2064 Caribbean wedding
“室長不在ノ第八管区ヲ死守セヨ”
この春全国展開が始動した第九組織下には、管区を越えて息の合った連携体制がある。それは室長の一人や二人、短期間抜けたところで揺るぎ無いものだ。
だが7月に入り、第八管区室長がカリブ旅行に発った週の半ばから末にかけて、残された管区の室長陣は異様にピリピリしていた。青木が不在なだけでなく、その先には薪もいて状況が筒抜けになるからだ。
青木家の小さな舞とおバアちゃんは、倉辻の長男一家の世話になっている。
家でも職場でも大黒柱を務める弱冠25歳の末っ子室長は、心強い協力者たちの支援を受けつつ、福岡からはるばる20時間の旅を経て、メキシコ時間の早朝6時、ようやくカリブの楽園・カンクンに辿り着いたのだった。
階上の大きな窓からきらきらと光が射し込む、リゾートホテルの吹き抜けの広いロビー。
朝早すぎて人影のない開放的空間で、フロントにふらふらと直行してチェックインする大男と、その一帯を見渡すソファーで英字新聞の影から長い睫毛を瞬かせている性別不明の美人は、すぐさま互いの存在に惹かれるように目を合わせた。
「あ……れ?薪さ、ん?」
「……フッ、ひどい顔だな」
「あっ、そうですよね、お見苦しいところを……すみません」
仕事帰りそのままの格好の青木は、学生時代から愛用しているスーツケースを片手に、長時間の移動で生やした無精髭もそのままでヨレッと引きつった笑顔をつくる。
いやまじか。早朝だしこの姿を誰にも見られずチェックインしようとした矢先、よりによってこの人と一番に遭遇するなんて……てかなんでこんなところにいるんだ??
「仕事や家は?大丈夫だったのか」
「あ、はい。おかげさまで、ちゃんと皆に任せてこれました。普段は舞も自分も毎日成長期真っ只中って感じでバタバタなんですが……」
「クスッ、成長?その割にはくたびれてるな。せめて姿勢くらい正せ」
言われるまでもない。
久しぶりに見る薪の美しいオーラに圧倒されて、青木の背筋は自然にしゃんと伸びている。
「あなたは?いつこちらへ?」
「昨晩からだ。快適だったぞ」
薪は深呼吸とともに呟いて、気持ちよさそうに海の見えるロビー視線を泳がせた。
「そうですか。ゆっくりできたのならよかったですね」
NYからここまでと福岡からじゃ、かかる時間は六倍だ。移動も少なく前泊もしてすっかりくつろいだ薪の小さな笑みにつられて、青木も思わず微笑んだ。
ギリギリまで仕事や家のことを気にかけつつ飛び出してきてからの13000㎞。でも長距離移動で蓄積した疲労さえ、この人と向きあうだけで一気に癒えていく気がする。
「お前も部屋で少し休むといい」
「……そうですね。少しだけ寝ます」
「ああ、ご苦労様」
限られた時間の仮眠は得意だ。それをよく知る二人は頷きあって、青木が薪の部屋とは別方向へ足を向ける。が、すぐに振り返って歩きだしている薪を呼び止めた。
「あ、薪さん!」
呼ばれた薪の足がぴたりと止まる。
「式は11時なので、10時30分にはお部屋に伺いますね」
「??はあ?何でお前が僕の部屋に」
「雪子先生から部屋番号を伺いました」
――違う、そうじゃなく、何故?
早鐘を打つ胸を押さえて振り返る薪に、青木はやけにキリッとした真顔で答えを寄越した。
「当然ですよ。上司をエスコートするのが部下の役目ですから!」
呆れた薪は青木に背を向け、力の抜けた早足でその場を立ち去る。
どうせ焼け石に水の捨て台詞を残して。
「お前馬鹿なのか。僕はもう上司じゃない。迎えになんか来るんじゃないぞ!」
この春全国展開が始動した第九組織下には、管区を越えて息の合った連携体制がある。それは室長の一人や二人、短期間抜けたところで揺るぎ無いものだ。
だが7月に入り、第八管区室長がカリブ旅行に発った週の半ばから末にかけて、残された管区の室長陣は異様にピリピリしていた。青木が不在なだけでなく、その先には薪もいて状況が筒抜けになるからだ。
青木家の小さな舞とおバアちゃんは、倉辻の長男一家の世話になっている。
家でも職場でも大黒柱を務める弱冠25歳の末っ子室長は、心強い協力者たちの支援を受けつつ、福岡からはるばる20時間の旅を経て、メキシコ時間の早朝6時、ようやくカリブの楽園・カンクンに辿り着いたのだった。
階上の大きな窓からきらきらと光が射し込む、リゾートホテルの吹き抜けの広いロビー。
朝早すぎて人影のない開放的空間で、フロントにふらふらと直行してチェックインする大男と、その一帯を見渡すソファーで英字新聞の影から長い睫毛を瞬かせている性別不明の美人は、すぐさま互いの存在に惹かれるように目を合わせた。
「あ……れ?薪さ、ん?」
「……フッ、ひどい顔だな」
「あっ、そうですよね、お見苦しいところを……すみません」
仕事帰りそのままの格好の青木は、学生時代から愛用しているスーツケースを片手に、長時間の移動で生やした無精髭もそのままでヨレッと引きつった笑顔をつくる。
いやまじか。早朝だしこの姿を誰にも見られずチェックインしようとした矢先、よりによってこの人と一番に遭遇するなんて……てかなんでこんなところにいるんだ??
「仕事や家は?大丈夫だったのか」
「あ、はい。おかげさまで、ちゃんと皆に任せてこれました。普段は舞も自分も毎日成長期真っ只中って感じでバタバタなんですが……」
「クスッ、成長?その割にはくたびれてるな。せめて姿勢くらい正せ」
言われるまでもない。
久しぶりに見る薪の美しいオーラに圧倒されて、青木の背筋は自然にしゃんと伸びている。
「あなたは?いつこちらへ?」
「昨晩からだ。快適だったぞ」
薪は深呼吸とともに呟いて、気持ちよさそうに海の見えるロビー視線を泳がせた。
「そうですか。ゆっくりできたのならよかったですね」
NYからここまでと福岡からじゃ、かかる時間は六倍だ。移動も少なく前泊もしてすっかりくつろいだ薪の小さな笑みにつられて、青木も思わず微笑んだ。
ギリギリまで仕事や家のことを気にかけつつ飛び出してきてからの13000㎞。でも長距離移動で蓄積した疲労さえ、この人と向きあうだけで一気に癒えていく気がする。
「お前も部屋で少し休むといい」
「……そうですね。少しだけ寝ます」
「ああ、ご苦労様」
限られた時間の仮眠は得意だ。それをよく知る二人は頷きあって、青木が薪の部屋とは別方向へ足を向ける。が、すぐに振り返って歩きだしている薪を呼び止めた。
「あ、薪さん!」
呼ばれた薪の足がぴたりと止まる。
「式は11時なので、10時30分にはお部屋に伺いますね」
「??はあ?何でお前が僕の部屋に」
「雪子先生から部屋番号を伺いました」
――違う、そうじゃなく、何故?
早鐘を打つ胸を押さえて振り返る薪に、青木はやけにキリッとした真顔で答えを寄越した。
「当然ですよ。上司をエスコートするのが部下の役目ですから!」
呆れた薪は青木に背を向け、力の抜けた早足でその場を立ち去る。
どうせ焼け石に水の捨て台詞を残して。
「お前馬鹿なのか。僕はもう上司じゃない。迎えになんか来るんじゃないぞ!」