はじめてのお泊まり~青木家

「おいっ!」

「あっ薪さん、お疲れ様です」

「何でっ、お前がいるんだっっ!」

「午後の打ち合わせで岡部さんから、あなたが休暇をとって九州へ向かったと伺ったので…」

「これは私用だ!お前には関係ない」

「ええ、それは承知していますが」

わなわな震える薪に睨まれた大男は、開いた傘をにこやかに差しかける。
25cm以上も小さな上司の睨みに一々びびっていた頃を思えば、随分と成長したものだ。

「もう、ご用はお済みですよね?」

「………」

「ここらあたりは数時間後には暴風圏内です。こういう時こそ俺の使い時ですよ」

「業務外で部下を使うつもりはない」

「大丈夫です。部下のつもりで来てませんので」

「………はぁ?」

ややこしい。実にややこしい関係だ。
“じゃあ何のつもりで来たんだ?”なんて聞いたら墓穴を掘るだけな気もして、薪は内心頭を抱える。

「薪さん、雨が……」

渋い表情の薪の髪や額をうっすら湿らす水滴に気づいた青木は、傘を持っていないほうの手でハンカチを取り出す。

「っ、自分でやる」

眉尻を下げた青木の優しげな視線から逃げるように、薪は顔をそむけてハンカチを奪った。

デカいだけがとりえのこの駄犬、鼻だけは無駄に利く。行き先が“九州”であること以外、誰にも何も知らせてないのに、ここ桜木家の墓を嗅ぎ当て待ち伏せているのだから。
でも結局、手を差し伸べてしまう飼い主バカな自分こそ、一番救いようがないのだ。



「………おい、どこへ向かってる?」

福岡の街へと移り行く車窓の景色に、表情をこわばらせた薪が訊く。

「俺の家です。あ、でもその前に何か夕飯でも食べましょうか」

薪さん、何食べたいです?
運転席から呑気に訊いてくる青木の声は、薪の耳をただ通り過ぎていく。
青木家への訪問を想定してなかった訳じゃない。が、心の準備が出来ているわけでもない。
部下じゃなきゃ何のつもりなのか訊きづらい相手の実家にいきなりお泊まりなんて、どんな顔して敷居を跨げばいいのかわからない。


「あっ、薪さん」

突然カーブして駐車場に入った車の遠心力に、薪の身体が微かに揺れる。

「寿司、食べませんか?」

「………え?ああ」

「ここ、メディアで話題の超ウマい回転寿司なんです。普段は並ばないと絶対入れないのに今日は人少ないし。俺たちツイてますね♪」

ツイてるも何も、それは台風接近時だからだろう。

「あ、回ってるのはダメとかないですよね?」

「大丈夫だ。速く食べれるし丁度いいだろ」

オメデタイ青木の発想に巻き込まれかけてる自分にため息をつきながら、薪はシートから腰を上げた。
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