第五章 夢
主人公の一人称(未入力の場合はデフォルト名が表記されます)
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「本丸だあ……!」
間違いない。この趣き、この雰囲気……えみがいた、本丸だ。待ち焦がれていた家にようやく帰ってきたみたいな気持ちになって、思わず目頭が熱くなる。ぐっとこらえて足取りも軽く門の前まで小走りで駆けた。一度立ち止まり、門を見上げる。この門を越えたら、みんなが——兼さんが待っている。一度、高まる緊張を抑えるために深呼吸をする。そして、高ぶる気持ちを抱いて門を、一歩、踏み越えた。
「……ただいまー!」めいっぱい息を吸い込んで、抑え切れない喜びも乗せながら大きな声を出す。すると背の高い長髪の男の人がこっちに向かってきた。ご自慢の鳳凰が施された臙脂色の着物をたくし上げた内番姿の——兼さんだ。何も変わらない、あのときのままだ。胸が熱くなる。
兼さんに会えたら、伝えたい事があったのだった。けれど今はもう一度会えた喜びをもう少しだけ噛みしめていたい。内番姿ということは珍しく畑か馬の当番でもしていたのだろうか。これは明日は槍が降る……いや、高速槍の雨あられだな、とププッと笑う。
「兼さん」愛しく名前を呼びかける。
「……誰だ、あんた?」
…………え? 今、兼さんはなんて言った? 誰だ、あんた——と聞こえたような気がしたが……いや、えみの聞き間違いだろう。ああ、もしかして急にいなくなったと思ったら急に出てきたから怒った兼さんの仕返しのつもりなのだろう。兼さんはそういう小さい事をする男だ。久しぶりにえみも乗っかる事にする。
「もー、なに冗談言ってんだよ、兼さん。あ、もしかして棚に置いてた饅頭食べた仕返し? あれはあそこに置いてあった饅頭が、食べてくれーって……、」言うわけねえだろ。……と、普段ならすかさず兼さんのツッコミが入るはずなのだが……何も、ない? それどころか、兼さんは不審者を見るような険しい目で黙って見てくる。……そんな、迫真の演技をされたら、信じてしまいそうになるじゃないか。兼さんが、えみの事を、知らないって……。胸がざわついて、不安感から聞き返す。
「……え? 兼さん、だよね? ここの本丸の……」
「……そう、だが……。あんた、政府のモンか?」
違う。兼さんなんだけれど、兼さんじゃない。でも、確かに、ここの本丸の——えみの本丸の、兼さんだ。他の本丸でたまに見る事のある兼さんは雰囲気で違うとわかるが、今、目の前にいる兼さんは、えみが知っている雰囲気を持った兼さんだ。長い事……とは言えないが、少なくとも短くはない時間、傍にいたからわかる。この兼さんは、えみが知っているけれど、知らない兼さん——。さらに追い打ちをかけるように現実は容赦なくえみに襲いかかってきた。人影が遠くからこっちに向かってやってくる。——堀川くんだ。堀川くんなら兼さんの意地の悪いイタズラをやめさせられる。堀川くんに兼さんにやめさせるよう言わなくては。大丈夫、堀川くんなら、
「どうかしたの、兼さん——あれ? ……この子は?」
「さあ……。ここにやってきたんだから多分、主の同業者かなんかじゃねえのか」
……嘘だ。堀川くんまでも、えみを初めて見る顔のようにきょとんとした顔で見る。兼さんならともかく、堀川くんはえみを茶化したりする柄じゃない——兼さんと口裏を合わせている可能性もなくはなかったが、考える余裕なんかなかった——。「あ……」言葉が出なくて、一刻も早くこの嘘みたいな状況から逃れたくて、えみは兼さん達に背中を向けて入ってきた門へと駆け出した。そのまま、一心不乱に走る。考えたくない、これは現実なんかじゃないと焦燥する気持ちにつられて駆ける足が速くなる。そう、これは夢——夢なんだ——突然、足が何かに取られて急ブレーキがかかった状態になり、勢いを止められず盛大に土煙をあげてすっ転ぶ。一瞬、何が起こったのかわからなくてしばらく地面に寝そべっていた。それから徐々に自分の身に起きている状況がわかってきて、とりあえずぐっと両腕に力を入れておもむろに起き上がる。
(……痛い……。なんで、)夢のなかのはずなのに。泣きそうになるが、泣いている場合じゃないと、涙をグッとこらえる。こういうときこそ冷静にならなければ。ゆっくりと落ち着いて深呼吸をする。……まずは本部へ行こう。怖いから、できればあまり会いたくないのだが、上司にわけを話せば何か対応してくれるかもしれない。
えみが所属している、政府の本部。外観は近未来的なオフィスビルで、市内でも有名な大手企業だが、それは表向き。隠れ蓑にしていて、裏——こっちが本業と言ったところだろうか——は政府が取り締まる審神者の機関が働いている。ビルに入り、営業スマイル満開の受付のお姉さんが出迎えると、えみは機関の関係者にしか通じない合言葉のようなものを唱える。受付のお姉さんは、ほんの一瞬だけ、瞬きをする僅かのあいだ笑顔を崩したように見えたが、少々お待ちください、とすぐに笑顔で対応してくれた。お姉さんがどこかへと電話をかけて——恐らく機関の関係者——ほんの数分やりとりをしたあと、電話を切り、どうぞ、と入社許可証を渡してくる。えみはそれを首から下げて、目的の場所へと足を進める。
エレベーターに乗り込み、ある階のボタンを数回押すと、政府の機関の場所に転送される。この転送される感覚が、内臓が浮く感じがして少し苦手だ。構造は未だにどうなっているか謎に包まれたままだ。エレベーターのドアが開くと、オフィスビルの出入り口の風景から一転、SF映画に出てくる近未来の要塞のような光景が広がる。なかへ進む。奥には受付のお姉さんがいて、もう一度受付を通ると、お姉さんはホログラムのキーボードをタイプする。待っているあいだ、上司になんと説明するか、会えなかった場合はどうするか、頭のなかで考えをまとめる。思考を巡らせていると、お姉さんの思いがけない一言で思考を中断させられる。
「……申し訳ありませんが、そのような審神者の記録はございません」
——なんだって? 審神者の記録がない? 二年もの間に除外されてしまったのか? そんな事はありえるのだろうか。何はともあれ、まずは上司と話をしないと先に進めない。話をしてもらえるように交渉するも、機関に関わりのない人間は門前払いの一転張りだ。五分だけでもいいから、通話だけでもいいから直接話をさせてくれないかと粘る。お姉さんは困った様子で、けれどもマニュアルどおりに丁寧にお断りする。このままではせっかく戻ってこられたのかもしれないのにまた路頭に迷う事になってしまう。本丸の兼さん達も変で、衣食住も確保できていない今、ここだけが頼みの綱だった。
「——どうしたんですか?」
大学生くらいの男の人の声が、割って入ってくる。振り向くと、えみは目を大きく見開いた。かつて、こちら側の世界に飛んできたときに初めて出会った人、そしてえみの救世主——「先輩!」
急に大きな声で呼びかけられてびっくりしたのか先輩は、えっ? えっ? と挙動不審になる。そして、声をかけた正体がえみだとわかると、おもむろに目が大きく見開いていかにも驚愕という字が顔に書いてあるくらいわかりやすく驚愕した。それにしても少し驚きすぎではないか? 意外にも先輩はびびりだったのか。
助け舟がきた、と言わんばかりにお姉さんはこの状況を軽く先輩に説明する。困っているのはえみも同じなのだが。お姉さんの説明を聞いたあと、続けてえみも事情を説明しようとすると、ちょっとこっちきて、と焦る様子で受付を引き返す。え? え? とえみもわけがわからないまま、ひとまず先輩の背中を追う。
小さなスペースの休憩所まで連れてこられる。えみと先輩以外には誰もいない。先輩はなぜか異様に人目を気にして、周りに誰もいない事を確認すると、ようやくえみと会話をした。ただ、第一口が……
「君……本当に宇佐美か?」
まるで今ここにいるえみが偽者でもあるように疑り深い態度で聞いてくる。失礼な、とえみは反論する。
「本物だよ。宇佐美えみだよ。まるでおばけでも見るような目で見て——」
「だって、宇佐美は二年前に死んだって」
…………え? と、一瞬、いや、数秒ものあいだ思考が止まる。えみが、死んだって? 一体誰がそんな事——今、こうしてここに元気に立っているではないか。えみがあちら側——元の世界に戻っているあいだに、こっちでは死んだ事になっていたのか? えみが戻ってからのこっちの事情はわからないが、二年間も行方不明になっていたなら死亡扱いされるのはきっと妥当だ。えみだってそう考える。それに、先輩がえみを覚えていた。やっぱりこの世界は、えみが元に戻る前の世界線だ。政府の事情も気になるけれど、先輩に、本丸にいた男士の様子がおかしかった事を話す。
「——なるほど。宇佐美が予期せぬトリップで戻っているあいだ、こっちでは二年の時間が経っていた……」自分の言葉を確認するように先輩は呟いた。
「たとえば、自分がこの時代へ飛びたい、って思って飛ぶ事はできないのか?」
「そんな事ができるなら今こうして先輩に相談してないよ」
それもそうか、とバツが悪そうな顔をする。先輩を困らせるつもりはなかったが飛んできて早々、ごたごたしているので気持ちの整理が追いつかないのだ。先輩は悩む顔で人差し指を忙しなくとんとんと動かし、うーん、としばらく唸っていた。ふと、ぴたりと忙しない動きがやむと、先輩は休憩所から顔を出し、もう一度辺りを確認する。周囲に人の気配がない事を再確認すると、先輩は切り出した。
「まず、宇佐美がいなくなったあとの本丸がどうなっていたのか確認してこよう」
簡単に先輩はそう言うが、えみは審神者の登録を外されてしまっているので審神者の特権である時間跳躍ができない。えみの心配をよそに先輩は左腕に着けている腕時計をしきりに触る。
「宇佐美、最後にここにいたときの日付って覚えてるか?」
「え……で、でもえみは審神者の能力がないから飛べないよ?」
「俺を誰だと思ってんの。宇佐美の先輩であり、雑用係でも機関の人間だぞ? 困っている後輩のためなら、時間跳躍くらいわけないって」
そのときの先輩は、とても輝かしくて誇らしく見えた。やっぱり先輩はえみを川から引き上げてくれたままの先輩だ。思わず涙が出そうになる。
「で、でも先輩、上の許可もなくて勝手に時間跳躍して大丈夫なの?」
「まあ、大丈夫だろ。わざわざ許可もらうのもめんどくさいし、無許可で時間跳躍なんてみんなやってるって」
……政府に肩入れするわけではないが、政府の人達よ、職員の意識がゆるゆるなのだが、それでいいのだろうか。ともあれ先輩の行為に甘んじて乗っかる。えみもはっきりと覚えているわけではないので曖昧に、最後にここにいた日付を伝えると先輩は腕時計をいじる。準備が整ったようだ。捕まって、と先輩の言葉にえみは先輩の羽織の袖をぐっと掴んだ。瞬間、周りの景色が走馬灯のように次々と移り変わる。まるでリニアモーターカーの車窓から覗くような感覚で乗り物酔いに似た気持ち悪さが込み上げてくる。
景色は、どこかののどかな田舎道で止まる。目的地についたようだ。跳躍酔いで渋い顔をしていたのか、大丈夫か? と先輩が声をかけてきた。大丈夫……とやや生気のない声で答える。先輩は着ていた羽織を脱ぎ、これ着て、とえみに差し出してきた。
「これは?」
「この時間軸の人間に自分の存在を認識されにくくなる服。無許可で飛んでるわけだし、本丸に潜入するから、念のため」
そうだ、えみがいないあいだ本丸に何が起こっていたのか確かめにいくんだ。ドキドキと鼓動が徐々に高まっていくのを感じる。羽織に袖を通して、本丸のある場所へと向かった。正面の門からではなく、裏口の戸へ回り込み潜入を試みる。幸いにも、この戸は山のなかに行く用なので獣避け程度の簡易的な錠しかかけていない。先輩が戸に何やらUSBメモリのような小さな機械を取り付けると、スクリーンが浮かび上がる。画面に適当にタイプしていくと、ガシャン、と錠が外れるような音がした。
……これは不法侵入罪に当たるのではないか、とハラハラするがそもそも今、行おうとしている行為自体が不法侵入罪に当たる事を忘れていた。いくら真実を確認するとはいえ、罪を二つも犯してしまって罪悪感に苛まれる。先輩は何食わぬ顔で不法に開けた戸を開けながら、若干沈んでいるえみに、「どうした?」と声をかける。まるでこんな事は日常茶飯事だとでも言いたげな。先輩の妙に慣れた手際の良さに本性を疑いつつも、えみは今後一切余計な事は考えないで、先輩の後ろから本丸の敷地内に潜入した。幸運な事に裏の敷地には誰もいなかった。先輩が先導して表の方へと回り込む。
すると、目に入ったのは馬のお世話をしている刀剣男士達が。咄嗟に声をかけようとしたら、先輩の手が遮るように伸びてきて、しぃーっと立てた人差し指を口の前に持ってくる。
「この時間軸では宇佐美はいない事になってるから、未来から飛んできた宇佐美の存在を認識されたらややこしい事になる」
抑え気味の声で先輩は言う。そうか、今ここにいる時間軸はえみが元の世界に戻っていたであろう時間軸なんだ。歴史、とまではいかないが、過去の出来事がこんがらがってしまう。干渉してはいけない。ただ、黙って見ているだけなんて。
刀剣男士達は特段、変わった様子は見られない。馬小屋を掃除して、馬に餌を与えて、馬とじゃれて、いつもどおりの日常だ。先輩とえみは畑があるほうへと移動する。青々とした緑が一面に生い茂るそこには、草をむしり、水をやり、実った野菜を収穫する刀剣男士がいた。やはり、変わったところはない。なんだか少し、寂しい気持ちもする。えみが元の世界に戻ってどれくらいの時が経っているのかわからないが、えみがいなくてもみんな普通に過ごしていけるんだ。えみはみんなに会えなくなったとき、ふさぎ込むほど悲しかったのに。彼らのなかにはたくさんの主に仕えたものもいるから、仕方のない事といえば仕方のない事なのだろう。
畑作業の様子を遠くから眺めていた、ランがぽつりと呟いた。
「あるじ、今日も来ないのかな」
えみは息を呑んだ。それを聞いていたのかランのうしろからやってきたキヨが「主も忙しいんでしょ。学校もあるからね。きっと明日にはひょっこり顔出してくるよ」
「……それ、このあいだも聞いたよ」ぶー、と唇を尖らせて相変わらず可愛げに不満を訴えるラン。
「でも、あれから一週間も顔出しに来ないんだよ? ちょっとおかしいと思わない?」
「だから、忙しいんでしょ」
「連絡の一つもないんだよ?」
「それもできないくらい忙しいんでしょ。……心配してるのは乱だけじゃないから」
そう言うキヨの目が伏し目がちになる。今、目の前にいるのに。声をかける事すら許されない。えみはここにいるよって言いたい。もどかしい思いに拳をぎゅっと握りしめる。ふと、正面門の辺りが騒がしくなる。なんだろう、とキヨとランは騒ぎの元へ向かった。先輩とえみもあとをついていくように向かう。正面門前の広場に刀剣男士複数人が集まり、何やらスーツの上から羽織を着た畏まった格好の、少し小太りな中年くらいの険しい顔つきをした男性——
(上司?)先輩とえみは顔を見合わせる。間違いない、あの年中不機嫌そうな怖い雰囲気をした男性は先輩とえみの上司だ。難しい顔で机に向かっている姿しか見た事がない上司がわざわざ本丸に赴くなんてただ事じゃないと直感した。胸がざわざわする。上司の傍には側近と思われる似たような格好をした男性二人が左右に構える。あれは、政府の人間だ。空気からして穏やかな状況ではない事には間違いない。よっちゃんが口火を切る。
「お偉いさんが直々に……なんの用じゃ」
「御前方の現主……この本丸の審神者について申さねばならない事があり参った次第だ」
上司の横にいた男性の言葉に、その場にいた刀剣男士の注目が一気に集まる。えみも、注意して男性に目をやる。男性は機械的な口調で、
「御前方の審神者は先刻、死亡している事が確認された」
愕然とした。政府の人達を除いた、その場にいた全員が——えみも含めて。よっちゃんが声を荒らげる。
「しっ……そんな、阿呆な! 証拠は!」
「市街地の河原で審神者のDNAと一致する皮膚がついた衣服の一部が見つかった。死因は川で溺れた事による溺死」ギラリ、と鋭く研ぎ澄まされた刃が男性の喉元に向けられる。その刃の切れ味は圧しただけで斬る事のできる恐ろしいほどに洗練された鈍色の刀。
「それ以上つまらない虚構を吐くな。その首、今すぐ斬り落とすぞ」
圧制するような長谷部さんの低い声が吐き捨てるように響く。けれど男性は怯む事なく変わらず機械的に言葉を述べる。
「よって規則に従い数日間を経たのち、本丸を永久凍結とする」
「えいきゅう……とーけつ……?」不穏な顔でランは繰り返す。言葉の感じから良くない事は確かだろう。ランの不安に男性は容赦なく事実を叩きつける。
「本丸の全ての機能を停止する。御前方は刀に戻り、眠ってもらう」淡々と本に並べられている言葉を読み上げるように告げられる、感情と相反した衝撃的な言葉。その場の空気がざわつく。政府の人達は本当に刀剣男士を〝モノ〟としか思っていないのか……? あまりにもひどい。必要とみなされなくなったら早々に切り捨てるなんて。
「そんなムチャクチャがまかりとおる思うちょるんか」
よっちゃんが静かな声で言う。沸き立つ怒りを抑え込む様子で。よっちゃん以外の男士も続いて、納得がいかない様子で各々声を上げる。今まで黙っていた上司が切り出す。
「どのみち宿主がいない本丸など女王蜂がいない蜂の巣も同じだろう。自然に瓦解していくだけだ。抵抗するのは勝手だが御前方の本質を知る事となるぞ」
放たれたのは冷たい言葉だった。その言葉が男士を煽り憤慨する。一触即発の雰囲気だ。見ていられない。えみの事で争っているのなら——
「えみは生きてる! ここにいる!」とみんなの前で言おうと飛び出そうとすると(駄目だ!)と先輩に腕を掴まれて阻止される。今、見ている光景はあくまでも過去に起こった出来事で、本来ならこの世界にいないはずのえみが介入してしまったら辻褄が合わなくなってしまう。こうして戻ってこられたえみが戻ってこられなくなってしまう未来になる可能性だってある。そう先輩に説明されてえみは腕の力を緩めた。過去に介入してはいけないと知っていたはずなのに。
「……もう一つ、選択肢がないわけでもない」
上司の言葉にみんなが耳を傾ける。もう一つの選択肢とは……。
「新たな主を配属する事」
新たな主……。もしかして、新しい主と男士のえみに関する記憶の喪失に何か関わりがあるんじゃ……。もっと詳しい話を聞こうと聞き耳を立てていると、隣にいる先輩から突然呻き声が耳に入ってきた。先輩を見ると額に汗を滲ませて苦悶の表情を浮かべている。(先輩⁉︎ 大丈夫?)と小声で呼びかけると(大丈夫……じゃないかも)と先輩は調子がいいとも取れる弱音を吐いた。今いる時間軸に本来は存在しない人間には〝時間圧〟という時空の歪みみたいな謎の力が体に負荷をかけるらしい。症状は人によって様々だけど先輩は頭痛に耐えているみたいにとてもつらそうだ。時間圧による悪影響を緩和するために本来なら政府の役員から時間跳躍のための道具を渡されるのだが、上の許可もなく時間跳躍をしているので先輩にかかる負担は大きかった。次第に周りの景色が走馬灯のように遠ざかっていき、元の小さな休憩場へと戻ってきた。ふうー、と先輩は大きくため息をつく。
『新たな主の配属』——みんながえみを忘れている事に関わっているのは、きっと間違いない。真相を確かめなければいけない。
疲れているところに申し訳ないと思いつつ、先輩に上司に話をつけてもらえるように頼むと「そのつもりだ」と先輩は応えてくれた。先輩も納得がいかないらしい。「厳しい人だとは思ってたけど、あそこまでとは……」と上司の冷酷さに悲しそうな目の色を浮かべる。えみも、上司の事はあまり知らないが、えみを死んだ事にしたり、残された本丸を永久凍結にしようとしたりするなんてひどすぎると思った。えみはともかく男士の気持ちも聞かないなんて。
「とにかく、上司に話を——」言うなり、先輩とえみの目の前に上司と付き添いの男性が歩いていた。出先から戻ってきたのか、これから向かうところなのかはわからないが、このチャンスを逃すまいと先輩は上司に突撃しにいった。付き添いの男性が上司の前に出て先輩ともめている。先輩がえみに向かって指を指すと、指の先を見た上司が、えみの姿を見つける。見つけるなり、堅くてあまり動かさない厚ぼったいまぶたを確かに大きく動かした。
上司とのやりとりを終えた先輩が戻ってきて「部屋にこい、だってさ」と戦果を報告する。先を歩く上司のあとを追うようにえみと先輩は上司の仕事部屋へと向かった。部屋の前に着くと上司の命令で付き添いの男性は部屋の外で待機して、えみと先輩と上司は部屋に入り、扉が閉まるなり先輩が食い気味に切り出す。
「宇佐美の本丸の件について、どう思われですか」
「……いったいなんの事だ」
「とぼけないでください。あの本丸の主は宇佐美です。ですが新しい主を従え、刀剣男士達は宇佐美を知らない様子です」
「……私の許可もなしに時間跳躍を行ったのか」先輩はバツが悪そうな顔をする。
「彼女の審神者の登録は既に消去された。残された本丸には新しい審神者を配属させた。本丸を引き継ぐ際、前の宿主と刀剣男士との縁が障害となる。円滑に本丸譲渡をするには縁を断つ事が必要だったまでだ」
——縁。目には見えない人と人の繋がり。人と刀剣男士も例外ではない。断ち切る事で新たな主を受け入れられる。だが、その代償に、繋がりを断ち切るという事は関係を無くす事。刀剣男士達にとってそれは忘却という形で出る。だから新しい主を受け入れた兼定さん達はえみとの縁が切れて記憶をなくしてしまった。
絶句した。そんなカラクリがあっただなんて。でも不思議と新しい主を受け入れてえみを忘れてしまった悲しみより、あの本丸に在り続けていてくれた安心感のほうが大きかった。
戻ってこられたら伝えたい事があったのに。えみの事を忘れていたんじゃ伝えようにも届かない。先輩が抗議してくれているみたいだけれど、審神者に戻る事も、みんなの主に戻る事も、諦め始めていた。きっと今の主のほうがえみよりもずっと上手く率いてくれる。みんながそれで幸せなら、えみも幸せだ。「宇佐美も言いたい事あるはずだろ?」と先輩はえみを援護してくれるけれど、どのみちみんながえみの事を覚えていないのなら用意していた言葉も無駄になる。
「……七日」
はあ、と溜息をつくように上司はそう吐き出した。「え?」とえみと先輩は聞き返す。
「七日間、お前達に猶予をやろう。そのあいだ、件の本丸の刀剣男士全ての『彼女に関する記憶』を呼び覚ます事ができたなら、彼女を件の本丸の審神者に復職させよう」
わあ、とえみと先輩の顔がたちまち晴れやかになる。もう無理だと思っていたが思い出させる事ができるのか。でも、どうやって……?「ただし、」と念を押すように上司の言葉に遮られて喜びはつかのまのものとなる。うまい話には裏があるものだ。
「一口だけでも記憶を呼び覚ます事ができなければ、彼女の記憶から我々に関する記憶を一切抹消して別の人生を歩んでもらう」
一回聞いただけじゃ理解が追いつかなかった。えみが頭のなかで言葉を繰り返しているときに先輩が上司に向かって吠える。
「それって、記憶を書き換えるって事ですか」
記憶を書き換える? つまりは……えみが今、記憶している上司や先輩、歴史修正主義者との戦い、刀剣男士と過ごしてきた日々——それら政府に関連する一切の記憶を消す。そして政府に用意された偽りの記憶を持ってこの世界で平穏に暮らしていく事。何もなかったようにえみはここで生きていく。この世界で。
現実味がなさすぎて——SF小説の設定を聞かされているみたいに——それを〝現実〟だと理解している最中に「選ばない選択肢もある。その場合は猶予がなくなるだけだがな。君の人生だ。賢明な判断を期待している」
——ふと、上司と初めて会った日の記憶がよみがえる。えみがこちら側に飛んできて路頭に迷っていたとき、先輩に助けられ、こんのすけに導かれ、審神者の道を選んだときもこんな状況だった。二者択一のように思わせた一択しかない選択。なら、答えは決まっているようなものだ。
「……やります。きっと、記憶を呼び覚まします」
自信はなかった。けど、残された道がそれしかないなら——やるしかない。
上司との話を終えて、えみは研修生という形で今後の組織内の行き来を許可された。なお、死亡したという事は伏せている。そもそも組織の役員の人達とあまり交流はなかったので顔もそんなに割れている事もなく……記録上では死人だというのに周りにあまり騒がれていない。妙な感じだ。複雑に思うが、これからの事を考えると救いか。
そして、今さらになって勢いのままに安請け合いしてしまったのでは……とあとになって後悔の念がじわじわと滲んできた。審神者だったときも色々な事を安請け合いしすぎだと男士から言われた事もあったか。だが考えてみてほしい。あの状況になったら誰でも選ばざるを得ないと思う。だって自分の人生がかかってるから。万一にでもみんなとの日々が戻るのなら、賭けてみたい。……やるしかない。
「制約はないみたいだし、できる事は全部やろう。俺も協力する」
先輩の言葉が、とても心強かった。そうだ、えみは一人じゃない。きっとなんとかなるかもしれない。今までだってなんとかなってきた。こうして戻ってこられたのもきっと何かのチャンスだ。そう思い込む事で自分を奮起させる。
「記憶を呼び覚ます、って言ってもどうしたものかな」
えみと先輩は、うーんと頭を悩ませた。漫画やアニメなどでは強いショックを与えれば記憶を取り戻すのが定番だが……実行に移すにはなかなか難しそうだ。えみの本丸ではない限り、あの本丸に立ち入る事さえ難しいだろう。彼らが快く思わないはずだ。特に政府の関係者だと知ったら怪訝な顔をするだろう。全員ではないとはいえ。
「とりあえず話をしない事には始まらないよな……」訝しげな顔でぽつりと先輩が呟く。そうだ、まずは話してみよう。こうして記憶を呼び覚ますために悩んで時間が過ぎていくのがもったいない。えみに残された時間は七日しかないんだ。案外、話がきっかけで記憶が呼び覚まされるかもしれない。とりあえず、やってみよう。先輩に話を持ちかけると、それもそうだな、とえみに賛同して再び元えみの本丸へと戻った。
荘厳な出で立ちの正面門の前へと立つ。少し前まではなんとも思わなかったが、今はこの門がとても分厚く感じる。ごくり、と生唾を呑み込んだ。大丈夫だ、恐れなくていい。先陣は先輩が切った。すみませーん、と大きな声で呼びつける。しばらくすると、一人の刀剣男士がえみ達の前までやってきた。……長谷部さんだ。ちらり、と先輩とえみを軽く目指すると、
「何者だ」
少し不審感を抱いているような目で他の刀剣男士達と接する態度で聞いてくる。やっぱり長谷部さんもえみの事を忘れている。えみに気づいていない。先輩は包み隠さず、時の政府の者だ、と答えると長谷部さんの目がよりいっそう鋭くなった気がした。
「政府の者がわざわざなんの用だ」
「この地域の本丸に新たに審神者を迎える事になりまして、ご挨拶に伺った次第です」
先輩は適当な嘘をでっち上げる。バレないかと隣でハラハラしながら長谷部さんをちらりと見ると、僅かに眉をひそめていた。
「新しい審神者? ……その娘か」
首は動かさず横目で見るだけ。心が、痛む。長谷部さんはえみの事を忘れているだけ。……とはいえ、やっぱり娘と一言だけで済まされるのはつらかった。あんなにもえみに優しくしてくれた長谷部さんが、まるで別人のようだ。
「新たに審神者が配属されるのなら審神者会で挨拶があるはずだろう」
「急な配属でして。こうして直接挨拶回りをと」
「政府の者がわざわざ直接本丸に赴いて、ねえ……。随分と上は気楽なものなんだな」
長谷部さんは政府の人間をあまり良くは思ってないのか、どことなく言葉にとげがあるように感じる。先輩は苦笑いで返すしかなかった。
「で……ですね、審神者のほうにもご挨拶に伺いたいのですが……」
「言伝なら俺が受け持つ。主は挨拶に割いている時間がとれないほど忙しい」
「え……いや、ほんの五分程度でいいので直接お話を」
「言っただろう。主は忙しいんだ」
「ではせめて刀剣男士のほうにご挨拶を」
「いらん。審神者会で会う事もあるだろう。そのときに改めて伺う」
長谷部さんの淡々とした辛辣な物言いに先輩も気圧される。長谷部さんが段々と苛々してきているのがまとう空気でわかる。先輩は負け惜しみで「で、では待ちますので。隙間時間でもいいのでご挨拶させていただければと」踏ん張りを見せる。だが、長谷部さんは眉間にしわを寄せて鋭い目つきで先輩とえみを見据えると腰に携えている刀の鞘に手をかけた。カチャ、と硬い物同士がぶつかりあう音がする。たまらず先輩とえみは、ひっ、と恐怖に慄く。
「何度も言わせるな。主は忙しい。わからないようなら実力を行使してもいいんだぞ……?」
「しっ、失礼しました!」
えみの手を引いて脱兎の如くその場から逃げ出す先輩。長谷部さんが見えなくなるまでえみ達を捉える冷たい瞳は変わらなかったような気がした。
「いやー、斬られるかと思った……」
まさか長谷部さんがこんなにも分厚い壁となって阻んでくるとは。初っ端から出鼻をくじかれた気分である。このままもう一度出戻ったところで長谷部さんの一太刀が待ってそうだ。記憶を呼び覚ます前にジ・エンドとなってしまう。
「今日はとりあえず一旦家に帰って、作戦を立ててから明日もう一度きてみよう」
先輩の言うとおり、今日は一旦退く事にした。えみに残された猶予はたったの七日しかないが、その七日を全部不意に回すよりしっかり計画を練ってから挑んだほうが確実さが出るだろう。焦っていた。急がば回れだ。……とはいえ、帰るにしてもえみには帰る家がない。審神者だった頃は機関が運営する寮で生活していたが審神者を剥奪された今はホームレスだ。近くのホテルに泊まろうにもお金がない。お金を借りられるような知り合いも……、いた。
目の前に救世主がいるではないか。救世主——と書いて先輩——に藁にもすがる思いで泊まるところを求めた。先輩は社宅住まいでえみを泊めるのは色々と難しいらしいので、先輩の実家にしばらくのあいだ泊まらせてもらう事となった。電話で説明するときに難航していて不安になったが、実際に行ってみたら先輩の家族が快く出迎えてくれて温かく接してくれた。先輩が実家に帰ってきたのとえみの歓迎を兼ねてデリバリーのシーフードとチキンのハーフ&ハーフのピザを夕食にしたあと、先輩と二人きりになって刀剣男士の記憶を呼び覚ます会議は夜更けまで続いた。
作戦当日。昨日振りに本丸の正門前に立つ。先輩とえみは互いに目を合わせると、頷いた。先輩が正門の真ん中で地面を踏み締めて立つと「すみませーん」の合図と共に作戦が決行される。相対するは……長谷部さん。作戦その一。
「昨日は突然すみませんでした。こちら、お詫びの品です。つまらないものですが」手土産大作戦。
「わざわざすまないな」長谷部さんの対応が——昨日よりかは——柔らかい。これは好感触か? すかさず先輩が「それで、こちらの審神者に是非ともご挨拶をと、」
「昨日も言っただろう。主は忙しいんだ。手土産はこちらから渡しておく。言伝もあれば伝えよう」
「重々承知していますが、やはり直接ご挨拶をば……」
あ? と長谷部さんの眼光が昨日の恐怖を思い出させるように、刀の反照のようにギラリと鋭く光った。身の危険を感じて先輩とえみは早々に立ち去った。作戦その一、失敗。気を取り直して作戦その二。
「すみませーん」
「今度はなんだ」
「俺……んん、私ら薬売りでして。ここいら辺の土地を歩いて回ってるんです。どうぞお一ついかがですか?」商人大作戦。
「薬売り? まにあっている」
「そう言わず見るだけでも。薬以外にも日用品や雑貨なども取り揃えていますよ」
「いったい何売りなんだ。……まあ、見るだけなら」
意外な反応。いかにも怪しい匂いがぷんぷんするのにこういうものは受け入れられるものなのか……? 基準がよくわからない。先輩は長谷部さんが乗ってきたのが嬉しいのかノリノリで籠の中の物を紹介する。長谷部さんはふむ、と相槌を打つ。
「——で、こちらのほうはですね」
「……で、いつまでその茶番を続けるつもりだ」
え? と一瞬、呆けていると長谷部さんがむんずと二人が被っていた笠を剥ぎとった。しまった、と言わんばかりにバツの悪い顔をする。
「俺の気が変わらないうちに散れ」
ドスの聞いた声で一喝されると再び立ち去った。作戦その二、失敗。作戦その三……「よほど斬られたいらしいな……」
は、実行に移す前に長谷部さんの気迫に負けて不実行となった。
これ以上挑めば惨劇を生む事になるだろう。完全に長谷部さんに警戒されてしまった。一日目はなんの成果も得られずに、ただただ玄関先でじたばたしていただけで終わった。残り六日。果たしてこんな調子で大丈夫だろうか。既にお先真っ暗な未来しか見えない。
二日目の朝。開口一番、先輩が「正面突破が駄目なら回り込んで攻めるしかないな」
「それってもしかして……」嫌な予感がした。
先輩とえみは正門……の真裏の裏門の前に立っていた。ついこのあいだ——時間帯は違うが——調査のために潜り込んだばかりだ。あの日を繰り返すように先輩は慣れた手つきで裏門の鍵を解除する。この度胸の強さというか、先輩はやっぱり過去に何かやらかしているんではないかと疑ってしまう。難なく、ガチャリと鍵が開いた音がしてあれだけ長谷部さんに阻まれていた本丸の敷地内にあっさりと入れた。なんだか長谷部さんに申し訳ない気持ちが……。そしてまた罪を犯してしまった罪悪感がのしかかる。それじゃあ、と先輩がここから先は宇佐美に任せると急に放任されてしまった。
「うええっ!? えみ一人で!?」
「彼らの記憶を呼び覚ますのは宇佐美にしかできないだろ? 俺ができるのはそんな宇佐美のサポートに回る事ぐらいだよ。大丈夫だって。何かあったら俺がしっかりサポートするから」それに、と呟く先輩の表情が雲がかっていく。
「こんな状況が長谷部《あの人》に知られたら俺、斬られるかもしれないし……」
それはえみも同じなのだが。そう思って喉まで出かかったがここはグッとこらえて呑み込んだ。しかし勝手に人の家の敷地内——元はえみの所有物だが——に入ったら彼らだけでなくとも誰でも怒るだろう。長谷部さん《おに》に見つからないよう気を配りながら話を聞いてくれそうな男士を探す。一番良いのは短刀《小さい子達》かよっちゃん辺りなのだが……ふと、屋敷の影から人影がひょっこりと現れて、わあっと思わず大きな声を上げてしまった。きゃあっと同時に高い声が向こうからも上がる。男士しかいないはずなのに線の細い女の子のような、髪の長いシルエットで……女の子の、ような?
「え……誰? そこにいるの」
「ラン……!」
ラン……乱が。内番姿でえみを見て驚いている。いつも傍にいたランならえみの事を思い出せるかもしれない。希望が生まれる。
「えみだよ。覚えてるだろ、ラン。いつも一緒にいたお前なら」
「え……ラン? ボクは乱だけど……人違いじゃない?」
警戒しているようでランは少し怯えた様子で片足を一歩引く。怪しまれないように弁解しても焦りばかりがちらついて自ら墓穴を掘っていく。えみはこんな事が伝えたいんじゃない。ランにえみの事を思い出してほしいだけなのに。茂みのほうから乾いた物音が聞こえる。音のほうに目をやると茂みにいた先輩が血相を変えて何かを目で捉えていた。先輩の目線の先に恐る恐る目を動かすと、長谷部さん《鬼》がこちらの姿を捉えていた。鬼に見つかれば、それは死を表す。先輩とえみは一目散に逃げ出した。長谷部さんの雄叫びが疾風のように背中に迫ってくるがなんとか振り切り一命をとりとめた。今日はもうだめだろう。えみ達の姿が見えようものなら斬ってかかるかもしれない。逃げるのに精一杯で首が回らなかったけど追ってくる長谷部さんは鬼も真っ青の閻魔のような形相をしていたに違いない。はあ、とため息ばかりが出る。
「こうなったら最後の切り札だ」
膝に手をついて呼吸を整えていた先輩が目を光らせ決死の表情で顔を上げる。先輩から漂う雰囲気に思わず息を呑む。最後の手段にでるの、早くないか? と心のなかで突っ込んだが、えみに残された時間を考えると出し惜しみしている余裕はない。まさか強行手段に出る気じゃ……いくらえみのためとはいえ彼らと一戦交える事になったら本末転倒ではないか。一抹の不安を抱えながら今日という日は過ぎた。残り五日。
三日目の正午。あのあと先輩はえみとは別に行動して再び落ち合ったのは昼前だった。えみに付きっきりだったから忘れていたが先輩にも仕事があってその空いた時間をこうしてえみに使ってくれている……そう考えたら申し訳なく思えてくるし未だ一人として記憶を呼び覚ませていない事に罪悪感を抱える。今日こそは一人くらいは思い出させたい。先輩のために……何より、自分のために。
先輩とえみは正門の前に立つ。今日はいったいどんな作戦でいくのだろうか。昨日の不安が的中しなければいいが……。先輩は堂々とした足取りで正門を悠々とくぐり抜ける。そのまま立ち止まる事なく真っ直ぐ本丸へ突き進んでいく。過去の失態を忘れたわけではないだろうか。長谷部さんと鉢合わせたら……
「貴様! 性懲りもなくまたやってきたのか。今すぐここで圧し斬って——」噂をすればなんとやらだ——実際に噂はしてないが——。助けに行こうにも今のえみがなんの役に立つのか。今から駆けつけても間にあわない。不安をよそに先輩は懐に左手を入れた。まさか、先手を打とうという気じゃ——懐から抜き出されたのは、三つ折りの一枚の紙。
「こちらの審神者に連絡はとってありますが?」
広げた紙を長谷部さんに見せると長谷部さんは目視したあと一瞬、目を大きくしたかと思えば、はあー……と深く長いため息をついた。
「……主に無礼を働いたら即座に斬るからな」
たまらなく不服そうにぼやいた。あの、お……長谷部さんがおとなしく退くなんて。いつのまにそんな根回しをしていたんだ。もしかして昨日忙しそうにしていたのはこの本丸の審神者と連絡をとるため? あれだけ苦戦していた長谷部さんを撤退させる事ができて心なしか先輩の顔は少し誇らしげだった。凄いです、先輩。
「……ていうか、始めからそうすればよかったんじゃ」
「機関の人間だっていっても審神者と雑用じゃ立場が違うんだよ。これでも必死に動いたつもりだぜ?」
要は元請けと下請けのような関係だと先輩は言った。政府の難しい事はわからない。ともあれ無事に合法的に本丸内へ入る事ができた。審神者と会う約束を取り付けているので先輩と一緒に審神者がいる屋敷へと歩みを進める。来客が珍しいのか何人かの男士がちょこちょことこちらを見てくる。見てくるだけで声をかけてくる人は誰もいない。誰もえみに気づいていない。
審神者と初めて顔を合わせる。優しそうな中年くらいの男の人だ。挨拶を交わしてお世話になります、と先輩が持っていた紙袋を渡す。わざわざご丁寧に、と審神者の人は快く受け取った。それからお互いの事や近状の事を軽く話し合い、穏やかに事は済んだ。えみのためにこの本丸の様子を見学させていただいてもいいかと先輩が話を持ちかけると、にっこりと微笑んで、構わないですよ、と了承を得る事ができた。審神者の人直々の許可だ。大手を振って本丸内を歩ける。とはいえ元はえみが務めていたのだが。なんだか妙な気持ちだ。審神者の人もえみを見て特に大きな反応を示さなかったし、ここが元はえみが務めていた本丸だという事は知らないのだろう。きっと彼らが審神者の人に仕える前に仕えていた主がえみだという事も。話すべきなのかどうなのか。今更話したところでえみにはなんの権限もないから無駄なのだろうが。先輩とは一旦離れて気の向くままにふらふらと縁側の庭に足を運んでみると短刀の子達が楽しげに遊んでいた。えみがいた頃と変わらないなあ。
「何して遊んでるの?」
えみが審神者だったときと変わらない気さくな態度で短刀の子達に話しかける。
「あ、昨日の泥棒猫さん」
輪にいたランがそんな事を言う。思わず古典的にずっこけそうになる。ランの一言で他の短刀の子達がざわつきはじめる。このままでは泥棒のレッテルを貼られてしまう。
「泥棒猫じゃねって。昨日は悪かったけど。色々あって……」
「このあいだから押しかけにきてるもんね。知ってるよ。長谷部さんがイライラしてたもん」
あー、と得も言われぬ声だけが出る。
「それで、今日はボク達と遊んでくれるの?」泥棒猫さん、と念を押されて言われる。だから泥棒猫じゃねーって、と否定しても、ふふっとあざとくランは笑うだけ。悔しいがその笑顔で許せてしまう自分がいる。ともあれラン達の記憶を呼び覚ますためラン達と久しぶりに遊ぶ。手鞠を投げたり、ゴム跳びをしたり、鬼ごっこをしたり——審神者をやっていた頃に夢に見ていた平和な時間が過ぎていく。みんなと会えなくなってからえみの時間では一ヶ月ちょっとしか経っていないのにとても懐かしさを覚えた。時の流れはひどく早く感じて——あっというまに空は暁色に染まっていた。先輩に声をかけられて、審神者の人の都合もありそろそろおいとましなくてはならなかった。もっとみんなと一緒に遊んでいたかったが、これ以上迷惑をかけるわけにもいかない。少し間をあけてわかった、と返事をするとランが
「また明日も遊ぼうよ」笑ってそう言ってくれた。えみの気持ちを察してくれたのかはわからない。でも、その言葉はとても嬉しくて。また明日も会っていいんだと。結局、誰の記憶も呼び覚ます事はできなかったけど期待に胸を寄せて今日という日は終わりを迎えた。残り四日。
四日目の朝。先輩に審神者の人と連絡をとれるようにしてもらって、訪問してもいいかと電話をかけると——昨日会ったばかりで不躾なお願いだが——審神者の人は大丈夫ですよ、と優しく対応してくれた。今日は先輩は外せない大事な仕事があるらしく本丸にはえみ一人で向かう事になった。時間になったら迎えにくると言って先輩と別れる。一人で行くのは初めてなので急に緊張してきた。大丈夫だろうか。長谷部さんに斬られたりしないだろうか。妙な不安を抱きながら審神者の人の本丸へ向かった。正門前まで辿り着き恐縮しながら、お邪魔しまーす、とやや控えめの声で挨拶をしてから正門をくぐる。くぐり抜けた先にはそれぞれ当番を行っている男士達が出迎える。軽く会釈をしながらまずは審神者の人が待っている部屋へと向かい挨拶をしに行く。途中で長谷部さんと顔を突き合わせてしまい怒られるかとひやひやしたがこちらを一秒ほど見たあとすぐにふいと目を伏せて無言で立ち去っていった。何か言われるのもきついが何も言われないのもきつい。落ち込んだ気持ちを引きずりながら審神者の人と面会をする。先輩に持たされた菓子折りを手渡してほんの雑談をしてから昨日約束していた彼に会いに本丸内を散策する。
散策中にたまたまとおりかかった短刀の子達にえみが人を探しているのを察したのか近づいてきて声をかけてきてくれた。ラン……乱を探していると言うとランの居場所を知っている子が、ランのいる場所まで親切に案内してくれた。ああ、短刀の子達の優しさは本当に変わらない。込み上げてくるものがあるが、今この子達の前で泣くわけにはいかないとぐっと抑えた。馬小屋に彼、ランはいた。よしよしとランが馬の額を撫でてやると気持ちよさそうにつぶらな瞳を細める。短刀の子達が呼びかけてこちらに気がつくと、ぱっと花が咲いたような表情になる。
「また会いにきてくれたんだね、泥棒猫さん」
だから泥棒猫じゃないって、とすかさず訂正する。じゃないと真相を知らない短刀の子達が、えっ、と目の色を変えてえみを見てくるから。ふふ、とわざとらしくランは笑う。当番が終わったらお相手してあげるね、と言うものだから、手伝うよと申し出るとランは僅かに目を大きく開かせるがすぐに穏やかに目を細めて、ありがとうと言った。ランに言われたとおりに牧草を運んだり小屋の中を掃除したり……。「手際が良いね」とランは言った。「何度かランと一緒に当番をした事があるからね」なんて言っても、口説いてるの? と冗談めかして言われてしまうのがオチだろう。奥歯で噛み砕く。
当番の仕事は意外と早く片付いた。じゃあ、何して遊ぼっか、とランはふわりと束ねた淡いクリーム色の髪をなびかせて振り返る。縄跳びに缶蹴り、ドッジボールに色鬼……現代の風も取り入れて遊びに興じる。こうしてラン達と遊んでいるあいだだけは自分が今置かれている境遇を忘れる。終わらなければいいのに。ずっとこのときが続けばいいのに。歴史の改変も、遡行軍も関係ない、ただ遊んで笑っていられるだけの時間が。
「ふうー……疲れた……」
見た目は華奢な小・中学生と言えど戦場に出ているだけあって短刀の子達の持久力が底知れない。腐っても活力に溢れる十代なのだが彼らの体力についていけない。あんな細身で小さな身体のどこにスタミナが宿っているんだか。少し分けてほしいくらいだ。縁側に腰を落として短刀の子達が遊んでいるのを遠巻きに眺める。楽しそうな声を聞くとなんだかこっちまで楽しくなる。
「あ」視界の端から短刀の子達ではない男の人の声が耳に入った。声の方向へ顔を向けると、臙脂色に映える浅葱色の羽織をひるがえした長髪の男性——男士の姿が。
「——兼、さん」
間違いない。この趣き、この雰囲気……えみがいた、本丸だ。待ち焦がれていた家にようやく帰ってきたみたいな気持ちになって、思わず目頭が熱くなる。ぐっとこらえて足取りも軽く門の前まで小走りで駆けた。一度立ち止まり、門を見上げる。この門を越えたら、みんなが——兼さんが待っている。一度、高まる緊張を抑えるために深呼吸をする。そして、高ぶる気持ちを抱いて門を、一歩、踏み越えた。
「……ただいまー!」めいっぱい息を吸い込んで、抑え切れない喜びも乗せながら大きな声を出す。すると背の高い長髪の男の人がこっちに向かってきた。ご自慢の鳳凰が施された臙脂色の着物をたくし上げた内番姿の——兼さんだ。何も変わらない、あのときのままだ。胸が熱くなる。
兼さんに会えたら、伝えたい事があったのだった。けれど今はもう一度会えた喜びをもう少しだけ噛みしめていたい。内番姿ということは珍しく畑か馬の当番でもしていたのだろうか。これは明日は槍が降る……いや、高速槍の雨あられだな、とププッと笑う。
「兼さん」愛しく名前を呼びかける。
「……誰だ、あんた?」
…………え? 今、兼さんはなんて言った? 誰だ、あんた——と聞こえたような気がしたが……いや、えみの聞き間違いだろう。ああ、もしかして急にいなくなったと思ったら急に出てきたから怒った兼さんの仕返しのつもりなのだろう。兼さんはそういう小さい事をする男だ。久しぶりにえみも乗っかる事にする。
「もー、なに冗談言ってんだよ、兼さん。あ、もしかして棚に置いてた饅頭食べた仕返し? あれはあそこに置いてあった饅頭が、食べてくれーって……、」言うわけねえだろ。……と、普段ならすかさず兼さんのツッコミが入るはずなのだが……何も、ない? それどころか、兼さんは不審者を見るような険しい目で黙って見てくる。……そんな、迫真の演技をされたら、信じてしまいそうになるじゃないか。兼さんが、えみの事を、知らないって……。胸がざわついて、不安感から聞き返す。
「……え? 兼さん、だよね? ここの本丸の……」
「……そう、だが……。あんた、政府のモンか?」
違う。兼さんなんだけれど、兼さんじゃない。でも、確かに、ここの本丸の——えみの本丸の、兼さんだ。他の本丸でたまに見る事のある兼さんは雰囲気で違うとわかるが、今、目の前にいる兼さんは、えみが知っている雰囲気を持った兼さんだ。長い事……とは言えないが、少なくとも短くはない時間、傍にいたからわかる。この兼さんは、えみが知っているけれど、知らない兼さん——。さらに追い打ちをかけるように現実は容赦なくえみに襲いかかってきた。人影が遠くからこっちに向かってやってくる。——堀川くんだ。堀川くんなら兼さんの意地の悪いイタズラをやめさせられる。堀川くんに兼さんにやめさせるよう言わなくては。大丈夫、堀川くんなら、
「どうかしたの、兼さん——あれ? ……この子は?」
「さあ……。ここにやってきたんだから多分、主の同業者かなんかじゃねえのか」
……嘘だ。堀川くんまでも、えみを初めて見る顔のようにきょとんとした顔で見る。兼さんならともかく、堀川くんはえみを茶化したりする柄じゃない——兼さんと口裏を合わせている可能性もなくはなかったが、考える余裕なんかなかった——。「あ……」言葉が出なくて、一刻も早くこの嘘みたいな状況から逃れたくて、えみは兼さん達に背中を向けて入ってきた門へと駆け出した。そのまま、一心不乱に走る。考えたくない、これは現実なんかじゃないと焦燥する気持ちにつられて駆ける足が速くなる。そう、これは夢——夢なんだ——突然、足が何かに取られて急ブレーキがかかった状態になり、勢いを止められず盛大に土煙をあげてすっ転ぶ。一瞬、何が起こったのかわからなくてしばらく地面に寝そべっていた。それから徐々に自分の身に起きている状況がわかってきて、とりあえずぐっと両腕に力を入れておもむろに起き上がる。
(……痛い……。なんで、)夢のなかのはずなのに。泣きそうになるが、泣いている場合じゃないと、涙をグッとこらえる。こういうときこそ冷静にならなければ。ゆっくりと落ち着いて深呼吸をする。……まずは本部へ行こう。怖いから、できればあまり会いたくないのだが、上司にわけを話せば何か対応してくれるかもしれない。
えみが所属している、政府の本部。外観は近未来的なオフィスビルで、市内でも有名な大手企業だが、それは表向き。隠れ蓑にしていて、裏——こっちが本業と言ったところだろうか——は政府が取り締まる審神者の機関が働いている。ビルに入り、営業スマイル満開の受付のお姉さんが出迎えると、えみは機関の関係者にしか通じない合言葉のようなものを唱える。受付のお姉さんは、ほんの一瞬だけ、瞬きをする僅かのあいだ笑顔を崩したように見えたが、少々お待ちください、とすぐに笑顔で対応してくれた。お姉さんがどこかへと電話をかけて——恐らく機関の関係者——ほんの数分やりとりをしたあと、電話を切り、どうぞ、と入社許可証を渡してくる。えみはそれを首から下げて、目的の場所へと足を進める。
エレベーターに乗り込み、ある階のボタンを数回押すと、政府の機関の場所に転送される。この転送される感覚が、内臓が浮く感じがして少し苦手だ。構造は未だにどうなっているか謎に包まれたままだ。エレベーターのドアが開くと、オフィスビルの出入り口の風景から一転、SF映画に出てくる近未来の要塞のような光景が広がる。なかへ進む。奥には受付のお姉さんがいて、もう一度受付を通ると、お姉さんはホログラムのキーボードをタイプする。待っているあいだ、上司になんと説明するか、会えなかった場合はどうするか、頭のなかで考えをまとめる。思考を巡らせていると、お姉さんの思いがけない一言で思考を中断させられる。
「……申し訳ありませんが、そのような審神者の記録はございません」
——なんだって? 審神者の記録がない? 二年もの間に除外されてしまったのか? そんな事はありえるのだろうか。何はともあれ、まずは上司と話をしないと先に進めない。話をしてもらえるように交渉するも、機関に関わりのない人間は門前払いの一転張りだ。五分だけでもいいから、通話だけでもいいから直接話をさせてくれないかと粘る。お姉さんは困った様子で、けれどもマニュアルどおりに丁寧にお断りする。このままではせっかく戻ってこられたのかもしれないのにまた路頭に迷う事になってしまう。本丸の兼さん達も変で、衣食住も確保できていない今、ここだけが頼みの綱だった。
「——どうしたんですか?」
大学生くらいの男の人の声が、割って入ってくる。振り向くと、えみは目を大きく見開いた。かつて、こちら側の世界に飛んできたときに初めて出会った人、そしてえみの救世主——「先輩!」
急に大きな声で呼びかけられてびっくりしたのか先輩は、えっ? えっ? と挙動不審になる。そして、声をかけた正体がえみだとわかると、おもむろに目が大きく見開いていかにも驚愕という字が顔に書いてあるくらいわかりやすく驚愕した。それにしても少し驚きすぎではないか? 意外にも先輩はびびりだったのか。
助け舟がきた、と言わんばかりにお姉さんはこの状況を軽く先輩に説明する。困っているのはえみも同じなのだが。お姉さんの説明を聞いたあと、続けてえみも事情を説明しようとすると、ちょっとこっちきて、と焦る様子で受付を引き返す。え? え? とえみもわけがわからないまま、ひとまず先輩の背中を追う。
小さなスペースの休憩所まで連れてこられる。えみと先輩以外には誰もいない。先輩はなぜか異様に人目を気にして、周りに誰もいない事を確認すると、ようやくえみと会話をした。ただ、第一口が……
「君……本当に宇佐美か?」
まるで今ここにいるえみが偽者でもあるように疑り深い態度で聞いてくる。失礼な、とえみは反論する。
「本物だよ。宇佐美えみだよ。まるでおばけでも見るような目で見て——」
「だって、宇佐美は二年前に死んだって」
…………え? と、一瞬、いや、数秒ものあいだ思考が止まる。えみが、死んだって? 一体誰がそんな事——今、こうしてここに元気に立っているではないか。えみがあちら側——元の世界に戻っているあいだに、こっちでは死んだ事になっていたのか? えみが戻ってからのこっちの事情はわからないが、二年間も行方不明になっていたなら死亡扱いされるのはきっと妥当だ。えみだってそう考える。それに、先輩がえみを覚えていた。やっぱりこの世界は、えみが元に戻る前の世界線だ。政府の事情も気になるけれど、先輩に、本丸にいた男士の様子がおかしかった事を話す。
「——なるほど。宇佐美が予期せぬトリップで戻っているあいだ、こっちでは二年の時間が経っていた……」自分の言葉を確認するように先輩は呟いた。
「たとえば、自分がこの時代へ飛びたい、って思って飛ぶ事はできないのか?」
「そんな事ができるなら今こうして先輩に相談してないよ」
それもそうか、とバツが悪そうな顔をする。先輩を困らせるつもりはなかったが飛んできて早々、ごたごたしているので気持ちの整理が追いつかないのだ。先輩は悩む顔で人差し指を忙しなくとんとんと動かし、うーん、としばらく唸っていた。ふと、ぴたりと忙しない動きがやむと、先輩は休憩所から顔を出し、もう一度辺りを確認する。周囲に人の気配がない事を再確認すると、先輩は切り出した。
「まず、宇佐美がいなくなったあとの本丸がどうなっていたのか確認してこよう」
簡単に先輩はそう言うが、えみは審神者の登録を外されてしまっているので審神者の特権である時間跳躍ができない。えみの心配をよそに先輩は左腕に着けている腕時計をしきりに触る。
「宇佐美、最後にここにいたときの日付って覚えてるか?」
「え……で、でもえみは審神者の能力がないから飛べないよ?」
「俺を誰だと思ってんの。宇佐美の先輩であり、雑用係でも機関の人間だぞ? 困っている後輩のためなら、時間跳躍くらいわけないって」
そのときの先輩は、とても輝かしくて誇らしく見えた。やっぱり先輩はえみを川から引き上げてくれたままの先輩だ。思わず涙が出そうになる。
「で、でも先輩、上の許可もなくて勝手に時間跳躍して大丈夫なの?」
「まあ、大丈夫だろ。わざわざ許可もらうのもめんどくさいし、無許可で時間跳躍なんてみんなやってるって」
……政府に肩入れするわけではないが、政府の人達よ、職員の意識がゆるゆるなのだが、それでいいのだろうか。ともあれ先輩の行為に甘んじて乗っかる。えみもはっきりと覚えているわけではないので曖昧に、最後にここにいた日付を伝えると先輩は腕時計をいじる。準備が整ったようだ。捕まって、と先輩の言葉にえみは先輩の羽織の袖をぐっと掴んだ。瞬間、周りの景色が走馬灯のように次々と移り変わる。まるでリニアモーターカーの車窓から覗くような感覚で乗り物酔いに似た気持ち悪さが込み上げてくる。
景色は、どこかののどかな田舎道で止まる。目的地についたようだ。跳躍酔いで渋い顔をしていたのか、大丈夫か? と先輩が声をかけてきた。大丈夫……とやや生気のない声で答える。先輩は着ていた羽織を脱ぎ、これ着て、とえみに差し出してきた。
「これは?」
「この時間軸の人間に自分の存在を認識されにくくなる服。無許可で飛んでるわけだし、本丸に潜入するから、念のため」
そうだ、えみがいないあいだ本丸に何が起こっていたのか確かめにいくんだ。ドキドキと鼓動が徐々に高まっていくのを感じる。羽織に袖を通して、本丸のある場所へと向かった。正面の門からではなく、裏口の戸へ回り込み潜入を試みる。幸いにも、この戸は山のなかに行く用なので獣避け程度の簡易的な錠しかかけていない。先輩が戸に何やらUSBメモリのような小さな機械を取り付けると、スクリーンが浮かび上がる。画面に適当にタイプしていくと、ガシャン、と錠が外れるような音がした。
……これは不法侵入罪に当たるのではないか、とハラハラするがそもそも今、行おうとしている行為自体が不法侵入罪に当たる事を忘れていた。いくら真実を確認するとはいえ、罪を二つも犯してしまって罪悪感に苛まれる。先輩は何食わぬ顔で不法に開けた戸を開けながら、若干沈んでいるえみに、「どうした?」と声をかける。まるでこんな事は日常茶飯事だとでも言いたげな。先輩の妙に慣れた手際の良さに本性を疑いつつも、えみは今後一切余計な事は考えないで、先輩の後ろから本丸の敷地内に潜入した。幸運な事に裏の敷地には誰もいなかった。先輩が先導して表の方へと回り込む。
すると、目に入ったのは馬のお世話をしている刀剣男士達が。咄嗟に声をかけようとしたら、先輩の手が遮るように伸びてきて、しぃーっと立てた人差し指を口の前に持ってくる。
「この時間軸では宇佐美はいない事になってるから、未来から飛んできた宇佐美の存在を認識されたらややこしい事になる」
抑え気味の声で先輩は言う。そうか、今ここにいる時間軸はえみが元の世界に戻っていたであろう時間軸なんだ。歴史、とまではいかないが、過去の出来事がこんがらがってしまう。干渉してはいけない。ただ、黙って見ているだけなんて。
刀剣男士達は特段、変わった様子は見られない。馬小屋を掃除して、馬に餌を与えて、馬とじゃれて、いつもどおりの日常だ。先輩とえみは畑があるほうへと移動する。青々とした緑が一面に生い茂るそこには、草をむしり、水をやり、実った野菜を収穫する刀剣男士がいた。やはり、変わったところはない。なんだか少し、寂しい気持ちもする。えみが元の世界に戻ってどれくらいの時が経っているのかわからないが、えみがいなくてもみんな普通に過ごしていけるんだ。えみはみんなに会えなくなったとき、ふさぎ込むほど悲しかったのに。彼らのなかにはたくさんの主に仕えたものもいるから、仕方のない事といえば仕方のない事なのだろう。
畑作業の様子を遠くから眺めていた、ランがぽつりと呟いた。
「あるじ、今日も来ないのかな」
えみは息を呑んだ。それを聞いていたのかランのうしろからやってきたキヨが「主も忙しいんでしょ。学校もあるからね。きっと明日にはひょっこり顔出してくるよ」
「……それ、このあいだも聞いたよ」ぶー、と唇を尖らせて相変わらず可愛げに不満を訴えるラン。
「でも、あれから一週間も顔出しに来ないんだよ? ちょっとおかしいと思わない?」
「だから、忙しいんでしょ」
「連絡の一つもないんだよ?」
「それもできないくらい忙しいんでしょ。……心配してるのは乱だけじゃないから」
そう言うキヨの目が伏し目がちになる。今、目の前にいるのに。声をかける事すら許されない。えみはここにいるよって言いたい。もどかしい思いに拳をぎゅっと握りしめる。ふと、正面門の辺りが騒がしくなる。なんだろう、とキヨとランは騒ぎの元へ向かった。先輩とえみもあとをついていくように向かう。正面門前の広場に刀剣男士複数人が集まり、何やらスーツの上から羽織を着た畏まった格好の、少し小太りな中年くらいの険しい顔つきをした男性——
(上司?)先輩とえみは顔を見合わせる。間違いない、あの年中不機嫌そうな怖い雰囲気をした男性は先輩とえみの上司だ。難しい顔で机に向かっている姿しか見た事がない上司がわざわざ本丸に赴くなんてただ事じゃないと直感した。胸がざわざわする。上司の傍には側近と思われる似たような格好をした男性二人が左右に構える。あれは、政府の人間だ。空気からして穏やかな状況ではない事には間違いない。よっちゃんが口火を切る。
「お偉いさんが直々に……なんの用じゃ」
「御前方の現主……この本丸の審神者について申さねばならない事があり参った次第だ」
上司の横にいた男性の言葉に、その場にいた刀剣男士の注目が一気に集まる。えみも、注意して男性に目をやる。男性は機械的な口調で、
「御前方の審神者は先刻、死亡している事が確認された」
愕然とした。政府の人達を除いた、その場にいた全員が——えみも含めて。よっちゃんが声を荒らげる。
「しっ……そんな、阿呆な! 証拠は!」
「市街地の河原で審神者のDNAと一致する皮膚がついた衣服の一部が見つかった。死因は川で溺れた事による溺死」ギラリ、と鋭く研ぎ澄まされた刃が男性の喉元に向けられる。その刃の切れ味は圧しただけで斬る事のできる恐ろしいほどに洗練された鈍色の刀。
「それ以上つまらない虚構を吐くな。その首、今すぐ斬り落とすぞ」
圧制するような長谷部さんの低い声が吐き捨てるように響く。けれど男性は怯む事なく変わらず機械的に言葉を述べる。
「よって規則に従い数日間を経たのち、本丸を永久凍結とする」
「えいきゅう……とーけつ……?」不穏な顔でランは繰り返す。言葉の感じから良くない事は確かだろう。ランの不安に男性は容赦なく事実を叩きつける。
「本丸の全ての機能を停止する。御前方は刀に戻り、眠ってもらう」淡々と本に並べられている言葉を読み上げるように告げられる、感情と相反した衝撃的な言葉。その場の空気がざわつく。政府の人達は本当に刀剣男士を〝モノ〟としか思っていないのか……? あまりにもひどい。必要とみなされなくなったら早々に切り捨てるなんて。
「そんなムチャクチャがまかりとおる思うちょるんか」
よっちゃんが静かな声で言う。沸き立つ怒りを抑え込む様子で。よっちゃん以外の男士も続いて、納得がいかない様子で各々声を上げる。今まで黙っていた上司が切り出す。
「どのみち宿主がいない本丸など女王蜂がいない蜂の巣も同じだろう。自然に瓦解していくだけだ。抵抗するのは勝手だが御前方の本質を知る事となるぞ」
放たれたのは冷たい言葉だった。その言葉が男士を煽り憤慨する。一触即発の雰囲気だ。見ていられない。えみの事で争っているのなら——
「えみは生きてる! ここにいる!」とみんなの前で言おうと飛び出そうとすると(駄目だ!)と先輩に腕を掴まれて阻止される。今、見ている光景はあくまでも過去に起こった出来事で、本来ならこの世界にいないはずのえみが介入してしまったら辻褄が合わなくなってしまう。こうして戻ってこられたえみが戻ってこられなくなってしまう未来になる可能性だってある。そう先輩に説明されてえみは腕の力を緩めた。過去に介入してはいけないと知っていたはずなのに。
「……もう一つ、選択肢がないわけでもない」
上司の言葉にみんなが耳を傾ける。もう一つの選択肢とは……。
「新たな主を配属する事」
新たな主……。もしかして、新しい主と男士のえみに関する記憶の喪失に何か関わりがあるんじゃ……。もっと詳しい話を聞こうと聞き耳を立てていると、隣にいる先輩から突然呻き声が耳に入ってきた。先輩を見ると額に汗を滲ませて苦悶の表情を浮かべている。(先輩⁉︎ 大丈夫?)と小声で呼びかけると(大丈夫……じゃないかも)と先輩は調子がいいとも取れる弱音を吐いた。今いる時間軸に本来は存在しない人間には〝時間圧〟という時空の歪みみたいな謎の力が体に負荷をかけるらしい。症状は人によって様々だけど先輩は頭痛に耐えているみたいにとてもつらそうだ。時間圧による悪影響を緩和するために本来なら政府の役員から時間跳躍のための道具を渡されるのだが、上の許可もなく時間跳躍をしているので先輩にかかる負担は大きかった。次第に周りの景色が走馬灯のように遠ざかっていき、元の小さな休憩場へと戻ってきた。ふうー、と先輩は大きくため息をつく。
『新たな主の配属』——みんながえみを忘れている事に関わっているのは、きっと間違いない。真相を確かめなければいけない。
疲れているところに申し訳ないと思いつつ、先輩に上司に話をつけてもらえるように頼むと「そのつもりだ」と先輩は応えてくれた。先輩も納得がいかないらしい。「厳しい人だとは思ってたけど、あそこまでとは……」と上司の冷酷さに悲しそうな目の色を浮かべる。えみも、上司の事はあまり知らないが、えみを死んだ事にしたり、残された本丸を永久凍結にしようとしたりするなんてひどすぎると思った。えみはともかく男士の気持ちも聞かないなんて。
「とにかく、上司に話を——」言うなり、先輩とえみの目の前に上司と付き添いの男性が歩いていた。出先から戻ってきたのか、これから向かうところなのかはわからないが、このチャンスを逃すまいと先輩は上司に突撃しにいった。付き添いの男性が上司の前に出て先輩ともめている。先輩がえみに向かって指を指すと、指の先を見た上司が、えみの姿を見つける。見つけるなり、堅くてあまり動かさない厚ぼったいまぶたを確かに大きく動かした。
上司とのやりとりを終えた先輩が戻ってきて「部屋にこい、だってさ」と戦果を報告する。先を歩く上司のあとを追うようにえみと先輩は上司の仕事部屋へと向かった。部屋の前に着くと上司の命令で付き添いの男性は部屋の外で待機して、えみと先輩と上司は部屋に入り、扉が閉まるなり先輩が食い気味に切り出す。
「宇佐美の本丸の件について、どう思われですか」
「……いったいなんの事だ」
「とぼけないでください。あの本丸の主は宇佐美です。ですが新しい主を従え、刀剣男士達は宇佐美を知らない様子です」
「……私の許可もなしに時間跳躍を行ったのか」先輩はバツが悪そうな顔をする。
「彼女の審神者の登録は既に消去された。残された本丸には新しい審神者を配属させた。本丸を引き継ぐ際、前の宿主と刀剣男士との縁が障害となる。円滑に本丸譲渡をするには縁を断つ事が必要だったまでだ」
——縁。目には見えない人と人の繋がり。人と刀剣男士も例外ではない。断ち切る事で新たな主を受け入れられる。だが、その代償に、繋がりを断ち切るという事は関係を無くす事。刀剣男士達にとってそれは忘却という形で出る。だから新しい主を受け入れた兼定さん達はえみとの縁が切れて記憶をなくしてしまった。
絶句した。そんなカラクリがあっただなんて。でも不思議と新しい主を受け入れてえみを忘れてしまった悲しみより、あの本丸に在り続けていてくれた安心感のほうが大きかった。
戻ってこられたら伝えたい事があったのに。えみの事を忘れていたんじゃ伝えようにも届かない。先輩が抗議してくれているみたいだけれど、審神者に戻る事も、みんなの主に戻る事も、諦め始めていた。きっと今の主のほうがえみよりもずっと上手く率いてくれる。みんながそれで幸せなら、えみも幸せだ。「宇佐美も言いたい事あるはずだろ?」と先輩はえみを援護してくれるけれど、どのみちみんながえみの事を覚えていないのなら用意していた言葉も無駄になる。
「……七日」
はあ、と溜息をつくように上司はそう吐き出した。「え?」とえみと先輩は聞き返す。
「七日間、お前達に猶予をやろう。そのあいだ、件の本丸の刀剣男士全ての『彼女に関する記憶』を呼び覚ます事ができたなら、彼女を件の本丸の審神者に復職させよう」
わあ、とえみと先輩の顔がたちまち晴れやかになる。もう無理だと思っていたが思い出させる事ができるのか。でも、どうやって……?「ただし、」と念を押すように上司の言葉に遮られて喜びはつかのまのものとなる。うまい話には裏があるものだ。
「一口だけでも記憶を呼び覚ます事ができなければ、彼女の記憶から我々に関する記憶を一切抹消して別の人生を歩んでもらう」
一回聞いただけじゃ理解が追いつかなかった。えみが頭のなかで言葉を繰り返しているときに先輩が上司に向かって吠える。
「それって、記憶を書き換えるって事ですか」
記憶を書き換える? つまりは……えみが今、記憶している上司や先輩、歴史修正主義者との戦い、刀剣男士と過ごしてきた日々——それら政府に関連する一切の記憶を消す。そして政府に用意された偽りの記憶を持ってこの世界で平穏に暮らしていく事。何もなかったようにえみはここで生きていく。この世界で。
現実味がなさすぎて——SF小説の設定を聞かされているみたいに——それを〝現実〟だと理解している最中に「選ばない選択肢もある。その場合は猶予がなくなるだけだがな。君の人生だ。賢明な判断を期待している」
——ふと、上司と初めて会った日の記憶がよみがえる。えみがこちら側に飛んできて路頭に迷っていたとき、先輩に助けられ、こんのすけに導かれ、審神者の道を選んだときもこんな状況だった。二者択一のように思わせた一択しかない選択。なら、答えは決まっているようなものだ。
「……やります。きっと、記憶を呼び覚まします」
自信はなかった。けど、残された道がそれしかないなら——やるしかない。
上司との話を終えて、えみは研修生という形で今後の組織内の行き来を許可された。なお、死亡したという事は伏せている。そもそも組織の役員の人達とあまり交流はなかったので顔もそんなに割れている事もなく……記録上では死人だというのに周りにあまり騒がれていない。妙な感じだ。複雑に思うが、これからの事を考えると救いか。
そして、今さらになって勢いのままに安請け合いしてしまったのでは……とあとになって後悔の念がじわじわと滲んできた。審神者だったときも色々な事を安請け合いしすぎだと男士から言われた事もあったか。だが考えてみてほしい。あの状況になったら誰でも選ばざるを得ないと思う。だって自分の人生がかかってるから。万一にでもみんなとの日々が戻るのなら、賭けてみたい。……やるしかない。
「制約はないみたいだし、できる事は全部やろう。俺も協力する」
先輩の言葉が、とても心強かった。そうだ、えみは一人じゃない。きっとなんとかなるかもしれない。今までだってなんとかなってきた。こうして戻ってこられたのもきっと何かのチャンスだ。そう思い込む事で自分を奮起させる。
「記憶を呼び覚ます、って言ってもどうしたものかな」
えみと先輩は、うーんと頭を悩ませた。漫画やアニメなどでは強いショックを与えれば記憶を取り戻すのが定番だが……実行に移すにはなかなか難しそうだ。えみの本丸ではない限り、あの本丸に立ち入る事さえ難しいだろう。彼らが快く思わないはずだ。特に政府の関係者だと知ったら怪訝な顔をするだろう。全員ではないとはいえ。
「とりあえず話をしない事には始まらないよな……」訝しげな顔でぽつりと先輩が呟く。そうだ、まずは話してみよう。こうして記憶を呼び覚ますために悩んで時間が過ぎていくのがもったいない。えみに残された時間は七日しかないんだ。案外、話がきっかけで記憶が呼び覚まされるかもしれない。とりあえず、やってみよう。先輩に話を持ちかけると、それもそうだな、とえみに賛同して再び元えみの本丸へと戻った。
荘厳な出で立ちの正面門の前へと立つ。少し前まではなんとも思わなかったが、今はこの門がとても分厚く感じる。ごくり、と生唾を呑み込んだ。大丈夫だ、恐れなくていい。先陣は先輩が切った。すみませーん、と大きな声で呼びつける。しばらくすると、一人の刀剣男士がえみ達の前までやってきた。……長谷部さんだ。ちらり、と先輩とえみを軽く目指すると、
「何者だ」
少し不審感を抱いているような目で他の刀剣男士達と接する態度で聞いてくる。やっぱり長谷部さんもえみの事を忘れている。えみに気づいていない。先輩は包み隠さず、時の政府の者だ、と答えると長谷部さんの目がよりいっそう鋭くなった気がした。
「政府の者がわざわざなんの用だ」
「この地域の本丸に新たに審神者を迎える事になりまして、ご挨拶に伺った次第です」
先輩は適当な嘘をでっち上げる。バレないかと隣でハラハラしながら長谷部さんをちらりと見ると、僅かに眉をひそめていた。
「新しい審神者? ……その娘か」
首は動かさず横目で見るだけ。心が、痛む。長谷部さんはえみの事を忘れているだけ。……とはいえ、やっぱり娘と一言だけで済まされるのはつらかった。あんなにもえみに優しくしてくれた長谷部さんが、まるで別人のようだ。
「新たに審神者が配属されるのなら審神者会で挨拶があるはずだろう」
「急な配属でして。こうして直接挨拶回りをと」
「政府の者がわざわざ直接本丸に赴いて、ねえ……。随分と上は気楽なものなんだな」
長谷部さんは政府の人間をあまり良くは思ってないのか、どことなく言葉にとげがあるように感じる。先輩は苦笑いで返すしかなかった。
「で……ですね、審神者のほうにもご挨拶に伺いたいのですが……」
「言伝なら俺が受け持つ。主は挨拶に割いている時間がとれないほど忙しい」
「え……いや、ほんの五分程度でいいので直接お話を」
「言っただろう。主は忙しいんだ」
「ではせめて刀剣男士のほうにご挨拶を」
「いらん。審神者会で会う事もあるだろう。そのときに改めて伺う」
長谷部さんの淡々とした辛辣な物言いに先輩も気圧される。長谷部さんが段々と苛々してきているのがまとう空気でわかる。先輩は負け惜しみで「で、では待ちますので。隙間時間でもいいのでご挨拶させていただければと」踏ん張りを見せる。だが、長谷部さんは眉間にしわを寄せて鋭い目つきで先輩とえみを見据えると腰に携えている刀の鞘に手をかけた。カチャ、と硬い物同士がぶつかりあう音がする。たまらず先輩とえみは、ひっ、と恐怖に慄く。
「何度も言わせるな。主は忙しい。わからないようなら実力を行使してもいいんだぞ……?」
「しっ、失礼しました!」
えみの手を引いて脱兎の如くその場から逃げ出す先輩。長谷部さんが見えなくなるまでえみ達を捉える冷たい瞳は変わらなかったような気がした。
「いやー、斬られるかと思った……」
まさか長谷部さんがこんなにも分厚い壁となって阻んでくるとは。初っ端から出鼻をくじかれた気分である。このままもう一度出戻ったところで長谷部さんの一太刀が待ってそうだ。記憶を呼び覚ます前にジ・エンドとなってしまう。
「今日はとりあえず一旦家に帰って、作戦を立ててから明日もう一度きてみよう」
先輩の言うとおり、今日は一旦退く事にした。えみに残された猶予はたったの七日しかないが、その七日を全部不意に回すよりしっかり計画を練ってから挑んだほうが確実さが出るだろう。焦っていた。急がば回れだ。……とはいえ、帰るにしてもえみには帰る家がない。審神者だった頃は機関が運営する寮で生活していたが審神者を剥奪された今はホームレスだ。近くのホテルに泊まろうにもお金がない。お金を借りられるような知り合いも……、いた。
目の前に救世主がいるではないか。救世主——と書いて先輩——に藁にもすがる思いで泊まるところを求めた。先輩は社宅住まいでえみを泊めるのは色々と難しいらしいので、先輩の実家にしばらくのあいだ泊まらせてもらう事となった。電話で説明するときに難航していて不安になったが、実際に行ってみたら先輩の家族が快く出迎えてくれて温かく接してくれた。先輩が実家に帰ってきたのとえみの歓迎を兼ねてデリバリーのシーフードとチキンのハーフ&ハーフのピザを夕食にしたあと、先輩と二人きりになって刀剣男士の記憶を呼び覚ます会議は夜更けまで続いた。
作戦当日。昨日振りに本丸の正門前に立つ。先輩とえみは互いに目を合わせると、頷いた。先輩が正門の真ん中で地面を踏み締めて立つと「すみませーん」の合図と共に作戦が決行される。相対するは……長谷部さん。作戦その一。
「昨日は突然すみませんでした。こちら、お詫びの品です。つまらないものですが」手土産大作戦。
「わざわざすまないな」長谷部さんの対応が——昨日よりかは——柔らかい。これは好感触か? すかさず先輩が「それで、こちらの審神者に是非ともご挨拶をと、」
「昨日も言っただろう。主は忙しいんだ。手土産はこちらから渡しておく。言伝もあれば伝えよう」
「重々承知していますが、やはり直接ご挨拶をば……」
あ? と長谷部さんの眼光が昨日の恐怖を思い出させるように、刀の反照のようにギラリと鋭く光った。身の危険を感じて先輩とえみは早々に立ち去った。作戦その一、失敗。気を取り直して作戦その二。
「すみませーん」
「今度はなんだ」
「俺……んん、私ら薬売りでして。ここいら辺の土地を歩いて回ってるんです。どうぞお一ついかがですか?」商人大作戦。
「薬売り? まにあっている」
「そう言わず見るだけでも。薬以外にも日用品や雑貨なども取り揃えていますよ」
「いったい何売りなんだ。……まあ、見るだけなら」
意外な反応。いかにも怪しい匂いがぷんぷんするのにこういうものは受け入れられるものなのか……? 基準がよくわからない。先輩は長谷部さんが乗ってきたのが嬉しいのかノリノリで籠の中の物を紹介する。長谷部さんはふむ、と相槌を打つ。
「——で、こちらのほうはですね」
「……で、いつまでその茶番を続けるつもりだ」
え? と一瞬、呆けていると長谷部さんがむんずと二人が被っていた笠を剥ぎとった。しまった、と言わんばかりにバツの悪い顔をする。
「俺の気が変わらないうちに散れ」
ドスの聞いた声で一喝されると再び立ち去った。作戦その二、失敗。作戦その三……「よほど斬られたいらしいな……」
は、実行に移す前に長谷部さんの気迫に負けて不実行となった。
これ以上挑めば惨劇を生む事になるだろう。完全に長谷部さんに警戒されてしまった。一日目はなんの成果も得られずに、ただただ玄関先でじたばたしていただけで終わった。残り六日。果たしてこんな調子で大丈夫だろうか。既にお先真っ暗な未来しか見えない。
二日目の朝。開口一番、先輩が「正面突破が駄目なら回り込んで攻めるしかないな」
「それってもしかして……」嫌な予感がした。
先輩とえみは正門……の真裏の裏門の前に立っていた。ついこのあいだ——時間帯は違うが——調査のために潜り込んだばかりだ。あの日を繰り返すように先輩は慣れた手つきで裏門の鍵を解除する。この度胸の強さというか、先輩はやっぱり過去に何かやらかしているんではないかと疑ってしまう。難なく、ガチャリと鍵が開いた音がしてあれだけ長谷部さんに阻まれていた本丸の敷地内にあっさりと入れた。なんだか長谷部さんに申し訳ない気持ちが……。そしてまた罪を犯してしまった罪悪感がのしかかる。それじゃあ、と先輩がここから先は宇佐美に任せると急に放任されてしまった。
「うええっ!? えみ一人で!?」
「彼らの記憶を呼び覚ますのは宇佐美にしかできないだろ? 俺ができるのはそんな宇佐美のサポートに回る事ぐらいだよ。大丈夫だって。何かあったら俺がしっかりサポートするから」それに、と呟く先輩の表情が雲がかっていく。
「こんな状況が長谷部《あの人》に知られたら俺、斬られるかもしれないし……」
それはえみも同じなのだが。そう思って喉まで出かかったがここはグッとこらえて呑み込んだ。しかし勝手に人の家の敷地内——元はえみの所有物だが——に入ったら彼らだけでなくとも誰でも怒るだろう。長谷部さん《おに》に見つからないよう気を配りながら話を聞いてくれそうな男士を探す。一番良いのは短刀《小さい子達》かよっちゃん辺りなのだが……ふと、屋敷の影から人影がひょっこりと現れて、わあっと思わず大きな声を上げてしまった。きゃあっと同時に高い声が向こうからも上がる。男士しかいないはずなのに線の細い女の子のような、髪の長いシルエットで……女の子の、ような?
「え……誰? そこにいるの」
「ラン……!」
ラン……乱が。内番姿でえみを見て驚いている。いつも傍にいたランならえみの事を思い出せるかもしれない。希望が生まれる。
「えみだよ。覚えてるだろ、ラン。いつも一緒にいたお前なら」
「え……ラン? ボクは乱だけど……人違いじゃない?」
警戒しているようでランは少し怯えた様子で片足を一歩引く。怪しまれないように弁解しても焦りばかりがちらついて自ら墓穴を掘っていく。えみはこんな事が伝えたいんじゃない。ランにえみの事を思い出してほしいだけなのに。茂みのほうから乾いた物音が聞こえる。音のほうに目をやると茂みにいた先輩が血相を変えて何かを目で捉えていた。先輩の目線の先に恐る恐る目を動かすと、長谷部さん《鬼》がこちらの姿を捉えていた。鬼に見つかれば、それは死を表す。先輩とえみは一目散に逃げ出した。長谷部さんの雄叫びが疾風のように背中に迫ってくるがなんとか振り切り一命をとりとめた。今日はもうだめだろう。えみ達の姿が見えようものなら斬ってかかるかもしれない。逃げるのに精一杯で首が回らなかったけど追ってくる長谷部さんは鬼も真っ青の閻魔のような形相をしていたに違いない。はあ、とため息ばかりが出る。
「こうなったら最後の切り札だ」
膝に手をついて呼吸を整えていた先輩が目を光らせ決死の表情で顔を上げる。先輩から漂う雰囲気に思わず息を呑む。最後の手段にでるの、早くないか? と心のなかで突っ込んだが、えみに残された時間を考えると出し惜しみしている余裕はない。まさか強行手段に出る気じゃ……いくらえみのためとはいえ彼らと一戦交える事になったら本末転倒ではないか。一抹の不安を抱えながら今日という日は過ぎた。残り五日。
三日目の正午。あのあと先輩はえみとは別に行動して再び落ち合ったのは昼前だった。えみに付きっきりだったから忘れていたが先輩にも仕事があってその空いた時間をこうしてえみに使ってくれている……そう考えたら申し訳なく思えてくるし未だ一人として記憶を呼び覚ませていない事に罪悪感を抱える。今日こそは一人くらいは思い出させたい。先輩のために……何より、自分のために。
先輩とえみは正門の前に立つ。今日はいったいどんな作戦でいくのだろうか。昨日の不安が的中しなければいいが……。先輩は堂々とした足取りで正門を悠々とくぐり抜ける。そのまま立ち止まる事なく真っ直ぐ本丸へ突き進んでいく。過去の失態を忘れたわけではないだろうか。長谷部さんと鉢合わせたら……
「貴様! 性懲りもなくまたやってきたのか。今すぐここで圧し斬って——」噂をすればなんとやらだ——実際に噂はしてないが——。助けに行こうにも今のえみがなんの役に立つのか。今から駆けつけても間にあわない。不安をよそに先輩は懐に左手を入れた。まさか、先手を打とうという気じゃ——懐から抜き出されたのは、三つ折りの一枚の紙。
「こちらの審神者に連絡はとってありますが?」
広げた紙を長谷部さんに見せると長谷部さんは目視したあと一瞬、目を大きくしたかと思えば、はあー……と深く長いため息をついた。
「……主に無礼を働いたら即座に斬るからな」
たまらなく不服そうにぼやいた。あの、お……長谷部さんがおとなしく退くなんて。いつのまにそんな根回しをしていたんだ。もしかして昨日忙しそうにしていたのはこの本丸の審神者と連絡をとるため? あれだけ苦戦していた長谷部さんを撤退させる事ができて心なしか先輩の顔は少し誇らしげだった。凄いです、先輩。
「……ていうか、始めからそうすればよかったんじゃ」
「機関の人間だっていっても審神者と雑用じゃ立場が違うんだよ。これでも必死に動いたつもりだぜ?」
要は元請けと下請けのような関係だと先輩は言った。政府の難しい事はわからない。ともあれ無事に合法的に本丸内へ入る事ができた。審神者と会う約束を取り付けているので先輩と一緒に審神者がいる屋敷へと歩みを進める。来客が珍しいのか何人かの男士がちょこちょことこちらを見てくる。見てくるだけで声をかけてくる人は誰もいない。誰もえみに気づいていない。
審神者と初めて顔を合わせる。優しそうな中年くらいの男の人だ。挨拶を交わしてお世話になります、と先輩が持っていた紙袋を渡す。わざわざご丁寧に、と審神者の人は快く受け取った。それからお互いの事や近状の事を軽く話し合い、穏やかに事は済んだ。えみのためにこの本丸の様子を見学させていただいてもいいかと先輩が話を持ちかけると、にっこりと微笑んで、構わないですよ、と了承を得る事ができた。審神者の人直々の許可だ。大手を振って本丸内を歩ける。とはいえ元はえみが務めていたのだが。なんだか妙な気持ちだ。審神者の人もえみを見て特に大きな反応を示さなかったし、ここが元はえみが務めていた本丸だという事は知らないのだろう。きっと彼らが審神者の人に仕える前に仕えていた主がえみだという事も。話すべきなのかどうなのか。今更話したところでえみにはなんの権限もないから無駄なのだろうが。先輩とは一旦離れて気の向くままにふらふらと縁側の庭に足を運んでみると短刀の子達が楽しげに遊んでいた。えみがいた頃と変わらないなあ。
「何して遊んでるの?」
えみが審神者だったときと変わらない気さくな態度で短刀の子達に話しかける。
「あ、昨日の泥棒猫さん」
輪にいたランがそんな事を言う。思わず古典的にずっこけそうになる。ランの一言で他の短刀の子達がざわつきはじめる。このままでは泥棒のレッテルを貼られてしまう。
「泥棒猫じゃねって。昨日は悪かったけど。色々あって……」
「このあいだから押しかけにきてるもんね。知ってるよ。長谷部さんがイライラしてたもん」
あー、と得も言われぬ声だけが出る。
「それで、今日はボク達と遊んでくれるの?」泥棒猫さん、と念を押されて言われる。だから泥棒猫じゃねーって、と否定しても、ふふっとあざとくランは笑うだけ。悔しいがその笑顔で許せてしまう自分がいる。ともあれラン達の記憶を呼び覚ますためラン達と久しぶりに遊ぶ。手鞠を投げたり、ゴム跳びをしたり、鬼ごっこをしたり——審神者をやっていた頃に夢に見ていた平和な時間が過ぎていく。みんなと会えなくなってからえみの時間では一ヶ月ちょっとしか経っていないのにとても懐かしさを覚えた。時の流れはひどく早く感じて——あっというまに空は暁色に染まっていた。先輩に声をかけられて、審神者の人の都合もありそろそろおいとましなくてはならなかった。もっとみんなと一緒に遊んでいたかったが、これ以上迷惑をかけるわけにもいかない。少し間をあけてわかった、と返事をするとランが
「また明日も遊ぼうよ」笑ってそう言ってくれた。えみの気持ちを察してくれたのかはわからない。でも、その言葉はとても嬉しくて。また明日も会っていいんだと。結局、誰の記憶も呼び覚ます事はできなかったけど期待に胸を寄せて今日という日は終わりを迎えた。残り四日。
四日目の朝。先輩に審神者の人と連絡をとれるようにしてもらって、訪問してもいいかと電話をかけると——昨日会ったばかりで不躾なお願いだが——審神者の人は大丈夫ですよ、と優しく対応してくれた。今日は先輩は外せない大事な仕事があるらしく本丸にはえみ一人で向かう事になった。時間になったら迎えにくると言って先輩と別れる。一人で行くのは初めてなので急に緊張してきた。大丈夫だろうか。長谷部さんに斬られたりしないだろうか。妙な不安を抱きながら審神者の人の本丸へ向かった。正門前まで辿り着き恐縮しながら、お邪魔しまーす、とやや控えめの声で挨拶をしてから正門をくぐる。くぐり抜けた先にはそれぞれ当番を行っている男士達が出迎える。軽く会釈をしながらまずは審神者の人が待っている部屋へと向かい挨拶をしに行く。途中で長谷部さんと顔を突き合わせてしまい怒られるかとひやひやしたがこちらを一秒ほど見たあとすぐにふいと目を伏せて無言で立ち去っていった。何か言われるのもきついが何も言われないのもきつい。落ち込んだ気持ちを引きずりながら審神者の人と面会をする。先輩に持たされた菓子折りを手渡してほんの雑談をしてから昨日約束していた彼に会いに本丸内を散策する。
散策中にたまたまとおりかかった短刀の子達にえみが人を探しているのを察したのか近づいてきて声をかけてきてくれた。ラン……乱を探していると言うとランの居場所を知っている子が、ランのいる場所まで親切に案内してくれた。ああ、短刀の子達の優しさは本当に変わらない。込み上げてくるものがあるが、今この子達の前で泣くわけにはいかないとぐっと抑えた。馬小屋に彼、ランはいた。よしよしとランが馬の額を撫でてやると気持ちよさそうにつぶらな瞳を細める。短刀の子達が呼びかけてこちらに気がつくと、ぱっと花が咲いたような表情になる。
「また会いにきてくれたんだね、泥棒猫さん」
だから泥棒猫じゃないって、とすかさず訂正する。じゃないと真相を知らない短刀の子達が、えっ、と目の色を変えてえみを見てくるから。ふふ、とわざとらしくランは笑う。当番が終わったらお相手してあげるね、と言うものだから、手伝うよと申し出るとランは僅かに目を大きく開かせるがすぐに穏やかに目を細めて、ありがとうと言った。ランに言われたとおりに牧草を運んだり小屋の中を掃除したり……。「手際が良いね」とランは言った。「何度かランと一緒に当番をした事があるからね」なんて言っても、口説いてるの? と冗談めかして言われてしまうのがオチだろう。奥歯で噛み砕く。
当番の仕事は意外と早く片付いた。じゃあ、何して遊ぼっか、とランはふわりと束ねた淡いクリーム色の髪をなびかせて振り返る。縄跳びに缶蹴り、ドッジボールに色鬼……現代の風も取り入れて遊びに興じる。こうしてラン達と遊んでいるあいだだけは自分が今置かれている境遇を忘れる。終わらなければいいのに。ずっとこのときが続けばいいのに。歴史の改変も、遡行軍も関係ない、ただ遊んで笑っていられるだけの時間が。
「ふうー……疲れた……」
見た目は華奢な小・中学生と言えど戦場に出ているだけあって短刀の子達の持久力が底知れない。腐っても活力に溢れる十代なのだが彼らの体力についていけない。あんな細身で小さな身体のどこにスタミナが宿っているんだか。少し分けてほしいくらいだ。縁側に腰を落として短刀の子達が遊んでいるのを遠巻きに眺める。楽しそうな声を聞くとなんだかこっちまで楽しくなる。
「あ」視界の端から短刀の子達ではない男の人の声が耳に入った。声の方向へ顔を向けると、臙脂色に映える浅葱色の羽織をひるがえした長髪の男性——男士の姿が。
「——兼、さん」