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「やっぱり、アンタの差し金だったんだ……」

 敬語を忘れて呆れ顔の岡部と、画面越しに向き合う薪は冷たい視線とともに返事をする。

「だとしたら、何か文句あるのか?」

 そんなの、ありありだ。
 元上司への心配も相俟って、岡部の文句が堰を切って溢れ出す。

「だ、だって!彼女は地元管区志望・・・・・・の新人なんスよ?科警研史上最高クラスの美人がっ、見合い記録更新中の曽我の元にっ……」

「は、プロフィールをちゃんと見たのか?彼女の地元は下関だぞ。第八管区の方が距離的には近いじゃないか」

 熱くなる岡部を冷淡に見返す薪。
 いつもなら曽我に加勢したがる癖に、今回手の平を返したように非協力的なのは、別の魂胆があるからだ。

「そういう問題じゃない、彼女自身が第六を志望してるんだから変えちゃ駄目でしょ。薪さんも知ってますよね?イマドキの若いのは、勤務地希望が通らないだけで、簡単に辞めちゃうの!」

「なら、辞めないようにすればいい」

「……は?どうやって……」

「辞令を出す前に、第九配属予定の新人全員集めて、第八管区室長にオリエンテーションでもさせろ。そうすれば彼女の希望も変わるだろう」

「…………ハァ」

 薪さん、青木が好青年なのは認めます。だけど全員が全員、アンタじゃないんスから……聞いてるこっちが恥ずかしいんで、やめてください。
 岡部は言えない反論を呑み込み、ため息だけ吐いた。
 一時は少し素直だったのに、どうしてまた捻くれたのだろう?美貌の新人女子をよりによって第八管区に配属させようだなんて。
 田城所長が薪に第九人事の打診をしていたのも気になる。
 だとすれば、薪の帰任も近いはずだ。
 それも、多分ここ……第九に。
 

 薪の心境変化の原因は、パリでの生活にあった。
 希との生活を、自分の経験した澤村との生活に重ねはじめたからだ。根底に不穏が渦巻いてはいても“愛”の温もりがあったあの暮らし。
 目を開き笑うようになった希と、見つめ合うだけで満たされる毎日。何も青木を巻き込まずとも、親一人、子一人。これが、僕に相応しい家族のかたちなのかもしれない、という思いが頭をもたげてきたのだ。

 どんな夢のなかにいるのだろう……眠る希のちいさな手足がうごき柔らかい口がもぐもぐ動くのを愛しげに見つめる薪。
 M.D.I.Pの連中は口を揃えて「希はママ似」と言っていたが、この子は目や髪の色が濃いし、見る角度によって、青木に似たところもたくさん見つけられる。

「お帰りなさい、マキ。ノゾミは20時にネンネしたわよ」

 ベビーベッドのいろんな角度から、希の寝顔を見てうっとりしている薪に、キッチンから出てきたシッター役のマティルドが話しかけた。

 マティルドは母が生きていたら同じくらいであろう年齢の、哲学家で音楽家、そして医師も兼ねつつ児童教育に取り組む女性だ。ザンドラに紹介された彼女を薪が気に入り、パリで自分がいない時間、希の世話を任せていた。

「この頃の赤ちゃんって、日々顔つきが変わるわね。昨日はママに似てたのに、今日はパパそっくりとか、面白いわ」

 落ち着いた、テンポのよいフランス語に「ネンネ」や「だっこ」など、子育て特有の日本語を流暢に組み込んで話す彼女は、言語分野は専門外ながら、言葉を覚える前の子どもを「共通」の音で包むことも大切なのだと言う。
 愛情とともに毎日かける言葉は特に。
 それはもちろん「ママ」とか「パパ」の呼び名もだ。

 先週、青木から届いたプリントハガキに酷く心を揺さぶられ帰宅した日だって、彼女は捻じれ始めた薪の心情を見逃さなかった。
 薪が希に話しかける時、急に自分を「パパ」と称したのを、すかさず訂正したのだ。

「あら?変ね。マキは“ママ”よね?」

「ええ、アメリカにいた時までは。でもプロジェクトを離れたので、もう僕は“パパ”でも良くて……」

「……それはおかしいわ。昨日までは、ママだったのに」

 マティルドが眉をひそめ首を傾げる仕草に、薪は直ぐに自分の過ちと弱さを突きつけられた気になって、唇を噛む。

 自分がママである限り、青木パパの存在をつい考えてしまう。なら、パパの存在を自身で埋めてしまえば、青木をその立場に束縛しなくて済むんじゃないかと……そんな詭弁をいっときでも自身に弄した弱さを恥じたのだ。
 パパにママが愛されたからこそお前がいる、とお腹の中にいた頃から共有してきたメッセージを、今更塗り変えることなんてできやしないのに、僕は――

「maという音はとても素敵な響きだわ。アカチャンが一番発音しやすいのがma、ニホンゴでも、マンマもママも赤ちゃんにとって命の源の言葉よね。使わないのは勿体ないじゃない」

 マティルドの真っ直ぐな子どもへの眼差しが、薪の感情の捻れを自然なかたちに戻していく。まるで赤ちゃん育ての心地よい環境を整える一環みたいに。
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