第二章 水玉模様
主人公の一人称(未入力の場合はデフォルト名が表記されます)
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「この時代に遡行軍の残党が居座っちゅう、ねえ……。ほんとにわし一口《ひとり》でよかったが?」
「うん。あまり大人数だと気づかれちゃうかもしれないからね。それに確認だから視察で充分だよ」
「それはわかるけんど……わざわざ主が赴く事はなかったっちゅうね?」
ドキッ、とよっちゃんの鋭い指摘に心臓が掴まれたみたいに縮こまる。豪快で細かい事は気にしないように見えるが、意外とこういう事は鋭い。野生の勘だろうか。
そう——えみは今、よっちゃんと慶應四年の時代に来ていた。結局来てしまった。勢いで。審神者の能力自体は時を駆ける能力はないと言ったが、刀剣男士と一緒なら話は別。とは言ってもあまり長くはとどまれない上、時を遡る事自体よっぽどの事がないと駄目なのでお偉い方にバレたら即刻、審神者はクビになるだろう。最悪、反逆者扱いされて殺されるかも……「主? そがに思いつめた顔して、どういた?」
「なっ、なんでもない。遡行軍がいっぱいいたらやだなーって」
適当に相槌を打つ。いや、遡行軍がいっぱいいたら本当に嫌だが。遡行軍の残党が居座ってる、というのは嘘。土方さんに手紙を渡すための口実だ。嘘をつきまくって罪悪感がひしひしと積み重なっていく。きっとろくな死にかたをしないんだろうな。
「ほいで、どこを探すんじゃ?」
「えっと……大通りから調べてみよう」
人がたくさん行き交うなかなら、きっと探し人——土方さんを見つけられるだろう。えみが調べたところによると新選組の駐屯地がえみ達の今いる場所の近くにあるらしい。よっちゃんがいるので迂闊に人に聞けないが、土方さんや他の新選組の隊士の顔もわかっているので——ここで兼さん達を知るために調べた新選組の歴史の知識が役に立った——地道に虱潰しに探すしかない。よっちゃんに悟られないように遡行軍を探すふりをして土方さんを探す。真面目に痕跡を探してくれるよっちゃんに、申し訳なさで胸がつらくなる……が、ここまで来てしまったからには最後まで貫き通さないと。途中で投げ出したらみんなからの信頼にも関わる。気合を入れて、でもよっちゃんには勘づかれないように残留遡行軍調査という名目の土方さん探しを始めた。
——が、やはり、そう簡単に見つかるものではなく……まあ、手がかりが駐屯地の情報ぐらいしかないので当然といえば当然か……。出払っているのかもしれない。たくさん歩いたので腹も減った。ここは気分転換に、英気を養うためにも腹を満たそう。と考えた。
「よっちゃん、そこら辺でちょっと休憩しよう」
「おん。わかったき」
お出汁のいい香りに誘われて、手近な蕎麦屋さんに入った。昼時を過ぎていて先客は三、四人程度だった。壁際の、店の中央らへんの席に着くと同時に、女店員さんが注文をとりはじめる。
「ご注文は?」
「えーっと……とろろそば、ってありますか?」
「ありますよ」
「じゃあ、とろろそば一つお願いします」
「わしは天ぷらそば」
「とろろそばに天ぷらそばね」
女将さんの、とろろそばと天ぷらそば一丁ー! と元気な声が響く。……さて、腹をこしらえたらもう一度土方さん探しだ。今度はあの辺を探してみよう……。
「ご馳走さまー」毎度ー、と女将さんの声が男の人の声のあとに続く。なんの気無しに視線をそのほうへ投げかけると——「……あっ!」
「おうっ、どういた? いきなり大きい声出して」びっくりしたのかよっちゃんはきょとんとした丸い目でえみを見る。しまった……思わず声が出てしまった……。今、店から出て行った男の人達……見間違いでなければ、きっと——「ごめん、よっちゃん。ちょっとトイレ行ってくる。先に食べてて」
よっちゃんが引き止めるが早いか、慌ただしくえみはさっきの男の人達のあとを追うようにして店を出た。すぐに背中を見つけるが、昼時を過ぎているせいもあるか人の流れに活気があってどんどん距離が離れてしまう。せっかくのチャンスをみすみす逃してなるものか! 意地でその背中との距離を詰め、「すいません!」大きな声で呼び止める。男の人達の足は止まり、えみの方へと、一人、また一人と振り返ったそのなかに——
「……俺達に、何か用か?」——いた。歴史の教科書で見た雰囲気とそっくりな出で立ち——腰に下げている二振りの脇差と打刀——堀川国広、和泉守兼定の持ち主——「土方さん……ですか?」
「……如何にも、俺が土方だが……はて、どこかで会ったかな?」
訝しげに顎に手を添えてまじまじとえみを見た。しまった、こっちは向こうを知っていても向こうはこっちを知らない。突然、自分の名前を知っている赤の他人に声をかけられたら芸能人でもない限り不信感を持つに決まっているだろう。なんて言おうか模索していると、土方さんの仲間の一人が「土方さん……」と、静かに呟いておもむろに右手を挙げる——
「また、コレですか」顔の前で右手の小指を立てながら茶化す感じで言った。もう一人が続けざまに「いやー、つくづく隅に置けない人だねぃ、土方副長」すると土方さんは「よせよせ、褒めたって何も出ねえぞ」まんざらでもない様子で仲間の人達と和やかな会話が繰り広げられた。えみは置いてけぼりだ。
「ああ、すまん。それで、俺に何か用かな」ハッ、とえみは本題を思い出す。
「あの、私、前に土方さんにお世話になった人の親戚でして……」もちろん嘘っぱち。まあ、あなたの愛刀の現主だから当たらずといえども遠からず……なのかな?
「世話? 誰だったかな……」思考を巡らせる土方さんに慌ててえみは割り込む。「その、とてもお世話になったので、なったんですけど、遠方で会いに行けないので、せめて手紙だけでも、と頼まれまして……」
懐にしまっていた手紙を差し出す。兼さんならきっとこう書くだろうと、兼さんの気持ちになって書いた土方さんへの手紙——。土方さんは疑う素振りを見せず、えみの手から手紙を受け取った。
「ああ、わざわざ届けにきてくれてありがとう。それで、この手紙の主の名前は何と言う?」
なかに書いてあるので……とぼそぼそと濁すと、やっぱり少し疑問を持ったように食い下がる。あまり追及されても困ってしまううえにボロが出てしまいそうなので適当に頭に浮かんできた事をつらつらと述べる。自分でもよくもまあ言葉が出てくるものだ。常日頃から兼さんと口喧嘩してるおかげか。納得してくれたようで土方さん達はお別れを言い背中を向けて去っていく。これでミッションコンプリートだ。土方さんに手紙は渡したし、あとは返事をもらうだけ……そうだ。土方さんから手紙の返事をもらう事を伝えるのを忘れていた。手紙を渡してすっかり緊張が解けてしまったが一番重要な事じゃないか。慌ててえみは「あ、あの!」と、もう少しだけ土方さんを引き止める。土方さんは立ち止まって振り返ってくれた。
「迷惑じゃなければ、お返事、くれませんか? 二日後……いや、三日後にまたここにくるので、そのときに……」
少し早いだろうか。けど、あまり待ってもいられない。焦る気持ちが募る。一刻も早く兼さんを元気づけてあげたい。兼さんの笑顔が見たい。少し、土方さんは考えてから「——ああ、承知した。三日後、返事を届けにこよう」
「——ありがとうございます!」深く頭を下げる。その後、土方さん達の背中が見えなくなるまで見送っていた。
鬼の副長とは聞いていたが、案外優しそうな人で良かった。兼さんが土方さんの短気な気質を受け継いでいるのが信じられないくらい。さて、とえみも蕎麦屋さんに戻ると、心配そうによっちゃんが待っていた。運ばれた蕎麦に手もつけないで。人が良いよっちゃんの事だからもしかしたら追いかけてくるかとも思っていたが、主としての命令でもあるからか行くに行けない感じだったみたいだ。助かった。土方さんと直接やりとりしているところなんて見られたらどういう反応をするだろうか。めちゃくちゃ謝ってから冷めてしまった蕎麦をすすり、一応、遡行軍の残党の調査できているのでそれとなく町中を見廻ってから本丸へと戻った。
本当なら今すぐにでも三日後に飛んで返事を貰いたいのだが、あまり頻繁に過去に飛んでいると怪しまれてしまうし、何より体のほうが時間の流れの負荷に耐えられない。刀剣男士は付喪神なので時間の流れに影響されないが、審神者を勤める生身の人間は流れる時間が決まっているので影響をもろに食らってしまう。と、ざっくりとそんな感じで上司が言っていた。そもそも未来の人間が過去にいる事はあまり良くない。しばらく時間を開けたほうが自然だろう。えみは想いを秘めたまま幾日を過ごした——。
数日後、もう一度よっちゃんを連れて土方さんと交わした約束の日へと飛ぶ。よっちゃんには適当に経緯を話しておいた。もちろん、土方さんとの件は伏せて、だ。よっちゃんは疑う事なく、わかったぜよ、と屈託のない笑顔で言うもんだから胸がチクチクと痛む。こんなえみの勝手によっちゃんを利用してしまって本当に申し訳ないと思っている。だからこそ、きちんとやり遂げなくてはいけない。もう引き返せないところまできてしまっているのだから。
これから土方さんと会うのによっちゃんがいたらややこしい事になってしまうだろう。土方さんとの接触を避けるために近くの食堂に入り、料理を注文させて出来上がるあいだに適当に用事をつけて席を離れる。この前みたいに説明もなしにいきなり飛び出していくわけじゃないから、よっちゃんも安心した顔でえみを見送る。なんだかもう嘘をつくのも小慣れてしまった。まだ自分に良心がある事を信じて土方さんと約束していた場所へと向かう。
慣れない土地で一人で待つのは妙にいたたまれない。そわそわしながらまだ見えない土方さんを待つ。……本当にきてくれるだろうか。兼さんを見るに約束をすっぽかすような人ではないと思うが、親戚繋がりとはいえ——嘘だが——全くの赤の他人のえみを信用するだろうか。手紙を受け取ってくれたから怪しまれてはいない。……万が一、こなかったらどうしよう。でも、これなかったとしたら急に仕事が入って〜とかそんなところだろう。
不安からぐるぐると良くない考えで頭がいっぱいになっているところに「君」と男の人の声がかけられて、えみはパッと振り返る。そこには——土方さんがいた。約束どおりきてくれた。ぱあっと晴れやかな気持ちになる。
土方さんは懐から三つ折りの白い和紙を取り出して、えみに手渡した。(土方さんの手紙……)高まる鼓動を感じる。送り主への想いが込められた、手紙……。えみは確かに、土方さんから手紙を受け取る。
「ありがとうございますっ」高まる気分を抑えきれずに、深々と頭を下げる。きっとこれで兼さんも元気を取り戻してくれるに違いない。
「送り主の名前が書いていなかったようだが……」
土方さんの指摘に一気に緊張が走るも、大丈夫です、とぺこぺこと名物の某赤いお土産宜しく頭を下げて話を逸らす。土方さんは仕事があるので談笑する事もなくお別れをした。歴史云々の事がなければ個人的に、もう少し話してみたい事もあったのだが……。ともあれ、なんとかかんとか土方さんの手紙を手に入れる事ができた。なんて書いてあるか見てみたい気持ちが強いけど、これは兼さんに渡すために書いてもらった手紙だし、なんとなく見たらいけない気がする。書いたのはえみだけど。今から兼さんの喜ぶ顔が楽しみだ。思わず笑みが溢れる。
ルンルン気分でよっちゃんが待ってる食堂に戻る。よっちゃんは料理をつついて待っていた。上機嫌なえみを不思議そうに見るけど、えみに感化されてよっちゃんも笑って受け入れた。勝利したあとの煮付けの味がこんなに美味しいとは。のんきに勝利の味に舌鼓を打っていると、よっちゃんにこのあとの調査の事を振られて浮かれていた気分が現実へと引き戻されたので、気持ちを切り替えて大まかに計画を立て、計画のとおりに動く事数時間——特に異変は見られないので本丸に帰城する事にした。
帰城して第一に長谷部さんが出迎える。「戦場に向かうのでしたら俺もお供しましたのに」と心配と不満が入り混じった声を張られる。長谷部さんの過干渉気味なところはこういったところで実に面倒臭いものだ。よっちゃんも一緒になって長谷部さんを適当になだめて長谷部さんからはるばる逃れる。よっちゃんじゃなく長谷部さんと一緒だったら何を言っても絶対にえみの傍から離れないだろうから——そんな長谷部さんを強く拒む勇気もない——このミッションは密かに長谷部さんの目を逃れる事も入っていた。たびたびひやひやする場面はあったがどうにか気づかれる事なく完遂できた。
浮き足立つ足取りで兼さんを探しに本丸のなかを練り歩く。探しはじめてまもなく兼さんと堀川くんの姿を見つける。
「かーねさんっ」上機嫌で呼びかけると、兼さんはやたらニヤニヤしているえみの顔を見て、気色悪いだのなんだの相変わらず悪口を言う。隣の堀川くんはそんな兼さんをいなしている。いつもの光景——そしていつものえみなら一言かましているところだが、今日は兼さんに何を言われても笑い飛ばせてしまうほどの秘密兵器がある。そんな事はつゆしらずえみを煽ってくるとはなんとも滑稽な姿だろうか。
頃合いを見計らって、懐に手を伸ばし、その秘密兵器を掲げる。
「じゃーんっ。これはいったいなんでしょ〜?」
兼さんは予想どおり首を傾げる。「なんだあ、ファンレターか?」と予想の範囲内の返答をする。兼さんの渾身のギャグ(?)も華麗にスルーし、ふっふっふ、と余裕綽々といった感じでえみは兼さんに手紙を差し出した。
兼さんはえみの様子を奇妙に思いながら、えみが差し出した手紙を受け取って、広げて、手紙に目を通す。すぐに、ハッと何かに気がついたかのように顔つきが変わった。しめしめ、驚いてる驚いてる。兼さんは驚いた表情のまま手紙の文字から目を離さなかった。兼さんの真摯な顔つきに、いったい何が書かれているんだろう……とぼんやりとのんきに考えていたら、兼さんは、ぽつりと呟いた。
「これ、どうした」
きたきた。待ってましたと言わんばかりにえみは、ドヤッと胸を張って「驚いたっしょ。土方さんの手紙だよ。ちゃんと書いてもらったんだから。あ、名前とかは伏せてるし接触も短かったからそんなに歴史に影響は出ないと思うよ。ほんと、感謝してくれてもいい
「何してんだよ」低く、怒気のこもった声が遮る。えっ……と、えみは予想していなかった展開に、きょとんとした目で兼さんを見た。漆が塗られたような艶のある黒い前髪の影にかかった表情は、えみの想像していた穏やかな顔ではなく、抑え切れない燃え盛る憤怒の炎に包まれた険しい顔だった。
「……オレ達が必死に足掻いて守ろうとしている歴史に、戯れで足突っ込んでんじゃねえよっ……お前が、歴史を変えようとしてんじゃねえ!」
——吠える。怒りのこもった声が、えみの骨の髄までをも響かせた。
こんなはずではなかった——
えみを見る目は裏切り者を見るかのような怖い目だ。
こんなはずでは、なかった——
思っていなかった展開に気が動転して次にかける言葉が出てこない。見つからない。頭が真っ白だ。
チッ! と兼さんは吐き捨てるように大きく舌打ちをして、えみに背中を向けて去っていく。「兼さん!」と堀川くんは兼さんを呼び止めようと声をかけるものの兼さんは立ち止まる事なく、えみに心配の目を向けるが、兼さんを放っておけなかった堀川くんはえみに深々と一礼してからすぐさま兼さんの背中を追っていった。えみは、何もする事ができず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
兼さんの怒りの炎を燃やした顔が脳裏に焼きついて離れない。あんな怖い目を向けられるのは……あんな怒りのこもった声をかけられるのは……初めてだ。一年ちょっと、ずっと一緒にいたのに、怒りに満ちた顔の兼さんは初めて見た。
失望された。幻滅された。嫌われた……きっと。
自分がしでかした事の重大さに、後悔して、その場で力なくしゃがみ込む。
「うん。あまり大人数だと気づかれちゃうかもしれないからね。それに確認だから視察で充分だよ」
「それはわかるけんど……わざわざ主が赴く事はなかったっちゅうね?」
ドキッ、とよっちゃんの鋭い指摘に心臓が掴まれたみたいに縮こまる。豪快で細かい事は気にしないように見えるが、意外とこういう事は鋭い。野生の勘だろうか。
そう——えみは今、よっちゃんと慶應四年の時代に来ていた。結局来てしまった。勢いで。審神者の能力自体は時を駆ける能力はないと言ったが、刀剣男士と一緒なら話は別。とは言ってもあまり長くはとどまれない上、時を遡る事自体よっぽどの事がないと駄目なのでお偉い方にバレたら即刻、審神者はクビになるだろう。最悪、反逆者扱いされて殺されるかも……「主? そがに思いつめた顔して、どういた?」
「なっ、なんでもない。遡行軍がいっぱいいたらやだなーって」
適当に相槌を打つ。いや、遡行軍がいっぱいいたら本当に嫌だが。遡行軍の残党が居座ってる、というのは嘘。土方さんに手紙を渡すための口実だ。嘘をつきまくって罪悪感がひしひしと積み重なっていく。きっとろくな死にかたをしないんだろうな。
「ほいで、どこを探すんじゃ?」
「えっと……大通りから調べてみよう」
人がたくさん行き交うなかなら、きっと探し人——土方さんを見つけられるだろう。えみが調べたところによると新選組の駐屯地がえみ達の今いる場所の近くにあるらしい。よっちゃんがいるので迂闊に人に聞けないが、土方さんや他の新選組の隊士の顔もわかっているので——ここで兼さん達を知るために調べた新選組の歴史の知識が役に立った——地道に虱潰しに探すしかない。よっちゃんに悟られないように遡行軍を探すふりをして土方さんを探す。真面目に痕跡を探してくれるよっちゃんに、申し訳なさで胸がつらくなる……が、ここまで来てしまったからには最後まで貫き通さないと。途中で投げ出したらみんなからの信頼にも関わる。気合を入れて、でもよっちゃんには勘づかれないように残留遡行軍調査という名目の土方さん探しを始めた。
——が、やはり、そう簡単に見つかるものではなく……まあ、手がかりが駐屯地の情報ぐらいしかないので当然といえば当然か……。出払っているのかもしれない。たくさん歩いたので腹も減った。ここは気分転換に、英気を養うためにも腹を満たそう。と考えた。
「よっちゃん、そこら辺でちょっと休憩しよう」
「おん。わかったき」
お出汁のいい香りに誘われて、手近な蕎麦屋さんに入った。昼時を過ぎていて先客は三、四人程度だった。壁際の、店の中央らへんの席に着くと同時に、女店員さんが注文をとりはじめる。
「ご注文は?」
「えーっと……とろろそば、ってありますか?」
「ありますよ」
「じゃあ、とろろそば一つお願いします」
「わしは天ぷらそば」
「とろろそばに天ぷらそばね」
女将さんの、とろろそばと天ぷらそば一丁ー! と元気な声が響く。……さて、腹をこしらえたらもう一度土方さん探しだ。今度はあの辺を探してみよう……。
「ご馳走さまー」毎度ー、と女将さんの声が男の人の声のあとに続く。なんの気無しに視線をそのほうへ投げかけると——「……あっ!」
「おうっ、どういた? いきなり大きい声出して」びっくりしたのかよっちゃんはきょとんとした丸い目でえみを見る。しまった……思わず声が出てしまった……。今、店から出て行った男の人達……見間違いでなければ、きっと——「ごめん、よっちゃん。ちょっとトイレ行ってくる。先に食べてて」
よっちゃんが引き止めるが早いか、慌ただしくえみはさっきの男の人達のあとを追うようにして店を出た。すぐに背中を見つけるが、昼時を過ぎているせいもあるか人の流れに活気があってどんどん距離が離れてしまう。せっかくのチャンスをみすみす逃してなるものか! 意地でその背中との距離を詰め、「すいません!」大きな声で呼び止める。男の人達の足は止まり、えみの方へと、一人、また一人と振り返ったそのなかに——
「……俺達に、何か用か?」——いた。歴史の教科書で見た雰囲気とそっくりな出で立ち——腰に下げている二振りの脇差と打刀——堀川国広、和泉守兼定の持ち主——「土方さん……ですか?」
「……如何にも、俺が土方だが……はて、どこかで会ったかな?」
訝しげに顎に手を添えてまじまじとえみを見た。しまった、こっちは向こうを知っていても向こうはこっちを知らない。突然、自分の名前を知っている赤の他人に声をかけられたら芸能人でもない限り不信感を持つに決まっているだろう。なんて言おうか模索していると、土方さんの仲間の一人が「土方さん……」と、静かに呟いておもむろに右手を挙げる——
「また、コレですか」顔の前で右手の小指を立てながら茶化す感じで言った。もう一人が続けざまに「いやー、つくづく隅に置けない人だねぃ、土方副長」すると土方さんは「よせよせ、褒めたって何も出ねえぞ」まんざらでもない様子で仲間の人達と和やかな会話が繰り広げられた。えみは置いてけぼりだ。
「ああ、すまん。それで、俺に何か用かな」ハッ、とえみは本題を思い出す。
「あの、私、前に土方さんにお世話になった人の親戚でして……」もちろん嘘っぱち。まあ、あなたの愛刀の現主だから当たらずといえども遠からず……なのかな?
「世話? 誰だったかな……」思考を巡らせる土方さんに慌ててえみは割り込む。「その、とてもお世話になったので、なったんですけど、遠方で会いに行けないので、せめて手紙だけでも、と頼まれまして……」
懐にしまっていた手紙を差し出す。兼さんならきっとこう書くだろうと、兼さんの気持ちになって書いた土方さんへの手紙——。土方さんは疑う素振りを見せず、えみの手から手紙を受け取った。
「ああ、わざわざ届けにきてくれてありがとう。それで、この手紙の主の名前は何と言う?」
なかに書いてあるので……とぼそぼそと濁すと、やっぱり少し疑問を持ったように食い下がる。あまり追及されても困ってしまううえにボロが出てしまいそうなので適当に頭に浮かんできた事をつらつらと述べる。自分でもよくもまあ言葉が出てくるものだ。常日頃から兼さんと口喧嘩してるおかげか。納得してくれたようで土方さん達はお別れを言い背中を向けて去っていく。これでミッションコンプリートだ。土方さんに手紙は渡したし、あとは返事をもらうだけ……そうだ。土方さんから手紙の返事をもらう事を伝えるのを忘れていた。手紙を渡してすっかり緊張が解けてしまったが一番重要な事じゃないか。慌ててえみは「あ、あの!」と、もう少しだけ土方さんを引き止める。土方さんは立ち止まって振り返ってくれた。
「迷惑じゃなければ、お返事、くれませんか? 二日後……いや、三日後にまたここにくるので、そのときに……」
少し早いだろうか。けど、あまり待ってもいられない。焦る気持ちが募る。一刻も早く兼さんを元気づけてあげたい。兼さんの笑顔が見たい。少し、土方さんは考えてから「——ああ、承知した。三日後、返事を届けにこよう」
「——ありがとうございます!」深く頭を下げる。その後、土方さん達の背中が見えなくなるまで見送っていた。
鬼の副長とは聞いていたが、案外優しそうな人で良かった。兼さんが土方さんの短気な気質を受け継いでいるのが信じられないくらい。さて、とえみも蕎麦屋さんに戻ると、心配そうによっちゃんが待っていた。運ばれた蕎麦に手もつけないで。人が良いよっちゃんの事だからもしかしたら追いかけてくるかとも思っていたが、主としての命令でもあるからか行くに行けない感じだったみたいだ。助かった。土方さんと直接やりとりしているところなんて見られたらどういう反応をするだろうか。めちゃくちゃ謝ってから冷めてしまった蕎麦をすすり、一応、遡行軍の残党の調査できているのでそれとなく町中を見廻ってから本丸へと戻った。
本当なら今すぐにでも三日後に飛んで返事を貰いたいのだが、あまり頻繁に過去に飛んでいると怪しまれてしまうし、何より体のほうが時間の流れの負荷に耐えられない。刀剣男士は付喪神なので時間の流れに影響されないが、審神者を勤める生身の人間は流れる時間が決まっているので影響をもろに食らってしまう。と、ざっくりとそんな感じで上司が言っていた。そもそも未来の人間が過去にいる事はあまり良くない。しばらく時間を開けたほうが自然だろう。えみは想いを秘めたまま幾日を過ごした——。
数日後、もう一度よっちゃんを連れて土方さんと交わした約束の日へと飛ぶ。よっちゃんには適当に経緯を話しておいた。もちろん、土方さんとの件は伏せて、だ。よっちゃんは疑う事なく、わかったぜよ、と屈託のない笑顔で言うもんだから胸がチクチクと痛む。こんなえみの勝手によっちゃんを利用してしまって本当に申し訳ないと思っている。だからこそ、きちんとやり遂げなくてはいけない。もう引き返せないところまできてしまっているのだから。
これから土方さんと会うのによっちゃんがいたらややこしい事になってしまうだろう。土方さんとの接触を避けるために近くの食堂に入り、料理を注文させて出来上がるあいだに適当に用事をつけて席を離れる。この前みたいに説明もなしにいきなり飛び出していくわけじゃないから、よっちゃんも安心した顔でえみを見送る。なんだかもう嘘をつくのも小慣れてしまった。まだ自分に良心がある事を信じて土方さんと約束していた場所へと向かう。
慣れない土地で一人で待つのは妙にいたたまれない。そわそわしながらまだ見えない土方さんを待つ。……本当にきてくれるだろうか。兼さんを見るに約束をすっぽかすような人ではないと思うが、親戚繋がりとはいえ——嘘だが——全くの赤の他人のえみを信用するだろうか。手紙を受け取ってくれたから怪しまれてはいない。……万が一、こなかったらどうしよう。でも、これなかったとしたら急に仕事が入って〜とかそんなところだろう。
不安からぐるぐると良くない考えで頭がいっぱいになっているところに「君」と男の人の声がかけられて、えみはパッと振り返る。そこには——土方さんがいた。約束どおりきてくれた。ぱあっと晴れやかな気持ちになる。
土方さんは懐から三つ折りの白い和紙を取り出して、えみに手渡した。(土方さんの手紙……)高まる鼓動を感じる。送り主への想いが込められた、手紙……。えみは確かに、土方さんから手紙を受け取る。
「ありがとうございますっ」高まる気分を抑えきれずに、深々と頭を下げる。きっとこれで兼さんも元気を取り戻してくれるに違いない。
「送り主の名前が書いていなかったようだが……」
土方さんの指摘に一気に緊張が走るも、大丈夫です、とぺこぺこと名物の某赤いお土産宜しく頭を下げて話を逸らす。土方さんは仕事があるので談笑する事もなくお別れをした。歴史云々の事がなければ個人的に、もう少し話してみたい事もあったのだが……。ともあれ、なんとかかんとか土方さんの手紙を手に入れる事ができた。なんて書いてあるか見てみたい気持ちが強いけど、これは兼さんに渡すために書いてもらった手紙だし、なんとなく見たらいけない気がする。書いたのはえみだけど。今から兼さんの喜ぶ顔が楽しみだ。思わず笑みが溢れる。
ルンルン気分でよっちゃんが待ってる食堂に戻る。よっちゃんは料理をつついて待っていた。上機嫌なえみを不思議そうに見るけど、えみに感化されてよっちゃんも笑って受け入れた。勝利したあとの煮付けの味がこんなに美味しいとは。のんきに勝利の味に舌鼓を打っていると、よっちゃんにこのあとの調査の事を振られて浮かれていた気分が現実へと引き戻されたので、気持ちを切り替えて大まかに計画を立て、計画のとおりに動く事数時間——特に異変は見られないので本丸に帰城する事にした。
帰城して第一に長谷部さんが出迎える。「戦場に向かうのでしたら俺もお供しましたのに」と心配と不満が入り混じった声を張られる。長谷部さんの過干渉気味なところはこういったところで実に面倒臭いものだ。よっちゃんも一緒になって長谷部さんを適当になだめて長谷部さんからはるばる逃れる。よっちゃんじゃなく長谷部さんと一緒だったら何を言っても絶対にえみの傍から離れないだろうから——そんな長谷部さんを強く拒む勇気もない——このミッションは密かに長谷部さんの目を逃れる事も入っていた。たびたびひやひやする場面はあったがどうにか気づかれる事なく完遂できた。
浮き足立つ足取りで兼さんを探しに本丸のなかを練り歩く。探しはじめてまもなく兼さんと堀川くんの姿を見つける。
「かーねさんっ」上機嫌で呼びかけると、兼さんはやたらニヤニヤしているえみの顔を見て、気色悪いだのなんだの相変わらず悪口を言う。隣の堀川くんはそんな兼さんをいなしている。いつもの光景——そしていつものえみなら一言かましているところだが、今日は兼さんに何を言われても笑い飛ばせてしまうほどの秘密兵器がある。そんな事はつゆしらずえみを煽ってくるとはなんとも滑稽な姿だろうか。
頃合いを見計らって、懐に手を伸ばし、その秘密兵器を掲げる。
「じゃーんっ。これはいったいなんでしょ〜?」
兼さんは予想どおり首を傾げる。「なんだあ、ファンレターか?」と予想の範囲内の返答をする。兼さんの渾身のギャグ(?)も華麗にスルーし、ふっふっふ、と余裕綽々といった感じでえみは兼さんに手紙を差し出した。
兼さんはえみの様子を奇妙に思いながら、えみが差し出した手紙を受け取って、広げて、手紙に目を通す。すぐに、ハッと何かに気がついたかのように顔つきが変わった。しめしめ、驚いてる驚いてる。兼さんは驚いた表情のまま手紙の文字から目を離さなかった。兼さんの真摯な顔つきに、いったい何が書かれているんだろう……とぼんやりとのんきに考えていたら、兼さんは、ぽつりと呟いた。
「これ、どうした」
きたきた。待ってましたと言わんばかりにえみは、ドヤッと胸を張って「驚いたっしょ。土方さんの手紙だよ。ちゃんと書いてもらったんだから。あ、名前とかは伏せてるし接触も短かったからそんなに歴史に影響は出ないと思うよ。ほんと、感謝してくれてもいい
「何してんだよ」低く、怒気のこもった声が遮る。えっ……と、えみは予想していなかった展開に、きょとんとした目で兼さんを見た。漆が塗られたような艶のある黒い前髪の影にかかった表情は、えみの想像していた穏やかな顔ではなく、抑え切れない燃え盛る憤怒の炎に包まれた険しい顔だった。
「……オレ達が必死に足掻いて守ろうとしている歴史に、戯れで足突っ込んでんじゃねえよっ……お前が、歴史を変えようとしてんじゃねえ!」
——吠える。怒りのこもった声が、えみの骨の髄までをも響かせた。
こんなはずではなかった——
えみを見る目は裏切り者を見るかのような怖い目だ。
こんなはずでは、なかった——
思っていなかった展開に気が動転して次にかける言葉が出てこない。見つからない。頭が真っ白だ。
チッ! と兼さんは吐き捨てるように大きく舌打ちをして、えみに背中を向けて去っていく。「兼さん!」と堀川くんは兼さんを呼び止めようと声をかけるものの兼さんは立ち止まる事なく、えみに心配の目を向けるが、兼さんを放っておけなかった堀川くんはえみに深々と一礼してからすぐさま兼さんの背中を追っていった。えみは、何もする事ができず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
兼さんの怒りの炎を燃やした顔が脳裏に焼きついて離れない。あんな怖い目を向けられるのは……あんな怒りのこもった声をかけられるのは……初めてだ。一年ちょっと、ずっと一緒にいたのに、怒りに満ちた顔の兼さんは初めて見た。
失望された。幻滅された。嫌われた……きっと。
自分がしでかした事の重大さに、後悔して、その場で力なくしゃがみ込む。