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 頭を垂れた深刻な横顔。
 広く開いた両膝に両肘を置き、組んだ手の上に、重たい視線を落としているが、脳内に渦巻く煩悶のせいで、何も見えてないのだろう。
 締め付けられるような胸の痛みを振り切って、薪は素知らぬ顔で、青木のいるスペースを横切った。
 元々ソファーから距離があったし、ロビーで談笑する人々に紛れて通り過ぎるのは簡単なはず。なのに、その目論見は外れた。
 足早に10メートルほど離れたところで、薪はまた立ち止まらざるを得なくなったのだ。
 背後から二の腕を、大きな手にがっちりと掴まれたから―――
 

「…………何だ、離せ」

 意識して低く押し出す牽制の声が上擦る。
心臓の高鳴りが煩い。体内を巡る血も熱い。
振り向かなくてもわかる。自分を掴んでいる手が誰のものかなんて。

「…………すみません。できません」

「……っ、何故っ、」

カッとなって振り返ると、真っ直ぐ見下ろしてくる切実な熱視線に押し返されて、俯くしかない。

「わかりません。ただ、離したくないんです」

「…………」

 返す言葉も無く、腕を掴まれたまま黙り込む。
 どうしてコイツは待ち伏せ能力が無駄に高いんだ?周囲が見えないほど思い詰めてたくせに、どうやって僕を見つけて飛んで来た?
 自分の弱さがもどかしい。
 一度相手と結びついてしまった甘ったるい感情を、解く術をすっかり見失っている。

 薪は途方に暮れながら、凝縮した想いをぽつりと零した。

「ついて来い……どうなってもよければな」

「……ハイッ」

 薪が歩きだすと、腕を掴む手がほどけて、代わりに定位置に大きな身体が寄り添うようにぴたりとついてくる。
 互いに感じる心地良い安心を、薪は苦く、青木は胸踊らせて噛みしめながら歩いていく。



「本当に、大丈夫なのか?」

「……え?何がですか?」

 高層階に移動する綺麗なエレベーターの中。
硬い表情で訊く薪に、操作盤の前に立つ青木はにこやかに振り返る。

「本当にお前、どうなっても知らないぞ」

「ええ。今更どうしたんです?俺は全然大丈夫ですよ。あなたにお仕えした時から、命を懸ける覚悟だってできてますので」

 青木のズレた返答に、薪はハッとする。実際ズレてるのはこっちだと気づいたからだ。
 これから踏み入れようとしている領域は、今の青木の常識や価値観を覆すものになるだろう。
 自分の望む全てを晒すわけじゃないが、ほんの一部でさえ、青木の理解を超えるものかもしれない。
 薪は背筋をぞくりと凍らせたまま、エレベーターが宿泊先のフロアに止まったのに気づく。


「思い出したが、お前はもう僕の部下じゃない」

 先に降り立った薪は、後に続く青木に振り返って、ぎこちなく口の端で笑顔を作った。

「さっきの条件は撤回だ……嫌なら拒否したっていい。僕のためにどうなってもいいなんて、もう二度と言うな」

「…………はい」

 青木は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな表情になって頷き、また薪の傍について歩きだす。
 少し震えた可愛らしい声に、鼓動が熱く跳ねたことにも、特段気にかけもしなかった。
 薪といて胸が高鳴ることなんて、今までも普通によくあることだったから。

 とにかく今は、薪といられるのが嬉しい。
 薪に導かれてホテルの一室に入るトキメキの正体なんて、どうでも良かった。
 薪を慕う気持ちが溢れて止まらなくて、ただただ一緒にいられるだけで、幸せだったのだ。
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