第一部
王城の東、第一訓練場の上空では、二騎の竜騎士が激しく槍を交えていた。空中でくりひろげられる模擬戦に、トルイユ伯が感嘆の声を上げる。
「さすがはマケドニアの武の象徴でございますね」
「おそれいります」
ミネルバ王女とトルイユ伯は、兵舎のバルコニーから第一訓練場を見わたしている。リュッケは部下を十人ほど引きつれ、二人からわずかに距離をとって護衛についていた。
こたびの視察は、急遽決まった。午前の接見のさい、ミネルバ王女がマケドニアでは初の女竜騎士だという話になった。それもわずか十二の時と知ったトルイユ伯は、王女を称賛しつつ、騎士団の訓練の様子が見たいと言いだした。以前から竜騎士に興味があったのだという。
大使の申し出をミネルバが断ることはできない。すぐさま飛行部隊の訓練場へと向かった。このあとは、おもに騎兵部隊が占める第二訓練場へ向かう予定である。
弁務官シモンも軍の視察に出向くことはあったが、自分にかしづく王や側近たちを兵に見せつけるためであった。
対してトルイユは純粋に空を駆ける騎士に魅入っているように見える。たしかにアカネイアの者にとって竜騎士を間近で見る機会はなく、興味を惹かれているのは事実だろう。だが視察の目的はマケドニアの軍事力を探るためにほかならない。
マケドニアの兵士はおしなべてアカネイアへの反感が根強い。大使一行に向けられる視線にはあきらかな敵意がこめられていたが、トルイユは気にとめるでもなく、飛翔する竜騎士たちを目で追っていた。
「あのような巨大な飛竜をほんの少女のころから乗りこなしておられたとは。それもまた勇者アイオテの血のなせるわざでしょうか」
ミネルバはトルイユにほほえみかける。
「飛竜の見目はおそろしく思われるでしょうが、気性は天馬よりもはるかに温厚ですよ」
「それは意外ですね」
「飛竜は主には忠実で、大きな犬のようなかわいらしさを見せてもくれます」
ミネルバはふたたび空へと視線を移した。しかし次の瞬間、小さく声を上げ、手すりから身をのりだした。
槍を振りかぶった一騎が急に体勢を崩し、飛竜からふり落とされそうになっていた。
ゆるやかな旋回をくりかえし、なんとか持ち直すと、ミネルバは安堵の表情を見せた。
「あの者は飛竜の扱いに不慣れなようですね」
トルイユのすなおな感想に、ミネルバは苦笑をもらした。
「現在、わが国の騎士団の半数は新兵なのですよ。昨年のマケドニアでの戦いで多くの騎士が失われましたから」
「おなじ国の者が相争われる結果となったこと、まことに痛ましいことと思います」
「戦わずにすむのであればよかったのですが、わが国はもうそのような段階は過ぎさっておりましたので」
ミネルバはこともなげに言って、話をわずかに変える。
「竜騎士の育成は時間を要します。補充するといってもなかなか容易ではありません」
こういったやりとりもまた政治的意図をふくんだものだ。ミネルバ王女は水面下では騎士団の増強を推し進めているが、表向きは危機に瀕している体をよそおっている。
なごやかな空気をまとう王女と大使をうかがっていたところ、部下が小走りに駆けよっていた。耳打ちされたリュッケは顔色を変える。
「しばし失礼を」
怪訝そうに眉をよせるミネルバを残し、リュッケは部下とともに第二訓練場に足を急がせた。
駆けつけたとき、中央には人だかりができており、怒号が飛び交っていた。兵士をかきわけて中央に進み出ると、三人の少年たちがとっくみ合いとなっていた。群がっている若い兵士たちも彼らを煽り立てていたが、騎士団長の姿に気づき、あわてて威を正した。少年たちは周囲の変化に気づくこともなく、なおも胸倉をつかみ合って罵り合っている。
「なにをしておる!」
リュッケは一喝した。少年たちは相手をつかむ手を放し、大きく後じさる。
「これから殿下が大使とともに視察に来られるというのに、このざまはいったいなんだ!」
あたりが静まりかえるなか、リュッケが詰めよると少年たちは決まりが悪そうに目をそらした。みな、その顔は血と土にまみれ、服も襟の部分が大きく裂けている。そのうち一人は鼻血がとまらず、襟元までまっ赤にそめていた。
リュッケは三人のうちもっとも体格のよい、金褐色の髪の少年に目を止めた。
ロラン・ベンソン。十五歳。アシル・ベンソン騎兵連隊長の忘れ形見である。
この騒動のきっかけに見当がついたリュッケは、駆けつけてきた騎兵隊長に命じる。
「この者たちを懲罰房へ連れてゆけ。沙汰は追って伝える」
「はっ」
「……手当てだけはしてやれ」
腕をとられ、引きずるように少年たちは訓練場から連れ出されようとしていた。そのうち、鼻血を流す少年がロランに悪態をつく。
「こうやって、結局はアカネイアにヘコヘコするだけなんだよ。いいかげん認めろよ、おまえの親父は無駄死だったって――」
言い終えることなく、少年は腹に一打を食らった。
「やめんか!」
リュッケはロランの腕をつかみとって締めあげた。ロランは声を上げることもなく、ただ怒りに燃える目をしていた。
その後すぐユスタスと王女が大使一行とともに第二訓練場に訪れた。リュッケと騎兵隊長は何事もなかったかのように訓練場内を案内した。
マケドニア固有の兵種である竜騎士や天馬騎士とは異なり、重騎兵と騎兵はアカネイアの軍制をそっくりそのまま取り入れて作られた。マケドニアが誇る精強な軍馬も、アカネイアからよい軍馬を連れてきたことにある。そうミネルバから説明され、トルイユは満悦そうに笑みをうかべていた。
見習い騎士たちの模擬戦も技量にこそ欠けるが気迫にあふれ、訓練場内は大いに沸いた。
トルイユ伯は惜しみない賛辞を贈り、ミネルバ王女は騎士に声をかけてまわっていた。
旧勢力の将軍がそのまま留め置かれている騎兵部隊には戦後体制に反発を見せる者たちもめずらしくないのだが、まったく調子がよいもので、間近で見る王女の姿に興奮を隠しきれぬようだった。ねぎらいの言葉をかけられたなら、ある者は舞いあがり、またある者は酔ったような目でみつめていた。
視察は滞りなく終わったが、ミネルバ王女は兵士たちの様子に異変を感じとっていたようで、すぐさまリュッケを部屋に呼んだ。
「いったいなにがあったのだ?」
リュッケが執務室に入るや、ミネルバが問うた。そのかたわらに立つユスタスも怪訝な顔をしていた。
「じつは騎兵部隊の訓練中に騒動がございまして……」
ことの顛末をごくごく簡潔に伝えると、ミネルバは眉をよせた。
「……それは、私闘ということか」
「いえ、そのように大層なものでは。武器は用いておりませんし、三名の怪我もたいしたことはありません。しょせんは子供同士の殴り合いです」
「子供? 見習い兵か」
「はい。ロラン・ベンソンが騒動の中心のようです」
その名を聞き、ミネルバはユスタスと顔を見合わせた。そうか、と小さくため息をつく。
「しかし騒動の発端はロランではなく別の者にあるのだろう?」
「ええ、まあ……」
リュッケは口ごもった。
一部始終を見ていた兵士によれば、少年たちに暴言を浴びせかけられたロランが怒り、二人を殴りつけた。少年たちは父親だけでなく、養父のユスタスをも口汚く罵ったという。
どこまで話してよいものか迷ったが、ミネルバはすべてを察しているようだった。
「大使派遣の影響であろう。今後の国の行く末に恐れを抱いている者も多いのだろうな」
「それもございますが、やはり、戦後からつづく軍内での対立が根幹にあると思われます」
「いずれにせよ、父のことを侮辱されてロランは怒ったわけだな。さしづめ、国賊だの裏切り者だのと罵られて手が出たと」
「……ご推察のとおりにございます」
アシル・ベンソンはオレルアン王城が制圧されたおりにロドリゴ・ムラクとともに捕虜となったが、のちにミネルバ王女が同盟軍に加わったのちに、彼らもその一員に加わった。
ベンソンの姉がムラクに嫁いでいるため、義兄弟である彼らの結束は固かった。ミネルバ王女のもと、彼らは同盟軍においてその力を発揮したが、いずれもがマケドニアでの決戦で散った。
父の裏切りがマケドニアに知られてのち、ロランは牢に収監されたが、処刑されることなく敗戦を迎えた。王女の離反がマケドニアに与えた影響は大きく、同盟軍相手に敗北がつづくにつれ軍の士気は下がっていた。これ以上は反発を招くとの判断であろう。
戦後、身寄りのないロランはいったんムラク家に引き取られたが、春に騎士見習いとなって王城に上がった。そののち、縁戚にあたるユスタスがロランの後見を買って出た。ロランはユスタスを崇敬しており、だからこそ我慢がならなかったのだろう。
「ロランのことはわたしにも責任がございます」
ユスタスが口をはさんだ。
「ベンソンとムラクが遠方へ左遷されたのは、わがメスト家と縁深いゆえのことですし」
「二人ともメスト公の無実を信じていたし、ドルーアに与することには最後まで反対していた。だから人質をとられ前線に遣られたのだが」
「まったく馬鹿正直にもほどがありましょう。もっとうまく立ち回ればよかったというのに」
一瞬、ユスタスはおもてをかげらせたが、明るくつづける。
「息子も父親と似たところがありますが、不条理には正面からやりかえすぐらいでちょうどよいのかもしれません。リカルド、おまえもそうは思わんか」
「よいわけがないだろう」
身内びいきもはなはだしいユスタスをたしなめ、リュッケはミネルバに向きなおる、
「あの者の怒りはわからぬではありませんが、このような騒動は看過できませぬ。規律もなにもあったものではありませんので」
ミネルバは短くうなり、リュッケに問う。
「三名の怪我の程度は?」
「明日になれば青あざができているぐらいのものでしょう」
「その程度ですんだのなら、目くじらを立てることもあるまい」
「双方痛み分けで厳重注意といったところですかな?」
ユスタスが揶揄するような口ぶりで提案した。ミネルバはうなづき、リュッケに視線を戻す。
「明日、懲罰房から出してやれ」
「はっ」
ため息まじりに応じ、リュッケは下がった。
⁂
「……と、殿下は仰せだ。明日、上官であるおまえからよく言って聞かせてやってくれ」
リュッケが言い渡すと、レント・プラージはすぐに返事をしなかった。
「不服なのか」
「不服と言いますか、気が進みません。大使の視察前に騒動を起こしたことは問題ですが、事件そのものについて、責められるべきはロランではないと思っておりますので」
リュッケはうなった。予想どおりの反応だった。レントにとってアシル・ベンソンは直属の上官であった。その息子に同情的であるのは無理からぬことである。
ミネルバには詳細を報告していないが、大使派遣ののち、軍内の不和はますます悪化している。なにぶん一国の軍に勝者と敗者が混在している状態である。流血沙汰にはいたらずとも、陰湿ないがみ合いが蔓延している。ロランたちのような正面切った殴り合いなど可愛いものだ。
「わたしはロラン・ベンソンを前体制の犠牲者と思っております。父親が反体制派であったために前線へ送られ、自身もまた人質となり、いつ首をはねられるやもしれぬ過酷な状況に何年もおかれたのです。ベンソン隊長はドルーアの走狗ではなく、栄光あるマケドニア騎士として散っていかれました。そのような方を侮辱するような言動は、多くの者が不快に感じたことでしょう」
「話をすり替えるな。これは規律違反への罰だ」
「それはわかっておりますが、ロランを罰すれば、軍内の不和が悪化しかねないと申しあげているのです。ただちに懲罰房から出すべきです」
「殿下は公正な方だ。忠臣の嫡子だからとて、ひいきされることはない」
「規律を乱しているのはロランではありません」
「もうよい! おまえには頼まん」
「お待ちください!」
レントがあわてて食い下がってきた。
「……わたしから、伝えますので……」
悄然となるレントに、リュッケは思わず吹き出す。
「ずいぶんと目をかけているようだな」
「ベンソン隊長のお気持ちを思うと、放ってはおけませんから……。殿下もロランを気にかけておいでですが、きっと身の上がマリア王女に重なるところがあるからでしょう。ロランは幸運にも助かりましたが、殺されていてもおかしくなかったのです。ベンソン隊長は、ロランを見捨てたことをずっと気に病んでおられました。ムラク将軍にしても、まだ顔も見ぬ遺児もおられましたし……お二人とご家族の再会がかなわなかったこと、残念でなりません」
レントは目をふせる。
「ロランはよい騎士となると思います。まだ十五ですが、幼少のころより過酷な状況に身をおきつづけていたせいでしょうか、その年にはそぐわぬ風格をただよわせていて、驚かされることもありますから」
「それには同感だが、息子があのような騒動を起こせばアシル・ベンソンの名誉に傷つけることなるぞ」
「はい、そのように伝えます。ただ……」
レントは口ごもる。
「どうにも虚しくなります。あれほどの犠牲を払った戦争の果てに、われらはこのようなくだらぬいさかいを起こしているのですから。志半ばで倒れていった者たちに顔向けができません」
「一朝一夕でことは成るものではない。戦場で散った者たちに報いたいのなら、せめて馬鹿な騒動を起こさせぬようつとめてくれ」
「融和できるならそれにこしたことはないと思っております。ですがやはり、あの日の無謀な戦いを指揮した者たちを許すことはできかねるのです。ロランに暴言を放った少年たちも父親をあの戦いで亡くしているというではありませんか。将軍のように勇気ある決断をされた者があと数人でもいれは、この国の様相も変わっていたでしょうに」
「そのように単純な話ではない。かえって、いま以上に揉め事が起こっていたやもしれぬ」
「しかし、すべては生きていればこそではありませんか。わたしはムラク将軍とベンソン隊長には生きて復興に力をそそいでいただきたかったのです。……ほんとうに残念でなりません」
レントが下がると、リュッケは苦笑をこぼした。レントがリュッケの下で働くようになって半年近くになるが、あきれるほどにまっすぐな青年である。彼もまた父を殺され、少年のころから辛酸をなめているだろうに、ひねくれたところがない。
そんなレントでさえ、旧勢力に強い反発をいだいているのだから、両者の融和など不可能だろう。
あれは、すでに勝敗の決した戦いだった。レントやセルジョたちもマケドニアの降伏を期待していただろう。マルス王子も無意味な戦いを回避すべく、停戦交渉を呼びかける用意があったとも聞く。だが、アカネイアはそれを許さなかっただろう。ミシェイル王もまた、意地と誇りから降伏など受け入れるはずもなかった。ミネルバ王女が兄王との一騎打ちに持ちこんだのも、そうせねばこの泥沼の戦いに幕を引けないとわかっていたからだ。
降伏を許されず、狂気に呑まれた将軍たちは、部下を道連れに無謀な突撃を行った。目的は勝つことではない。すべては憎きアカネイアに一矢報いんがためのものだった。負けが決しているというのに、最後の一兵まで次々へと襲いかかってくるさまは、同盟軍の将兵を恐怖に陥れたことだろう。
結局は王の敗死まで戦いはつづき、マケドニア軍は壊滅的被害をこうむった。王都には酸鼻をきわめる惨状がひろがっていた。
あれはいったいなんのための戦いだったのか。
王女の直臣たちは、いまだにむなしさとやるせなさにさいなまれている。虚無はじょじょに怒りや憎悪へと変質していくだろう。それはマケドニアの分断をさらにひろげ、アカネイアにつけいられるすきとなりかねない。
「将軍」
扉が叩かれた。
「どうしたのだ?」
入ってきたのは鉄騎士団の部下であったが、彼が発した言葉にリュッケは耳を疑った。
「トルイユ伯からでございます」
ちいさく折りたたまれた紙片が渡された。
「お読みになった後は火中なさるように、とのことでございます」
では、と言って下がる部下を、リュッケは引き止めることができなかった。おそるおそる紙をひろげる。
――以後、この者も連絡役としてお役立てください。
紙片につづられた端正な文字を見て、リュッケの顔から血の気が引いた。トルイユは紙に書かれた内容を伝えたかったのではない。宮廷に間諜が入りこんでいることを知らしめたかったのだ。
ほんのわずかなあいだに、アカネイアは王城に蜘蛛の糸を張りめぐらし、すでにいく人か取りこまれている。これでは誰がアカネイアの息のかかった者はわかったものではない。
リュッケは紙片を握りつぶし、奥歯を噛みしめた。
「さすがはマケドニアの武の象徴でございますね」
「おそれいります」
ミネルバ王女とトルイユ伯は、兵舎のバルコニーから第一訓練場を見わたしている。リュッケは部下を十人ほど引きつれ、二人からわずかに距離をとって護衛についていた。
こたびの視察は、急遽決まった。午前の接見のさい、ミネルバ王女がマケドニアでは初の女竜騎士だという話になった。それもわずか十二の時と知ったトルイユ伯は、王女を称賛しつつ、騎士団の訓練の様子が見たいと言いだした。以前から竜騎士に興味があったのだという。
大使の申し出をミネルバが断ることはできない。すぐさま飛行部隊の訓練場へと向かった。このあとは、おもに騎兵部隊が占める第二訓練場へ向かう予定である。
弁務官シモンも軍の視察に出向くことはあったが、自分にかしづく王や側近たちを兵に見せつけるためであった。
対してトルイユは純粋に空を駆ける騎士に魅入っているように見える。たしかにアカネイアの者にとって竜騎士を間近で見る機会はなく、興味を惹かれているのは事実だろう。だが視察の目的はマケドニアの軍事力を探るためにほかならない。
マケドニアの兵士はおしなべてアカネイアへの反感が根強い。大使一行に向けられる視線にはあきらかな敵意がこめられていたが、トルイユは気にとめるでもなく、飛翔する竜騎士たちを目で追っていた。
「あのような巨大な飛竜をほんの少女のころから乗りこなしておられたとは。それもまた勇者アイオテの血のなせるわざでしょうか」
ミネルバはトルイユにほほえみかける。
「飛竜の見目はおそろしく思われるでしょうが、気性は天馬よりもはるかに温厚ですよ」
「それは意外ですね」
「飛竜は主には忠実で、大きな犬のようなかわいらしさを見せてもくれます」
ミネルバはふたたび空へと視線を移した。しかし次の瞬間、小さく声を上げ、手すりから身をのりだした。
槍を振りかぶった一騎が急に体勢を崩し、飛竜からふり落とされそうになっていた。
ゆるやかな旋回をくりかえし、なんとか持ち直すと、ミネルバは安堵の表情を見せた。
「あの者は飛竜の扱いに不慣れなようですね」
トルイユのすなおな感想に、ミネルバは苦笑をもらした。
「現在、わが国の騎士団の半数は新兵なのですよ。昨年のマケドニアでの戦いで多くの騎士が失われましたから」
「おなじ国の者が相争われる結果となったこと、まことに痛ましいことと思います」
「戦わずにすむのであればよかったのですが、わが国はもうそのような段階は過ぎさっておりましたので」
ミネルバはこともなげに言って、話をわずかに変える。
「竜騎士の育成は時間を要します。補充するといってもなかなか容易ではありません」
こういったやりとりもまた政治的意図をふくんだものだ。ミネルバ王女は水面下では騎士団の増強を推し進めているが、表向きは危機に瀕している体をよそおっている。
なごやかな空気をまとう王女と大使をうかがっていたところ、部下が小走りに駆けよっていた。耳打ちされたリュッケは顔色を変える。
「しばし失礼を」
怪訝そうに眉をよせるミネルバを残し、リュッケは部下とともに第二訓練場に足を急がせた。
駆けつけたとき、中央には人だかりができており、怒号が飛び交っていた。兵士をかきわけて中央に進み出ると、三人の少年たちがとっくみ合いとなっていた。群がっている若い兵士たちも彼らを煽り立てていたが、騎士団長の姿に気づき、あわてて威を正した。少年たちは周囲の変化に気づくこともなく、なおも胸倉をつかみ合って罵り合っている。
「なにをしておる!」
リュッケは一喝した。少年たちは相手をつかむ手を放し、大きく後じさる。
「これから殿下が大使とともに視察に来られるというのに、このざまはいったいなんだ!」
あたりが静まりかえるなか、リュッケが詰めよると少年たちは決まりが悪そうに目をそらした。みな、その顔は血と土にまみれ、服も襟の部分が大きく裂けている。そのうち一人は鼻血がとまらず、襟元までまっ赤にそめていた。
リュッケは三人のうちもっとも体格のよい、金褐色の髪の少年に目を止めた。
ロラン・ベンソン。十五歳。アシル・ベンソン騎兵連隊長の忘れ形見である。
この騒動のきっかけに見当がついたリュッケは、駆けつけてきた騎兵隊長に命じる。
「この者たちを懲罰房へ連れてゆけ。沙汰は追って伝える」
「はっ」
「……手当てだけはしてやれ」
腕をとられ、引きずるように少年たちは訓練場から連れ出されようとしていた。そのうち、鼻血を流す少年がロランに悪態をつく。
「こうやって、結局はアカネイアにヘコヘコするだけなんだよ。いいかげん認めろよ、おまえの親父は無駄死だったって――」
言い終えることなく、少年は腹に一打を食らった。
「やめんか!」
リュッケはロランの腕をつかみとって締めあげた。ロランは声を上げることもなく、ただ怒りに燃える目をしていた。
その後すぐユスタスと王女が大使一行とともに第二訓練場に訪れた。リュッケと騎兵隊長は何事もなかったかのように訓練場内を案内した。
マケドニア固有の兵種である竜騎士や天馬騎士とは異なり、重騎兵と騎兵はアカネイアの軍制をそっくりそのまま取り入れて作られた。マケドニアが誇る精強な軍馬も、アカネイアからよい軍馬を連れてきたことにある。そうミネルバから説明され、トルイユは満悦そうに笑みをうかべていた。
見習い騎士たちの模擬戦も技量にこそ欠けるが気迫にあふれ、訓練場内は大いに沸いた。
トルイユ伯は惜しみない賛辞を贈り、ミネルバ王女は騎士に声をかけてまわっていた。
旧勢力の将軍がそのまま留め置かれている騎兵部隊には戦後体制に反発を見せる者たちもめずらしくないのだが、まったく調子がよいもので、間近で見る王女の姿に興奮を隠しきれぬようだった。ねぎらいの言葉をかけられたなら、ある者は舞いあがり、またある者は酔ったような目でみつめていた。
視察は滞りなく終わったが、ミネルバ王女は兵士たちの様子に異変を感じとっていたようで、すぐさまリュッケを部屋に呼んだ。
「いったいなにがあったのだ?」
リュッケが執務室に入るや、ミネルバが問うた。そのかたわらに立つユスタスも怪訝な顔をしていた。
「じつは騎兵部隊の訓練中に騒動がございまして……」
ことの顛末をごくごく簡潔に伝えると、ミネルバは眉をよせた。
「……それは、私闘ということか」
「いえ、そのように大層なものでは。武器は用いておりませんし、三名の怪我もたいしたことはありません。しょせんは子供同士の殴り合いです」
「子供? 見習い兵か」
「はい。ロラン・ベンソンが騒動の中心のようです」
その名を聞き、ミネルバはユスタスと顔を見合わせた。そうか、と小さくため息をつく。
「しかし騒動の発端はロランではなく別の者にあるのだろう?」
「ええ、まあ……」
リュッケは口ごもった。
一部始終を見ていた兵士によれば、少年たちに暴言を浴びせかけられたロランが怒り、二人を殴りつけた。少年たちは父親だけでなく、養父のユスタスをも口汚く罵ったという。
どこまで話してよいものか迷ったが、ミネルバはすべてを察しているようだった。
「大使派遣の影響であろう。今後の国の行く末に恐れを抱いている者も多いのだろうな」
「それもございますが、やはり、戦後からつづく軍内での対立が根幹にあると思われます」
「いずれにせよ、父のことを侮辱されてロランは怒ったわけだな。さしづめ、国賊だの裏切り者だのと罵られて手が出たと」
「……ご推察のとおりにございます」
アシル・ベンソンはオレルアン王城が制圧されたおりにロドリゴ・ムラクとともに捕虜となったが、のちにミネルバ王女が同盟軍に加わったのちに、彼らもその一員に加わった。
ベンソンの姉がムラクに嫁いでいるため、義兄弟である彼らの結束は固かった。ミネルバ王女のもと、彼らは同盟軍においてその力を発揮したが、いずれもがマケドニアでの決戦で散った。
父の裏切りがマケドニアに知られてのち、ロランは牢に収監されたが、処刑されることなく敗戦を迎えた。王女の離反がマケドニアに与えた影響は大きく、同盟軍相手に敗北がつづくにつれ軍の士気は下がっていた。これ以上は反発を招くとの判断であろう。
戦後、身寄りのないロランはいったんムラク家に引き取られたが、春に騎士見習いとなって王城に上がった。そののち、縁戚にあたるユスタスがロランの後見を買って出た。ロランはユスタスを崇敬しており、だからこそ我慢がならなかったのだろう。
「ロランのことはわたしにも責任がございます」
ユスタスが口をはさんだ。
「ベンソンとムラクが遠方へ左遷されたのは、わがメスト家と縁深いゆえのことですし」
「二人ともメスト公の無実を信じていたし、ドルーアに与することには最後まで反対していた。だから人質をとられ前線に遣られたのだが」
「まったく馬鹿正直にもほどがありましょう。もっとうまく立ち回ればよかったというのに」
一瞬、ユスタスはおもてをかげらせたが、明るくつづける。
「息子も父親と似たところがありますが、不条理には正面からやりかえすぐらいでちょうどよいのかもしれません。リカルド、おまえもそうは思わんか」
「よいわけがないだろう」
身内びいきもはなはだしいユスタスをたしなめ、リュッケはミネルバに向きなおる、
「あの者の怒りはわからぬではありませんが、このような騒動は看過できませぬ。規律もなにもあったものではありませんので」
ミネルバは短くうなり、リュッケに問う。
「三名の怪我の程度は?」
「明日になれば青あざができているぐらいのものでしょう」
「その程度ですんだのなら、目くじらを立てることもあるまい」
「双方痛み分けで厳重注意といったところですかな?」
ユスタスが揶揄するような口ぶりで提案した。ミネルバはうなづき、リュッケに視線を戻す。
「明日、懲罰房から出してやれ」
「はっ」
ため息まじりに応じ、リュッケは下がった。
⁂
「……と、殿下は仰せだ。明日、上官であるおまえからよく言って聞かせてやってくれ」
リュッケが言い渡すと、レント・プラージはすぐに返事をしなかった。
「不服なのか」
「不服と言いますか、気が進みません。大使の視察前に騒動を起こしたことは問題ですが、事件そのものについて、責められるべきはロランではないと思っておりますので」
リュッケはうなった。予想どおりの反応だった。レントにとってアシル・ベンソンは直属の上官であった。その息子に同情的であるのは無理からぬことである。
ミネルバには詳細を報告していないが、大使派遣ののち、軍内の不和はますます悪化している。なにぶん一国の軍に勝者と敗者が混在している状態である。流血沙汰にはいたらずとも、陰湿ないがみ合いが蔓延している。ロランたちのような正面切った殴り合いなど可愛いものだ。
「わたしはロラン・ベンソンを前体制の犠牲者と思っております。父親が反体制派であったために前線へ送られ、自身もまた人質となり、いつ首をはねられるやもしれぬ過酷な状況に何年もおかれたのです。ベンソン隊長はドルーアの走狗ではなく、栄光あるマケドニア騎士として散っていかれました。そのような方を侮辱するような言動は、多くの者が不快に感じたことでしょう」
「話をすり替えるな。これは規律違反への罰だ」
「それはわかっておりますが、ロランを罰すれば、軍内の不和が悪化しかねないと申しあげているのです。ただちに懲罰房から出すべきです」
「殿下は公正な方だ。忠臣の嫡子だからとて、ひいきされることはない」
「規律を乱しているのはロランではありません」
「もうよい! おまえには頼まん」
「お待ちください!」
レントがあわてて食い下がってきた。
「……わたしから、伝えますので……」
悄然となるレントに、リュッケは思わず吹き出す。
「ずいぶんと目をかけているようだな」
「ベンソン隊長のお気持ちを思うと、放ってはおけませんから……。殿下もロランを気にかけておいでですが、きっと身の上がマリア王女に重なるところがあるからでしょう。ロランは幸運にも助かりましたが、殺されていてもおかしくなかったのです。ベンソン隊長は、ロランを見捨てたことをずっと気に病んでおられました。ムラク将軍にしても、まだ顔も見ぬ遺児もおられましたし……お二人とご家族の再会がかなわなかったこと、残念でなりません」
レントは目をふせる。
「ロランはよい騎士となると思います。まだ十五ですが、幼少のころより過酷な状況に身をおきつづけていたせいでしょうか、その年にはそぐわぬ風格をただよわせていて、驚かされることもありますから」
「それには同感だが、息子があのような騒動を起こせばアシル・ベンソンの名誉に傷つけることなるぞ」
「はい、そのように伝えます。ただ……」
レントは口ごもる。
「どうにも虚しくなります。あれほどの犠牲を払った戦争の果てに、われらはこのようなくだらぬいさかいを起こしているのですから。志半ばで倒れていった者たちに顔向けができません」
「一朝一夕でことは成るものではない。戦場で散った者たちに報いたいのなら、せめて馬鹿な騒動を起こさせぬようつとめてくれ」
「融和できるならそれにこしたことはないと思っております。ですがやはり、あの日の無謀な戦いを指揮した者たちを許すことはできかねるのです。ロランに暴言を放った少年たちも父親をあの戦いで亡くしているというではありませんか。将軍のように勇気ある決断をされた者があと数人でもいれは、この国の様相も変わっていたでしょうに」
「そのように単純な話ではない。かえって、いま以上に揉め事が起こっていたやもしれぬ」
「しかし、すべては生きていればこそではありませんか。わたしはムラク将軍とベンソン隊長には生きて復興に力をそそいでいただきたかったのです。……ほんとうに残念でなりません」
レントが下がると、リュッケは苦笑をこぼした。レントがリュッケの下で働くようになって半年近くになるが、あきれるほどにまっすぐな青年である。彼もまた父を殺され、少年のころから辛酸をなめているだろうに、ひねくれたところがない。
そんなレントでさえ、旧勢力に強い反発をいだいているのだから、両者の融和など不可能だろう。
あれは、すでに勝敗の決した戦いだった。レントやセルジョたちもマケドニアの降伏を期待していただろう。マルス王子も無意味な戦いを回避すべく、停戦交渉を呼びかける用意があったとも聞く。だが、アカネイアはそれを許さなかっただろう。ミシェイル王もまた、意地と誇りから降伏など受け入れるはずもなかった。ミネルバ王女が兄王との一騎打ちに持ちこんだのも、そうせねばこの泥沼の戦いに幕を引けないとわかっていたからだ。
降伏を許されず、狂気に呑まれた将軍たちは、部下を道連れに無謀な突撃を行った。目的は勝つことではない。すべては憎きアカネイアに一矢報いんがためのものだった。負けが決しているというのに、最後の一兵まで次々へと襲いかかってくるさまは、同盟軍の将兵を恐怖に陥れたことだろう。
結局は王の敗死まで戦いはつづき、マケドニア軍は壊滅的被害をこうむった。王都には酸鼻をきわめる惨状がひろがっていた。
あれはいったいなんのための戦いだったのか。
王女の直臣たちは、いまだにむなしさとやるせなさにさいなまれている。虚無はじょじょに怒りや憎悪へと変質していくだろう。それはマケドニアの分断をさらにひろげ、アカネイアにつけいられるすきとなりかねない。
「将軍」
扉が叩かれた。
「どうしたのだ?」
入ってきたのは鉄騎士団の部下であったが、彼が発した言葉にリュッケは耳を疑った。
「トルイユ伯からでございます」
ちいさく折りたたまれた紙片が渡された。
「お読みになった後は火中なさるように、とのことでございます」
では、と言って下がる部下を、リュッケは引き止めることができなかった。おそるおそる紙をひろげる。
――以後、この者も連絡役としてお役立てください。
紙片につづられた端正な文字を見て、リュッケの顔から血の気が引いた。トルイユは紙に書かれた内容を伝えたかったのではない。宮廷に間諜が入りこんでいることを知らしめたかったのだ。
ほんのわずかなあいだに、アカネイアは王城に蜘蛛の糸を張りめぐらし、すでにいく人か取りこまれている。これでは誰がアカネイアの息のかかった者はわかったものではない。
リュッケは紙片を握りつぶし、奥歯を噛みしめた。