2066 海の別荘

「青木、これをお前はどう見る?」

薪が訊ねたのは、先日町田で起きた遺体切断事件のことだ。
あるバイセクシャルの男が、妻そして愛人(男)の不倫三角関係の末に殺害された事件。
自首した愛人が凶行を自供し、それを裏付ける被害者のMRI画像もあるという。

「え?どう、って……」

転送されたファイルを条件反射でクリックする青木を、webカメラ越しに見つめる薪の口元が、添えた拳の下で綻んだ。
主人が投げた棒切れを探しに、藪の中へ果敢に飛び込んでいく大型犬を、見守る飼い主の温かい笑みだ。


それから二日後の、盛夏の朝日和。
男二人を乗せたドライブ中の車が、赤信号で止まる。

「青木さん、絶対所長にハメられてますって」

「え、何が?」

ハンドルを握る山城は、屈託なく聞き返してくる助手席の大男に、憐れみの視線をチラリと送った。

「だってこれ、いろんな意味で管轄外の仕事ですよね」

「管轄外?」

元々例の事件を担当していた山城が、呆れているのも無理はない。
いくら上司のいいつけだからって、管区外の事件に首を突っ込み、男(被害者)×男(被疑者)の情事の画などを隈無く捜査して。供述との矛盾点を見つけるやいなや、勾留中の被疑者の元へ飛んでいき、裏取りまでやってのける社畜捜査員はそうはいまい。
しかもこの人は別の管区を纏める室長だ。管区外の事件はすべて時間外で対応しているだろうに。

「山城。第九に“管轄”っていう考えがないのは知ってるだろ?ここは独立した捜査機関であって」

「だとしても現実はそれじゃなかなか通らない、ってうちの室長はよく言いますよ」

「ああ……」

信号待ちの交差点で、フロントガラスの向こうに光る白い雲を見つめる二人の横顔には、未訪の町の健康的な朝の景色に似つかわしくない疲労の色が滲んでいる。

「岡部さんは思慮深い人だから、こういうときは確かに刑事局を通すかもしれないな。あ、そっか!」
青木は腑に落ちた様子で膝を打った。
「今回薪さんがこの件をあえて俺に振った理由は、そこなんじゃないかな?お前にさ、いきなり岡部さんを目指すんじゃなく、こんな俺みたいにハチャメチャでも良いからとにかく進もうとする奴もいるってのを、見せたかったんだ、きっと」

「………」

山城は苦笑まじりに首を傾げた。
そういう青木だって警視で室長、身近なのは年令だけだ。本人はハードルを下げたつもりだろうが、相槌を打つ気にはなれない、いろんな意味で。

「どっちにしろ、青木さんに対する所長の指導はちょっとブラック過ぎなんですよ」

「いや、違うんだ。薪さんから降ってくる仕事は、どれも俺がいずれぶち当たる壁みたいなもんで、それを見越したヒントを先に与えてくれてるだけなんだ。飴と鞭も見事に使い分けてるし、ホント凄い上司だよあの人は」

「ええっ、飴なんてどこにあるんスか!?」

「あるじゃないか、例えばこの先だって。今向かってるだろ?」

二徹明けの二人の眼前に、葉山の海が広がるまで、あと数十分といったところだろう。

まったく安上がりで打たれ強い輩だ。そして子どものように疲れ知らず。
ワクワクした表情で車窓を見ているこの人にとっては、数日の徹夜なんて、薪家別荘への招待以前に “よくやった”と、所長からのねぎらいの言葉とか微笑みの一つでもあれば、軽く清算されるんだろう。

山城はふと考え込んでしまう。

これは信仰を通り過ぎた洗脳なのか?そうじゃなきゃ一体何なのだろうか、と。
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