☆希望という名の

「雪子さん。これは?」

 都内の老舗ホテルで開かれたゴージャスな結婚披露宴。
 乾杯の後、真っ先に近づいてきた雪子が差し出したブーケと彼女の顔を見比べて、薪は訊ねた。

「渡す相手を間違ってますよね、少なくとも僕じゃ、」

「あら、次はあなたが幸せになるのよ?もう相手もいるじゃない」

「っ、そんなのどこにも……」

「さ、記念撮影しましょ。ほら青木くんも、立って」

 慌てる薪を横目に、隣の青木の背中をつついた雪子は、二人の間に立ってそれぞれに両腕を絡める。

「さあ、撮るわよ。つよしくん笑って!一生に一度の私の記念に……」

「ま、待ってください!これじゃ俺、両手に花じゃないですか!」

 雪子に腕を取られたまま、青木がもう片方の手を振って大声を張り上げた。

「黒田さん!!こちらへお願いします!!」

 自分が両手に花というより、両手に男子なのは雪子の方なのだが。

「さあ、いらしてください!こちらでお写真を……」

 どこかの子どもと戯れていた新郎を、青木がさっさと連れてきて、はしゃぐ新婦の後方に新郎を誘導し、自分は薪のすぐ後ろに立つ。

「つよしくん、一緒に笑うのよ!ほら、チーズっ♪」

 上機嫌で薪に抱きつき頬を寄せて写真に収まった雪子が、隣の薪に苦笑混じりに囁いた。

「青木君のこういうとこよね、つよしくんを悩ませてるのは……」

「……!?」

「あなたとの間に、主役の私さえ入れたくないなんて、失礼すぎるわよ」

 雪子の目には、昔の男も今ではすっかり、親友を振り回す罪な存在にしか映らなくなっているらしい。

「ていうか、自分の独占欲の正体に気づかないなんて、つよしくんに対してもかなり無礼だわ」

「……」

 違う。あいつはもう気づいてしまってる。そうさせたのは僕だ。
 意識しなくてもよかった感情を無理矢理掘り起こして、禁断の道に踏み込ませようとしているのは、他でもない自分なのだ。

 良心の呵責と戦いながらも平静を装い、宴に笑顔で華を添える薪。
 傍らから離れない青木も、立場をわきまえていた。
 破局から二年の新婦の元彼という招かれざる客のはずなのに、新婦の親友付き添い的な立ち位置で、屈託なく場に溶け込み周囲を和ませている。

 じゃあ、あの夜のことは?
 何事もなかったことにできる?
 そうしろとこっちから何度も念押ししたくせに、実際あんなにあっけらかんと振る舞われたら、寂しくなるに違いない。

 でも、そんなふうには決してならなかった。


「薪さん!」

 帰りの便の時間を気にして、パーティー会場をそっと立ち去る薪の気配を嗅ぎ付けて、青木がまた必死で追ってくる。
 
「このあとどうされますか?よければどこかで一杯……」

「無理だ。20時45分の便でNYに戻る」

「え……」

 置き去り確定の大型犬は、落胆を隠さなかった。

「……お忙しいんですね。でもまだ17時前です。お見送りついでにコーヒーでも……」

「いや、待ち時間で所要を片付けるから、もう僕に構うな」

 何かヘンだ、と青木は勘づく。
 仕事ではこんな顔見せない。何か大切なものに気を取られているような薪の様子に、気持ちがモヤつくのだ。

「わかりました。でも一つだけ……いいですか?」

「……何だ」

「実験のこと……」

 髪の先から爪先まで全身で固まる薪。
この人の隅々やナカまで知ってしまった今、そんな姿すら愛しい。すぐにでも抱きしめたい。
 湧き起こる衝動に抗う青木と、動揺をひた隠す薪。

「もうしない。最後だ、といったはずだが」

 余程触れられたくないことなのだろう。声が震えている。が、つまりそれはまだ “何かある” ことの裏返しだという確信が逆に強まる。

「あの晩から……実は今も何かが続いているんですか?」

 薪はギクリと息を呑む。
 こいつの独特の嗅覚がたまに恐ろしい。
 ああ、本当はこんなリアクションを我が子に伝えたいわけじゃないのに。
 自分の脈動や体温、拾う外界の音を、海の向こうに託してきたポッドと同期させ伝えている。そんな状態で、この子の父親と会っているのだ。
 伝えたいのは……もっと……

「質問の意味がわからないな」

「じゃあ変えます。今のあなたに、俺が何か協力できることはありますか?」

 溢れんばかりの慈愛に満ちた切実な声が、薪の鼓膜を通じて脳裏を溶かした。
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