1
“自分の幸せ”とは、何なのだろう?
青木とか手紙のことが、いつも切なく胸を締めつけるけれど、手を伸ばそうとは思わない。
眺めているだけで満足だった。あちら側の人間に僕が関わっても、良いことは一つもないのだ。
でも、希は?
この子の存在で、自分が長い間引いていた境界線が意味をなさなくなっている。
でも身動きは取れないままだ。自身に染み付いた呪縛はなかなか解けやしない。
ワーカーホリックと称される傍らで、秘かに育児も楽しんでいたパリでの9ヶ月も、あっという間に過ぎた。
そして、出向時すでに内々で決まっていたポストへ帰任したのが、その翌年の7月のことだ。
希はもうすぐ1歳で、立っちもできるし、ひとことふたこと言葉もでてきた。
日に日に成長するわが子に比べて、薪の恋愛感情だけは相変わらず小学生並みだし、天邪鬼も健在だった。
一番に会うべき存在だと自覚しつつも、青木に会うのを徹底的に避けてしまう。
旧メンバー総出の歓迎会の誘いも「これが宴にうつつを抜かせる状況なのか?気を引き締めろ!」と一刀両断して、皆を酷く落胆させた。
でも、会わない努力なんてしなくても、会えないくらい忙しかったのも事実だ。着任早々、三年ぶりに復帰した現場のハードワークの裏で、希との生活を軌道に乗せなければならなかったのだから。
所有していただけだった“荻窪の家”に手を入れて親子の住まいにし、久しぶりに母方の親戚との連絡を再開した。
そうやって、自分の辿ってきた人生を逆戻りして旧い縁を頼るなんて、希がいなければ考えもしなかったことだ。
そして、三ヶ月間避けられ続けた青木が、とうとう薪を掴まえたのが10月。
しかし上司の立場で正論を固め、徹底的にブロックする薪に近づく術はない。
そこに被せるようにカザフ大統領の来訪や、カリスマシェフ周辺の女性失踪事件が相次ぎ、二人の距離は公には近くても、プライベートからは完全に遠ざかる日々が続いた。
もうダメだ。現場と子育ての両立なんてとても無理だと、薪は頭を抱えていた。
希とろくに会えない日々のなか、青木に怪我まで負わせて結局守られて。
家族を守るどころか、自分自身さえコントロールできない自分が情けない――
「ええっ!?薪さんが体調不良で有休??」
青木が負傷から完全復帰した12月。
会議で上京したついでに第三管区に顔を出した青木は、渡した福岡土産を受け取ってモニターに向き直った岡部の背中に青ざめた顔で詰め寄った。
「本当に大丈夫なんでしょうか!?」
「そりゃ、まあ大丈夫だろ。インフルエンザらしいし、医者の言う事聞いて数日寝てりゃ…」
「あの人が黙って大人しく寝てる姿なんて、想像できます?何でも一人で背負 い込むし、踏み込んで盾になってあげないと、どんどん自分を傷めつけちゃうから。可愛い顔に似合わず凶暴な反面、すごく脆いんですあの人は!」
「おい、心配なのはわかるがお前……」
先輩いや上司に対してあまりに言葉が過ぎる、としかめっ面をモニターから離す岡部。
「お見舞いに行ってきます!!」
「は??」
振り返った時には、すでに青木の姿は無かった。
帰国後の薪の家はまだ誰も知らないはずなのに、アイツどうするつもりなんだろう。
あの勢いだと総監のところへすっ飛んで行き、薪の居場所を聞き出しているかもしれない。
物腰は丁寧だが、怖いもの知らずの言動で突っ走るスタイルは薪仕込みだ。若さや持ち前の気質もあるだろうが、少なくとも新任で薪の直部下として共に行動しなければ育たなかった強さであり、危うさであることも間違いない。
「ハァ……」
今日はまだ木曜だ。アイツに所長のケアを任せる分、明日は自分が第八管区をカバーしてやる必要があるな……と、密かに腹をくくった岡部は、モニターに再び向かって大きなため息をついた。
青木とか手紙のことが、いつも切なく胸を締めつけるけれど、手を伸ばそうとは思わない。
眺めているだけで満足だった。あちら側の人間に僕が関わっても、良いことは一つもないのだ。
でも、希は?
この子の存在で、自分が長い間引いていた境界線が意味をなさなくなっている。
でも身動きは取れないままだ。自身に染み付いた呪縛はなかなか解けやしない。
ワーカーホリックと称される傍らで、秘かに育児も楽しんでいたパリでの9ヶ月も、あっという間に過ぎた。
そして、出向時すでに内々で決まっていたポストへ帰任したのが、その翌年の7月のことだ。
希はもうすぐ1歳で、立っちもできるし、ひとことふたこと言葉もでてきた。
日に日に成長するわが子に比べて、薪の恋愛感情だけは相変わらず小学生並みだし、天邪鬼も健在だった。
一番に会うべき存在だと自覚しつつも、青木に会うのを徹底的に避けてしまう。
旧メンバー総出の歓迎会の誘いも「これが宴にうつつを抜かせる状況なのか?気を引き締めろ!」と一刀両断して、皆を酷く落胆させた。
でも、会わない努力なんてしなくても、会えないくらい忙しかったのも事実だ。着任早々、三年ぶりに復帰した現場のハードワークの裏で、希との生活を軌道に乗せなければならなかったのだから。
所有していただけだった“荻窪の家”に手を入れて親子の住まいにし、久しぶりに母方の親戚との連絡を再開した。
そうやって、自分の辿ってきた人生を逆戻りして旧い縁を頼るなんて、希がいなければ考えもしなかったことだ。
そして、三ヶ月間避けられ続けた青木が、とうとう薪を掴まえたのが10月。
しかし上司の立場で正論を固め、徹底的にブロックする薪に近づく術はない。
そこに被せるようにカザフ大統領の来訪や、カリスマシェフ周辺の女性失踪事件が相次ぎ、二人の距離は公には近くても、プライベートからは完全に遠ざかる日々が続いた。
もうダメだ。現場と子育ての両立なんてとても無理だと、薪は頭を抱えていた。
希とろくに会えない日々のなか、青木に怪我まで負わせて結局守られて。
家族を守るどころか、自分自身さえコントロールできない自分が情けない――
「ええっ!?薪さんが体調不良で有休??」
青木が負傷から完全復帰した12月。
会議で上京したついでに第三管区に顔を出した青木は、渡した福岡土産を受け取ってモニターに向き直った岡部の背中に青ざめた顔で詰め寄った。
「本当に大丈夫なんでしょうか!?」
「そりゃ、まあ大丈夫だろ。インフルエンザらしいし、医者の言う事聞いて数日寝てりゃ…」
「あの人が黙って大人しく寝てる姿なんて、想像できます?何でも一人で
「おい、心配なのはわかるがお前……」
先輩いや上司に対してあまりに言葉が過ぎる、としかめっ面をモニターから離す岡部。
「お見舞いに行ってきます!!」
「は??」
振り返った時には、すでに青木の姿は無かった。
帰国後の薪の家はまだ誰も知らないはずなのに、アイツどうするつもりなんだろう。
あの勢いだと総監のところへすっ飛んで行き、薪の居場所を聞き出しているかもしれない。
物腰は丁寧だが、怖いもの知らずの言動で突っ走るスタイルは薪仕込みだ。若さや持ち前の気質もあるだろうが、少なくとも新任で薪の直部下として共に行動しなければ育たなかった強さであり、危うさであることも間違いない。
「ハァ……」
今日はまだ木曜だ。アイツに所長のケアを任せる分、明日は自分が第八管区をカバーしてやる必要があるな……と、密かに腹をくくった岡部は、モニターに再び向かって大きなため息をついた。