episode1
「舞……まいっ!」
血だらけの腕から舞をもぎとった薪は、だらりと崩れる神原の体を頸部を支えながら地面に横たえる。
「マキちゃん、マキちゃん!」
「…………舞!よかった」
舞と固く抱き合う感触で、ようやく自分の五感が戻ってるのに気づく。拐われたと聞いた瞬間から凍りついていたのだ。喪うことへの恐怖のせいで。
「僕らはいい、彼女を運べ!神原翔子36歳、頸部前方からワイヤーによる切創がある。発生はおおよそ150秒前だ」
救急隊員がバラバラと近づく足音に、薪は舞を抱き上げながら言付けた。
「あの、すみません。あなたは……」
その場を離れる薪を追ってきた警官が、毛布を広げながら訊く。
「科警研の薪だ」
受け取った毛布に舞を包んだ薪は、コンクリの校舎外階段によろめくように腰をおろした。その肩にさっきの警官の上衣が「どうぞ」と掛けられる。
とにかく終わったのだ。
消防隊による消火活動を見上げていた薪は肩で息をついて、腕の中で眠る舞を見つめた。大事なひとを守るためなら自分の命を投げ出してもよかった。それは死を欲していたいつぞやの感覚とは全く違うものだ。生きる愛しさのために燃え尽きるという終わりを意識したのは、今日が初めてのことだった。
「お前も……いつまでそこに突っ立ってるんだ?」
同じ毛布を頭から被り校舎の傍らに一人立ち尽くす少年に、薪は俯いたまま低い声で呼びかける。
「…………」
発した声がその少年の耳には届いてないことを、薪は何となく察していた。
きっとあいつも僕と同じにひたすら待っているのだ、と。じき飛んでくるあの男を―――
「薪さん!舞!」
10秒とたたないうちに耳に飛び込んできたその声に、薪の緊迫した意識がはらりとほどける。と同時に舞ごとすっぽりと腕のなかに包まれて、痛いほど強く抱かれながら、その温もりにすべてを委ねて目を瞑る。
一方の須田光の目は愕然と見開かれたままだった。
わからない。自分の横を抜けていった青木が抱きしめたのが、舞ならまだしも、なぜ薪なのか?
子どもの無事を自分の目で確かめもせずに、なぜ薪を必死で掴まえるのか?
舞が自分の子じゃないから? 違う。薪を通して舞の無事を確信し、そのまま舞ごと薪を絶対に離したくないからだ。
「薪さん……あなたって人はもう……グスン」
“生きた心地がしませんでしたよぅ”と青木のむせぶ声が、光の脳裏から遠のいていく。
夜の暗い視界が薄れ、声も出ず、頭がふらついた光はガクリと校庭に膝をついた。
「おっと、大丈夫かい?君は須田光くんだね、ちょっと一緒に来てくれるかな」
知らない男の声とともに肩を支えられ、光はどうにか立ちあがる。霞んで歪む視界が二人組で刑事の風貌を捉えるが、血の気がひいた頭では反応を返す力がない。
「あ、ちょっ、と待ってください!」
光の薄らぐ意識が青木の声だけを明確に捉えた。二人から離れこっちへ近づいてくるのが気配でも読み取れる。
“ああ、青木さん”
心配げな青木の顔を想像した光は胸を震わせながら片目を開いてその姿に縋った。
「聴取には応じます。でも先にこの子を病院に連れて行かせてください」
「…………失礼ですが、あなたは?」
「保護者、というか父親です。そして警察です、逃げも隠れもしませんので」
手帳を見て刑事たちが態度を変える。強く引き寄せられた青木の腕の中で、凍りついてた光の瞼が涙で熱を帯びていた。
「おい、青木!」
目の前の警視の名を呼び捨てしながら現れた年齢性別不詳の美人に、刑事たちはギョッと固まる。
「事情は現場にいた僕も話せる。とにかくお前は二人を連れて病院へ急げ」
「はい!」
光と舞を抱きかかえ、青木は既に走り出している。
「あの重要参考人の少年は心臓に重い持病がある。さっきの顔色もかなり悪かった。僕なら万一に備え誰か随行させるが、な」
二人組の刑事の上司の方に顔を近づけて呟いた薪の大きな独り言を拾った若手刑事が、青木を追ってすっ飛んでいった。
おかげで青木と二人の子どもたちは、パトカーで病院に護送されることと相成ったのだ。
血だらけの腕から舞をもぎとった薪は、だらりと崩れる神原の体を頸部を支えながら地面に横たえる。
「マキちゃん、マキちゃん!」
「…………舞!よかった」
舞と固く抱き合う感触で、ようやく自分の五感が戻ってるのに気づく。拐われたと聞いた瞬間から凍りついていたのだ。喪うことへの恐怖のせいで。
「僕らはいい、彼女を運べ!神原翔子36歳、頸部前方からワイヤーによる切創がある。発生はおおよそ150秒前だ」
救急隊員がバラバラと近づく足音に、薪は舞を抱き上げながら言付けた。
「あの、すみません。あなたは……」
その場を離れる薪を追ってきた警官が、毛布を広げながら訊く。
「科警研の薪だ」
受け取った毛布に舞を包んだ薪は、コンクリの校舎外階段によろめくように腰をおろした。その肩にさっきの警官の上衣が「どうぞ」と掛けられる。
とにかく終わったのだ。
消防隊による消火活動を見上げていた薪は肩で息をついて、腕の中で眠る舞を見つめた。大事なひとを守るためなら自分の命を投げ出してもよかった。それは死を欲していたいつぞやの感覚とは全く違うものだ。生きる愛しさのために燃え尽きるという終わりを意識したのは、今日が初めてのことだった。
「お前も……いつまでそこに突っ立ってるんだ?」
同じ毛布を頭から被り校舎の傍らに一人立ち尽くす少年に、薪は俯いたまま低い声で呼びかける。
「…………」
発した声がその少年の耳には届いてないことを、薪は何となく察していた。
きっとあいつも僕と同じにひたすら待っているのだ、と。じき飛んでくるあの男を―――
「薪さん!舞!」
10秒とたたないうちに耳に飛び込んできたその声に、薪の緊迫した意識がはらりとほどける。と同時に舞ごとすっぽりと腕のなかに包まれて、痛いほど強く抱かれながら、その温もりにすべてを委ねて目を瞑る。
一方の須田光の目は愕然と見開かれたままだった。
わからない。自分の横を抜けていった青木が抱きしめたのが、舞ならまだしも、なぜ薪なのか?
子どもの無事を自分の目で確かめもせずに、なぜ薪を必死で掴まえるのか?
舞が自分の子じゃないから? 違う。薪を通して舞の無事を確信し、そのまま舞ごと薪を絶対に離したくないからだ。
「薪さん……あなたって人はもう……グスン」
“生きた心地がしませんでしたよぅ”と青木のむせぶ声が、光の脳裏から遠のいていく。
夜の暗い視界が薄れ、声も出ず、頭がふらついた光はガクリと校庭に膝をついた。
「おっと、大丈夫かい?君は須田光くんだね、ちょっと一緒に来てくれるかな」
知らない男の声とともに肩を支えられ、光はどうにか立ちあがる。霞んで歪む視界が二人組で刑事の風貌を捉えるが、血の気がひいた頭では反応を返す力がない。
「あ、ちょっ、と待ってください!」
光の薄らぐ意識が青木の声だけを明確に捉えた。二人から離れこっちへ近づいてくるのが気配でも読み取れる。
“ああ、青木さん”
心配げな青木の顔を想像した光は胸を震わせながら片目を開いてその姿に縋った。
「聴取には応じます。でも先にこの子を病院に連れて行かせてください」
「…………失礼ですが、あなたは?」
「保護者、というか父親です。そして警察です、逃げも隠れもしませんので」
手帳を見て刑事たちが態度を変える。強く引き寄せられた青木の腕の中で、凍りついてた光の瞼が涙で熱を帯びていた。
「おい、青木!」
目の前の警視の名を呼び捨てしながら現れた年齢性別不詳の美人に、刑事たちはギョッと固まる。
「事情は現場にいた僕も話せる。とにかくお前は二人を連れて病院へ急げ」
「はい!」
光と舞を抱きかかえ、青木は既に走り出している。
「あの重要参考人の少年は心臓に重い持病がある。さっきの顔色もかなり悪かった。僕なら万一に備え誰か随行させるが、な」
二人組の刑事の上司の方に顔を近づけて呟いた薪の大きな独り言を拾った若手刑事が、青木を追ってすっ飛んでいった。
おかげで青木と二人の子どもたちは、パトカーで病院に護送されることと相成ったのだ。
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