いくら覚悟を決めたからと言ってすぐさまソレを実行できるわけではない。
　荒れ狂う海水のせいで海面が白く泡立っており、それを見つめていると足が竦んでしまう。
　真っ青な顔をしてセツナはこれから自分が落ちるだろう場所をジッと見つめていたが、すぐ隣で軽い柔軟運動を終えたチャーリーが堂々たる姿で飛込みの体勢を取る。

　「先に行く」

　「うん」

　「セツナならできるって信じてるからね」

一瞬だけ向けられたチャーリーの目は何か確信を得ていた。
　まるで セツナが無事に海の中に着水できることが解っている、というかのような笑みを浮かべたチャーリーに対してセツナが何かを言うよりも早くチャーリーは飛込みの体勢に入る。
　たったそれだけの動作をしただけなのにチャーリーの雰囲気は一変する。
　頭の中でどうやって飛び込むのかイメージをしているのか鋭い目をして海面を見つめていたのだが、それはほんの僅かな時間だった。
　スッと短く息を吸い込んだチャーリーが両腕を上げるのを見たセツナは一歩だけ後ろに下がる。

　「チャーリー」

名を呼ぶがチャーリーが振り返ることはない。
　今のチャーリーの雰囲気はよく知っている。
　何度も何度も彼女の父と見てきたから。
　ずっとずっと見たかった姿が目の前にある事にセツナは胸が熱くなってくるのを感じ取っていた。

　「がんばって」

その声はきっとある種のトランス状態になっているチャーリーには聞こえてはいないだろうが、けれどセツナの目にはチャーリーが微かに頷いたような気がした。
　トンッと軽く床を蹴ったチャーリーの身体が宙に舞う。
　ゆっくりと身体が視界から消えていくのを見届けた後、セツナは手すりから身を乗り出してチャーリーの姿を見つめていると、宙で一回転をした後に指先から海中へと姿を消す。
　浮き上がってくるまでに少しばかり時間が掛かっているのか中々姿を見せないことに、焦りの気持ちを抱いた時海面からチャーリーが顔を出すと成功したと言うかのようにブンブンと大きく手を振って自分の無事を伝えてきた。

　「良かった」

無事にチャーリーが飛込みを成功させたことにセツナは安堵の笑みを浮かべたが、すぐにその笑みは消える。
　次は自分だからだ。

　「大丈夫」

出来る、出来るはずだ。
　そう思いながらセツナは先程チャーリーが飛込みを行った場所へと移動する。
　かすかに聞こえてくる地響きのような音と振動にセツナの膝が笑う。
　本音を言うのならば今すぐにでもここから逃げ出したいのだが、それをすることは絶対に出来ない。

　「ビー」

強敵２人に対して最後まで諦めることをしなかったバンブルビーの姿を思い出す。
　地球のために命を賭して戦ってくれた大切な友達。
　その彼のために出来る事をしたい。

　「貴方が私を必要としてくれるのなら」

思い出すのは別れを惜しむかのような青い目だ。
　フッと短く息を吐き出したセツナは覚悟を決めると、竦んでいる足を叱咤するかのようにペシンッと叩くと思い切り床を踏みつけて宙へと飛ぶ。
　すぐに襲ってきたのは言葉にしにくい浮遊感で、ソレが消えるのと同時に身体が勢いよく引っ張られていく。
　耳元を凄まじい勢いで駆け抜けていく風の音、迫り来る海面、微かに感じる磯の臭いがやけに鮮明だった。
　悲鳴を上げることが出来ぬままセツナは足先から海中へと飛び込んだ。
　飛び込んだ衝撃によって周りに小さな気泡が舞う中、セツナは頭上に見える海面に向かうかのように必死に腕を動かした。