バイト終りの少し疲れた身体を動かしながら若葉は帰路に着いていた。
　今日はいつもよりもお客が多く、店が落ち着く頃にはすっかり定時を過ぎていて、いつもよりも少しばかり暗く人気の無い道を若葉は心持ち急ぎながら歩を進める。
　少し前を歩いていたサラリーマンの背中をぼんやりと見つめていると、数メートル先にある家から子どもが飛び出してきた。

　「パパ！おかえりなさーい！」

嬉しそうに微笑みながら父親へと駆け寄る子ども。
　その子どもに向かい両手を広げながら「ただいまぁ！良い子にしていたか？」と父親が話しかけ、２人は他愛ない話をしながら自宅へと入っていく光景を若葉は微笑ましい気持ちで見つめる。
　若葉が物心ついた時から父親という存在が自分には居なかった。
　友達の家には母親と父親が居るのに、自分には父が居ないという事に関して幼い頃に一度だけ母に聞いてみたことがあった。



　『どうして私には”父さん”がいないの？』



その問いは若葉にとっては何気ない疑問を口にしただけだった。
　けれど娘の問いに母の顔が見たことがないほど強張ったのだが、硬直はすぐに解け、母は申し訳ないというかのように微かに目を伏せると消えそうなほどの小さな声で「ごめんね」と答えた。
　初めて見る母の姿に若葉は自分が母を傷つけてしまったことを理解した。
　だからそれ以後、若葉は父のことを口にすることはしていない。

　「いつもなら気にしないのになぁ」

親子の姿を見ても特に何も思わなかったはずだが、何故か今夜は妙に父と子の姿が焼き付いて離れない。

　「思っているよりも疲れてるみたい」

感傷的になるのはきっと疲労感がそうさせるのだと若葉は判断すると、この気持ちを引きずらないようにするため自らの頬を軽く叩いて気持ちを切替える。
　疲れた顔をして家に帰ればきっと母は心配をするだろうし、なにより長い間説得をしてようやく認めて貰ったバイトを辞めるように言われかねない。

　「それだけは阻止しなきゃ」

あの手この手でバイトをしないようにしてくる母に対し、受験以上に必死になって説得をしたのは記憶に新しい。
　母と二人きりで生活するのが当たり前だと思うのと同時に、父が居ないのだから自分は母の邪魔にならないようしっかりしなくてはならない、自らにできることは積極的にやろう、と幼い頃から思うようになっていた若葉は高校に入学したのと同時に近所のコンビニでバイトを始めることを母に提案した。
　母の考えは”勉学は学生の義務”という考えであった為、バイトをする事に最初は反対したのだがいくつかの守るべき条件を出され、ソレを守るのであれば認めると言われたのだ。

　「我が母ながら出す条件が厳しい」

主な条件は成績に関する事だ。
　若葉が少しでも力を抜けば守れないような条件であることから、母が本心ではバイトをすることを快く思っていない事くらい明白だった。
　それでもバイトをすることを強行したのは若葉の中にある親への反発が原因だ。
　自宅の外観が見えた事に若葉はホッとした顔をして歩みを少しだけ緩やかなものへと変えたとき、ある事に気づき目を見張る。

　「電気がついてる」

玄関にも、リビングにも電気が灯っていることに気づいた若葉はあることに気づくと慌てて自宅へと向かう。
　鍵を開けて家の中へと入った若葉は玄関に見慣れたパンプスの姿を見つける。

　「ただいま。母さん？帰ってきているの？」

今日は遅くなると言っていたはずだと思いながら靴を脱ぎ室内へと向かう。
　リビングへと続くドアを開けた若葉が一歩、中に足を踏み入れた。