幸せを取り戻す方法

そんな阿呆な会話をしながら俺たちは、
シチューの材料を買い込み、家に帰ることにした。
見慣れた風景を歩きながら何を話そうか考えていた。

「何かお前の意見でシチューにしちゃったけど、
どうしようかな、俺の家って俺と弟だけなの知ってるだろ?
弟が俺くらいだったらいいが、あいつあんまり食わないんだ。
余るぞ、此れ」

思いついた話題が此れ。なんとも情けない。

「ふふ、誘ってくれてるんですか?」

シット! そう聴こえても仕方ないよなこれは。
俺一生の不覚…。
だがまぁ一人二人増えた所で、
作る分量なんてのは特に変わらない。

「うわ、そういう意味で言ったんじゃないんだけどな。
まあ、食いたいなら食え、味は保証しないけど、
っていってもシチューだしな。大丈夫だろう、うん」

そういって彼女はうなづいて、俺の家までを一緒に歩いていく。
家路に付くまでの間、そんな他愛もない話をずっとしていた。


「ただいまーっと」

そう言いながら家の鍵を出して鍵穴にねじ込んだ。

「ただいまは入ってから言うものですよ。
今言ったら意味ないじゃないですか」

尤もな話だ。まぁ其れは置いといて。

「んじゃ、どうぞ」

約六年ぶりに彼女を自分の家へと上がらせる。
よく分からない気持ちが渦巻いていたが、
其れは彼女にしてみても同じ事だったのだろうか。
でもそれはやはり、俺に未練があったりするからなのか…。
まあ、無いって言えば、きっと嘘になるんだろうな。
俺の初めての『彼女』だったから、余計に。


「わ、変わってませんねぇ、あの頃と」

小さく両手を広げてあちこちを見渡す彼女。
俺の小さな悩みなんてお構いなしに。
風景写真を取る人のように、
何度も立ち止まってはぐるりと見渡している。

「あ、あんまじろじろ見るなよ。
あの頃と何もかわっちゃいねぇよ。
いやまぁ俺が言うのもなんだけど?
多少の其の、懐かしさみたいなもんはあるかもしれんが…」

そういいながらも内心嬉しさはあった。
六年経った今でも、こうして懐かしんで、
自分の家を見ているという事に。

「いいじゃないですか、本当に久しぶりなんですから。
少しくらい…目に焼き付けさせてくれても…」

最後の方は良く聞こえなかった。
久しぶりなんですから、か。
まあ、久しぶりって気軽な話でもないだろう。
年数が年数だ。間取りなんて覚えていなくても可笑しくない程なのだ。

「わ、やっぱりキッチンは綺麗なんですねー。
あの頃も綺麗で私、感心したんですよー?」

あぁ、そういやぁそんな話もあったか。
早くに両親を亡くしてから、家事全般をこなさなければならなかった俺は、
まだ小さかった弟に苦労をかけさせまいと必死で毎日を送っていた。
特に衛生面では気を使わなければならない位弟は小さかったから、
身の回りの整理整頓や掃除に関しては人一倍気を使っていたかもしれない。
まぁ、そんな弟も今じゃ中学生、か。あっという間、そんな感じだった。
其の習慣が身に付いたのか、今でも衛生面に関しては、昔と変わらずだった。

「ま、昔はな。生きていくだけで精一杯だったからな。
弟も小さかったし、頼れるのは自分だけだったから…な。
色々と苦労してたんだよ、うんうん」

自分は良く頑張ったなぁ、と付け足し、
えらそうに腕を組んで何度も何度も頷いてみせた。

「そうですね、あの頃はとてもよく頑張ってましたねー。
そうやって一生懸命、生きている貴方が眩しかった。
きっとそんな直向さに、私は惹かれたんだと思います」

飲み物を含んでいなかったのが幸いだった。
最後の方に聴こえた言葉が俺にはくすぐったくて。

「お、おいおい。昔の話だろそりゃ。
今じゃこの通り。のらりくらりと生きてるよ。
親戚の叔父さんが毎月幾らかお金を入れてくれてるから、
何とかそれで頑張ってる、って感じだしな。
お前には感謝してもしきれないよ」

親戚付き合いが悪かった両親は、
死んだ後も俺と弟を引き取ろうとはしなかった。
たった其れだけ、其れだけの事が、
俺と弟は苦労し続けた。頼れる人はおらず、
死に物狂いで働いて働いて働いて。
其れでも生活していくので精一杯だった。
親が死んだ後、其の家に残り、必死で働き詰めになった。
其処で出逢ったのが彼女だったわけなのだが。
色々と話しているうちに、彼女は俺の親戚の所へと行き、
説得をしてくれたらしいのだが、其の詳細は分からない。
其の月から、自分の貯金通帳に見知らぬお金が振り込まれていて、
彼女に話したところ、そういうことだったらしい。

つまり、説得をしたときに、仕送りをしてもらえることになった、という事だろう。
最初は戸惑った事もあったが、生活が見違えるくらい楽になったのは事実。
そういう意味でも、彼女には感謝しなければならなかった。
其れと同時に、仕送りを毎月かかさずしてくれる叔父さんにも感謝だった。
其の後で二人で叔父さんに会いに行って直接お礼を言ったこともあった。
あれだけ俺たちを嫌っていた叔父さんも、其の時は優しく、
彼女は良い子なんだから、大事にしてやれよ、って肩をばんばん叩かれたのを覚えている。
一体彼女と叔父さんの間に何があったのだろうかと叔父さんに聞いた事もあった。

「俺が今此処でお前に其れを話すと、あの子の頑張りが無駄になっちまう。
俺はそう思う。だから言えないが悪く思わんでくれ」

そういうだけで教えてはくれなかった。其れでも最後には、

「今まで悪かったな…。お前たちがどんなに苦労してるのか分かろうともしなかった」

そういって電話越しで鼻をすする音が聞こえた。

「いいんです、叔父さん。有難う御座います」

そういって最後に、また暇を見つけたら伺います、とだけ言い、
俺は電話を切った。


結局彼女が親戚に何をしてくれたのかは分からないまま過ごした。
其れでも今では親戚との仲も良いし、生活も安定している。

そんな事がありながらも……。

「あの頃俺は、このままお前と二人でなら何でも出来るって、
そう信じていたんだ。なのに…」

そういった俺の口元には彼女の人差し指があてられ、
言葉を詰まらせてしまう。

「其れは言わなくても良いんですよ。
今となっては昔の話なんです。大事なのは今です。
過去も時には大事なのかもしれませんが、
貴方に今必要なのは過去ではなく、これからなんです」

いつの間にか俺は愚痴っていたらしい。
口をふさがれるまで何をいっていたのか分からなかった。
けれど、其の寂しそうな顔を見た時に、
俺は失言をした、と心の底から後悔した。

「すまん…俺のせいだったな…」

そういって黙り込んでしまう二人。
短い沈黙を破ったのは彼女。

「其れより、ほら、シチュー作るんでしょう?
私、おなかすいてるので早くしてくださいね」

そういわれて背中を押されてキッチンへと急がされる。

「わわ、おい、ま、待てって、休憩くらいさせろよー!」



そうして俺は半ば無理やりにキッチンへと連れてこられ、
一息つく間もなくシチュー作りへと時間を費やすのだった。


──程なくしてシチューが出来上がる。
ぐつぐつと煮えたぎった鍋には白いスープがあり、
其の周りでは色とりどりの野菜がゆらゆらと揺れており、
自分で作っておいてなんだが実にうまそうだった。
鍋のふたを開けてみると押し込まれた蒸気が、
我先にと言わんばかりの勢いで立ち上がる。
通勤ラッシュによく似てるな、なんて思ってしまう。

「あ、出来たんですかー? おいしそうな香りです」

そういってぱたぱたとキッチンへとかけてくる彼女。
今も昔も変わらないそのままの彼女。
其れがなんだか嬉しくて、つい笑ってしまう。

「あ、今笑いましたねー? 食い意地はった奴だな!
とか思ったりしませんでしたか?」

大ハズレ。

「違うよ、今も昔もお前は変わらないんだな、って思ってさ。
さて、それは置いといて今は目の前の俺特製シチューだ!
どうだ、うまそうだろ? ふはは」

ルウを入れて作っただけのシチューで偉そうに踏ん反りかえってみる。
そんな仕草を見て彼女は言う。

「あはは、貴方だって、其のおかしな態度、変わってませんよ」

そういって二人で笑ってる間に玄関で音がした。

「ただいまー、お兄ちゃーん」

がたがたと音を立ててぱたぱたと駆け出してくる弟。
キッチンへくるやいなや、

「わ、今日はシチューなんだ。ねね、お兄ちゃん、
早く食べよう…よ?」

とかいいながら俺とは別の人がいる事に気付き、
じーっと其の顔を見ていた。

「お久しぶりです」

俺と出逢った時と同じように、優しく微笑んで手を振る彼女。
其れを見て思い出したのか、大声で名前を呼びながら、
彼女に抱きついてじゃれあっていた。

「おい! なんてうらやま…じゃなかった。
そうじゃない、飯だ飯、そいつより俺の飯の方に輝けばかもの!」

そんな事を言うとお姉ちゃんの方がいいもんとかいいながらも、
ちゃっかりと俺の作ったシチューは食べようとしていた。
うん、我ながら可愛い弟だとつくづく思うな。

食卓にはシチューの鍋がテーブルの中央に置かれた。
そして其の周りには三つのお皿が置かれ、スプーンを添える。
まだかまだかとせがむ弟にもう少しですよー、と、
食器棚に立っている彼女がいて、
うるせえから黙って待ってろとにらみつける俺がいた。
あの頃から何も変わっちゃいない、そんな小さな幸せの空間。
此れをずっとあのまま、続けられると信じていた自分。
突然の別れで壊れてしまったたった一つの幸せ。
其れでももし、今この瞬間から取り戻せるのなら…?
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