2066 海の別荘
「あおき」
「……はい?」
「……せなか頼む」
「……えっ?」
「背中だ、ほら」
ああもう、この人の天然ツンデレには本当に参る。
捜査とはいえ男同士の愛し合い方を色々知った気まずさもあり、薪がラッシュガードを脱ぐ気配におもむろに目を逸らしたのに。
そんな青木のなけなしの理性は、投げられた日焼け止めクリームをキャッチするついでに呆気なく吹っ飛んで、真っ白な背中を食い入るように見つめてしまう。
「早くしろ。嫌なら誰か他の奴に……」
「いえっ、やりますから俺がっ!!」
大きな手が覆うように薪の背を隠した。が、ハッと引いてすぐに離れていく。そして今度はクリームのついた手のひらが、遠慮がちに背中を撫でつけ始めた。
「……あの、うつ伏せに寝そべってもらっていいですか」
薪は黙って、言われたとおりの格好になった。
慈しむようなタッチになぞられる肌の心地よさに、唇の隙間から無意識に吐息が零れ落ちるのを、隠す余裕すらなくて。
「………終わりました」
起き上がった薪と、覗きこむ青木の視線が鉢合わせて、ドキリと鼓動を跳ねあげ下を向く。
日焼けするにはまだ早過ぎるのに、互いの頬は酷く赤く火照って見えた。
「薪さ~ん、青木さんこっちですよ~♪」
プライベートビーチではすでに、スガちゃん持参のビーチボールが、砂に書いたコートの中を飛び交っている。
スルーを決め込もうとしたアラフォー男二人も、結局若手たちに絆されて参加する羽目になった。
まさに、夏の海のレクリエーション王道の光景である。
「ハァ………暑い………」
「ですね、早く汗流しましょう」
「ああ。あそこの扉から風呂場に行けるぞ」
「風呂場、ですか?」
青木の足がピタリと止まる。
「違いますよね?海に来たんですよ、薪さん」
「はあ。だから?」
キリリとした真顔で見下ろしてくる青木を、薪がこの上なくうざったそうに見上げる。
「風呂じゃなく、海で泳ぎましょう!」
「………嫌だ」
こういうときほど青木の若さが鬱陶しい時はなかった。
歳を重ねていない奴らは基本、見た目を素直に受け止める。つまり、オカン岡部が薪とスガ、波多野の三人娘を率いてるみたいなバレーチームで、薪の動きがあまりに若々しく見えたせいで、若者たちは自分たち側に薪を分類しているのだ。が、それは表面上だけの話。
薪の魂はあくまで岡部側で、向こう側の奴らみたいに、心底から輝きを放って無邪気にはしゃぐことはできない。
そんな時代はもう、とうに駆け抜けてしまったのだ。あの鈴木とともに―――
「遊びたいなら勝手にやれ。いい大人を巻き込むんじゃない」
仕方なく開放してやった納屋には、海のレジャーグッズが山ほど置いてある。
若い輩たちは目を輝かせてそれに飛びつき、めいめい手にとって、愉しげに波打ち際へと散っていく。
「数年前までは、従姉妹たちが家族でここをよく使っていたんだ」
「へぇ、そうなんスか」
ようやく静かになったパラソルの下で、薪と岡部の間で、同年代の寛いだやり取りが交わされる。
「子どもたちが大きくなると、そういう用事もなくなって……ここ最近は、持ち主になってる僕が一年に何回か風通だけしているんだ」
「あー、そういう事情があったんスね」
薪にとってはこれが 薪なりの“家族サービス” なのだろう。
少し離れて並んだ岡部も、波打ち際ではしゃぐ“ファミリー”に目を細めた。
「皮肉だな。父の代で義絶されたはずの僕が、結局家名のために薪家を継いでいる。伯父も他界して、娘たちは皆他家に嫁いだから」
「へぇ、それじゃあ薪さんの次の跡取りはどうするんですか?」
「従姉妹の息子の一人がしかるべき歳になったら、僕と養子縁組みでもするんだろうな」
「えっ、てことは、そのうちあなたに大きな息子さんが?」
「家名上の話だぞ。ろくに顔を合わせたことない伯父から継いだ名前を、またその孫に返すだけだ」
「でも家族は家族でしょう。もし本当にそうなるなら、俺も舞も楽しみにしておきますね」
「はぁあ!?青木ッ!?」
真夏に雪男でも見たような驚愕顔で、薪がビーチベッドの上で思い切りのけぞる。
「お前っ、岡部といつすり変わった!?」
「跡取りのことを訊ねたとこからです。てか気づかなかったんですか?波多野がクラゲに刺されたかもって岡部さん呼びに来て、それで俺が代わりに薪さんを頼まれて……」
「お前に世話を頼んだ覚えはないっ!!」
驚きが収まるにつれ、今度は怒りが沸いてくる。
「それに黙って聞いてれば“楽しみです”ってどういうつもりだ!?お前には何の関係も無いだろ!」
胸ぐらを掴みたいところだが、シャツを着てない相手の裸の胸板を拳で叩くしかない。
ドン―――と拳が思い切り触れた肌。その熱さに、薪は息を呑んだ。
屈強とは言えないが、程よい弾力の胸板と安定した骨格。背広越しに抱き締められるのとは一段違う生々しさに触れ、思考が乱れ気持ちが揺らぐ。
「薪さん」
「……!」
両手首を掴まれ、ビクリと震えて見上げる薪を、青木が優しく微笑み見下ろしている。
「一緒に来ませんか?」
「…………」
青木の指差す方で、U35の連中が笑顔で二人を呼んでいるのが見える。
クラゲ騒動がただの虫刺されで落ち着いた波多野も、両手を挙げて手招きをしている。
全く、困った奴らだ。
見た目の若さをあてにするなというのに。
結局、海ではしゃぐ若人らに揉みくちゃにされながら、薪の正午までの時間が過ぎていく。
「……はい?」
「……せなか頼む」
「……えっ?」
「背中だ、ほら」
ああもう、この人の天然ツンデレには本当に参る。
捜査とはいえ男同士の愛し合い方を色々知った気まずさもあり、薪がラッシュガードを脱ぐ気配におもむろに目を逸らしたのに。
そんな青木のなけなしの理性は、投げられた日焼け止めクリームをキャッチするついでに呆気なく吹っ飛んで、真っ白な背中を食い入るように見つめてしまう。
「早くしろ。嫌なら誰か他の奴に……」
「いえっ、やりますから俺がっ!!」
大きな手が覆うように薪の背を隠した。が、ハッと引いてすぐに離れていく。そして今度はクリームのついた手のひらが、遠慮がちに背中を撫でつけ始めた。
「……あの、うつ伏せに寝そべってもらっていいですか」
薪は黙って、言われたとおりの格好になった。
慈しむようなタッチになぞられる肌の心地よさに、唇の隙間から無意識に吐息が零れ落ちるのを、隠す余裕すらなくて。
「………終わりました」
起き上がった薪と、覗きこむ青木の視線が鉢合わせて、ドキリと鼓動を跳ねあげ下を向く。
日焼けするにはまだ早過ぎるのに、互いの頬は酷く赤く火照って見えた。
「薪さ~ん、青木さんこっちですよ~♪」
プライベートビーチではすでに、スガちゃん持参のビーチボールが、砂に書いたコートの中を飛び交っている。
スルーを決め込もうとしたアラフォー男二人も、結局若手たちに絆されて参加する羽目になった。
まさに、夏の海のレクリエーション王道の光景である。
「ハァ………暑い………」
「ですね、早く汗流しましょう」
「ああ。あそこの扉から風呂場に行けるぞ」
「風呂場、ですか?」
青木の足がピタリと止まる。
「違いますよね?海に来たんですよ、薪さん」
「はあ。だから?」
キリリとした真顔で見下ろしてくる青木を、薪がこの上なくうざったそうに見上げる。
「風呂じゃなく、海で泳ぎましょう!」
「………嫌だ」
こういうときほど青木の若さが鬱陶しい時はなかった。
歳を重ねていない奴らは基本、見た目を素直に受け止める。つまり、オカン岡部が薪とスガ、波多野の三人娘を率いてるみたいなバレーチームで、薪の動きがあまりに若々しく見えたせいで、若者たちは自分たち側に薪を分類しているのだ。が、それは表面上だけの話。
薪の魂はあくまで岡部側で、向こう側の奴らみたいに、心底から輝きを放って無邪気にはしゃぐことはできない。
そんな時代はもう、とうに駆け抜けてしまったのだ。あの鈴木とともに―――
「遊びたいなら勝手にやれ。いい大人を巻き込むんじゃない」
仕方なく開放してやった納屋には、海のレジャーグッズが山ほど置いてある。
若い輩たちは目を輝かせてそれに飛びつき、めいめい手にとって、愉しげに波打ち際へと散っていく。
「数年前までは、従姉妹たちが家族でここをよく使っていたんだ」
「へぇ、そうなんスか」
ようやく静かになったパラソルの下で、薪と岡部の間で、同年代の寛いだやり取りが交わされる。
「子どもたちが大きくなると、そういう用事もなくなって……ここ最近は、持ち主になってる僕が一年に何回か風通だけしているんだ」
「あー、そういう事情があったんスね」
薪にとってはこれが 薪なりの“家族サービス” なのだろう。
少し離れて並んだ岡部も、波打ち際ではしゃぐ“ファミリー”に目を細めた。
「皮肉だな。父の代で義絶されたはずの僕が、結局家名のために薪家を継いでいる。伯父も他界して、娘たちは皆他家に嫁いだから」
「へぇ、それじゃあ薪さんの次の跡取りはどうするんですか?」
「従姉妹の息子の一人がしかるべき歳になったら、僕と養子縁組みでもするんだろうな」
「えっ、てことは、そのうちあなたに大きな息子さんが?」
「家名上の話だぞ。ろくに顔を合わせたことない伯父から継いだ名前を、またその孫に返すだけだ」
「でも家族は家族でしょう。もし本当にそうなるなら、俺も舞も楽しみにしておきますね」
「はぁあ!?青木ッ!?」
真夏に雪男でも見たような驚愕顔で、薪がビーチベッドの上で思い切りのけぞる。
「お前っ、岡部といつすり変わった!?」
「跡取りのことを訊ねたとこからです。てか気づかなかったんですか?波多野がクラゲに刺されたかもって岡部さん呼びに来て、それで俺が代わりに薪さんを頼まれて……」
「お前に世話を頼んだ覚えはないっ!!」
驚きが収まるにつれ、今度は怒りが沸いてくる。
「それに黙って聞いてれば“楽しみです”ってどういうつもりだ!?お前には何の関係も無いだろ!」
胸ぐらを掴みたいところだが、シャツを着てない相手の裸の胸板を拳で叩くしかない。
ドン―――と拳が思い切り触れた肌。その熱さに、薪は息を呑んだ。
屈強とは言えないが、程よい弾力の胸板と安定した骨格。背広越しに抱き締められるのとは一段違う生々しさに触れ、思考が乱れ気持ちが揺らぐ。
「薪さん」
「……!」
両手首を掴まれ、ビクリと震えて見上げる薪を、青木が優しく微笑み見下ろしている。
「一緒に来ませんか?」
「…………」
青木の指差す方で、U35の連中が笑顔で二人を呼んでいるのが見える。
クラゲ騒動がただの虫刺されで落ち着いた波多野も、両手を挙げて手招きをしている。
全く、困った奴らだ。
見た目の若さをあてにするなというのに。
結局、海ではしゃぐ若人らに揉みくちゃにされながら、薪の正午までの時間が過ぎていく。