丞とその彼女(11話/未完)
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09.あなたのもの ※未完
愛されている自覚はある――――芝居と月岡君の次に。
偶然の出会いから知り合いとなった瑠璃川幸とは今でも連絡を取り合い、親交を深めている。
一言でモデルといえど、生活のために仕事をする者、目的達成の為の関係づくりの手段など……仕事への向き合い方は様々だ。
同僚たちと専門的な話をすることはあるが、同じ方向性で話ができる同僚を得られなかったエリカにとって、幸の存在はすぐに特別なものとなった。
年齢差や立場、被服への関わり方こそ異なれど、ひたむきに被服に向き合う幸をエリカは深く尊敬し、また、彼と話す時間もかけがえのない時間となっている。
恋人の丞ではなく、幸を訪ねてMANKAIカンパニー寮に足を運ぶこともしばしばあり―――幸本人に呆れられるほどである。
小言を言われる度に眉を下げて笑って見せるが―――自分とて何も思わないわけでは、もちろん、ない。
「…幸くんに言われるまで、合宿があるなんて知らなかった」
「いや普通に怒るでしょ。怒んないあんたも悪い。そうやって仕方ない~って黙ってるから筋肉ダルマが気付かないんじゃん」
「それは…そうかもしれないけど…」
厳しい口調だが、責められているわけではない。今では理解している。
―――のだが、思わず「だって」と反論したくなってしまう。そう言ったところで正論で返されるだけなのは目に見えているのだが。
まっすぐな彼の視線から逃れるように俯くと、共に萎れた腕から衣装がするりと抜け、床に落ちた。
それは、まさにその合宿明けの舞台で恋人が着るらしいものだ。幸らしい細やかな装飾が施されており、丞がこれを着たら映えるに違いない。
恋人の丞は約束は律義なだけあって(忘れられた悲しい事件もあったが)公演の度に、必ずチケットは手渡してくれる。
この衣装を着るであろう舞台も、招待はされるのだろうが―――「公演に毎度誘われる」という今の距離感では"ただの友人"と変わりないのではないかという疑問が、胸を暗く澱ませてくる。
所在無げに腕をさすれば、肌と布地がこすれて、少しだけ熱を持った。
頻繁に連絡を取り合う事もないし…合宿で2週間くらい空けるくらいのこと、話すまでもないのかも―――と口にする。
注意されたばかりだというのに「仕方がない」―――と匂わせた。
すぐにそのニュアンスを察した幸から、深いため息とともに放たれるのは疑問と叱責が混ざった言葉だ。
本当に付き合ってんの? と。
――その問いには、迷いなくYesと答えることはできる。
ただ、その関係にらしさが伴っているかといえば間違いなくNoだ。
誰がどう見たって、自分自身でだって、世間的に恋人の距離感でないのは紛れもない事実だった。
厳しい言葉は、幸なりの発破。
けれども、こちらに反論の意がないことを察したらしく、幸には再度の大きなため息の後に
「声が聞きたい、顔が見たい、理由はないけど話がしたい―――恋人相手にそれを思わないなんて枯れてる!」とまで言われてしまった。
けれどもそれにすら返す言葉を持たない。苦笑いで誤魔化すに留まった。
“どうして”と、その理由を問い詰めて行けば、行きつく答えは決まっているからだ。
しかしこの思考に触れたとたん、エリカの世界は急速に閉ざされていく。すでに意識は自己の奥深くへ向かおうとしており止めることができない。
考えないようにしよう…だなどと、即座に切り替えができるほど、彼女は器用ではなかった。
『愛されている自覚はある―――芝居と月岡君の次に』
『私の 表情だけが』
『わたし自身が愛されているかといえば……それほど』
自問自答で抉った胸の痛みを中和するように、幸に意識を傾ける。
「…幸くんとしばらく話せないのが淋しいっていうのは…本心からだよ」
「いやそれは丞に対して感じてよ」
ぱしんっと響くが如く痛快な返答にエリカの思考の闇に亀裂が走った。
幸は知らない事だが、彼の表裏のないまっすぐな言葉は、いつだってエリカの曇った目を覚まさせてくれる。
彼のように気持ちをまっすぐに言葉に乗せられたのなら、出もしない答えを求めて彷徨う事もなくなるであろうに。
かけがえない友人を今一度見つめて、本音を吐く。
「…明日からだよね。帰ってきたら…落ち着いてからでいいから連絡ほしいな」
「……わかった」
飲み込まれただろうもう一度の「それは丞に――」の言葉と、ため息交じりの肯定を返されて、私たちはしばし別れることとなった。
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エリカは自室のソファでクッションを抱えて座っていた。
体重をかけて胸を預ければ、綿の香りが広がる。一番好きな繊維の香りだ。
しかし、気持ちが落ち着けばその隙間に入り込んでくるのは不穏の影。
どんなに楽しい時間を過ごしても、一日の反省だとでも言うように、それは必ずエリカの元へとやってくる。不安と焦燥を引き連れて。
幸の言葉で雲散したはずの、悪癖ともいえる「思考の海への扉」が意識の奥で誘うのを感じる。
不安と向き合え、不穏を解き明かせ―――と。
“どうして”心の距離が縮まらないのか――――と。
瞳を閉じて、エリカは思考の海への扉に手を掛けた。
―――幸の話によれば、翌日から丞が所属しているMANKAIカンパニーの稽古合宿があるらしい。
劇団再結成から数年、彼らはいつしか切磋琢磨の日常を経て、互いをかけがえのないものと認識し親交を深めている。
時折、丞から聞かされる話の中にもそれらは見え隠れしており、特に和解した後の月岡紬とは、離れていた間を埋めるかのような親密ぶりのようだ。
丞と紬、二人の蜜月ぶりは学生の頃から名物であったし、本人たちも互いの仲の良さを否定することもない。
まっすぐに交わし合う敬愛の念は、見ているこちらが恥ずかしくなる時もあるほどで―――内心、紬こそが丞の恋人なのではないかと思うくらいだ。
連絡を取り合わない間も、芝居について語り合い、同じ時間を共有しているのだろう。彼が、月岡紬が、丞にとって優先される人であることは言うまでもないことで。
私と高遠君との間には同級生という共通点しかない。
彼が好きなサッカーにもバイクにもあまり関心は無いし、彼の苦手なチーズだって、私にとっては嫌いな食べ物なんかじゃない。
学生時代から憧れていた彼と何らか接点を持っていたくて始めたモデルの仕事も、現実、今日まで、関係を深めるような接点となったことはなかった。
彼との再会だって、偶然の出来事でしかなかった。
―――芝居の事で頭がいっぱいだったのだろうあの日の彼は、憂いを孕んだ私の表情を、その根底を、学びたいと言っていた。
強烈に欲しがったのはそれだけだった。私個人を好きになったわけではなかった。
エリカは立ち上がり、部屋の隅に置かれている鏡に自分を映した。ぎらりとした反射の瞬きをの先に映し出される冴えない表情の女。もう何年共にあるだろうか、正真正銘自分自身の顔だ。
丞が賞賛するような繊細さなどは自分では分からない。
自分にとっては、気持ちひとつ言葉にできず、生きづらさと向き合いもせず、逃げ続けているだけの辛気臭い表情があるだけだ。
鏡と合わさる指先。刺すように冷えた丸い指跡に、湿った感触。
なぜどうしてと、疑問を炙り出してそれらしい理由を添えてみても、結局行きつくのは自分自身を否定する理屈ばかりだ。自責の痛みにどくどくと大きくなる動悸と手汗は、不快感だけを増大させる。
「(どこを…)」彼が欲しいと思ったのだろう。冴えない女の輪郭をなぞる。
分からなければ守る事も出来やしないのに。
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彼に、恋人になってほしいと言われた時、私は本当に驚いたのだ。
その時、自分の胸は間違いなく喜びで高鳴っていた。
わたしが選ばれた事―――偶然の邂逅からとはいえ、わたしを求めて探し続けてくれたという事実は、まるで私自身に価値があるかのように感じられたからだ。
だがその喜びは、補充される事もなく消費を続け、今やとうに使い果たされている。今ここに残されているのはただの“わたし”でしかない。
電話も、約束も、次の機会が交わされる事はない。
会いたいとか、好きだとか、言われたことは殆どない。
あんなに時間をかけて探し求めてくれたのに、手に入ってしまえば興味はないの?
―――もう、“欲しかった表情”…手に入れてしまった?
「(………でも別れたいと言われないってことは、思うところはあるんだと思う、けど)」
(それでもやっぱり、わたしを好きだからではないんだろうなあ…。)
絞りだされた心の声は、丞の心情を無視した、酷くネガティブなものであったのだが、それに異を唱える者は今はどこにもいない。
決めつけだけで固められたそれは、悲しいほどエリカの胸にぴったりと収まってしまった。それを咎める者もまた、どこにもいない。
一度結論付けてしまえば、後ろ向きな思考は加速を続けるばかりだ。
止められないまま、思考は走る。
心の距離など縮まるはずがない。会いたい、抱きしめてほしい、愛していると言ってほしい―――なんて言葉になど出来るはずがない。
彼に愛されているのはわたしの持っている「繊細に泣く心」だけだ。わたし本人じゃあ、ない。
「………幸くんも酷な事を聞くなあ」
幸の影がちらついて、後ろ向きな思考が一瞬途切れた。きりりと強い、アーモンド形の瞳が訴えてくる。
そうじゃないだろ、勝手に決めんな、と。その叱咤はエリカの悪心に穴を開け、風を通す。首をもたげていた前向きな思考が脳に流れていく。
そう、大切なのはいたずらに自分を追い込む事ではない。気持ちを整理し、どうするかを考える事だ。
以前、もっと好きになってもらうように頑張ると告げた言葉に嘘はない。
事実、その為に彼のタイミングを計り、不必要に連絡したり、会いたいと乞うたり、自分を気にしてほしいなんて言わないように振舞った。
丞から「もっと我儘を言ってほしい」などと言われないのが結果だろう。
彼にとって心地いい距離の人間になっているはずだ。
それがたとえ「恋人の距離感」でないのだとしても。
あとは――――その表情を、保ち続けるだけ。
新たに導き出した結論もまた歪んだものではあったのだが、悩み喘ぐだけでなく具大的にどうするかまでを導き出せたことがエリカの心を軽くしていく。
ひとつの区切りを想うように、手を頬へと当てた。
触れた頬は手汗で塗れる掌にしっとりと張り付く。今はその不快感さえどこか心地よかった。
この顔があるから、彼を引き留められているのだと思うと、ちっとも好きになれないこの顔にも、少しだけ感謝できるような気がして。
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今回の合宿の主旨は、団員同士故の芝居に対する甘えと中弛み解消だと、幸は言っていた。
いずれにせよ二週間ほど連絡が取れなくなるのなら、それを種に声をかけることくらいは許されるだろう。今しがたの決心が揺るがぬ前に、逃げ出そうとする前に。
自分への戒めと兼ねて、エリカは丞へと電話をかけた。
「―――珍しいな、どうした」
数回のコール音のあと、意外にも恋人はすぐに電話に出た。やや面食らいながらも、久しぶりの丞の声に胸は高鳴る。
幸から合宿の話を聞いたと伝えると、一瞬の間のあと、合宿に関する説明をしてくれた。どうやら、その開催自体、丞ら成人した団員達から提案したことであったらしい。
劇団の今後を思う年長者らの意見だと丞は言うが、発端は紬だったとの言葉に、エリカの顔から熱が失われていく。
追い打ちをかけるように、いづみの名前も出てきた頃には、急激な疎外感から、明るい切り返しができる余裕はなくなっていた。胸がつきりと痛む。
やはり、恋人は自分がいなくとも、大切な仲間たちと充実した日々を送っているのだと。
「悪い、俺ばかり喋ってるな」
「あ―――ううん。私が振った話だから。話してくれてありがとう。合宿、頑張ってね」
「待て、何か話があったんじゃないのか」
早々に切り上げようとするのに、お構いなく切り込んでくる丞に苦笑が漏れた。声のトーンが低くなっていることに気付いたのかもしれない。
これ以上探られないよう平然を装って返答をすれば、騙されてくれたのか、電話越しに引き下がる気配を感じた。
ほっと胸を撫でおろしつつ彼の呼吸を探りながら、二三、仕事の話を挟めば、丞からの追及は完全に潰えた。
「高遠君が合宿に行っているのと同じ期間、事務所の紹介で新たなプロジェクトに参加させてもらえることなった。幸にはその相談に乗ってもらった」そう話すと―――少しの間のあと、激励が送られた。
「お互いに頑張ろうな」
「…うん。…じゃあ、合宿頑張ってね。電話ありがとう」
ああ。短い返事を聞いてすぐに通話終了ボタンを押した。これ以上引き延ばしてもエリカ自身に話のネタはない。
合宿があること、話してくれなかったことを責める言葉は終ぞ出なかった。
丞の言い方によっては詰ってしまうかもしれないと危惧もあったが、丞は終始無邪気な様子で話すだけで、悪意も後ろめたさも感じておらず、エリカの心配という毒気はすぐに抜けてしまった。それよりも彼らの団結の強さ、仲の良さからの疎外感が胸を刺す。
痛むような、けれどもホッとしたような……複雑に相反する胸を抑える。
今日も今日とて、幸のように話せなかったことを反省しつつも「なんでもない用件」で連絡が出来た事は進歩なのだと自身を褒めて、エリカは電話を机に戻した。
「(…それにしても今日の高遠君、言葉によく詰まってた)」
いや、細かい事を考えるのはもうやめよう。今日は色々と考えすぎて疲れた。
想い耽り巡らせる事はいくらでもできるが、なんだかんだ言っても、丞と話したことで胸の内のつかえは落ち着いている。
これ以上新たな問題を思案するのに時間を費やすのは惜しいし、明後日から例の新しい仕事も始まるのだ。それに時計の短針は8を超えている。自分にそう言い聞かせ、エリカは早めに就寝する事にした。
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「清水さんからなんて珍しいね」
「…聞いてたのか」
廊下での恋人との電話を終え、部屋のドアを開けてすぐだった。柔らかそうな青い髪をさらりと揺らしこちらに顔を向ける幼馴染は嬉しそうに、ただし底意地の悪い笑顔で丞を見ている。
こういう顔をしている時の紬は非常にやりにくい。適当にあしらってはみたが、これから降りかかってくるであろう尋問を予感して、大きな溜息と共に体をソファに沈めた。
「合宿の事を聞かれただけだ」先手を打って話題を提供する。
思った通り、紬はすぐに食いついた。
合宿の事を恋人に伝えない事を、実は紬から再三注意されていた。そういうことは報告しておいた方が良いと。
連絡することは容易いが、わざわざ連絡を入れるような事だろうかと自問すれば、その答えはいつだって「NO」に行きついてしまう。
合宿中に受ける連絡は急ぎでもそうでなくても確認できるし、合宿期間はせいぜい一週間程度だ。今でさえ会う約束を取り付けなければ(それも数週間前から)会う事もない自分達なのだから…と、丞の胸には紬の忠告が腑に落ちずにいた。
「嫌だわお兄さん、”なんで連絡なんか必要なんだ”って思ってる顔だね?」
「…悪いが今は乗る気にならん」
エチュードを断られた幼馴染は、ちぇ、と口を尖らせて占い師らしき役を解いた。ソファの前まで移動して、しかしもう一度先と同じ表情を浮かべて見下ろしてくる。
人の心理を読み解くのに長けた紬だからこそのアドバイスはいつも的確で、実行すれば物事がうまくいくことも多く、何度恋人の笑顔を見る事が出来たか、数える方が難しい。
―――正直、面白くない。
小言を言われるのも、紬ならエリカの気持ちが分かってやれるのだろうという事も。
しかし尋問が振ってくるとばかり思っていたが、予想に反して紬は静かであった。話の種は振ったはずだが、深く食い下がる様子もない。
身構えていただけに肩透かしを食った気持ちになる。
ただ、不可解に微笑みながらこちらを見下ろしてくる。しかしながら、いつもと違うやり口に、苛立ちが募る。結局自分はこいつにはかなわない―――痺れを切らしたのは、丞だった。
「おい、言いたい事があるならはっきり言え」
「…彼女に合宿の話を伝えてなかったのに、幸くんから伝わったのが面白くなかったんでしょ?」
「………っ」
「清水さんも、丞から聞きたかったと思うんだけど…」
紬の言葉に丞は口を閉ざしてしまった。
図星で痛いところを突かれた事、幸に嫉妬していると悟られている事、いずれにせよあまりにも情けない内容で、肯定も否定も出来なくなってしまったのである。
連絡を取り合わないからいいんだとしていたが、事実、こうしたすれ違いが起こると胸はざわつくし、幼馴染の一言にまともに言い返す事もできない。
恋人の口から幸の名が出る度に、もやもやとした気持ちになるのは分かっていたし、言葉だって何度も詰まった。
幸とエリカが気が合うのは理解している。しているが―――それでもやはり面白くは、無い。
幼馴染の指摘に、ぐうの音も出やしないのであった。
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「(電話がかかってきただけで嬉しそうな顔するくせに。素直に言えばいいだけなのになあ)」
目を白黒させて言葉を探す丞を見ながら、紬はひっそりとため息をついた。
この恋人たちは、自分の気持ちは明後日に放り投げ、体面と意地だけ立派に張ってはすれ違いを繰り返している。
彼女の方の性格を鑑みると、言葉が人一倍必要だと考える紬にとって、幼馴染の持つ「男としてのプライド」とやらとの相性はあまり良いものではないと思っている。
丞の方からリードする形で、真っ直ぐな愛情を伝えるだけで安定するだろうに。他人から見れば簡単だが、丞にとって簡単でない事も分かるだけに、もどかしく感じてしまう事も多々ある。
しかし、不安定な時こそ付け込まれる隙が出来るのだ。
「いつまでも清水さんがたーちゃんだけを好きでいるとも限らないんだからさ…」
ぽそりと漏れ出た言葉が丞に届いたかどうかは分からない。
だが、どう考えてもこの先もまだまだ前途多難な気配を感じて、紬はもう一度深いため息を吐き出す事となったのであった。
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今回の話はメインで仕事をしているファッション通販雑誌の編集からのものだった。これまで若者から主婦層までが対象の廉価な衣服の取り扱いをメインとしていたが、今回の企画のターゲットは、経済的に余裕がある30代半ばから40代向けのオトナ女性。
日常使いできる路線だが、デパートにはないオリジナリティ、そして女性らしい華のあるデザインを前面に出した衣装展開を想定しているのだという。
配布された資料を見る限り、とても綿密に計算されたブランディング計画は興味深く、企画営業の弁舌も相成り、他のモデルや自社の担当者達もプレゼン内容に釘付けとなっていた。
大方の説明を終え、次回会議の日程を合わせる。次の会議ではサンプルの着用があるとのことで、エリカや他のモデル達にもスケジュールの調整の依頼があった。
予定時間を過ぎていたのか、足早に去っていく来客の中で一人、エリカは長身の男と目が合った。
「(………?)」
「……、」
目は合ったものの、なんとなく呼び止めることは憚られ、視線で気付いているという合図だけ送った。
しかし男は何か言いたげに唇を少し開け―――けれども、苦笑だけを顔に載せて、エリカ達に背を向け去っていった。
営業担当は名刺交換をしていたと思うし、また次回も会うのだろう。気になればその時にでも声をかければいい。
エリカはそれ以上気に留めることはなかったが、去り際の男の後頭部、きれいに揃えられたツーブロックの髪に、ふと恋人の姿を重ねた。
今頃彼は仲間たちと楽しく過ごしているだろうか。
秋の風のように、こと無げに吹き込んでくる寂しい気持ちは、瞳を薄く閉じることで逃がした。
この企画が正式にスタートしたらきっと忙しくなる。恋人と会う日も更に減ってしまうかもしれない。
その頃、私たちは一緒にいられるだろうか。…詮のないことを少しだけ思いながら。
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サンプル着用の日は思うよりも早く訪れた。丞と連絡を取らなくなって早一週間。何度かLIMEの画面を立ち上げ、文字入力をタップはしてみたのだが、打っては消すを繰り返し、送信することはなかった。
普段から連絡を取り合わない理由は、物理的な距離が離れても変わらない。何を送ればいいのか分からなかった。
合宿中の様子が気にならないわけではないが、劇団の合宿だ。
しかも丞らが主催となって催した合宿であるからして、関係者内での問題解決が目的であるのは聞いてる通りであるし、具体的な問題も聞いたところで理解できると思えない。
聞けば話してくれるだろうと思うが、彼の悩みに、芝居への情熱に、うまく相槌を打つ自信はなかった。
ミーティングの間の少しの休憩中、手慰みにとスマートフォンを取り上げてはみたが、やはり送る言葉は浮かばない。
先ほど着用したサンプルの素晴らしい出来について送ろうかと思ったが、そもそもこちらの仕事の話も、通話を切り上げてしまっていて、ちっとも伝えられていなかった。
急に服の話を送られても丞だって返答に困るだろう。エリカはため息ひとつ、手にしたそれを鞄へ戻した。
サンプルの衣装は本当に素晴らしかった。
着用したのは幅広袖のブラウスだったのだが、甘すぎず上品過ぎず、華やかでありながら普段使いに適した気安さがあり、年齢を重ねた女性の丸いラインをカバーするような切り替えしが見事だった。
エリカの体形はモデルにしては肉付きがいい方だ。だからこそ着用した時の美しいシルエットに感心したのである。
着用すると自然と表情は明るくなり、体が揺れる。服が持つ最も素晴らしいシルエットを探すように腕を動かせば、手首で細く締まったブラウスの膨らみ部分が美しい凹凸を作った。
力を抜いて、美しい手首と指の流れを意識すると、とろりと下がる布の上品な趣にため息が出る。撮影が終わったら一枚購入させてもらおう。…そう思うほどに。
他のモデルの反応も軒並み上々だった。これまでの主力ラインの雑誌の撮影では見られないような何分、何着もの写真を撮らねばならない事情から、1着に長い時間はかけられない。
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夢主はベルーナとかセシールとかのモデルのイメージ
モデルの仕事が分からなさ過ぎて進められなくなった作品
声をかけてきた男性は特にイメージはないです
前職で関わっていたイケイケ社長…とかかな(25.12.18公開)