episode3 R18
光が一時退院したのは、その翌日の日曜日、晴れた爽やかな午後だった。
突然バリアフリーに生まれ変わった離れと母屋の玄関の間に佇み「いつのまに…」と首を傾げている光の傍らで「和歌子の中学の同級生が工務店をしていてね、年寄りが転ばないようにつけてくれたのよ」とおバアちゃんがにこやかに教えてくれた。
けどこれは、どう考えても車椅子の併用が必要になった僕のためだろう……と察しつつ、光は皆と一緒に母屋に上がる。
「おやつを食べるから、手を洗っておいで」
行ちゃんに言われる前から、舞と光は洗面台で並んで手を洗っている。ふと鏡越しに、洗いたてのシーツの山が光の目をひいた。
「あのおまわりさん、しばらくいたんだ」
「え?おまわりさん、ってマキちゃんのこと?」
ぼそりと呟く光の言葉で、何か素敵なものを思い出したように、舞の顔がぱぁっと輝いた。
「そう、昨日までマキちゃんいたんだよ!それでね、一緒にフレンチトースト練習したの。こんど光くんに作ってあげるね」
「ああ、うん、ありがとう」
帰り道に買ってきたドーナツを食卓で頬張りながら、舞があまりに熱心にフレンチトーストの話をするから、相槌をうってるうちに今どっちを食べてるのかさえわからなくなってくるのだけど、みんなで食べるおやつはとにかくとても美味しい。
青木の飲んでるブラック珈琲のいい匂いと、それを甘く包み込むミルクがたっぷりのオ・レを光が、温めたミルクだけのを舞が飲む。そしておバアちゃんは自分で淹れたお茶でDポップをつまんでいる平和な食卓。
リフォームとスイーツ。二つの全く違う話題がなぜかいい具合に調和して心地よく飛び交うなか “お父さんの書斎を鍵付きにしてマキさんの仕事部屋にしようか”という話を愉しげにしている母と息子の会話を聞いて、光の胸が痛んだ。
この家へ踏み込むといたるところから滲み出る一家の薪への愛情。内側がドス黒く腐ってバクハツしそうな奴でもあんなに愛されていいなら、僕だってここで可愛がられてもバチはあたらないぞ、と幼い対抗心も沸いてくる。
『―――ってことなんだけど、ディンダル様はどう思う?』
「もうやめろって、その名前は」
退院を知らせるトークを拾ってすぐさまかかってきたミミとのLINE通話。
上の空で耳を貸していた光は、呼ばれた名前に即座に拒否反応を示す。
『あ、ごめん。で、話聞いてた?惇くんが言ってたの。大人は思ったよりチョロい生き物だって。敵に回すより操れば意外と使えるって……』
「うん、それは確かにそうだ」
『え?ディ……光くんもそう思うの?』
「思うよ。本当に…………大人は騙しやすい」
香椎三日月小学校事件の後すぐに、光はLINEの悪戯 グループを削除した。
つばき園の子どもたちを操り数々の“事件”を指示する手段を自ら消滅させたのだ。
次なるゲームのターゲットは“自分の幸せ”だと伝えた。それは生半可じゃない。その場限りの悪戯より、掴むための工夫や労力が半端なく必要で、道のりも長くて、だからこそ退屈しない のだと。
『まぁたしかに私たちの面倒見てくれる大人って、もともと優しい人多いよね。舞ちゃんのパパ、ってか叔父さんだって、すごいよねえ。ホントは独身なのに舞ちゃんと光くんまで……』
「独身じゃないよ、あの人。内縁のパートナーがちゃっかりいるんだもん」
『……え?ないえん、って何?』
光はため息をついて「ごめん、どうでもいいから忘れて」と通話をオフした。
本当に大人はチョロい。あの人も例外じゃない。だってもうすでに、騙されて取り込まれているのだ、あの怪物に。
突然バリアフリーに生まれ変わった離れと母屋の玄関の間に佇み「いつのまに…」と首を傾げている光の傍らで「和歌子の中学の同級生が工務店をしていてね、年寄りが転ばないようにつけてくれたのよ」とおバアちゃんがにこやかに教えてくれた。
けどこれは、どう考えても車椅子の併用が必要になった僕のためだろう……と察しつつ、光は皆と一緒に母屋に上がる。
「おやつを食べるから、手を洗っておいで」
行ちゃんに言われる前から、舞と光は洗面台で並んで手を洗っている。ふと鏡越しに、洗いたてのシーツの山が光の目をひいた。
「あのおまわりさん、しばらくいたんだ」
「え?おまわりさん、ってマキちゃんのこと?」
ぼそりと呟く光の言葉で、何か素敵なものを思い出したように、舞の顔がぱぁっと輝いた。
「そう、昨日までマキちゃんいたんだよ!それでね、一緒にフレンチトースト練習したの。こんど光くんに作ってあげるね」
「ああ、うん、ありがとう」
帰り道に買ってきたドーナツを食卓で頬張りながら、舞があまりに熱心にフレンチトーストの話をするから、相槌をうってるうちに今どっちを食べてるのかさえわからなくなってくるのだけど、みんなで食べるおやつはとにかくとても美味しい。
青木の飲んでるブラック珈琲のいい匂いと、それを甘く包み込むミルクがたっぷりのオ・レを光が、温めたミルクだけのを舞が飲む。そしておバアちゃんは自分で淹れたお茶でDポップをつまんでいる平和な食卓。
リフォームとスイーツ。二つの全く違う話題がなぜかいい具合に調和して心地よく飛び交うなか “お父さんの書斎を鍵付きにしてマキさんの仕事部屋にしようか”という話を愉しげにしている母と息子の会話を聞いて、光の胸が痛んだ。
この家へ踏み込むといたるところから滲み出る一家の薪への愛情。内側がドス黒く腐ってバクハツしそうな奴でもあんなに愛されていいなら、僕だってここで可愛がられてもバチはあたらないぞ、と幼い対抗心も沸いてくる。
『―――ってことなんだけど、ディンダル様はどう思う?』
「もうやめろって、その名前は」
退院を知らせるトークを拾ってすぐさまかかってきたミミとのLINE通話。
上の空で耳を貸していた光は、呼ばれた名前に即座に拒否反応を示す。
『あ、ごめん。で、話聞いてた?惇くんが言ってたの。大人は思ったよりチョロい生き物だって。敵に回すより操れば意外と使えるって……』
「うん、それは確かにそうだ」
『え?ディ……光くんもそう思うの?』
「思うよ。本当に…………大人は騙しやすい」
香椎三日月小学校事件の後すぐに、光はLINEの
つばき園の子どもたちを操り数々の“事件”を指示する手段を自ら消滅させたのだ。
次なるゲームのターゲットは“自分の幸せ”だと伝えた。それは生半可じゃない。その場限りの悪戯より、掴むための工夫や労力が半端なく必要で、道のりも長くて、だからこそ
『まぁたしかに私たちの面倒見てくれる大人って、もともと優しい人多いよね。舞ちゃんのパパ、ってか叔父さんだって、すごいよねえ。ホントは独身なのに舞ちゃんと光くんまで……』
「独身じゃないよ、あの人。内縁のパートナーがちゃっかりいるんだもん」
『……え?ないえん、って何?』
光はため息をついて「ごめん、どうでもいいから忘れて」と通話をオフした。
本当に大人はチョロい。あの人も例外じゃない。だってもうすでに、騙されて取り込まれているのだ、あの怪物に。