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前編


 初めて触れた日のことを、鷹峯は今でも覚えている。そして、最後に彼を抱いた日のことも。
 海軍というのは、軍隊の中でも特に男色が盛んな傾向にある。同じ艦の中で長い時間を過ごすため、性欲を向ける相手が男になりがちだからだ。
 見目麗しい蒼世もまた、多くの者から色の含んだ目で見られることがあった。
「あいつら、蒼世さんのこと下品な目で見てるんですよ。マジで許せねぇ」
「放っておけ。どこにでもそんな連中はいる」
「けどっ!」
 蒼世と鷹峯を追って海軍に入り、先日蒼世の艦に配属になった中尉は、同じく配属されたばかりの兵たちに憤っていた。その怒りを、剣の師である鷹峯に吐露するほどに。
「悔しいじゃないですか。あの人がどんなに凄い人か知りもしないで、上に色目使ってるとか云ってるんですよ。それに、万が一、蒼世さ……中佐の身に何かあったらって思うと、俺……」
「お前があいつのこと尊敬してるのはわかってる。安心しろ、だいたいの奴は少し経てば中佐に根性を叩き直される。性根腐ってる奴は、勝手に脱落する。それに、俺がいるんだ。あいつに手を出させねぇよ」
 鷹峯がそこまで云った時、部屋の扉が開いた。現れた相手を見て、二人は揃って姿勢を正し、敬礼した。そこにいたのは、つい先刻まで軍会議に出席していた蒼世だった。
「ご苦労。中尉、今日はもう帰宅していい」
「え……でも」
 戸惑い気味に、彼は蒼世を見、そして鷹峯を振り返った。当初の予定では、ここから自宅まで、蒼世を鷹峯と彼の二人で送ることになっていた。
「中尉」
「あ、わかりました」
 蒼世の言葉に、躊躇いつつも頷き、青年は深くお辞儀をして部屋を去った。
「この時間までお前を待っていたんだから、もう少し労ってやれよ」
 去り際の青年の、僅かに寂しげな顔を思い出す。部屋の鍵を内側から締め、蒼世は溜め息をついた。
「今の私は、八つ当たりしかできそうにないのでな」
「……なるほど。つまり、俺は八つ当たり要因で、あいつは傷付けたくないから帰したわけか」
 どうやら、会議で何かあったらしい。部屋に入って来た時から妙に苛立った気配を感じていたが、気のせいではなかったようだ。
 蒼世の腕が、鷹峯の首に回る。前屈みになるよう腕で押され、鷹峯はそれに従った。
 唇を食み、蒼世の服を乱していく。噛み付くような口付けを仕掛けられ、やれやれと鷹峯は内心溜め息をついた。
 若い連中は気付いていないが、蒼世と鷹峯の関係はほぼ周知のことだった。蒼世に興味を持つ者はいても、鷹峯の存在に圧倒され、手を出してくることはない。逆に鷹峯に羨望の眼差しを向ける下官は、蒼世の存在に尻込みし、身を引く。無理矢理蒼世を我が物にしようと考える輩はいたが、海軍のみならず、陸軍上層部からも信頼が厚い蒼世に手を出せば、身の破滅になりかねないと誰もが理解した。
(俺以外が、こいつに触れることはない)
 それは、蒼世が死ぬまで変わることはなかった。蒼世にとって鷹峯はただ一人の男であり、鷹峯にとっても、蒼世は唯一無二の存在だった。

 
 

「で、手を出したんですか」
「途中まではな」
 いつかの居酒屋に、芦屋と二人。次々に酒を体内に収めていく鷹峯の様子は、誰が見ても上機嫌そのものだった。
「ああ、最後までは許してもらってないって云ってましたね。でも、中途半端に手を出すほうが、我慢するのは辛くないですか?」
「そうでもねぇよ。たまに口でしてくれるから、今はまだ我慢できてる」
「……聞きたくなかったですよ、今の話」
「お前から仕掛けてきた話題だろ」
 あからさまにげんなりした顔で溜め息をつく芦屋に、鷹峯は口の端を歪めた。
「あー早く蒼世さんと妃子さんいらっしゃいませんかね。これ以上酔っ払いの男と二人きりはしんどいんですけど」
「睦月、お前な」
 相変わらずの男嫌いらしく、彼はいくら誘っても決して男だけでは飲みに行こうとしなかった。今夜も、蒼世たちが一緒ならと、こうして鷹峯と顔を突き合わせていた。
 蒼世と妃子が店に現れたのは、それから三十分後だった。
「それじゃ、高校を卒業するまでは普通に交際するのね」
 斜め向かいに座った妃子の言葉に、鷹峯は頷いた。
「ああ。それがこいつの希望だからな」
 蒼世に視線をやる。彼女は大皿からサラダを取りながら、云った。
「高校を卒業すれば、実質親戚との縁も切れる。その後は、何をしても文句は云われない。婚約・結婚を決めるなら、最善のタイミングだ。最も、お前のご両親は何と云うかわからないが」
「その点なら問題ねぇよ。あの人たちは、基本放任主義だからな」
「……何だか、貴方達の会話って、色気やムードが全くないわね」
「軍人が抜けてないんですよ、お二人は」
 妃子が呆れながら笑い、芦屋が同調する。しかし、そんな二人の雰囲気は柔らかいものだった。
「そういえば、芦屋。何か知らせたいことがあると云っていたな」
「ああ、そうでした。ちょっと待ってください」
 蒼世の言葉に、芦屋は鞄からタブレット端末を取り出した。画面を操作しながら、話し始める。
「九州の地方紙なのですが、一時期ネットで話題になった料理屋が記事になっていまして、それを見て頂きたいんです」
「料理屋?」
「ええ、身長二メートルを越す“トトロ”が営んでる店って呼ばれてます」
 芦屋がタブレットの画面を三人に見せる。そこには新聞の記事と、一枚の写真が表示されていた。
「これって……」
 妃子が息を呑む。鷹峯は驚きで唖然とし、しかし徐々に歓喜で相好を崩した。


 そこには、犬飼善蔵と屍千狼の姿が写っていた。





前編・完



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