第一部
深夜、騎士館を抜け出たリュッケは、主城門を抜け主宮へ向かった。その間、彼の姿を目にした者はいないだろう。王城内の衛兵は、騎士団長である彼がすべて差配したものである。
狩りのあと、リュッケは落ちつかぬ日々を過ごしていた。すぐになんらかの動きがあるかと思っていたが、部下の一人が取りこまれたほかは音沙汰がなかった。先日、公館に呼ばれたときも、すべてユスタスを交えての儀礼的な親睦にすぎなかった。
しかし今日、突然の呼び出しを受けた。
現在、主宮東翼の一棟はアカネイアの役人の居室としてあてがわれている。大使が夜の会食に訪れたおり、公館へは戻らず、そのまま主宮に留まることがしばしばある。広い通路の奥、女神の胸像があるあたりまでの警備はマケドニアの衛兵が、その奥より先はアカネイアの随員によって強固に守られている。これは昔から変わらぬ慣習で、主宮の一角がアカネイアの領土のような扱いなのだ。
がらんとした通路を進んでいると、前方から白い集団が近づいてきた。リュッケの顔に緊張が走る。大使の随員たちはみな白を基調とした衣装を好んで身につけており、薄闇のなかでもよく目立つ。
「どうぞ。トルイユ伯がお待ちでございます」
迎えの者が一礼し、部屋の奥へと通された。室内は二つの燭台が灯っているだけで薄暗く、トルイユがどこにいるのかすぐにわからなかった。背後から衣擦れの音がして、リュッケはそちらへ向きなおった。
トルイユはカウチに寝そべっていたが、その腕の中に若い女を抱いていた。ドレスは乱れ、靴下のずり落ちた脚があらわとなっている。
「トルイユ伯」
リュッケは嫌悪をにじませ、奥へと進んだ。
「いったいなんの用でわたしを呼ばれたのです?」
詰問の口調で呼びかけると、トルイユは腕の中の女を追い払うように手をふった。トルイユから身を離した女がドレスの裾を直しながら立ち上がった。薄闇にうかびあがる白い顔を見て、リュッケは息をのむ。
「ロザリア……?」
驚愕するリュッケをよそに、トルイユはゆっくりと身体を起こした。
ロザリアと呼ばれた娘は上目遣いにリュッケをちらと見て、叔父さま、とおびえた声でつぶやいた。
あわてるそぶりもなく襟を正しているトルイユに、リュッケはつめよった。
「これは……いったいどういうことです? なぜあなたがロザリアを――」
「将軍にお伝えするのが遅くなりました」
トルイユは嫣然とほほえむ。
「ローサにはアカネイアでの暮らしは肩身が狭いようでしてね。わたしも遠方の赴任地が少々心細くありましたので、マケドニアに縁ある者を連れてまいったのですよ」
いけしゃあしゃあと言い放たれ、リュッケは苦々しげにトルイユをねめつけた。
ロザリアは兄ブルーノがアカネイア貴族との間にもうけた娘であったが、兄の死後、母親とともにアカネイアに移り住んでいた。以来、手紙のやりとりはしていたものの、二人が直接会うことはなかった。
にもかかわらず、リュッケが幼くしてマケドニアを去った姪に一目で気づいたのは、母親の面影を濃く宿していたからだった。
「さて」
トルイユは立ちあがり、小卓に置かれたデキャンタから杯に赤ワインをそそいでいく。
「どうぞ」
リュッケは杯を受けとったものの口にしなかった。
「今宵、あなたをお呼びしたのには、貴国にも波及する異変が起こったためです」
「……異変とは?」
「じつは、アリティア王国に謀叛の動きがあるのです」
「よもやマルス王子が?」
信じられんと、リュッケは一人ごちるように言った。
残念ながら、とトルイユはつづける。
「これは内密の話なのですが、マルス王子はハーディン陛下とともにニーナさまのご夫君候補の一人となっていました。ニーナさまご自身がハーディン公こそふさわしいとお考えになり、新年早々にご婚礼の運びとなったのですが、マルス王子はこれを不服に思っていたようなのです。なにぶん、マルス王子は〈炎の紋章〉をニーナさまより託された者。かつてのカルタス伯のようにわれこそがアカネイアを統べるにふさわしいと部不相応な期待を抱いていたようですね。弱小国の王子が英雄ともてはやされ、増長してしまったのでしょう」
トルイユはみずからそそいだワインを口に運ぶ。
「戦後、アリティアは隣国のグラを併合下においたため、現在アリティアとアカネイアは国境を接しております。マルス王子がわが国への叛意を見せている以上、貴国にはいざというときには帝国同盟軍として出陣する準備を整えておいていただきたいのです」
「……われらにアリティアを討てと?」
「はい、マルス王子がわれらに牙を向こうとするならば」
「このような話であれば、わたしではなく王女になさるべきではないか」
「察しの悪いお人だ。陛下がミネルバ王女を信用されているならば、あのような書簡をあなたに送りませんよ」
「なにを言われる。ミネルバ王女はアカネイアに謀叛をくわだてるような方ではない。ハーディン王はよくご存じのはずだろう」
「ええ、よくご存じでいらっしゃいますよ。先の戦において、王女の忠誠はアカネイアではなくもっぱらアリティアにあったことを」
リュッケは奥歯をかみしめた。
アリティアの謀叛などに到底信じられるものではない。昨年の敗戦ののち、リュッケはマルス王子とはじめてまみえた。オレルアン、アカネイア、そして祖国アリティアを次々に解放した亡国の王子。どれほどの豪傑かと思っていれば、くもりのない目をした少年だった。権力にしがみつき、アカネイアに叛意をいだくような者にはとても思えない。
アカネイアにはアリティアを陥れるなんらかの理由があるのだ。そしてその片棒をマケドニアに担がせようとの腹づもりなのだろう。
アカネイアがミネルバ王女を脅威とみなすのは理解できる。仮にアカネイアがアリティアに侵攻するようなこととなれば、ミネルバ王女はマルス王子に味方する可能性が高い。王女の直臣たちもそれにならうだろう。
だからあらかじめマケドニアを掌中におさめようという魂胆なのだ。
「将軍、今後あなたはわれらの盟友として力をお貸し願いたい。あなたはマケドニア僭主とは距離をおいておられた。なによりわれらの同胞でもあるのですから」
「わたしを見くびってもらっては困る!」
リュッケはたまらず言いかえした。
「アカネイア貴族の血を引いていようとわたしはマケドニアの人間。国を売るとでも思っているのか! アカネイア王からの書簡の件も、ここであなたがおっしゃったこともすべて王女に報告させていただく!」
「もはや手遅れでしょう? 王女はあなたに一定の信頼を寄せておられるようですが、謀叛をそそのかす書簡を秘匿していたあなたをどう思われるでしょうね? あなたは王殺しの孫と噂されておりますし、アカネイアとも非常に縁が深い。くわえて」
喉を鳴らす。
「王の暗殺にも荷担していたわけですし」
一瞬、なにを言われたかわからなかった。
「あなたは王暗殺の現場に居合わせていながら、謀叛人どもに隷属することで命脈を保ったのでしょう?」
「なぜそれを――」
誰だ? 誰が密告したのだ?
よもやストラーニが――
激しく狼狽するリュッケに、トルイユは笑みをむけた。
「兄王子をみずから手にかける苛烈な王女です。裏切り者を許すことはないでしょう。しかしわれらならば、あなたにふさわしい地位を与えることができます。ご自分にとって有利な道を選ばれては?」
リュッケはうなだれた。ハーディンの書簡が届けられたときから、こうなる道は避けられなかったのだろう。
無駄な抵抗と知りながら、声を絞り出す。
「……あなた方はなぜそれほどに王女を敵視される? 王女は同盟軍において多大な貢献をされたと聞きおよんでいる。パレスの解放も王女の尽力あってのもののはず。なにゆえ――」
「父王を殺しておきながら、わが国に罪をなすりつけたミシェイルは論外ですが、ミネルバのほうも話になりませんね」
トルイユは冷淡に吐き捨てた。
「あの者は勝ち馬にのっただけ。オレルアンが解放され、パレスに集結せんとしたときに、自国の敗色を機敏に感じとって寝返っただけではありませんか」
唖然とするリュッケにかまうことなく饒舌に語る。
「妹が人質? まったく笑わせてくれる。さまつなことに気をとられ、大局を見失った結果、悪事に荷担させられただけのこと。まこと国を想うならば、犠牲を払ってでも正道を行くべきだったのです。そうすれば、マケドニアはこのような末路をたどることはなかった。すべては、あの王女の愚行が招いたことなのですよ」
少なからず敬意をいだく王子と王女をここまで罵倒されながら、リュッケはなにも言いかえせなかった。目の前のトルイユからは、ほがらかな貴公子の面影は消え失せていた。燭台の明かりを宿して光る目は、禍々しささえ感じさせるものだった。
「……たしかにマケドニアは道を誤った。貴国から見れば、ミシェイル王はただの侵略者であり、その命で軍を動かしたミネルバ王女も大差ないのだろう。だが、少なくとも民がお二人を恨んでいるはずがない。そしていま、王女はまぎれもなく民にとっての希望なのだ」
「ほう? あなたはそれなりに王女に忠誠を誓っておられるのですね。てっきり、保身から取り入っているだけかと思っておりましたが」
喉の奥で笑い声を立てる。
「まあ、それならば話は早い。わが国の方針は変わりません。せめて主君のお命だけでもお守りしたいのなら、忠犬にふさわしい行動をなさっては?」
「忠犬に間諜となれと?」
「ええ、あなたの主君には重々ご自分の立場をよくよく理解いただき、アカネイアへ敵意をいだかぬよう導いてください。なにか不穏な動きがあれば、ただちにわれらに報告を」
リュッケは不承不承ながら首肯した。監視と報告だけならばこれまでと変わらない。
ミネルバ王女は表向きアカネイアに従順である。戦前回帰を避けるべくあらゆる手段を模索しているが、宗主国からの要求を真っ向からはねつけるようなことはすまい。気に入らぬことではあるが、ユスタスの支えもある。報復を受けるような事態にはならぬだろう。
「ところで」
トルイユは衣服を整えて立ちあがった。
「イルテアス王の件、あれは事実なのですか」
一歩、にじりよる。
「あなたの祖父は、王殺しなのですか」
「なにをいきなり……」
「ただの興味本位ですよ」
「……当時、わたしはまだ生まれておらぬ。一族の者も、その件に触れることはなかった。もはや真実を知る者はいない」
「それで? あなた自身はどうお考えなのです」
「……おそらくは、事実であったと思っている」
「では冷遇は当然だったというわけですね。これまでも、これからも」
優雅に口元に手をあて、歌うようにトルイユは言った。
「ハーディン王の盟友として、この国を手にしたいと思いませんか」
その一言でリュッケはようやく確信した。アカネイア王の書簡を受けとったときから、ずっと抱いてきた疑問の答えに。
なぜ自分だったのか。
アカネイアと縁深いため、間者として扱いやすい駒とでも思われたのだろう。見くびられたものだと憤った。
しかしそれだけではなかったのだ。
いまの状況は、あまりにも似すぎている。祖父がイルテアス王の宰相であった時代に。
イルテアス王は、父アイオテの時代に確立されたアカネイアとの隷属関係を打破しようと試みていた。六十年前、グルニアの勢力拡大を危惧するアカネイアは、マケドニアの軍事力をもってそれを抑えるよう命じたが、イルテアスは拒否した。それゆえの暗殺だった。
王の判断を後世の人間がおいそれと評価できるものではないが、アカネイアへの叛逆ととられてもやむをえぬ行いではあった。
そしていままたアカネイアはアリティアを制圧下におくべく策略を張り巡らせている。そのためにマケドニアの力を利用しようとしているが、ミネルバ王女はそのような謀略に荷担することはないだろう。かつてグルニアを不当な圧力から守ろうとしたイルテアス王のように。
あのとき祖父が主君を裏切る理由があったとすれば、それは保身を越える大義があったからではないか。義兄である王を手にかけることが国益にかなうと考えたためではなかったか。
それならば、とリュッケは考える。自分の行いもまた正当化されるべきものであろうと。この世界がアカネイアによって統一されるのならば、力を失った祖国を救うための道はひとつしかない。王女が望むマケドニアの未来など、もうとっくに崩れ去っているのだから。
リュッケが顏をあげると、トルイユ伯は手をさしだした。
「そろそろ蒔いた種が芽吹くころ。ともに手をたずさえて進もうではありませんか。われらが祖国のために」
翌日、ハーディン王は神聖アカネイア帝国の樹立を宣言。みずから皇帝となった。
アカネイア暦六〇六年、六の月六日のことであった。
【Ⅱにつづく】
狩りのあと、リュッケは落ちつかぬ日々を過ごしていた。すぐになんらかの動きがあるかと思っていたが、部下の一人が取りこまれたほかは音沙汰がなかった。先日、公館に呼ばれたときも、すべてユスタスを交えての儀礼的な親睦にすぎなかった。
しかし今日、突然の呼び出しを受けた。
現在、主宮東翼の一棟はアカネイアの役人の居室としてあてがわれている。大使が夜の会食に訪れたおり、公館へは戻らず、そのまま主宮に留まることがしばしばある。広い通路の奥、女神の胸像があるあたりまでの警備はマケドニアの衛兵が、その奥より先はアカネイアの随員によって強固に守られている。これは昔から変わらぬ慣習で、主宮の一角がアカネイアの領土のような扱いなのだ。
がらんとした通路を進んでいると、前方から白い集団が近づいてきた。リュッケの顔に緊張が走る。大使の随員たちはみな白を基調とした衣装を好んで身につけており、薄闇のなかでもよく目立つ。
「どうぞ。トルイユ伯がお待ちでございます」
迎えの者が一礼し、部屋の奥へと通された。室内は二つの燭台が灯っているだけで薄暗く、トルイユがどこにいるのかすぐにわからなかった。背後から衣擦れの音がして、リュッケはそちらへ向きなおった。
トルイユはカウチに寝そべっていたが、その腕の中に若い女を抱いていた。ドレスは乱れ、靴下のずり落ちた脚があらわとなっている。
「トルイユ伯」
リュッケは嫌悪をにじませ、奥へと進んだ。
「いったいなんの用でわたしを呼ばれたのです?」
詰問の口調で呼びかけると、トルイユは腕の中の女を追い払うように手をふった。トルイユから身を離した女がドレスの裾を直しながら立ち上がった。薄闇にうかびあがる白い顔を見て、リュッケは息をのむ。
「ロザリア……?」
驚愕するリュッケをよそに、トルイユはゆっくりと身体を起こした。
ロザリアと呼ばれた娘は上目遣いにリュッケをちらと見て、叔父さま、とおびえた声でつぶやいた。
あわてるそぶりもなく襟を正しているトルイユに、リュッケはつめよった。
「これは……いったいどういうことです? なぜあなたがロザリアを――」
「将軍にお伝えするのが遅くなりました」
トルイユは嫣然とほほえむ。
「ローサにはアカネイアでの暮らしは肩身が狭いようでしてね。わたしも遠方の赴任地が少々心細くありましたので、マケドニアに縁ある者を連れてまいったのですよ」
いけしゃあしゃあと言い放たれ、リュッケは苦々しげにトルイユをねめつけた。
ロザリアは兄ブルーノがアカネイア貴族との間にもうけた娘であったが、兄の死後、母親とともにアカネイアに移り住んでいた。以来、手紙のやりとりはしていたものの、二人が直接会うことはなかった。
にもかかわらず、リュッケが幼くしてマケドニアを去った姪に一目で気づいたのは、母親の面影を濃く宿していたからだった。
「さて」
トルイユは立ちあがり、小卓に置かれたデキャンタから杯に赤ワインをそそいでいく。
「どうぞ」
リュッケは杯を受けとったものの口にしなかった。
「今宵、あなたをお呼びしたのには、貴国にも波及する異変が起こったためです」
「……異変とは?」
「じつは、アリティア王国に謀叛の動きがあるのです」
「よもやマルス王子が?」
信じられんと、リュッケは一人ごちるように言った。
残念ながら、とトルイユはつづける。
「これは内密の話なのですが、マルス王子はハーディン陛下とともにニーナさまのご夫君候補の一人となっていました。ニーナさまご自身がハーディン公こそふさわしいとお考えになり、新年早々にご婚礼の運びとなったのですが、マルス王子はこれを不服に思っていたようなのです。なにぶん、マルス王子は〈炎の紋章〉をニーナさまより託された者。かつてのカルタス伯のようにわれこそがアカネイアを統べるにふさわしいと部不相応な期待を抱いていたようですね。弱小国の王子が英雄ともてはやされ、増長してしまったのでしょう」
トルイユはみずからそそいだワインを口に運ぶ。
「戦後、アリティアは隣国のグラを併合下においたため、現在アリティアとアカネイアは国境を接しております。マルス王子がわが国への叛意を見せている以上、貴国にはいざというときには帝国同盟軍として出陣する準備を整えておいていただきたいのです」
「……われらにアリティアを討てと?」
「はい、マルス王子がわれらに牙を向こうとするならば」
「このような話であれば、わたしではなく王女になさるべきではないか」
「察しの悪いお人だ。陛下がミネルバ王女を信用されているならば、あのような書簡をあなたに送りませんよ」
「なにを言われる。ミネルバ王女はアカネイアに謀叛をくわだてるような方ではない。ハーディン王はよくご存じのはずだろう」
「ええ、よくご存じでいらっしゃいますよ。先の戦において、王女の忠誠はアカネイアではなくもっぱらアリティアにあったことを」
リュッケは奥歯をかみしめた。
アリティアの謀叛などに到底信じられるものではない。昨年の敗戦ののち、リュッケはマルス王子とはじめてまみえた。オレルアン、アカネイア、そして祖国アリティアを次々に解放した亡国の王子。どれほどの豪傑かと思っていれば、くもりのない目をした少年だった。権力にしがみつき、アカネイアに叛意をいだくような者にはとても思えない。
アカネイアにはアリティアを陥れるなんらかの理由があるのだ。そしてその片棒をマケドニアに担がせようとの腹づもりなのだろう。
アカネイアがミネルバ王女を脅威とみなすのは理解できる。仮にアカネイアがアリティアに侵攻するようなこととなれば、ミネルバ王女はマルス王子に味方する可能性が高い。王女の直臣たちもそれにならうだろう。
だからあらかじめマケドニアを掌中におさめようという魂胆なのだ。
「将軍、今後あなたはわれらの盟友として力をお貸し願いたい。あなたはマケドニア僭主とは距離をおいておられた。なによりわれらの同胞でもあるのですから」
「わたしを見くびってもらっては困る!」
リュッケはたまらず言いかえした。
「アカネイア貴族の血を引いていようとわたしはマケドニアの人間。国を売るとでも思っているのか! アカネイア王からの書簡の件も、ここであなたがおっしゃったこともすべて王女に報告させていただく!」
「もはや手遅れでしょう? 王女はあなたに一定の信頼を寄せておられるようですが、謀叛をそそのかす書簡を秘匿していたあなたをどう思われるでしょうね? あなたは王殺しの孫と噂されておりますし、アカネイアとも非常に縁が深い。くわえて」
喉を鳴らす。
「王の暗殺にも荷担していたわけですし」
一瞬、なにを言われたかわからなかった。
「あなたは王暗殺の現場に居合わせていながら、謀叛人どもに隷属することで命脈を保ったのでしょう?」
「なぜそれを――」
誰だ? 誰が密告したのだ?
よもやストラーニが――
激しく狼狽するリュッケに、トルイユは笑みをむけた。
「兄王子をみずから手にかける苛烈な王女です。裏切り者を許すことはないでしょう。しかしわれらならば、あなたにふさわしい地位を与えることができます。ご自分にとって有利な道を選ばれては?」
リュッケはうなだれた。ハーディンの書簡が届けられたときから、こうなる道は避けられなかったのだろう。
無駄な抵抗と知りながら、声を絞り出す。
「……あなた方はなぜそれほどに王女を敵視される? 王女は同盟軍において多大な貢献をされたと聞きおよんでいる。パレスの解放も王女の尽力あってのもののはず。なにゆえ――」
「父王を殺しておきながら、わが国に罪をなすりつけたミシェイルは論外ですが、ミネルバのほうも話になりませんね」
トルイユは冷淡に吐き捨てた。
「あの者は勝ち馬にのっただけ。オレルアンが解放され、パレスに集結せんとしたときに、自国の敗色を機敏に感じとって寝返っただけではありませんか」
唖然とするリュッケにかまうことなく饒舌に語る。
「妹が人質? まったく笑わせてくれる。さまつなことに気をとられ、大局を見失った結果、悪事に荷担させられただけのこと。まこと国を想うならば、犠牲を払ってでも正道を行くべきだったのです。そうすれば、マケドニアはこのような末路をたどることはなかった。すべては、あの王女の愚行が招いたことなのですよ」
少なからず敬意をいだく王子と王女をここまで罵倒されながら、リュッケはなにも言いかえせなかった。目の前のトルイユからは、ほがらかな貴公子の面影は消え失せていた。燭台の明かりを宿して光る目は、禍々しささえ感じさせるものだった。
「……たしかにマケドニアは道を誤った。貴国から見れば、ミシェイル王はただの侵略者であり、その命で軍を動かしたミネルバ王女も大差ないのだろう。だが、少なくとも民がお二人を恨んでいるはずがない。そしていま、王女はまぎれもなく民にとっての希望なのだ」
「ほう? あなたはそれなりに王女に忠誠を誓っておられるのですね。てっきり、保身から取り入っているだけかと思っておりましたが」
喉の奥で笑い声を立てる。
「まあ、それならば話は早い。わが国の方針は変わりません。せめて主君のお命だけでもお守りしたいのなら、忠犬にふさわしい行動をなさっては?」
「忠犬に間諜となれと?」
「ええ、あなたの主君には重々ご自分の立場をよくよく理解いただき、アカネイアへ敵意をいだかぬよう導いてください。なにか不穏な動きがあれば、ただちにわれらに報告を」
リュッケは不承不承ながら首肯した。監視と報告だけならばこれまでと変わらない。
ミネルバ王女は表向きアカネイアに従順である。戦前回帰を避けるべくあらゆる手段を模索しているが、宗主国からの要求を真っ向からはねつけるようなことはすまい。気に入らぬことではあるが、ユスタスの支えもある。報復を受けるような事態にはならぬだろう。
「ところで」
トルイユは衣服を整えて立ちあがった。
「イルテアス王の件、あれは事実なのですか」
一歩、にじりよる。
「あなたの祖父は、王殺しなのですか」
「なにをいきなり……」
「ただの興味本位ですよ」
「……当時、わたしはまだ生まれておらぬ。一族の者も、その件に触れることはなかった。もはや真実を知る者はいない」
「それで? あなた自身はどうお考えなのです」
「……おそらくは、事実であったと思っている」
「では冷遇は当然だったというわけですね。これまでも、これからも」
優雅に口元に手をあて、歌うようにトルイユは言った。
「ハーディン王の盟友として、この国を手にしたいと思いませんか」
その一言でリュッケはようやく確信した。アカネイア王の書簡を受けとったときから、ずっと抱いてきた疑問の答えに。
なぜ自分だったのか。
アカネイアと縁深いため、間者として扱いやすい駒とでも思われたのだろう。見くびられたものだと憤った。
しかしそれだけではなかったのだ。
いまの状況は、あまりにも似すぎている。祖父がイルテアス王の宰相であった時代に。
イルテアス王は、父アイオテの時代に確立されたアカネイアとの隷属関係を打破しようと試みていた。六十年前、グルニアの勢力拡大を危惧するアカネイアは、マケドニアの軍事力をもってそれを抑えるよう命じたが、イルテアスは拒否した。それゆえの暗殺だった。
王の判断を後世の人間がおいそれと評価できるものではないが、アカネイアへの叛逆ととられてもやむをえぬ行いではあった。
そしていままたアカネイアはアリティアを制圧下におくべく策略を張り巡らせている。そのためにマケドニアの力を利用しようとしているが、ミネルバ王女はそのような謀略に荷担することはないだろう。かつてグルニアを不当な圧力から守ろうとしたイルテアス王のように。
あのとき祖父が主君を裏切る理由があったとすれば、それは保身を越える大義があったからではないか。義兄である王を手にかけることが国益にかなうと考えたためではなかったか。
それならば、とリュッケは考える。自分の行いもまた正当化されるべきものであろうと。この世界がアカネイアによって統一されるのならば、力を失った祖国を救うための道はひとつしかない。王女が望むマケドニアの未来など、もうとっくに崩れ去っているのだから。
リュッケが顏をあげると、トルイユ伯は手をさしだした。
「そろそろ蒔いた種が芽吹くころ。ともに手をたずさえて進もうではありませんか。われらが祖国のために」
翌日、ハーディン王は神聖アカネイア帝国の樹立を宣言。みずから皇帝となった。
アカネイア暦六〇六年、六の月六日のことであった。
【Ⅱにつづく】