☆希望という名の
ああ、僕はなんてことを――
帰りの機中で、薪は頭を抱えた。
思春期のカップルでもあるまいし、さっきまで自分たちがしていた行為は公然わいせつ罪だ。
キスだけで逝ける勢いだった。身体が蕩けて息が上がって……ジャケット越しに背中から腰を這う大きな手に、じかに触れてほしい肌がビリビリ震えて疼いた。
柱の向こうでスタッフが清掃を始めなければ、淫行はまだ続いただろう。
さらには、自分の至る所にポッドと繋ぐ小さなセンサーを仕込んでいなければ、上の部屋へとしけこみ、青木を夢中で咥え込んでいたかもしれない。
なぜこんなにも慾望に正直になってしまったのか……原因はわかってる。
愛する男との間に出来た子どもに愛情をそそぐ毎日のせいで、他者との愛情のやりとりに慣れてしまったのだ。
「おかえりマキ!留守中君のbabyはずっと上機嫌だったよ」
「うん」
「てか君も艶めいててとてもセクシーだけど、もしかしてパパに会って燃えたのかい?」
「いや……まあ、会いはしたけど」
クルトの研究室に戻ってきた薪は、気のない返事をしながら、一日ぶりのポッドをカンガルー抱っこして、しっかりと接続する。
どれだけ疲労していても、これだけは欠かせない、母子ともに互いの心身へのご褒美だ。
「ありがたいことにbabyの発育も問題ないし、もういつ取り出すことになっても、万全の体制を取ってるよ」
「ありがとう。僕も海の向こうからずっと、この子を気にかけてたんだ」
この研究室にいるクルトをはじめとしたメンバーは、いつも明るい。
だがここまで胎児が育つまでには、決して平坦な道のりじゃなかった。
特に安定期に入るまでは数々の問題が発生したが、チームも薪も不思議と互いに辛い顔を見たことがなかった。
無理をしていたわけじゃない。
青木も言っていた通り、ただ“希望”に導かれて、必然のようにここまで来た気もする。
「babyの誕生日は、いっそのこと週末に合わせてパパも呼んで、仲良く立ち会ったらどうだい?」
「いや、立ち会いは僕だけだからいつでもいい。こっちの都合じゃなく、この子の意思や胎内環境を考慮して、ベストな時期に頼む」
今の研究職はハードワークだが、時間の都合はつけやすい。新米室長が事件に振り回されている第九の現場とは比較にならないのだ。
目を閉じて胎動を心地よく受け止め会話していた薪は、ふと思った。
この子がポッドを出たら、こうして繋がることもなくなるのか、と。
これからは一体ではなく、ひとりの小さな人間として抱きしめるのだ。少しこわいような、でもやはり期待感の方が勝る。
青木と自分のDNAを受け継いだ子に、とうとう会えるのだ。
イヴァルではないが、うっとりするほど神秘的で……奇跡のような現実に、思わず身震いする。
その晩、一通り仕事の資料に目を通し終えた薪はポッドを抱いたまま自室のベッドに横たわり、ゆっくり胎児のデータを見返していた。
やはり青木といる時の自分の高揚感は、脈動や体温、ホルモンの数値に明確に表れている。同期しているポッドの胎内環境にも影響し、胎児の機嫌が終始よかったのも不思議じゃなかった。
自分が母体の役目を担うなら、やはり父親も一緒の幸せが必要なのだと改めて実感する。
でも、もし青木がこの子の存在を知ったら、どう思うだろう?
ここにきて、自分の“血は争えない”部分を直視せざるを得ない。
実子とはいえ“父親になる男の同意を得ない生命を自身に宿す”という行為に至った事実を。
当初の発端は“実験”で、上手くいく保証はなかった。が、成功して新生児がこの世に送り込まれれば、自分も青木も改めて親として命を受けることになる。
そうなれば結局、すべて確信犯だったと言われても弁解の余地はない。
自分は青木に黙って、その優しさと父性だけにこっそり甘えながら、この10ヶ月のあいだ胎児と二人で幸せを先取りしていた。
そして今は、ひとりで育てる覚悟をしながらも、青木に対する秘密を守る自信が大きく揺らいでいる。
だって、今も、別れたばかりの青木に逢いたくて仕方ない。そんな自分を慰めるために、脳内で“あの言葉”を反芻し続け、落ち着こうと必死なのだから――
“薪さん、愛してます。俺の気持ちは今もずっと変わりません”
「……っ」
ウトウトしている最中ポッドと接触する下腹が濡れているのに気づいた薪は、ベッドから上体を跳ね起こして叫んだ。
「クルトっ!」
同時に隣室でモニターしていたプロジェクトメンバーが、バラバラと駆け込んでくる。
「やはり破水が……!」
「接続を外します!」
「あっ、」
あっけなく取り外されたポッドが、数人がかりで分娩台に運ばれていくのを、薪は茫然と見送った。
「おい、マキも、立ち会いの準備を」
遅れて入ってきたクルトに、頷いて立ち上がった薪は、ふらつく足でその後を追った。
帰りの機中で、薪は頭を抱えた。
思春期のカップルでもあるまいし、さっきまで自分たちがしていた行為は公然わいせつ罪だ。
キスだけで逝ける勢いだった。身体が蕩けて息が上がって……ジャケット越しに背中から腰を這う大きな手に、じかに触れてほしい肌がビリビリ震えて疼いた。
柱の向こうでスタッフが清掃を始めなければ、淫行はまだ続いただろう。
さらには、自分の至る所にポッドと繋ぐ小さなセンサーを仕込んでいなければ、上の部屋へとしけこみ、青木を夢中で咥え込んでいたかもしれない。
なぜこんなにも慾望に正直になってしまったのか……原因はわかってる。
愛する男との間に出来た子どもに愛情をそそぐ毎日のせいで、他者との愛情のやりとりに慣れてしまったのだ。
「おかえりマキ!留守中君のbabyはずっと上機嫌だったよ」
「うん」
「てか君も艶めいててとてもセクシーだけど、もしかしてパパに会って燃えたのかい?」
「いや……まあ、会いはしたけど」
クルトの研究室に戻ってきた薪は、気のない返事をしながら、一日ぶりのポッドをカンガルー抱っこして、しっかりと接続する。
どれだけ疲労していても、これだけは欠かせない、母子ともに互いの心身へのご褒美だ。
「ありがたいことにbabyの発育も問題ないし、もういつ取り出すことになっても、万全の体制を取ってるよ」
「ありがとう。僕も海の向こうからずっと、この子を気にかけてたんだ」
この研究室にいるクルトをはじめとしたメンバーは、いつも明るい。
だがここまで胎児が育つまでには、決して平坦な道のりじゃなかった。
特に安定期に入るまでは数々の問題が発生したが、チームも薪も不思議と互いに辛い顔を見たことがなかった。
無理をしていたわけじゃない。
青木も言っていた通り、ただ“希望”に導かれて、必然のようにここまで来た気もする。
「babyの誕生日は、いっそのこと週末に合わせてパパも呼んで、仲良く立ち会ったらどうだい?」
「いや、立ち会いは僕だけだからいつでもいい。こっちの都合じゃなく、この子の意思や胎内環境を考慮して、ベストな時期に頼む」
今の研究職はハードワークだが、時間の都合はつけやすい。新米室長が事件に振り回されている第九の現場とは比較にならないのだ。
目を閉じて胎動を心地よく受け止め会話していた薪は、ふと思った。
この子がポッドを出たら、こうして繋がることもなくなるのか、と。
これからは一体ではなく、ひとりの小さな人間として抱きしめるのだ。少しこわいような、でもやはり期待感の方が勝る。
青木と自分のDNAを受け継いだ子に、とうとう会えるのだ。
イヴァルではないが、うっとりするほど神秘的で……奇跡のような現実に、思わず身震いする。
その晩、一通り仕事の資料に目を通し終えた薪はポッドを抱いたまま自室のベッドに横たわり、ゆっくり胎児のデータを見返していた。
やはり青木といる時の自分の高揚感は、脈動や体温、ホルモンの数値に明確に表れている。同期しているポッドの胎内環境にも影響し、胎児の機嫌が終始よかったのも不思議じゃなかった。
自分が母体の役目を担うなら、やはり父親も一緒の幸せが必要なのだと改めて実感する。
でも、もし青木がこの子の存在を知ったら、どう思うだろう?
ここにきて、自分の“血は争えない”部分を直視せざるを得ない。
実子とはいえ“父親になる男の同意を得ない生命を自身に宿す”という行為に至った事実を。
当初の発端は“実験”で、上手くいく保証はなかった。が、成功して新生児がこの世に送り込まれれば、自分も青木も改めて親として命を受けることになる。
そうなれば結局、すべて確信犯だったと言われても弁解の余地はない。
自分は青木に黙って、その優しさと父性だけにこっそり甘えながら、この10ヶ月のあいだ胎児と二人で幸せを先取りしていた。
そして今は、ひとりで育てる覚悟をしながらも、青木に対する秘密を守る自信が大きく揺らいでいる。
だって、今も、別れたばかりの青木に逢いたくて仕方ない。そんな自分を慰めるために、脳内で“あの言葉”を反芻し続け、落ち着こうと必死なのだから――
“薪さん、愛してます。俺の気持ちは今もずっと変わりません”
「……っ」
ウトウトしている最中ポッドと接触する下腹が濡れているのに気づいた薪は、ベッドから上体を跳ね起こして叫んだ。
「クルトっ!」
同時に隣室でモニターしていたプロジェクトメンバーが、バラバラと駆け込んでくる。
「やはり破水が……!」
「接続を外します!」
「あっ、」
あっけなく取り外されたポッドが、数人がかりで分娩台に運ばれていくのを、薪は茫然と見送った。
「おい、マキも、立ち会いの準備を」
遅れて入ってきたクルトに、頷いて立ち上がった薪は、ふらつく足でその後を追った。