装填Ⅱ
「珍しく定時退社かと思えば、こんなところで寄り道か?」
“使用中”のディスプレイ表示が光る、福岡県警の射撃練習場のブース。
本人以外立ち入り禁止で、同伴できるのは教官だけ。つまり僕がいるのは一応ルールの範囲内だ。
「一時間だけですよ。自分なりに腕を鈍らせたくないので、早めに退勤できる日は練習に立ち寄るんです」
原則定員一名の空間で、背後から突然に声を掛けられた大男は、的から目を離さず銃弾を放った。
乾いた音が弾け、硝煙が濃さを増す。
「薪さんこそ今日はどうされたんですか?」
「……僕も寄り道をしただけだ。構わず続ければいい」
「はい、承知しました」
九州にわざわざ“寄り道”なんて嘘くさい話を疑うでもなく、明るい顔で振り向いた青木は僕に一礼し、すぐに姿勢を戻してリボルバーに新しい弾薬を装填する。
訓練装置に再び銃口を向ける背中は、余計な力も迷いもなく妙に様になっていた。
僕も構わず話を続ける。
「なあ、青木」
「はい」
「お前、自宅に設置したカメラをすぐにオンにしろ」
「…………」
「これは命令だぞ。お前が光を引き取るのは捜査の一環なんだ」
一瞬の間があくが、青木は構えを崩さない。
いつの間にコイツは、こんなふてぶてしい態度を覚えたのだろう。
「承知してます。ですが……」
熱のこもった真っ直ぐな返答は、方針に反するものだった。
「いくら命令でもそれはできかねます。里子を迎えるにあたり、安心できる居場所の提供は大前提なので」
人の親たる青木の、反撃の言葉は重い。
パン!
はじける音が鼓膜の震動を伝って僕を揺らし、同時に弾丸が装置に食い込んだ。
“違う!” と、心が叫んでる。
“お前は光の養父以前に舞の父だ。舞が危険な目に遭うリスクの軽減が最優先事項だろ!”
――ですが監視カメラでリスクが減ると、あなたは本当にお思いですか?
“無いよりマシだ、可能性はある”
――僅かな可能性のために、光くんの心を殺せない。わかってくださいますよね?監視に気づけば光くんは……
「うるさい!もう喋るな!」
すでに厭きるほどオンラインで繰り広げてきた不毛な論争の記憶を振り払うように僕は叫んだ。
その声に、青木が不思議そうに振り返る。
そうだ。
こいつは捜査員である以前に対象の里親なのだ。その権利の前に、監視カメラの使用命令は強制力を持たない。
光の心情も痛いほどわかった。気休めのカメラなんかより“青木の存在”だけが、浄化につながる唯一の方法だと思う。
あの少年が青木家に来たのは、無条件に愛されながら再生するためであって、魂を殺されて監視下で生かされるためではない。
わかってる。
そんなこと百も承知だが、それでは大事なものが守れないから云ってるのだ。
「相変わらずお前の綺麗ごとには反吐が出るな」
「……すみません」
舌打ちに反応して振り向いた青木と、睨みつける僕の視線がぶつかり、しばらくの沈黙が流れる。
生あるもの全てを救おうとする菩薩のような男。
その外面に僕でさえ欺かれていたらしい。
「薪さん」
「……何だ」
「スターウォーズっていう昔の映画、ご存知ですか?」
「……タイトルだけならな」
僕は苦い顔で僅かに頷く。
付き合いはじめてわかったことだが、青木は映画好きだ。それもかなり旧めの。
元ネタを知らない相手に構わず語られるその世界観に、僕は引き摺り込まれないように身構えた。
「俺がいっとき実弾を抜いていたのは、ダークサイドに片足を突っ込んでる自分自身を恐れたからなんです」
「ああ、それがどうした?」
「そんな俺の“覚悟の足りなさ”を、以前あなたは叱咤しましたよね。今回も同じじゃないでしょうか?」
「…………」
僕は答えず、無意識に握った拳だけピクリと震わせる。
「児玉を撃った時は俺、まだパダワンでした。今だってジェダイ・ナイトになれたかどうかも怪しくて……とにかく不安定なんです。つまり俺が一番見張らなきゃならないのは常に自分自身で、コントロールするのも精一杯なんです。光くんに対しても直接向き合わないと、見失って一緒にダークサイドに落ちてしまいます」
青木をそんなふうに翳らせたのは誰のせいだ?
地面を向いて細かく震える青木の銃口を見つめる僕も、どんよりと渦巻く感情に溺れそうになっていた。
これだけ噛み合わないでいて、僕らの苦悩は同じ色をしている。全く分かち合えない感情も、同じ闇に呑まれて、結局さいごは一緒くたなのだ。
「ハァ……違うだろ。スターウォーズと言えば、お前はアレだ。あの金ピカのデカいやつ」
「へっ?C3POのことですか?」
あのドロイドの背はそんなに高くないですが、とか言ってる間抜けを睨みつけて僕は言い放つ。
「僕は!その金ピカの目玉を抉り、メッキの皮膚を剥がしてそこら中に配ってやるマヌケな渡り鳥とは違う!そんなご立派な博愛精神に付き合う暇があるなら、お前の代わりにこの命とひきかえてでも“家族”だけは守るからな!それだけは覚えとけ!」
「…………!?」
青木がポカンとしてるのは、僕がジョージ・ルーカスをオスカー・ワイルドで塗り潰したせいだと最初は思った。
でも、頬を赤らめ緩みっぱなしの顔を見て、さすがの僕も気がついた。
さっきの僕の発言が、さも青木家の一員に名乗りを上げたように捉えられたのだ。
「あっ、待ってください!」
わざわざ申し開きするのも煩わしく、そのままブースを立ち去ろうとする僕を、青木の大声が制止する。
振り向くと、留守番させられそうな犬みたいに慌てて追ってきた青木が、情けない顔でこっちを見下ろしていた。
「もう帰られるんですか?一緒に出ましょう。これでラストにしますから」
「……なら残りを片付けろ」
さっき込めた弾はまだ三発しか撃ってない。
訓練であろうと乱れた心では一発たりとも引き金を引かない青木の姿勢には恐れ入る。
腕を組んでその背中を見守る僕は、感嘆をおくびにも出さずに、意地悪く揺さぶりをかける。
「光が舞に危害を加えようとすれば、お前は迷わず引き金を引けるんだな?」
「……というか、そういう状況にさせないのが俺の務めなので」
戸惑ったのは声色だけで、弾けた音と的の振動がブースの空気を立て続けに揺らした。
「薪さん、この後どうしますか?」
「決まってるだろ?職場に戻る。ゴネたって無駄だぞ。帰りの便もとってるし、向こうで岡部に迎えも頼んであるんだからな」
「ええ~っ!?」
ガックリと肩を落とす大男を振り切って、訓練所を出た僕は歩き出した。何だか回りくどくなる自分の言い種も気にいらなかった。
「薪さん駐車場はあっちですよ。何時の便ですか?せめて送らせてください」
「しつこい!もういいからお前はすぐ家に帰れ!一刻も早くあのクソガキのもとへ飛んでって、一日中機嫌でもとっとけ!悪さができないくらいアイツを骨抜きにしとくのが今のお前の役目だろッ!」
「な、何言ってるんですか!?よくわかりませんが光くんのことはともかく……岡部さんの送迎はよくて俺は駄目とか、部下差別は絶対反対ですからね。しかも羽田から第三管区より、ここから福岡空港の方がずっと近いですし」
「…………」
「…………」
顔を寄せ睨み合う僕たちは、一呼吸ごとに冷静さと羞恥を取り戻し、気まずくなって互いに目をそらす。
「……さあ、乗ってください、薪さん」
背中にそっと添えられた手に導かれ、僕は仕方なく青木の車の助手席に乗りこんだ。
今のは決して痴話喧嘩なんかじゃないぞ。
そしてこの状況は、青木への特別扱いでも何でもない。僕が後部席に座れば、こいつは運転中でも平気で後ろを向いてくるから、事故に遭う危険を回避するため……それだけだ!
“使用中”のディスプレイ表示が光る、福岡県警の射撃練習場のブース。
本人以外立ち入り禁止で、同伴できるのは教官だけ。つまり僕がいるのは一応ルールの範囲内だ。
「一時間だけですよ。自分なりに腕を鈍らせたくないので、早めに退勤できる日は練習に立ち寄るんです」
原則定員一名の空間で、背後から突然に声を掛けられた大男は、的から目を離さず銃弾を放った。
乾いた音が弾け、硝煙が濃さを増す。
「薪さんこそ今日はどうされたんですか?」
「……僕も寄り道をしただけだ。構わず続ければいい」
「はい、承知しました」
九州にわざわざ“寄り道”なんて嘘くさい話を疑うでもなく、明るい顔で振り向いた青木は僕に一礼し、すぐに姿勢を戻してリボルバーに新しい弾薬を装填する。
訓練装置に再び銃口を向ける背中は、余計な力も迷いもなく妙に様になっていた。
僕も構わず話を続ける。
「なあ、青木」
「はい」
「お前、自宅に設置したカメラをすぐにオンにしろ」
「…………」
「これは命令だぞ。お前が光を引き取るのは捜査の一環なんだ」
一瞬の間があくが、青木は構えを崩さない。
いつの間にコイツは、こんなふてぶてしい態度を覚えたのだろう。
「承知してます。ですが……」
熱のこもった真っ直ぐな返答は、方針に反するものだった。
「いくら命令でもそれはできかねます。里子を迎えるにあたり、安心できる居場所の提供は大前提なので」
人の親たる青木の、反撃の言葉は重い。
パン!
はじける音が鼓膜の震動を伝って僕を揺らし、同時に弾丸が装置に食い込んだ。
“違う!” と、心が叫んでる。
“お前は光の養父以前に舞の父だ。舞が危険な目に遭うリスクの軽減が最優先事項だろ!”
――ですが監視カメラでリスクが減ると、あなたは本当にお思いですか?
“無いよりマシだ、可能性はある”
――僅かな可能性のために、光くんの心を殺せない。わかってくださいますよね?監視に気づけば光くんは……
「うるさい!もう喋るな!」
すでに厭きるほどオンラインで繰り広げてきた不毛な論争の記憶を振り払うように僕は叫んだ。
その声に、青木が不思議そうに振り返る。
そうだ。
こいつは捜査員である以前に対象の里親なのだ。その権利の前に、監視カメラの使用命令は強制力を持たない。
光の心情も痛いほどわかった。気休めのカメラなんかより“青木の存在”だけが、浄化につながる唯一の方法だと思う。
あの少年が青木家に来たのは、無条件に愛されながら再生するためであって、魂を殺されて監視下で生かされるためではない。
わかってる。
そんなこと百も承知だが、それでは大事なものが守れないから云ってるのだ。
「相変わらずお前の綺麗ごとには反吐が出るな」
「……すみません」
舌打ちに反応して振り向いた青木と、睨みつける僕の視線がぶつかり、しばらくの沈黙が流れる。
生あるもの全てを救おうとする菩薩のような男。
その外面に僕でさえ欺かれていたらしい。
「薪さん」
「……何だ」
「スターウォーズっていう昔の映画、ご存知ですか?」
「……タイトルだけならな」
僕は苦い顔で僅かに頷く。
付き合いはじめてわかったことだが、青木は映画好きだ。それもかなり旧めの。
元ネタを知らない相手に構わず語られるその世界観に、僕は引き摺り込まれないように身構えた。
「俺がいっとき実弾を抜いていたのは、ダークサイドに片足を突っ込んでる自分自身を恐れたからなんです」
「ああ、それがどうした?」
「そんな俺の“覚悟の足りなさ”を、以前あなたは叱咤しましたよね。今回も同じじゃないでしょうか?」
「…………」
僕は答えず、無意識に握った拳だけピクリと震わせる。
「児玉を撃った時は俺、まだパダワンでした。今だってジェダイ・ナイトになれたかどうかも怪しくて……とにかく不安定なんです。つまり俺が一番見張らなきゃならないのは常に自分自身で、コントロールするのも精一杯なんです。光くんに対しても直接向き合わないと、見失って一緒にダークサイドに落ちてしまいます」
青木をそんなふうに翳らせたのは誰のせいだ?
地面を向いて細かく震える青木の銃口を見つめる僕も、どんよりと渦巻く感情に溺れそうになっていた。
これだけ噛み合わないでいて、僕らの苦悩は同じ色をしている。全く分かち合えない感情も、同じ闇に呑まれて、結局さいごは一緒くたなのだ。
「ハァ……違うだろ。スターウォーズと言えば、お前はアレだ。あの金ピカのデカいやつ」
「へっ?C3POのことですか?」
あのドロイドの背はそんなに高くないですが、とか言ってる間抜けを睨みつけて僕は言い放つ。
「僕は!その金ピカの目玉を抉り、メッキの皮膚を剥がしてそこら中に配ってやるマヌケな渡り鳥とは違う!そんなご立派な博愛精神に付き合う暇があるなら、お前の代わりにこの命とひきかえてでも“家族”だけは守るからな!それだけは覚えとけ!」
「…………!?」
青木がポカンとしてるのは、僕がジョージ・ルーカスをオスカー・ワイルドで塗り潰したせいだと最初は思った。
でも、頬を赤らめ緩みっぱなしの顔を見て、さすがの僕も気がついた。
さっきの僕の発言が、さも青木家の一員に名乗りを上げたように捉えられたのだ。
「あっ、待ってください!」
わざわざ申し開きするのも煩わしく、そのままブースを立ち去ろうとする僕を、青木の大声が制止する。
振り向くと、留守番させられそうな犬みたいに慌てて追ってきた青木が、情けない顔でこっちを見下ろしていた。
「もう帰られるんですか?一緒に出ましょう。これでラストにしますから」
「……なら残りを片付けろ」
さっき込めた弾はまだ三発しか撃ってない。
訓練であろうと乱れた心では一発たりとも引き金を引かない青木の姿勢には恐れ入る。
腕を組んでその背中を見守る僕は、感嘆をおくびにも出さずに、意地悪く揺さぶりをかける。
「光が舞に危害を加えようとすれば、お前は迷わず引き金を引けるんだな?」
「……というか、そういう状況にさせないのが俺の務めなので」
戸惑ったのは声色だけで、弾けた音と的の振動がブースの空気を立て続けに揺らした。
「薪さん、この後どうしますか?」
「決まってるだろ?職場に戻る。ゴネたって無駄だぞ。帰りの便もとってるし、向こうで岡部に迎えも頼んであるんだからな」
「ええ~っ!?」
ガックリと肩を落とす大男を振り切って、訓練所を出た僕は歩き出した。何だか回りくどくなる自分の言い種も気にいらなかった。
「薪さん駐車場はあっちですよ。何時の便ですか?せめて送らせてください」
「しつこい!もういいからお前はすぐ家に帰れ!一刻も早くあのクソガキのもとへ飛んでって、一日中機嫌でもとっとけ!悪さができないくらいアイツを骨抜きにしとくのが今のお前の役目だろッ!」
「な、何言ってるんですか!?よくわかりませんが光くんのことはともかく……岡部さんの送迎はよくて俺は駄目とか、部下差別は絶対反対ですからね。しかも羽田から第三管区より、ここから福岡空港の方がずっと近いですし」
「…………」
「…………」
顔を寄せ睨み合う僕たちは、一呼吸ごとに冷静さと羞恥を取り戻し、気まずくなって互いに目をそらす。
「……さあ、乗ってください、薪さん」
背中にそっと添えられた手に導かれ、僕は仕方なく青木の車の助手席に乗りこんだ。
今のは決して痴話喧嘩なんかじゃないぞ。
そしてこの状況は、青木への特別扱いでも何でもない。僕が後部席に座れば、こいつは運転中でも平気で後ろを向いてくるから、事故に遭う危険を回避するため……それだけだ!