はじめてのお泊まり~青木家

「青木!」

「ああ、薪さん、おはようございます」

「何やってるんだ!」

「え、何、って仕事……」

「どけ!お前は休暇だろ」

デスクの前でにこやかに振り向く青木を、食卓から戻った薪が突き飛ばす。

「わっ、何ですかっ、俺もう熱も下がって…」

「第八管区は今日僕が見る。お前はベッドで朝飯でも食って寝てろ」

「でも……」

青木は納得がいかない。皆勤賞は伊達じゃなく、一晩でだいぶ復調し、すっかり仕事モードになっていたのだ。困惑に泳いだ青木の視線が、自分のデスクを陣取る薪の横顔にハッと止まった。

「あの~薪さん、お仕事って……まさかその格好でですか?」

「いや着替える。スーツを預けてあっただろう」

「ええ、ありますが、その前髪は?」

「………?ああ、これか。忘れてた」

さっき舞がつけてくれたんだ、と薪が外したのは“クロミ”のヘアクリップだ。
我が姪ながら、舞のセンスには頭が下がる。
癒し系テイストの部屋着にクロミを添えたことで、怖カワイイ薪の魅力がバッチリ引き立っているのだから。

「何をしてるんだ」

「スミマセン、ちょっと職場に一本電話を…」

「何もするなと言ったろ?貸せ、僕が話す。用件は何だ?」

携帯まで取り上げられた青木は、さすがに怪訝な顔になる。

「ちょ、薪さん。いくらなんでもあなた…」

「何だ?文句があるのか」

「っ………文句というか、質問です。仕事上ならともかく、俺が勤務していいかどうかまで上司の許可が必要なんでしょうか?」

薪は息を呑み、一瞬の沈黙が流れる。

「………上司としてじゃない」

答えを聞いた青木は飛び跳ねた自分の心臓の音が、部屋中に鳴り響いたかと思った。

「家族……代理として言っている」

薪はたしかにそう云ったのだ。
“代理”とつけ足し濁したが、青木がずっと求めてやまなかった言葉が、当の本人の口から漏れたのだ。

「代わりができる人間がいる時くらい、休むことに専念しろ。今はお母様も会合だし舞も学校だ、何も考えず休める絶好の機会だぞ」

「あ………りがとうございます」

この距離感は、今までに感じたことがない近さだ。
肉体が一つに結ばれるより密接しているような―――これはまだ夢の続きなのか?

薪に着替えのスーツを手渡した青木は、デスク脇に置かれたお粥の匙を取って口にする。

「……んまっ、何だこれ!」

思わずあげた青木の声を無視して、薪はPC画面を見続けている。

「うるさいな。たかが粥で大袈裟だぞ」

「はぁあ、旨い。これが京都本場の朝粥でしょうか」

「馬鹿か。いくら僕でも大学で粥作りの研究まではしてないぞ」

それにしても本当に旨い。
極上の朝粥の味とともに、青木は薪への思いを感慨深く噛みしめる。

昨夜からの薪の気持ちや献身が、舞い上がるほど嬉しい。
でも同じように、もし薪が倒れたら?

代役なんておこがましいが、自分をはじめ岡部や小池、宇野たち皆の手を借りて、大きな穴を必死に埋めて凌ぐのだろうか。

それじゃあまだ足りない。
俺ももっと成長しなくては、としみじみ思う。
薪さんにいつでも安心して休んでいただけるくらいには―――
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