死の舞踏

 両側に開かれた扉の奥から、ゆるやかな円舞曲が流れていた。
 ミネルバは、喪服に仮面をつけた貴族がひしめく大広間に足を踏み入れた。水晶のシャンデリアに照らされ、一歩、さらに一歩と歩を進めるにつれ、あちらこちらから視線がそそがれているのがわかった。
 さっき鏡で見たときはいつもの自分とまるで違うように思えたが、目元を仮面で隠そうと、髪の色を少々変えてみようと、人の姿形というものは大きく変わりようがないのだ。
 女にしては上背があるほうだから、おなじ年頃の貴族子女にまじれば否が応にでも目立つ。月足らずで生まれたために幼いころは発育が悪く、十二をすぎても幼く見られがちだったというのに、この数年でやたらと背がのびた。母のようだとタマーラは目を細めて言う。遺された肖像画のなかの母は、長身の父と並んでも見劣りせぬほどすらりとしていた。
 仮面で顔を隠したとて、ほかの何者にもなれはしない。別人になる必要もない。偽りは偽りとして楽しめばいいのだ。わかっているというのに、この奢侈にまみれた退廃の宴に興じる気にはなれない。
 父の代によく開かれていた舞踏会は、アカネイア貴族たちを歓待するためであると同時に、国の威信を示すためのものでもあった。豪華な衣装も洗練された舞踊も、辺境の蛮国と侮られぬために必要なものだった。だからはじめて舞踏会への参加を許されたとき、ミネルバは歓喜した。ようやく父の一助となれることがうれしくてたまらなかった。輝かしい未来を夢見て、この大広間に足を踏み入れたはずだった。
 こんな未来は、けっして……。
「一曲、お相手を願えますか」
 ミネルバは顔を上げた。声をかけてきたのは赤褐色の髪の青年だった。王女とわかっていて誘いをかけてくる者がいるとは思わず、ミネルバは仮面越しに相手をじっと見つめた。
 マチスだった。幼いころからよく知る者なれば、目元を隠していてもすぐにわかる。
 ミネルバは差し出された手に自分の手をかさね、中央に向かって歩きはじめた。円舞に加わると、好奇の目をふりはらうように、微笑を作ってみせる。
「今宵の宴、楽しんでおられますか」
 もちろん、と赤い髪の貴公子は軽やかに答えた。
「俺は毎日だってかまわないですよ」
「毎日?」
「ええ。だって酒を呑んで踊って暮らせるなら、そんな愉快なことはないじゃありませんか」
「……そなたらしいこと」
「おや、あなたとはどこかでお会いしましたか」
 おどけた口調でしらを切られ、ミネルバは肩をゆらした。ようやく自然に笑えた気がした。
 一曲を踊り終えて、輪を抜けた。
 喉の渇きをおぼえて、ミネルバは卓上に並べられた杯のひとつを手にとった。葡萄酒を一口ふくんで、すぐさま良い味だと感じた。香り高く、喉ごしもなめらかだった。ここ数年は気候に恵まれているから、葡萄の質が非常によいのだ。
 数年にわたる冷害、その末に引き起こされた大飢饉。マケドニアの民にとってあの時代こそこの世の地獄と呼べるものだった。
 大陸中が戦禍にさいなまれ、聖都パレスが狂乱のさなかにあるというのに、マケドニアには平和が保たれている。宗主国の支配を脱することのできたいまは、楽園と呼ぶにふさわしい時代の訪れと言えるかもしれない。
(けれど、それは……)
 あふれる音楽のなかに、うなり声にも似たざわめきがまじった。何事かと思い、ミネルバは首をめぐらせた。
 視線の先には、少し髪の色を暗く変え、仮面で目元をおおってはいるが、普段とさほど変わらぬ兄の姿があった。
 王が歩を進めるにつれ、人だかりが左右に割れていく。やがてミシェイルとミネルバのあいだには一本の細い道ができていた。
 なにか言葉を発する者はいなかった。踊る人々も足を止め、円舞曲だけが寂しげに宙を舞っていた。
 衆目が二人にそそがれるなか、ミシェイルが手を差し出した。これにはミネルバも驚いた。兄は仮装すらせず、上座に鎮座しているものとばかり思っていたのだ。ましてや踊りに誘ってこようなどと。
 これもまたいたずら好きな兄の遊びの一環なのだろうか。
 ミネルバは卓に杯をおき、足を踏み出した。差し出された手に自分の手をかさねると、思いもかけず強くつかみとられた。そのまま円を描きながら中央へと進み出る。
 音楽がひときわ大きくなった。足を止めていた者たちも次々に踊りを再開したが、舞い踊る王と王妹に無関心ではいられぬようで、すれ違うたびにちらちらと視線を投げかけてきた。
「おまえと踊るのはひさしぶりだな」
「……あなたとはどこかでお会いしましたか」
 ミネルバのとぼけた返しに、ミシェイルは口元に笑みをうかべた。けれど仮面の奥の目はけっして笑ってはいないのだろう。先導する手の動きにやや強引なものを感じた。
「楽しめと言ったのに、ずいぶんとつまらなさそうだな」
 ミシェイルがため息まじりにつぶやく。
「あのころはもっと楽しそうに踊っていたものだが」
 あのころ。
 いつのころを思いうかべているのやら。
 舞踏会で兄と踊ったのは数えるほどだが、ミネルバの舞踊の練習相手はいつも兄だった。幼いころから兄妹の舞踊を指導していた教師はアカネイアの出で、優雅な舞踊こそ王族女性のもっとも重要な嗜みと考えていた。ゆえにミネルバに対する指導はとかく厳しく、わずかな動きのずれも許さなかった。
 教師が席を外すと、兄はミネルバの手をとった。二人は音楽など無視して、目が回るほどに部屋中を旋回した。やがて勢いあまって、抱き合ったまま床に転がった。戻ってきた教師にひどく叱責されても、ずっと笑い合っていた。ささいなことが、おかしくてたまらなかった。そんなころもあった。
「笑え」
 突如、手に力がこめられた。
「仮面ごときで心を隠したつもりか」
「わたしはなにも隠してなどいないわ」
「ああそうだな。おまえの心など読むのはたやすい」
 かっと頬が熱くなった。ミネルバが顔をそむけようとすると、ミシェイルがターンに合わせて身体をぐいと持ち上げた。一瞬、唇がふれそうなほど顔が近づく。
 喉元が熱い。呼吸が乱れる。
 もうたくさんだ。
 曲が終わるやいなや、ミネルバは逃げるように身を引こうとしたが、また手をとられた。ふたたび円舞の渦にまきこまれる。
 視線の代わりに腕がからみ合う。手のひらがふれては離れ、離れてはまたふわりとふれる。あんなにもずっと一緒に踊ってきたのだ。意識せずともなめらかに手足が動く。たがいの呼吸が、体に染みついている……。
 結局、四曲もつづけて踊ることとなったが、ようやく遊びに飽きたのか、ミシェイルは曲の途中で踊りをやめた。周囲から拍手が沸き起こるなか、ミシェイルはじっと一点を見つめていた。ミネルバもおなじ方向を見やった。
 誰かがこちらに近づいてきている。
 黒檀の杖をついた老年の男。右脚をわずかに引きずって歩く様子から、アトロス卿とわかった。
 アトロス卿はかつて竜騎士として部隊を率いていたが、十数年前、部族討伐で脚を負傷したことを機に軍を退いた。その後も軍事顧問をつとめており宮廷での影響力も強かったが、こたびの遠征には高齢ゆえに加わっていない。代わりに嫡子が騎兵部隊を率いていた。
(たしかあの者は……)
 パレスでの惨劇が脳裏をよぎり、ミネルバはかすかに身をふるわせた。
 アトロス卿はミシェイルの前で足を止め、深く一礼した。
「陛下、このたびはご無事に帰還なされましたこと、まことにうれしく存じます。凱旋のおりは登城がかないませんでしたので、この場を借りて、戦勝のお喜びを申し上げたく」
 あたりの貴族たちがざわめいた。王の素性を明かす無粋さを咎める声だったが、あまりにいまさらだった。
 アトロス卿は朗々とした声でつづける。
「またこのような華やかな宴を設けていただけたこと、心よりお礼申し上げます」
「長らく宴など開く機会がなかったが、ようやくアカネイアに勝利したこの機に、皆々へのねぎらいも必要と思ってな」
「戦勝の宴ほど喜ばしいものはございません。陛下のお心遣いに、みな感謝しておりましょう。それにしましても、久々に拝見しました陛下と妹君の舞踊、まこと見事なものにございましたな」
「あれと踊るのも、よい趣向であっただろう?」
 軽薄な会話に辟易したのか、ミシェイルはアトロス卿に背を向けた。
 そのとき、アトロス卿の手のなかでなにかが鋭く光った。指輪がシャンデリアに反射でもしたのだろうか。不審に思い、目を凝らしたとき、ミネルバの全身は総毛立った。
 黒檀の杖から白銀のきらめきが放たれている。あれはただの杖ではない。アトロス卿の狙いは明らかにミシェイルだった。
 たった数歩の距離だというのに、足に重くまとわりつく裳裾のせいでうまく走れない。すでに刃は杖から引き抜かれている。まだ誰も異変に気づいていない。これではもう間に合わない。
「ミシェイル!」
 とっさに叫び、ミネルバは兄の前に身をおどらせた。
 腹部に焼けるような熱い痛みが走った。ミネルバは左の脇腹を押さえた。ぬるりとした感触に、それが血だと悟る。
「殿下!」
 近衛と思しき者が駆け寄ってきて、首に巻いていたスカーフをはずし、刃を受けた傷口に押しあてた。
 黒絹がたちまち濃い色に染まっていくのを見て、近衛がかすかにうめいた。とてもかすり傷と呼べるものではなかったが、まともに刃を受けたわけではない。とっさに身をよじったのだ。きっと傷は浅いはずだ。
「……大事ない」
 声をふるわせぬように、ミネルバは凶刃をふるった老公を見下ろした。
 アトロス卿は近衛に取り押さえられ、膝をつかされていた。床には血のついた仕込み杖が転がっている。
「アトロス卿」
 ミネルバが名を呼ぶと、老公は苦々しげに口髭におおわれた唇を動かした。
「姫……よくも邪魔をしてくれたものだ。今宵が最後の機会だったというのに」
「最後の機会だと? ばかめ」
 ミシェイルの嘲笑が響いた。
「宴の席なれば俺を刺し殺せると? ずいぶんと見くびられたものだな」
 茶番は終わりだとでも言うように、ミシェイルは仮面を投げ捨てた。いましがた命を危険にさらされたというのに、まるで動揺が見られない。こうなることを予期していたかのようなふるまいだった。
 これまでにも王の命を狙う者はいた。近衛がつねに目を光らせていたが、ミシェイルはそれすら信用しておらず、いつも気を張りつめていた。
 王が帯剣していないこの宴が、アトロス卿にとっては好機と映ったのだろうか。
「アトロス卿、なぜ……あなたが……」
 ミネルバはつとめて声をふるわせぬように問うた。
「よもやご子息の……エヴァンどののことで、われらを恨んでおられるのか」
「そのようなことでいまさら叛逆を犯すものか。まったく小娘の考えそうなことよ」
 吐き捨てたアトロス卿は、歯をむき出して猛り狂った。
「そうだ、いまさらだ! 可能であるなら、四年前にそっ首を叩き落としてやるべきだったのだ。この父殺しめが王位を手にしたときにな!」
「無礼な!」
 近衛がアトロス卿の腕をねじり上げた。
 アトロス卿は痛みに顔をゆがめながらも笑っていた。その愉快そうな顔が雄弁に語っていた。いまこの瞬間、彼はひとつの目的を達することができたのだと。
 父殺し。
 この四年、どれほど恐怖で押さえつけようとも宮廷でささやかれつづけてきた噂。民は知らずとも、貴族の多くは知っている。この場にいる者にかぎれば、噂を真実とみなす者は少なくないだろう。
 押しよせるざわめきのなかにあっても、ミシェイルにはうろたえるそぶりがまるでなかった。アトロス卿を冷淡に見やり、淡々と告げる。
「貴様らのやり方ではあと何十年たとうと悲願を成し遂げることなぞできぬわ。わずか数年でアカネイアは滅びたのだ。その事実をすなおに喜べばよいものを」
「それをおのれの手柄と思うてか!」
 大音声が広間に響いた。
「おまえが塵芥のごとく使い捨てた騎士団……そのすべては先人が、オズモンド陛下が築いてこられたものぞ。小僧が……おまえごときが築きあげたものなぞ、なにひとつとしてないわ!」
 一語を吐き出すごとに、アトロス卿の分厚い胸は上下した。
「アイオテの再来だと? 笑わせてくれる。おまえがいったいなにを成し遂げたというのだ? 国をマムクートに売り渡し、体よく利用されただけではないか」
 ミシェイルはなにも言い返さず、足元に転がっている仕込み杖を拾いあげた。
「皆の者、とくと胸に刻むがよい。この国に未来などない。ドールアに呑みこまれ、なすすべなく沈みゆくがさだめ。われが予言してやろう。この父殺しが、神に仇なす大罪人が、この国を滅ぼすのだっ――」
 アトロス卿の口は鞘のようだった。
 ミシェイルは卿の頭をわしづかみ、まっすぐに刃を差しこんだ。白銀の切っ先が、卿の首の後ろから飛び出ていた。
 血のあぶくとともに断末魔の声がうなった。
 同時に、背後から金切り声があがった。
 ミネルバはその方向にちらと目をやった。銀の杯が床を転がり、あたりに葡萄酒がまき散らされていた。惨劇に耐えかねた貴婦人が卒倒したのだ。無理もない。宮廷でこのような事件が起こったことは一度もなかったのだから。
 ミシェイルは息ひとつ乱さず、絶命した老公を冷たく見下ろしていた。鮮血が、目から頬にかけて飛び散っていた。
 蝟集する貴族たちは立ちつくしており、誰もミシェイルに近よろうとはしなかった。血だまりに沈むアトロス卿を直視しかねてか、たがいに目くばせをし合うばかりであった。
 アトロス卿は先々王にも仕えていた宮廷の重鎮であり、一線を退いた後も、その人情味あふれた人柄を慕う者は多かった。そんな者をこの場で処断するなど、ミシェイルは卿の言葉にわれを失ったのだろうか。
 それとも、守旧派を屠るよい機会と思っただけか。
 ミシェイルがその手で葬ってきた貴族はおそらく十人ほどいる。ミネルバは直接目にしたわけではないから確証があるわけではない。あくまでそう思われているにすぎない。父の死さえ、不確かで不敬な噂とされているにすぎなかった。
 だが、それも今日で終わりだ。
 ただの噂とされてきた王家の醜聞が、いまここで真実となり白日の下にさらされてしまった。
 さりとて誰もミシェイルを糾弾することはないだろう。父王の変死から四年、多くの貴族たちはうすうす真相に気づいていながら、ミシェイルにおとなしく従ってきた。
 そしてそれはミネルバもおなじなのだ。貴族のなかには、王女もまた兄王子とともに父王の死に加担したと考える者さえいる。
 そんな噂を知りながらも、ミネルバは沈黙を貫いてきた。
 自分ひとりが兄を糾弾しても意味がない。もしドルーアとの同盟が破棄されるような事態となれば、国が滅ぼされるやもしれない。そのような事態だけは避けねばならない。そう考えたすえに、ミネルバは兄に屈した。
 ……けれど、ほんとうにそうだったのだろうか。
 真実を知りながら口をつぐんでいたのは、恐れゆえではなかったか。かつて見た夢が兄の野望の先にもあるはずだと、だからまだきっと夢を叶える道はあるのだと、希望にすがろうとしたがゆえではなかったか。
 失ってしまうことが、恐ろしくてたまらなかった。
 そうやって自分を偽りつづけた結果がいまなのだ。
 人の生も死も。
 すべてはたやすく消えてゆくというのに。
(いったいわたしはなににしがみついているの?)
 ミネルバは顔をしかめ、痛む脇腹に手をやった。腹部から流れる血が脚をつたっている。おのれの血のにおいに酔いそうになる。
 これほど深い傷を負ったのはいつぶりだったか。
 もうずいぶんと前だ。
 あのとき、ドルーアとの戦いで――マムクートの爪で引き裂かれた傷。
 この国がまだドルーアに併合される前。
 ――わたしがまだくもりのない希望を抱いていられたころ……
 痛みが激しさを増すとともに、ミネルバは強いめまいを感じた。このような場で醜態をさらすわけにはいかない。なんとかこらえようとしたが、膝に力が入らない。
 異変に気づいた近衛に体を支えられ、ミネルバはその場に横たわった。
 貴族たちが駆けよってきたが、仮面のせいで誰が誰やらわからない。ゆらゆらと動く不気味な仮面をぼんやりを見上げながら、眠りにさそわれていく。意識を手放す瞬間、黒い影がおおいかぶさってくるのがわかった。その影は、ミネルバをやさしく包みこんでいた。
2/3ページ
スキ