう思っているのか、ずっと気になってはいた。
 そして、ミネルバの口から語られる兄とミシェイルの関係には衝撃を受けた。レントは宮廷での兄の様子をよく知らない。二人はよい友人だと耳にしたことはあった。父も、兄がミシェイルの側近として出世することを望んでいた。しかしドルーア前線で命を懸けた兄を蔑ろにするようなドルーアとの同盟を結んだことから、ミシェイルを少なからず恨む気持ちがあった。だからこそミシェイルを動かした一因が兄の死にあると言われ、どう受けとめればよいのかわからなかったのだ。
 立ち上がったミネルバは、机の横を回り、レントに歩みよった。
「兄のあのようなやり方を肯定するわけではないが、けっして私利私欲だけで戦争を引き起こしたわけではない。さまざまな想いがあった。それはたしかにだからわれらのなすべきことは敗者への復讐ではない」
「殿下……」
「不満もあるだろう。なぜわれらだけが耐えねばならぬのかと憤る気持ちは理解している。それでも、この国を守るために耐えてくれと言うほかない」
 そう言われてしまえば引き下がるほかない。
 納得したわけではない。理不尽だという想いはさらにつのる。だが、自分たちが我を通そうとすれば、いま以上に王女を悩ませるだけなのだろう。
 ごまかすようにレントは話を変えた。
「それしても、この大変なときにマチスは領地で悠々と暮らしているのですからいい気なものです。あいつは戦場でも暇があれば歌い踊って、賭博に精を出してばかりでしたので、いまさら騎士団に連れ戻す気はさらさらありませんがね。みなの士気が下がるだけですので」
「辛辣だな」
 ミネルバはあきれたように言って、執務机についた。手元の書類をたぐりよせる、
「のらりくらりと暮らしているようでいて、ヴェーリ当主としての責は果たしてくれている。東部の周辺の警備のためにヴェーリの私兵を動かしてくれているのでな」
「ご存じでいらしたのですか」
「そなたもな」
 二人は顔を見合わせ、笑いあった。
「そうだ、言い忘れていた」
 部屋を下がろうとしたレントをミネルバが呼びとめた。
「マチスのことだが、そなたが留守にしているあいだに戻ってきたぞ」
「ほんとうですか」
「リュッケのもと、軍の経理を任せている。適任だろう?」
「ですが将軍はそんなこと一言も――」
「そなたを驚かせようとしたのではないか」
 ミネルバは屈託なく笑った。
 そんな姿を久方ぶりに見て、レントは胸をなでおろした。
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