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過去作品まとめ

たったひとりの冴えないひと


――目には目を、歯には歯を。



 無機質な、ゴウゴウと鳴るマシンたちに囲まれた長い廊下を、女は歩いていた。
 マシンの手前には棚があり、両手で持つほど太いガラス管がたくさん置かれている。女はその中からひとつ選び、手に取った。
 心臓だ。筒の中に、切り離されてもなお拍動を続ける臓器が、そこにあった。
 女は、筒に張られた名前の書かれているラベルを、手でするりとなぞる。
「またひとり、人柱が増えた」
 ぼそりと悲しげに呟き、女は筒を元の棚に戻して去って行った。

 女は、秋月一縷という。彼女は『ウルロン』という施設の職員だ。
 現在、かつて人間が生息していた地球は、化学兵器により汚染され、大規模な爆破事故が発生して壊滅した。そして、人間は新たな住処を月に移したのだ。
 しかし、人間が生活できるよう月は整備されたとしても、突然の環境変化に耐えられるわけでもなく、体に異変を覚える者が続出した。
 後に研究が進み、異変の詳細が解明する。臓器が突然変異し、人間に刃向うようになったという。
 このことは大きな社会問題となっている。当然、地球から連れ込んだ人間以外の動物たちは、ほぼ壊滅してしまった。
 そこで、政府は突然変異に耐性を持つ者をドナーや実験動物として提供するため『ウルロン』を設立し、世界の均衡を保っていた。
 だが、現実は非情である。提供される人物の大半は、無差別で連れて来られてしまうのが現状だった。
 当初はこの実態を嘆く者が多くいたが、現在はそもそも地球が滅びた時点で我々は諦めて絶滅すべきだった、足掻いても無駄なだけだと考えている者が大半である。そのため、施設では空虚感が漂い続けている。
 しかし、一縷は別だった。この現状を誰よりも嘆き、突然変異を一刻も減らすために躍起になっていた。そんな彼女は施設の中でも異端児だと知られており、他職員らの頭痛の種だ。
 それでも、味方はいる。例えば、施設に所属するひとりの研究員だ。



 一縷は、研究室に足を運んでいた。事前に訪れることへのアポは取ってある。研究員の個室の前で立ち止まると、普段は厳重に管理されているドアが自動で開いた。外の様子を見ていたのだろう。
「待ってたよ、一縷。連絡が来てからずっと監視カメラを覗くほどにね」
 ソファに腰をかける、年齢不詳の男が出迎えた。
 こわい。一縷は率直にそう思った。アポの許可を取ったのは、昨日の夕方のことだ。この話が冗談であることを一縷は願った。
「やめてください、博士。それよりも、わたしは博士に相談したいことがあって来たんです」
「一縷、何度言ったらわかるんだい。敬語は駄目だ。ぼくときみとの仲じゃないか」
 傍から聞いたら、良からぬ誤解を受ける発言だ。一縷は呆れながら静かに口を開く。
「今は仕事中ですよ。いくら親密な関係とはいえ、わたし達は上司と部下です。敬語は外せません、博士」
「それじゃあせめて、博士と呼ぶのはやめてくれ。もっとふさわしい呼び名があるだろう。さあ、言っておくれ」
「それじゃあ、ではありません。博士は博士です」
「呼ばなきゃ無視しちゃうぞ」
 一縷は、堪忍袋の緒が切れる音がした。

「もういい、ふざけないで。お父さんのバカ!」

 言ってしまった。わたしこそがバカだ、と一縷は後悔したが、もう遅い。
 一縷の父である青雲は、普段よりもにこやかになった。誰から見ても上機嫌だ。
「お父さん、お父さんだって。いつもそう呼んでくれたらいいのにな」
「嫌です。わたし達、明らかに親子には見えないじゃないですか。本当のことがバレたら、博士は職権乱用でクビになります。それに、わたしがどうなってもいいんですか」
 きっぱりと一縷は言い切った。普段は優しげだが、身内には厳しいのが一縷の性格だ。そのため、青雲に対し厳しく接している。
「ごめんよ。冗談のつもりだったんだ。心配してくれて嬉しいよ」
「もう。家にいるときはいくらでも呼んでるのに。それで、わたしの話を聞いてください。何のためにわざわざここまで来たと思っているのです」
「ぼくに会うためでしょう」
 確かにそのとおりなのかもしれないが、お互いの含意は確実に別だ。一縷は青雲の話を無視し、雑に本題を切り出した。
「今日から提供されてきた人達の中に、気にかかる者がいます。その人のことについて知りたくて」
 一縷の言葉を聞き、青雲は先ほどまでの振る舞いと打って変わって、表情を固くした。
「さては、あの少年のことを聞きたいのかい。名は、何だったかな、筑波くんか」
「話が早くて助かります。そうです、その筑波穣のことです」
「あまり、深入りしないほうがいいと思うけど。きみは彼のことを知ってどうしたいんだい」
「言わなくても、わかっているくせに」
 青雲は穏やかに笑った。
「一縷のことになると、途端に甘くなる自分が憎いね。いいよ、ぼくが知っている限り、何でも話してあげよう」
「ありがとう、博士」
 一縷は素直に礼を述べる。
 一縷がなぜ、たったひとりの提供者を気にかけているのか。それには理由があった。
 筑波穣は、体の左半分が大きな瘤で盛り上がっている。それが原因で、提供者として押収されてきたにも関わらず、これでは使い物にならないと廃棄が決定していた。
 それを聞き一縷は、体に異常があろうがなかろうが、子どもを廃棄するだなんて許せないと憤怒した。
そもそも、ひと目見ただけで廃棄を決めるほどの人物だというのに、ここまで連れて来られてしまうということは、無差別に提供者が選ばれてしまっている現状がまるわかりなのだ。
一縷はその場の勢いで、せめて廃棄はやめてほしいと抗議した。当然のように反応は冷たいものだったが、喜ばしいことに賛同する者も少なからずいた。
そして、さらに賛同者を増やす目的で、筑波本人の情報を集めるために、一縷は父である青雲の元へ尋ねたのであった。
「ぼくから色々聞くよりも、本人と直接会って話したほうが早い気がするんだけどな」
 正論だ。思わず一縷は狼狽えてしまう。
「どうしても、話しかけるのに勇気が足りなくて。上手く話せる自信がないんです」
「勇気がないって言うわりには、きみは上からの重圧に負けず、自分の意見が言えるじゃないか。それとはまた別の勇気なのかい」
「別物ですとも。上司に対して色々言うのは、ほとんど衝動ですから。筑波さんとは、どうしても配慮しながら話さないといけないでしょう」
「確かにね。一縷の立場で考えると、そうかもしれない。じゃあ、まずは彼の何について聞きたいんだい。生年月日とかは知っているだろう」
 一縷は頷き、「それはさすがに」と答える。「正直、何でもいいんですけど、とりあえず家庭環境について聞きたいです」
「家庭環境、ねえ」
 青雲は神妙な面持ちで、顎に手を当てた。
「今時、珍しくはないんだけどさ。彼は孤児だよ。父親は不明。母親は大層美しくて、一縷みたいに心優しい方だったそうだが、あることがあって生き別れになったんだと」
「あること、というのは」
 一縷みたいに、といった発言は無視をした。構っていたらキリがない。
「売り飛ばされたんだよ。体の弱い母のために、薬を買いに行ったら捕まってそのまま」
「その後、母親はどうなったんですか」
「亡くなった」
 その一言が、ずしりと胸にこたえた。あまりにも青雲が無感動に言うものだからか、一縷は苛立ちを覚える。
 知っているのに、父はそういう人だって、と一縷は自分に言い聞かせた。
 青雲は、一縷に対しては態度を一変させるが、普段は腹に一物抱えたような人物だ。非情であり残酷、目的のためなら手段は問わない。それが青雲という存在だ。
「……そして売られたと思ったら、こんなところに押収されて、散々だったでしょうね」
「他にも散々なことがあったそうだよ。売られた先はとんでもない金持ちで、彼は鑑賞目的で連れて来られたんだって。だけど、来てたった数日で家の者は全員亡くなってしまった。何でだと思う?」
 楽しげに青雲は語る。悪趣味だ、と思いつつ一縷は律儀に問いに答えた。
「まさか、筑波さんが殺してしまった、とか」
「ああ、ちょっと惜しいな。正解は、彼が臓器の突然変異を誘発させる存在で、みんな突然変異で死亡したからだ。しかも、短時間でだよ。すごく強力だよね」
「そんな。それじゃあ、筑波さんの廃棄の理由は、実際はそのことなんですか」
 青雲は、首を静かに降って否定する。
「この話は、本人を除いてぼくと一縷以外は知らないはずさ。単純に、見るからに筑波くんは体に異常があるから、健康な臓器を所持していないと判断されただけ」
 結局は酷い理由だ。
これらの話を、青雲は筑波に直接聞きだしたのだろう。おそらく、弱みを握って脅し、根掘り葉掘り聞きだしたに違いない。それは、青雲の得意技だった。
「博士、あなたって本当に汚いですね」
 思わず本音がこぼれてしまう。一縷に目を合わせ、にこりと青雲は微笑んだ。その笑みに含まれる感情からは、何も感じ取れない。
「一縷が何を言いたいかはわかるさ。なんたって、きみを作ったのはぼくだ。性格をプログラムしたわけではなく、個人の心をきみに埋め込んだ。だからこそ、こんなぼくが親だとしても、影響されずに真っ直ぐな人になってくれて本当に誇らしいよ」
「つまり、どういうことですか」
「そのままのきみでいて、ってこと」
 青雲は、一縷の肩を優しく叩いた。
 叩かれた肩を、一縷はゆっくりと押さえる。
一縷は、青雲が開発した世界初の人造人間だ。元々青雲は、本物に近い臓器を作る研究を行っており、施設には極秘で一縷を制作していた。青雲にはできない、人類に希望を思い出させるための目的で。そのため、本人の意思でもあるが、一縷が突然変異に対し前向きなのは、青雲の思惑だといえる。
青雲が筑波に接触したということは、突然変異を起こす可能性が高まったということだろう。青雲は、当然変異の耐性を持たない、所謂一般人だ。
不安に思い、一縷は青雲に問うたが「そのときは一縷がついてるから大丈夫」と言い笑った。
 もし、そのときが来たとして、わたしがいなかったらどうするの。疑問を口にしたかったが、そうしたら現実になってしまいそうで、一縷は堪えた。
「さて、これまでの話で一縷は何をすればいいのかわかったね。放っておいたら、施設の人間どころか、下手したら保管している臓器もみんなやられてしまう。怖気づいてる暇はないよ」
 一縷は、最初から青雲は筑波の元へ、早めに行かせるつもりだったことを察する。
 このふたりの関係は、親子にしてはあまりにも歪なのだろう。だが、情は今の時代でも珍しいほど、どこまでも厚かった。
「お父さん、ありがとう。背中を押してくれて」
「おや、珍しく嬉しいことを言うね。でも、言っておくけど、送り出すほうも毎回怖いんだよ。一縷に何かがあったらと思うと、気が狂いそうになる」
 一縷は青雲の手を、思わず握った。安心させたかっただけだ。一縷のとっさの行動に、青雲は目を見張る。
「なら、わたしを信じて。絶対に大丈夫だって、信じてよ」
「ああ……信じる、信じるよ。筑波くんはこの部屋を出ていって左手の奥の倉庫にいる。さあ、行っておいで」
 青雲に柔らかく笑いかけ、一縷は研究室から出ていった。



 布袋を被った少年が、ぐったりと足を投げ出して座り込んでいる。
 倉庫の扉を開けて、目に飛び込んできた光景だ。一縷はこの少年が筑波だと、直感で理解した。
 胸が上下に動いていることを確認する。眠っているだけのようだ。申し訳なく思いつつ、一縷は筑波に話しかけるために、肩を叩いて声をかけた。
「起きてください。あの、筑波穣さんですよね」
 反応がない。布袋を取れば目を覚ますかもしれないと思い、一縷はそろりと布袋の角を掴み、抜き取ろうとする。
 瞬間。一縷の腹部に鈍い痛みが走った。地面に転がり、悶絶する。何が起きたのか、理解できなかった。時間が経つにつれ、筑波に蹴られたのだと判断する。
「人がせっかく寝てるってのに、邪魔してんじゃねぇよ。クソババア」
 筑波は勢い良く布袋を地面に叩きつけて、唾を一縷の顔に吹きかけた。拭うのを忘れ、一縷は呆然とする。油断していたのだろう。まさか、筑波は粗暴な性格の持ち主だとは、思ってもいなかったのだ。青雲に筑波はどんな性格なのか、聞いておけばよかったと一縷は後悔をした。
 一縷は、じっくりと筑波を見つめる。体の左半分が痛々しいほど大きな瘤で覆われていた。以前資料で読んだ、プロテウス症候群という病気と似た状態だと気づく。だが、それとは別で、突然変異が絡んでいるに違いないと確信した。
「んで、なんか俺に用か。クレーターに埋めるつもりだったりして。それとも核まで突き落として、骨まで溶かすってか」
 どうやら、一縷が廃棄しに来たと筑波は勘違いをしているようだ。顔をハンカチで拭いながら、「そんなことはしません」と一縷は必死に誤解を解く。
「ほんとかよ。ここの人間って、ちっとも信用できねぇんだけど。んで、結局何の用だよ。下らねぇことだったらぶっ潰す」
 物騒な物言いに胸を痛めながら、一縷は極力穏やかに話を切り出した。
「あなたの事情は、秋月青雲博士から全て聞きました。わたしなら、あなたの突然変異体の誘発を防ぐことができます。この瘤だって、取り除けるかもしれない。わたしに任せてくれませんか」
 筑波は、豆鉄砲をくらったような顔をする。
「あのオッサン、ペラペラ喋りやがって……それじゃあ、あいつがが言っていた、助けてくれる人がいるってのは嘘じゃなかったのかよ」
 当然のことながら、青雲はかなり警戒されていたようだ。脅してくる人間を信用しろというのは、あまりにも無理がある。
「あの人は、わたしの父なんです。父になんて言われたのかは想像がつきます。ごめんなさい、本当に」
 丁寧に、一縷は頭を下げた。筑波は慌てて「あんたが謝ることじゃねぇだろ」と言う。
「あのクソ親父がどうしようもねぇってだけだろうが。ってか、親子関係ってマジかよ。そこまで歳、離れてねぇような気がすんだけど」
 初対面で一縷と青雲が親子関係だと知られたとき、必ず言われる言葉だ。普段は適当にあしらい誤魔化すところだが、筑波には正直に伝えておきたかった。
 周囲には筑波以外の人はいないことを確認し、耳元に口を寄せ、小声で言う。
「わたしは、秋月博士によって造られた人造人間です。だから、外見だけだと一般の親子と比べて、年齢が近いように見えてしまうのは、仕方のないことです。わたしの実年齢だと幼すぎるので、施設の職員として働けないでしょう」
 筑波は唇をわなわなと動かし、絶句したが、次第に声を出して笑った。
「ま、今の時代人造人間くらい、いくらでもいそうだよな。あのオッサンすげぇわ。性格は最悪だけどよ。ってことは、なんだ、あんた年下か。信じらんねぇ」
 まさか、こんなにすんなりと受け入れられるとは、一縷は思ってもいなかった。意外にも、筑波はさっぱりとした性格なのかもしれない。
「そうですね。あの人はもう仕方がないです。それで、ええと、あなたの体のことですが。わたしは、突然変異を治める力を持っています。よろしければ、あなたを助けさせてください」
「ああ、そうだった。願ってもいかなったぜ。あんたは、この肌が治せるだよな。売られた先の人間が死んでも、俺はなんとも思わなかった。けど、母ちゃんが俺のせいで体壊して、ひとりで死んでいったことを思うと……」
 筑波は、言葉を切って俯いた。だが、すぐに顔を上げ、一縷と目を合わせる。
「お願いします。俺のこと、助けてください」
「お安い御用です。ちょっと痛いかもしれませんが、我慢してくださいね」
 一縷は、筑波の頭を優しく撫でた。



 瘤が取れ、その箇所の皮膚が伸び切ってしまったが、無事治療は成功した。
「確かに痛いって言ってたけどよ、ちょっとどころじゃねぇって。全身焼かれた感じ」
 蹲ってもだえ苦しむ筑波を見て、一縷は冷静に答える。
「じゃあ、これでおあいこですね。わたしと出会ったとき、あなたはわたしの腹部を蹴りました。とても痛かったです」
「あんときは悪かったけど! それとこれとは話が違うっつうの。動けねぇんだけど、これ」
「目には目を、ですね」
「意味が少し違うだろ」と、怒鳴られる。
 治療法はこうだ。患部に手をかざし、皮膚を傷つけずにそのまま取り出す。一縷には麻酔をかける性能はないため、尋常ではない痛みが走る。筑波の瘤は広範囲だったため、その痛さは想像を絶するものだったことだろう。気絶してもおかしくないというのに、よく耐えられたなと一縷は関心する。
 筑波の体を治したことで、突然変異の誘発は防ぐことができた。だが、まだ課題が残っている。彼の廃棄は、まだ中止になっていない。どうにかして止めさせて、筑波にまともな生活を送らせなくては、と一縷は決意した。
「とりあえず、落ち着いたらお父さんのところへ行きましょうか」
 絶対会いたくない、という言葉を聞きながら、一縷は穏やかに微笑んだ。
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