時間ギリギリに帰宅した娘に対して母は何か言いたげな顔をしていたが、特に何かを言うことはしないままそっと顔を背けた。
　ソレが母なりに娘に対して出来る最大限の譲歩である事をセツナは知っており、母にお礼の言葉を言おうとしたとき電話が鳴る音が響く。
　慣れた様子で母が受話器を持ち上げ、誰かと会話をするのをセツナは黙って聞いていたが母の目がチラリと向けられた直後に受話器を渡される。

　「お父さんよ」

　「うん」

受け取った受話器がまるで鉛のように重たく感じられた。
　それはきっと自分の勘違いだと言い聞かせたセツナはギュッと受話器を握りしめると、そっとソレを自分の耳に添える。

　「父さん。私だよ」

　「セツナ」

電話越しの父の声は疲れているように聞こえた。
　父は最初こそセツナの生活やら、今話題の音楽や映画などの世間話をいくつかしたが、それに対して返されるセツナの声音が固いことに気づくと無駄に時間を浪費しなくても良いのだと、言葉を選ぶ必要はないのだと判断すると静かな声で問う。

　「前の電話でお前が私に問いかけてきた事を覚えているかい？」

　「うん」

　「”彼”はまだ側に？」

その単語を口にした父に対してセツナはどう応えるべきか考える。
　父に問いかけたのは”変形する車”であって”人”ではないのだ。
　それなのに父はあえてその単語を口にしたことから、間違い無く父はバンブルビーと同じ存在と接触しているのだとセツナは理解する。

　「（ここから先のやりとりは慎重にならないと）」

言葉の表現一つでバンブルビーの身が危うくなってしまう。
　受話器を握る手が汗ばみはじめた事に気づいたセツナは、ゆっくりと息を吐き出すと荒れていた気持ちを落ち着かせる。
　脳裏に浮かんだ無邪気なイタズラ蜂の顔に対し、セツナは大丈夫だと言うかのように微笑みかけると、いつもと変わらぬ声音で口を開いた。

　「えぇ。あの人は私の側に居る」

　「セツナ」

　「父さん。あの人は、悪い人じゃないよ。父さんも一度会ってみれば解るから」

父娘の間で交わされる会話に登場する第三者。
　それはまるで何も知らぬ者からしてみれば娘の彼氏に対して父が文句を言っているかのような印象を抱くかのようなものだ。

　「セツナ。お前は何も知らないんだ」

　「どういうこと？」

　「彼はね、犯罪者なんだよ。事実、彼の事を捕まえに来ている人が私の元に居る」

その言葉にセツナは何を言っているのだ？と思うのと同時に激しい怒りを抱いた時だ。

　「彼から、一刻も・・・・・なさい。セツナ？・・・！？・・・！！」

ザザッというノイズ音が聞こえた直後、父の声が何かにかき消されるかのように聞き取れなくなってしまう。

　「父さん！？ねぇ？どうしたの？」

会話が突然出来なくなったことに対し、一体どうしたのだと思いながらセツナは受話器越しにいる父を呼び続けていたときだ。

　『初めまして。お嬢さん』

突然聞こえてきたのは女の声だ。
　人間のようなクリアな声音ではなく、まるで作り上げたかのような音声にセツナは息をするのを一瞬忘れる。
　ドクドクと心臓が早く脈打ち、頭が真っ白になっていくのを感じながらセツナはなけなしの理性を繋ぎ止めるかのように受話器を握りしめた。