-1

 “被験者募集!希望者は◯月◯日◯時に□□研究室に集合のこと。ドイツ遺伝子工学チーム”

 グループチャットに投げかけられたそのメッセージに、メンバーが押し掛けないはずはない。
 発足からもうすぐ1年。
 M.D.I.P内では、互いの専門分野の実験の被検者を引き受けることが、楽しいイベントになっていた。

 
「いや実にワクワクするね。LOTOに高額当選したってこんなに興奮はしない!」

 ドイツチームの募集から一週間後。
 適合検査を無事くぐり抜け被検者に選ばれたデンマーク人の神経学の権威・ヨン=イヴァル博士は、被検者になるための施術を終え、隣の手術台を降りた薪に感極まって話し掛けた。

「そうですね。科学の進化とともに歩む愉しさは、何物にも代え難いので」

 本当に“進化”なのかは、わからないのだが、まず次の手を打つための一歩なのは確かだ。
 未踏の地にはルールも倫理も安全の保証もないが、ここには立派な心構えと好奇心を兼ね備えた適任者しかいない。
 今回は、立候補した8人のうち、適合検査が通ったのは、薪とイヴァル博士の二人だけだった。
 
 “人体に魚の性転換機能を具有させる実験”

 常人なら間違いなく気味悪がるプロジェクトだが、M.D.I.Pメンバーにかかれれば、どんな内容も好奇心の的でしかない。

「ああ、俺もとうとうクマノミの神秘を体感できるのか……」

「いや、仕組み的にはブルーヘッドです。対象を認識することで、脳が性転換の指令を出す。つまり“認識しなければ何も起こらない” かもしれませんけどね」

「おいおいマキ、それは意地が悪いぞ」
 
 イヴァル博士は顔をしかめて首を竦める。
 しかし、さっきのプロジェクトリーダーの説明をきく限りでは、薪の解釈の方が正しい。
 ブルーヘッドは“周囲の魚との体格差”が雌雄のスイッチになるが、ヒトの場合何がスイッチになるのかわからない。これは紛れもない事実だ。
 ついでに今施術した内容をおさらいすると、エピジェネティクスと呼ばれる遺伝子制御機構を一部書き換えて、性転換を可能にする。
 見た目は何も変わらないが、何らかの合図により、生殖腺が精巣→卵巣、卵巣→精巣にスイッチする。さらには機能的再編成により、卵巣機能が働く間は、擬似的な卵管や子宮内膜の機能が身体のどこかに形成されて受精を可能にする、というものだ。
 

「う〜ん……」

 母国の平均身長183cmを超えるイヴァル博士は、腕組みをして考える。

「少なくとも俺のスイッチは体格差ではないな。自分より大きな人間と抱き合うなんて考えただけでムサ苦しい。それより細マッチョで整った顔の男がいたなら……」

「へぇ、どんな?」

「そうだな……ミケランジェロのダヴィデ像みたいな……」

 質問を寄越したくせに話を聞いてない、薪がダヴィデなら、どうみてもドナテッロのブロンズ像の方だろう。
「マキ」
 遠い目をして静止する、芸術品のように整った薪の横顔を見ながら、博士は苦笑まじりのため息をついた。

「君はどうなんだい?何が君のスイッチになりうるのか……」

 薪の耳に、博士の声は、とても遠く聴こえていた。

 すみません。俺今しゃべるとまたヤバいんで―――
 脳裏に蘇る“あの声”の方がずっと大きく響いて、沸き立つ血と激しく痛む胸。

 停車中のハンドルを握りしめたまま俯く大男の切ない横顔が、薪の頭をいっぱいに占めていた。

 体格差も、好みの顔にも、アイツはすべてあてはまるのだけれど……


「は? マキ、今何て?」

 ヨン=イヴァル博士は、薪がぽつりと零した言葉を、思わず聞き直した。

 “飼い主に置き去りにされた哀れな大型犬”

 スイッチの問いに対して、まさかそんな答えが返事なはずないと思ったからだ。
2/9ページ
スキ