大きめに切ったベーコン、1センチ角に切られたジャガイモとブロッコリーにズッキーニ。それらの存在感が口に運ぶ前から満腹感を刺激する……特に赤いスープの中で鮮やかな発色を放つブロッコリーは料理全体の魅力を底上げしている。
次に鼻腔をくすぐるのは味を整えるのに使われたパセリと風味付けのオリーブオイルの芳醇な香り。そこに追い討ちと言わんばかりにパルミジャーノ・レッジャーノを少量ふりかければ完成だ。
「もしかしてミネストローネ?」
誰もいないキッチンの静寂をそう言って打ち砕き、ひょっこりと顔を出したのはピンク色の髪をくるりと巻いた少女ーートリッシュだ。部屋で待っているようにと言われていなかったかと問えば彼女は嫌そうに給仕室の扉の前に立つブチャラティを指さす。
「彼が着いてきてくれたからいいのよ。さ、出来たなら部屋に戻りましょう」
「……そうね、楽しみにしてて。きっとトリッシュも舌を巻くわよ」
2人分のミネストローネをトレーに乗せた私はキッチンを出る。横に並ぶトリッシュは器の中身をしきりに確認しているーー苦手なものが入っていないのか確認しているのだろうか。
「ブチャラティ、貴方達の分も用意しているわ。忙しくなりそうだし食べられるうちに食べておきましょう」
「……そうだな。俺たちは交代で食事を摂る。お前は彼女に何かあればすぐに知らせてくれ」
「勿論。それじゃあ行きましょう、トリッシュ」
ここはネアポリスの街から少し離れた所に広がる葡萄畑……そしてその中に佇む建物の中に私たちはいた。
ブチャラティと別れた私とトリッシュはとある一室に入っていく。締め切られたカーテンのせいでどうも薄暗い室内ではまだ日が高いというのに照明がつけられている。
「なあに、トリッシュ。新聞なんて読むの?」
「それぐらい当然でしょ。子ども扱い?心外だわ」
「はは、ごめんごめん……」
トレー片手にテーブルの上に散らかっていた新聞を折りたたみ、あるべき所に戻していく。私は自分が彼女と同じぐらいの年齢の時何をしていたか考えて……やめた。新聞なんてテレビ欄と四コマしか読んでいなかっただろう。
「ねえ、名前……」
「うん?」
「……あたし、どうすればいいのか分からない。ただ、そんな気持ちなのよ。母が探し回っていた父親がギャングのボスだっただなんて」
トレーを置き、トリッシュの隣に腰掛けたその刹那、彼女は不意に私にもたれかかってそう呟いた。そんなトリッシュの肩を抱いた私は思いを馳せる。
トリッシュはーー彼女は年齢よりも数段大人びていて聡明な女性だ。特殊な家庭環境、幼くして就いた仕事……彼女が一人前の女性になるのはきっと凄く早かったのだろう。そして、それ故の苦悩もあったのは間違いない。
(この子は決して強いわけじゃあない……平気そうな顔をしているその裏で年相応に傷ついたり悩んだりしているのだわ)
そう、無理もない話なのだ。彼女は突然何の前触れもなく「ボスの娘」であるせいで命を狙われる羽目になった……こんなの気が滅入らない方がおかしい。トリッシュはただの女の子なんだ。
「そんなもの当たり前よ、誰だって貴方と同じ状況になれば酷く悩むわ。でも家族だもの、肩書きや身分なんかよりも大事なもので結ばれている関係なんだもの……心配することなんてあるわけないわ」
くしゃりと柔らかいトリッシュの髪を撫でる。密着する彼女の肌は温かいーーこのまま2人、溶け合ってしまいそうだ。
いつの間にかキツく握られていた手は少しばかり汗ばんでいた。私自身、彼女に諭すように話しているが内心酷く緊張しているのだろう。
今の私の言葉は説得力の欠片もない陳腐なものかもしれない。だけど今の彼女にはそんな言葉が必要なのだ。
「……とりあえずごはん食べよ?美味しいものを食べれば不安な気持ちも減るんだよ」
そう言って笑えばトリッシュもまた「確かに」と目を細める。
私は早速スープにスプーンを沈ませるといんげん豆とベーコン、ズッキーニを拾い上げスープと共に口の中に運ぶ。スープに溶け込みつつも食感が残るよう粗めにみじん切りにされた玉ねぎとセロリ、ニンニクから溢れ出る旨みに私は目じりを下げる。ただ茹でるだけでなく、時間をかけて弱火でじっくりと甘みとコクが出るまで炒めたのが功を奏したようだ。
「美味しいっ!凄いじゃない、料理得意だったのね」
「ありがとう……だけどそこまで難しい料理じゃあないからあまり褒めないで……恥ずかしいわ」
料理は特段得意という訳でもない私でも唯一みんなに振る舞えるのはいつも祖父母の家に寄った際に必ず作ってくれたミネストローネ。厨房に立つ祖母の手伝いを何度かした経験はあるが、上手くできているかは分からなかったから褒められたのはただ単純に嬉しい。
「……あたし、正直なことを言うと凄く心細かった。名前が組織の人間だったことは驚いたけど……この場にあなたがいて良かったわ。だって名前はあたしの友達だもの」
「トリッシュ……」
トリッシュはそう言うと私の耳元で揺れるレモンを人差し指でつついてみせた。彼女の言葉は本心のようで年相応のあどけない無防備な笑顔を浮かべている。
「組織の一員として、ファンとして……なによりもトリッシュの友達として!私が貴方を守ってみせるわ!」
そう言って私はトリッシュの頬を撫でる。彼女は一瞬目を見開くと次には目を閉じて頬を寄せた。
(大切な人の手はもう二度と離さない……私のスタンドはその為にあるんだ)
あの日、予定通り日本に帰国していたら私は大切な人の死の真相を知る事すら出来なかったのだろう。そして、今回の旅で出会ってきた友人たちの深い所を知ることもなかったのだ。
(どちらの選択が、未来が正しかったのか。今の私には分からない……それでも『今』を生きる私はこの知ってしまった『事実』に向き合って、生きていかなければならないんだ)
スタンド能力を得たのも、パッショーネに入団しブチャラティのチームに入ったのも、彼女の護衛任務を課されたのもすべて『運命』……いいや、やはりそれは少し違うだろうか。
「私だって怖くないわけじゃあない……ほんの数日前まではただのか弱い一般人だったんだもん」
私は閉め切られたカーテンを恨みがましく見つめる。当然その向こうに見つめる先は遠く離れたポンペイの地だ。
しっかり者で礼儀正しいけれどキレると怖いフーゴ君に、生意気だけど自分の中にハッキリとした正義があるジョルノ。そして今も昔も変わらず心優しいレオーネ。彼等は今、ポンペイにてボスからの指令を受け奮闘している。
「でも、すべては私の『決断』……今トリッシュの隣にいるのもすべて自分自身の決断なんだ」
自分の選んだ道ぐらい最後まで全力で進まなくては私自身に示しがつかないーー黒地白水玉のワンピースの上から首元でキラリと光る銀色のペンダントを祈るように握りしめた私は口元に弧を描く。
「貴方を守る、チームも誰ひとり欠けさせない……!全部終わった時にみんなが笑顔になっていなきゃ嫌だもの!!」
目の前で花のように微笑む少女も、チームの仲間たちも……初恋の人だって誰も死なせない。
今この場にいるのは運命ではなく、自分が何気なく行った選択または「決断」によるものだと私は信じている。未来は自分の力で変えることが出来るはずなのだ、私がこの場にいることで変えられる未来があるはずなのだーー……。
そう心の中で決意を口にした私の知らないところでヤツとの再会への舞台は着実に整っていく。
抵抗する力のない祖父母を一方的に殺したスタンド使いの男ーーヤツはどうして彼らを殺さなくてはならなかったのか?疑問はいくつも残るがやることはたったひとつだ。
だけどまさかあんなところで再会してしまうなど露知らぬ私は隣に座るトリッシュと談笑しながら温かいミネストローネを口に運ぶ。
ほんの数時間後、自身がヤツと命懸けの戦いをすることになるなんて今の私には本当に分からない事だったのだ。