2067 青誕 おうちデート
薪と一線を越えて以来続く、約束のない関係。
普段合わせる顔は相変わらず上司と部下だ。
薪の募らせる熱がその隙間から零れ落ちた瞬間だけ、身体を結びあう。
片や青木はいつも、抱き合った翌朝から“次はいつまた堕ちてきてくれるのだろう”と切ない欲望を燻らせていた。
前に逢ってからもう2ヶ月近く、薪とは上司と部下のやりとりしかない。
「青木」
誰もいない会議室のモニターに薪が呼びかける。
さっきまで第九の8拠点を繋いで白熱していた画面に、今映っているのは青木だけだ。
自席で参加したWeb会議から退室し忘れたまま、自分の仕事に集中し浸りきっているこの状況は………ある意味、青木の確信犯だった。
薪も薪で強制終了したっていいのに、画面の中で仕事にいそしむ青木を視界に入れながら仕事を続けていた。
一風変わっているが、これでも二人はつかの間の“水入らず”を愉しんでいたのだ。
「お前の来月の予定だが――」
「はい、何でしょう?」
画面には見えてない大きな手がキーボードの上でピタリと止まるのが、薪の瞼の裏に浮かぶ。
この男はどんな余所事に心奪われていたとしても、自分の声を一言だって聞き漏らさないことも知っていた。
「一週目の金曜は、有給休暇を承認しといたからな」
「承認?て、来月……12月、ですよね?」
青木は慌てた様子でスケジューラを立ち上げる。
「あ……れ?俺、何か申請しましたっけ?」
PTA?授業参観?……と、思いつく用事を次々と頭に巡らせながら……日にちを見た青木はハッとした。
“あ………誕生日!俺の誕生日だ”
「誕生日くらい休め。一日何もせずにな」
「それは嬉しいですが……薪さんの予定も同じ日に空けてくださる、ってことでいいんですか?」
「えっ、」
不意うちに面食らう薪。画面越しには姿勢を正した青木が真顔でこっちをじっと見据えている。
「僕は……そんなに急には……」
「俺だけが一人で休んでも意味がないので、そこは必須でお願いします」
「っ………意味ないことはないだろ」
「中途半端はいけませんよ、薪さん」
時折青木の幸せの傍観者になろうとする薪を、青木は頑なに許さなかった。
「俺の誕生日に休暇をくださるなら、前日の一晩と当日、あなたの時間も俺にください。難しければ休暇はその条件でとれる別の日で……」
面倒臭い奴だ。と眉をひそめながらも、普段は従順な青木が見せる毅然とした態度に、薪の胸がキュンとしたのも事実で。
「わかった………考えておく。それで前の晩は僕の家に泊まりたいということだな」
「ハイッ!ありがとうございます!それと……」
こういう時の青木の詰めは完璧だ。
「確か次に泊めていただく際には、食事もさせていただけるんでしたよね?」
「………ああ、だが僕は料理は………」
「大丈夫です。俺に任せてください」
青木は目を輝かせて薪の“住所”を聞いてくる。ということはつまり……
「おい、何を送るつもりかしらないが、うちで料理は出来ないぞ、器具も調味料も何もそろってないし……」
「本当に何もですか?十年以上もお住まいなのに?」
「ああ、ほぼ何もないな」
「え~そうなんですか。じゃあまず手始めには…」
とりつく島もなかった薪の態度も、次第に青木の屈託のなさに丸め込まれていく。惚れた弱みなのかもしれないが、それはまだ認めたくはない。
それから数日後、青木から荷物が届いた。
コンロと土鍋、お玉と菜箸。包丁とまな板、そして天然真昆布……紐解く薪の口元が自然と綻んでいく。
一夜のパーティー用ではなく、青木が選び抜いたであろうこだわりの品を一つ一つ眺めながら丁寧に取り出すと、さいごに土鍋の箱からひらひらとメモが落ちる。
“薪さんへ 土鍋は目止めをお願いします。初めに一度水洗いして乾かしてから、多めの水でおかゆを炊けば大丈夫です。わからないことがあれば連絡くださいね。 青木”
段ボールの底を覗いて、米の小袋と鍋を洗うスポンジまで入ってるのを見つけた薪は、今度は本当に笑ってしまった。
“実家の母”なるものが自分に在ったなら、こういう感じなのだろうか……そんな擽ったさを、一回りも歳下の部下から感じるなんて、なんとも滑稽な話なのだが。
普段合わせる顔は相変わらず上司と部下だ。
薪の募らせる熱がその隙間から零れ落ちた瞬間だけ、身体を結びあう。
片や青木はいつも、抱き合った翌朝から“次はいつまた堕ちてきてくれるのだろう”と切ない欲望を燻らせていた。
前に逢ってからもう2ヶ月近く、薪とは上司と部下のやりとりしかない。
「青木」
誰もいない会議室のモニターに薪が呼びかける。
さっきまで第九の8拠点を繋いで白熱していた画面に、今映っているのは青木だけだ。
自席で参加したWeb会議から退室し忘れたまま、自分の仕事に集中し浸りきっているこの状況は………ある意味、青木の確信犯だった。
薪も薪で強制終了したっていいのに、画面の中で仕事にいそしむ青木を視界に入れながら仕事を続けていた。
一風変わっているが、これでも二人はつかの間の“水入らず”を愉しんでいたのだ。
「お前の来月の予定だが――」
「はい、何でしょう?」
画面には見えてない大きな手がキーボードの上でピタリと止まるのが、薪の瞼の裏に浮かぶ。
この男はどんな余所事に心奪われていたとしても、自分の声を一言だって聞き漏らさないことも知っていた。
「一週目の金曜は、有給休暇を承認しといたからな」
「承認?て、来月……12月、ですよね?」
青木は慌てた様子でスケジューラを立ち上げる。
「あ……れ?俺、何か申請しましたっけ?」
PTA?授業参観?……と、思いつく用事を次々と頭に巡らせながら……日にちを見た青木はハッとした。
“あ………誕生日!俺の誕生日だ”
「誕生日くらい休め。一日何もせずにな」
「それは嬉しいですが……薪さんの予定も同じ日に空けてくださる、ってことでいいんですか?」
「えっ、」
不意うちに面食らう薪。画面越しには姿勢を正した青木が真顔でこっちをじっと見据えている。
「僕は……そんなに急には……」
「俺だけが一人で休んでも意味がないので、そこは必須でお願いします」
「っ………意味ないことはないだろ」
「中途半端はいけませんよ、薪さん」
時折青木の幸せの傍観者になろうとする薪を、青木は頑なに許さなかった。
「俺の誕生日に休暇をくださるなら、前日の一晩と当日、あなたの時間も俺にください。難しければ休暇はその条件でとれる別の日で……」
面倒臭い奴だ。と眉をひそめながらも、普段は従順な青木が見せる毅然とした態度に、薪の胸がキュンとしたのも事実で。
「わかった………考えておく。それで前の晩は僕の家に泊まりたいということだな」
「ハイッ!ありがとうございます!それと……」
こういう時の青木の詰めは完璧だ。
「確か次に泊めていただく際には、食事もさせていただけるんでしたよね?」
「………ああ、だが僕は料理は………」
「大丈夫です。俺に任せてください」
青木は目を輝かせて薪の“住所”を聞いてくる。ということはつまり……
「おい、何を送るつもりかしらないが、うちで料理は出来ないぞ、器具も調味料も何もそろってないし……」
「本当に何もですか?十年以上もお住まいなのに?」
「ああ、ほぼ何もないな」
「え~そうなんですか。じゃあまず手始めには…」
とりつく島もなかった薪の態度も、次第に青木の屈託のなさに丸め込まれていく。惚れた弱みなのかもしれないが、それはまだ認めたくはない。
それから数日後、青木から荷物が届いた。
コンロと土鍋、お玉と菜箸。包丁とまな板、そして天然真昆布……紐解く薪の口元が自然と綻んでいく。
一夜のパーティー用ではなく、青木が選び抜いたであろうこだわりの品を一つ一つ眺めながら丁寧に取り出すと、さいごに土鍋の箱からひらひらとメモが落ちる。
“薪さんへ 土鍋は目止めをお願いします。初めに一度水洗いして乾かしてから、多めの水でおかゆを炊けば大丈夫です。わからないことがあれば連絡くださいね。 青木”
段ボールの底を覗いて、米の小袋と鍋を洗うスポンジまで入ってるのを見つけた薪は、今度は本当に笑ってしまった。
“実家の母”なるものが自分に在ったなら、こういう感じなのだろうか……そんな擽ったさを、一回りも歳下の部下から感じるなんて、なんとも滑稽な話なのだが。