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 M.D.I.Pに日本から視察団が来る。専門職として1名、第九捜査員の同行が要請されている……つまり、アイツが来る確率は八分の一だ。
 その人選を、業務執行において最も信頼のおける岡部に一任したのに。
 なぜ、よりによって―――


「……なっ」

 WEBカメラの向こうで顔色を変え、ダンっと机を叩くように両手をついた勢いで立ち上がり迫りくる薪を前に、つい岡部は大きな体を竦めて防御態勢をとってしまう。習慣とは恐ろしい。

「……なぜ青木なんだ……」

「いや、たまたまアイツが一つ事件終えたとこなんで……まあ、座ってくださいよ」

 いつも冷静な薪の情緒が、たまに発作的に手がつけられないほど揺らぐことにも、もうこの男は慣れていた。
 その発端の多くが青木絡みなことにも薄々気づいてる。
 知ってか知らないでかそこへ真っ直ぐ突っ込んでいく青木の若さも……すべて把握したうえで、この第九かぞくを支え続けてきたのだ。

「いや、実を言うと褒美も兼ねていてですね」

「……ほうび?」

「ええ。よくやってるんです。アイツじゃなきゃ気づかなかったり、解決しなかった事件もいくつも……」

「……チッ、まあいい」

「……って、えっ、舌打ち!?」

 この人、近頃どんな取材にも余裕の笑みで応じているし、日本を離れ少しは丸くなって落ち着いたかと思いきや、年少の部下の来訪ごときで震えが止まらず髪の毛逆立てたままなんて、情緒不安定すぎるだろ……まさかコーネンキ? まあそんな問いかけWEB越しでも絶対できない。アッチのPCが破壊されるのが目に見えるから。


 薪が抱えた新しく重大な秘密のことを、当然岡部は知る由もない。
 薪自身、M.D.I.Pの外には誰にも言うつもりはなかったし、もしこの実験を進行するとしても―――責任はすべて自分一人で負うつもりだった。

 ただ、次のハードルだけはどうしたって一人では越えられない。
 協力者・・・が必要で、しかもその相手は誰でも良いわけじゃないから厄介だ。
 さらにはその、誰でも良くないただ一人の相手を、岡部がここへ派遣するというのだ。
 都合が良すぎる、いやある意味最悪・・過ぎる。

 レセプションパーティーでたくさんの来賓に笑顔で挨拶しながらも、視線は絶えずあの男の居場所を追っていた。
 見るからに気後れして、挙動も落ち着かないその姿が消えたのを見計らい、まっしぐらに向かったのは“トイレ”だ。
 案の定そこにいた青木と、束の間の二人きりの空間を作れば、言いたいことが自然に次々と口をついて零れてくる。
 
 上司として、言いたいことは言えたはずだ。
 これ以上、何を望む?

 ひとつ、心残りは、青木の言葉を一つも受け入れてやれなかったこと。
 青木が自分を必死に呼び止めようとする声に後ろ髪を引かれながらも、振り切ってパーティーの輪に戻る。

 もう絶対に振り向かない、いや振り向けなかった。
 
 青木の言葉を一つでも受け入れはじめたら、なしくずし的に上司部下の一線を越えて―――自分自身の本当の望みを口にしてしまいそうだから。

 実験を口実にいきなり青木に飛びつくのも、浅ましい気がした。あの男が自分に逆らえないのを知ってて、巻き込むのはあまりに暴虐なやり方だ。
 
 パーティーが終わった会場。その余韻の中で談笑する参加者の間をすり抜けて、ロビーへ出る。
 実験は、任務ではない。
 遂行する義務も期限もないのだから、まだ色々考えるべきだ。いくらターゲットが目の前に現れたからって、無策でホイホイ飛びつくものじゃない。

 そう自分に言い聞かせた矢先、薪はギクリとして立ち止まる。

“飼い主に置き去りにされた哀れな大型犬”


 青木がまさにそれを体現した姿で、ロビーのソファに項垂れて座っていたのだから。
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