やさしいひと(弁慶長編:完結)
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09.混濁
一日、一日、と繰り返される帰宅と外泊は、いつしか均衡が崩れ不規則なものとなっていた。
五条大橋界隈は貧しく、十分な情報や最新の書物等を得るには不向きな場所だという理由もあったのだが、第一に弁慶の集中型の性格が探求衝動を助長していたのである。
書物片手に部屋に篭った日には食事を取る事も忘れ、気付いた頃には太陽はおろか月が煌々と輝く深夜に変わっていることなど茶飯事であった。
五条まで帰る事が出来るのだが、いざ帰ったとて深夜であり早朝にはまたこちらに引き返すのだと思うと帰るだけの利が見出せないのが事実であった。
そっと瞼を閉じ思い浮かべるうつくしい駒鳥。
先日二日空けて帰宅した際、甲斐甲斐しくも机の上には食事が用意してあり、弁慶の帰りを待っていたのだろう、食事には手をつけられた様子も無かった。
当の本人は傍の柱に凭れかかって眠っていた。
暗がりの表情はよく見えなかったが、間近で覗き込んだその目の下には薄墨が引かれている。
己のものと同じ証であった。
誰よりも人の迷惑になりたくないと考える娘である。
外出禁止―――――外からの情報の入手を禁じられている故に時間を持て余しているのだろう。
いつ帰ってくるか分からない弁慶を見送りながら、渦巻く不安を押し殺し、健気に待ち続けるその背のなんとか細いことか。
こうして両手足を自由にさせながら見えない鎖で首を絞め続けているのは自分自身である。
その状態に満足し、観察していただけのはずであるのに、その状態に酷く心を痛めている自分がいることに気付く。
これでいて少しでも外出の痕跡があれば、違っただろうか。
「従順すぎる……というか、これは」
君に、意思というものはないのだろうか。
それでも、こうして待ち続けている存在のなんといじらしいことか。
縛り付けられる窮屈さを、弄ばれる不遇さをどこかで哀れむ一方で、その一心に直向な姿に加護欲を掻き立てられる。
たまらなく切なくなって、眠る彼女をそっと抱き寄せた。
相当疲れが溜まっているのか、彼女は動かしても身じろぎ一つせず、長い睫毛が深い瞳を覆い隠している。
くたりと力なき体を預かり、そのぬくもりを確かめる。
細い体はそれでも女性特有の柔らかさを孕んでいて密かに心が揺れた。
胸の奥でちりちりと焦げ付くような気持ちが、何であるのか、弁慶はその言葉を知らない。
無音と深い夜の闇の中で微かに聞こえる心臓の音。その鼓動に安らぎを得て連られ瞳を閉じた。
どこにも逃げられぬように、一層強く抱き寄せて。
「(この袈裟に包まれたら、そのまま消えていなくなってしまいそうだ)」
何もかもが分からない。この気持ちも、この温かさも、この切なさも。
「…きっと、明日は早く帰ります」
瑠璃の瞳はどのように迎えるのだろうか。その色が、酷く気になって仕方が無かった。
弁慶の願いも空しく、五条の小屋に長く滞在すること叶わず、すぐに元の不規則な生活に戻ることとなった。
何一つ文句を言わず静かに見送る小鳥の瞳は驚くほどに規則的であり、そこには一片の曇りもない。
「…では、行ってきます。すみません、次はいつ帰られるか約束が出来ないのです」
「分かっています。大丈夫です…どうぞ、私の事はお気になさらずに……。どこへも、行きませんから」
「………そうですね。くれぐれも賊にだけは気をつけて下さいね」
瞳同様、一度だけ頷くと彼女は無音の瞳で背を押した。
抗う理由も無い身はその追いに従い、小屋を離れていく。
いつもならば直ぐに思考は切り替わり、調べねばならない要項に浸る事が出来るのだがこの日だけは正常に働かず、胸の内に巻く淀みに意識を取られ続けている。
過ぎ去ろうとしている夏の空は既に高く、遠く見えていたはずの積乱雲は見当たらず棚引く薄雲がどこか儚い。
少し動けば頬を伝っていたはずの汗の雫は姿を消し、袈裟で隠れる額の陰は夏の明度とは比べられないほどに薄くなった。
移ろい行く季節、そして人の気持ち、願い。
けれども罪は流れることは無い。分かっているはずであった。
「(傍に置くべきではなかったのかもしれません……想像以上に、弱かった)」
何度も非常な言葉を呪詛のように呟いては言い聞かせた。
間違わぬようにと、戒め続けていたはずであった。
なのに、今の自分は既にその戒めの端を綻ばせてしまっているのだろう。
縋る手を伸ばす事ほど、愚かな姿もないであろうに。
この世の全ての不幸を受け入れてしまいそうな、瑠璃の深さに魅入られてしまったのだろうか。
「……君を」
―――――――僕は、どうしたい。
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平家の動きに不穏な色が増す度に、源氏の陣営に緊張が走っていく。
鎌倉殿からの明確な指示は無いものの、両陣営の緊張は頂点に達しつつあるのは誰の目から見ても明らかである。
鎌倉殿の名代を負う九郎は右へ左へと決定打が打たれないこの現状に苛立ち、打開策を模索しているが空しくもその葛藤が晴れる事は望めない。
何とかその落ち着きのない様子を諌めるべく、景時が言葉を投げかけるのだが、複雑な感情を抑える事が完全でないこの状況では火に油を注ぐ結果となることもしばしばで、源氏幹部内にもやや気まずい空気が流れていた。
それぞれがそれぞれの“何か”を抱えている現状では、とかく戦況が動かねば方向性は決まることはない。
定例の座談会の名の軍事集会に出席すべく弁慶は堀川を訪ねたのだが、そこにはいつもの面子の他にもう一人―――――傍聴人が参加していた。
「――――お久しぶりですね、朔殿」
焼ける喉を堪え、平常心を装い声をかければ、朔と呼ばれた娘は静かに会釈をし視線を中央へと戻した。
傷跡のように刻まれた記憶が痛みと共に熱を孕む。
その中の彼女は腰ほどまである長い髪を靡かせ微笑んでいたのに、目の前にあるのは肩よりも上、短く切り揃えられたそれと憂いを揺らす馬酔木の花弁。
“黒龍の神子”その肩書きは今や哀れ、“尼僧”へと変貌を遂げていた。
「…なぜ朔殿がここに?」
「鎌倉殿の直々のご命令なんだよ。ついに出兵をお命じになった」
飄々と流れる景時の言葉内の緊張に空気が凍りつく。
肌を刺すような刺激を孕む張り詰めた空気が重い。
感慨深いのか出方を伺っているのか、しかしながらだんまりでは埒が開かぬと判断した弁慶は景時に鎌倉殿の指示の内容を促した。
時折言葉に詰まらせながらも吐き出したその指示は、すでに予想がついているものではあったが、これから続く戦の流れを理解するには十分な内容であった。
各要人の陰謀渦巻く長い戦の始まりである。源平合戦、三種の神器の奪還、平家討伐、怨霊征伐。
鎌倉殿からの指示には更に事細かな作戦が綴られていたが、その前に大きな障害にぶつかることとなる。
「……兄上のご指示は分かった。しかし現状、俺達には怨霊を排する為の有効的な手段を持ち得ていない」
「九郎の言う通りです。景時、その件について鎌倉殿からの追言はないのでしょうか。朔殿を―――黒龍の神子を連れて来たのは君の意思ですか」
「私が自ら来たのです。弁慶殿」
凛とした声が通った。
尼僧らしく短く切り揃えた枯茶の髪が揺れ、その先の双球とぶつかる。
年頃の娘だというのに、何かが抜け落ちたような色のそれは弁慶の胸に突き刺さる鋭さを秘めていた。濁った湖のような、無常を語る瞳。
弁慶は胸を刺す痛みと動揺を悟られぬよう微笑み、短くそれに応えて視線をいなした。
頼朝の命。
絶対なる強制力を持つそれが放たれて今後大きく世が変わる。
応龍の存在を知らぬ者はただ戦を、知る者はその力を。
表舞台に立つであろう九郎や景時は本人達の意思のまま動く事が出来ないことは容易く想像が行く。
しかし頼朝の、引いては後白河上皇の望む地平とは平家を律することのみで解決するものではない。
頼朝の腹の内は見えないまでも、同時進行でいくつもの難関を越えねばならない事を悟った朔、黒龍の神子は自らの力を使うことを申し出たのだ。
「…もう、黒龍はいないけれど……怨霊を鎮め、意志を通ずる事ができるこの力。きっと役に立つと思うのです」
「しかし、戦場に女人を立たせることは俺は賛成できないな。いくら神子とはいえ、封ずることは出来ないのだろう?それに、」
続けようと口を開く九郎を制す。言葉を選出する感性に乏しいが、真っ直ぐな精神は好ましく思う。
言いたいのはやはり女性を戦場に出して怪我をさせたくないという、純粋な心配からの制止だと弁慶は理解していたのだが、ここで彼の意思を通すわけにはいかなかった。
朔や九郎の言うとおり、確かに黒龍の神子そのものに怨霊を封じる力はない。
けれど怨霊の声を聞き、その勢いを鎮める事が出来るという神力は今後軍にあれば確実に使えるものとなるのは間違いない。
ましてや軍の、他の誰の懇願でもなく、本人の申し出によるものだ。
その行動の責任とて本人の意思を尊重したとすれば誰に気を負う事もない。
後は躍起に走った行動をせぬように、あくまで源氏軍の管轄化にあるということを匂わせるだけでいい。
瞬時に弾き出した朔の“利用価値”を制すその手に込めた弁慶は、静かに苦笑をかみ殺した。自傷するのは後でいい。
彼女の瞳を笑顔を曇らせたのは誰より自分であったが、今はそれに罪を感じているよりも前に進むべきである。そう判断したのだ。
「九郎、先程君が言ったように、僕達には対怨霊の策を何一つ持ち得てはいません…ここは、神子の力も借りるべきではないでしょうか。戦が長引けばその分血も流れます…少しでも早く戦を終わらせ被害を最小限に留める。…君がなすべきことを果たさなくては」
綺麗綺麗な言葉を吐いて、次は景時に視線を移す。恐らくは一度は止めたのだろう、複雑な面持ちで朔を、妹を見ていた。
こちらもある程度の承諾を得ておく必要はある。
「景時はどうでしょう。…僕だって戦場に女人を立たせるのは心苦しいのです。けれど朔殿自ら申し出てくれるその意気を僕は汲みたい」
「…兄上」
「……うん、そうだね。分かってはいるんだ、朔は言っても聞かない子だし、過保護にしすぎても駄目だってのはさ」
「ですがやはり戦場に赴くということは危険が付きまとうと言うもの。まして身内の女人とあれば、景時の憂慮も相当の事でしょう。なればある程度の制約を設けるというのはいかがです?
まず、神子一人で前線配置を行わない。前線に出る場合は必ず総大将である九郎、軍師である僕、戦奉行である君。この3名のいずれかに控える事」
間入れず条件を叩きこむ。
景時の不安を読むなれば妹(女人)の安全の保証だろう。
もしくはその傷心の置き場だ。
後者については既に朔自身が申し出ている時点で景時も多少安心していると思われる。
ともすれば問題は前者だ。
締めすぎず緩めすぎず、負担にならぬ程度に…ある程度は神子自身の意志を尊重せねば事は進まない。
危険だからと雁字搦めに守っても意味がないのだ。
「(十分に働いてもらわねば)」
景時が条件を飲んだのを見て、弁慶はしっとりと笑った。
その後も軍議は進み、今後の振り方をある程度纏めたところでお開きとすることとなった。
昼過ぎ頃から始まったはずのそれは、気付けば煌々輝く月がお目見えしており、長い時間集中していた一同はようやく息をしたような気持ちであった。
頭を使うと運動同様腹が空く。
時期良く女中が顔を出して夕餉の有無について問うと、夕餉と言う言葉に九郎、梶原兄妹共に顔を綻ばせていた。
どうやら夕餉をもらうらしい三名を尻目に弁慶は立ち上がった。その背に九郎が声をかける。
「弁慶も食べて行かないか。悪い味ではないぞ」
「いえ、僕は遠慮させてもらいます。今日の内容をまとめておきたいですし、目付とも連絡を取りたいので」
もちろん嘘だ。
今日の話はそこまで具体的な進軍の予定が組まれたわけではなかった。
怪しまれまい、けれども早く立ち去るべく短く挨拶を残し、踵を返す。
一連の動作に不自然はない。
なめらかに襖を閉じ、立ち去る算段であったのに、最後の最後、締まる襖の向こうの枯茶と視線が重なった。
臓物を掴まれたような不快感が走った。
すとん、と襖は閉められ周囲の暗さに袈裟が溶け込む。
その闇に乗じて弁慶はひたすらに出口を目指して駆ける。
知る人が見ればなんの緊急事態であろう、あの軍師殿が血相変えて走っておられる。そんな噂さえ立ってしまいそうなほどに、弁慶は焦っていた。
ただひたすら、そこから離れることに。
邸の明かりが遠くなったところで、ようやく息をした。
そんな感覚が正しいくらいに深く荒く呼吸が繰り返される。
全身の脂汗に袈裟が不快にまとわりつき、力の抜けた膝が力なく崩れる。
地面に広がった袈裟の端を見やりながら、前髪を乱せば掌にべっとりと張り付いたのはやはり汗で。
纏わりつくように陰鬱な気分を一層不快に感じさせた。
「………は、あ」
溜め込んだ淀みを全て吐き出すように大きく息をつく。
瞼を閉じて暗闇に逃げても、そこが幕となり映像が浮かび上がる。
枯茶の儚い背中が、悲しげに揺れる馬酔木の花が、悲しみを携えた枯茶の瞳が。彼女の存在全てが弁慶を責め立てていた。そう感じていた。
追い縋るように足に袈裟に髪にと絡みつく恨みの祖を振り払い、弁慶は家路を急いだ。
罪の意識から逃れるためか、はたまたその先に閉じ込めた小鳥恋しさか――――その、どちらもであったか。
結局のところ男は非常な軍師の成り損ないでしかないのである。
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息絶え絶えに辿り着いた家という名の小屋は暗く、風が草を揺らす音以外に音はない。
夜も深まっているとはいうものの、就寝するには早い時間である。
現に周囲の小屋には微かながら明かりが灯っている。
自宅であるのに他人の家に入るようにぎこちない仕草で門を潜ったその先、月の光が差し込み輝く縁側に、それは確かにいた。
華奢な体を雨戸の端に預け、すやすやと眠りについているかわいい駒鳥。
白い髪も透き通るその肌も、青白い月の光に導かれてどこか病的にさえ見える。
肌寒いこの季節に薄着で眠りにつく娘は何を思っただろう。
いつ帰ってくるかも分からない男を信じてひたすらに待ち続けたのだろうか。
外に出てはならない。知識を得てはならない。
そう理不尽な言いつけも、固く守り続けてきたのだろうか。
いつだって寂しげな瞳で世にたゆたう君を――――――羽ばたかせたなら、僕は、
「リンさん、起きてください」
「……っ、……あ、」
「こんなところで眠っていては風邪をひいてしまいます」
大きな瑠璃の瞳が開かれ、中に咎人がいっぱいに広がるのが見えた。
咄嗟に視線を外し、袈裟の内に視線をやる。酷い顔だと思った。
震えるほどの寒さなどないはずなのに、心なしか隠された両手が震えている。指先も酷く冷たい。
平穏を求めて帰ってきたはずであったが、弁慶に纏わりつく悪寒と罪の意識は削がれることもなく未だべっとり張り付いて離れない。
何事も言わぬ男を、娘は不審に思ったのだろうか、先ほどから瑠璃玉に怯えを滲ませてそれを泳がせている。
常ならば男はすかさず言葉を紡いだだろう。
自分のありさまを知られぬように、異変が伝わらぬように。
けれども今の弁慶に、それを成し得るだけの余裕はなく、ただただ夜の静寂を食むばかりだ。
さすがに思うところもあったろうか、娘が身を正し一言告げる。
「お茶を、淹れてきます」弁慶は反射的にそれを防いだ。
困惑に染まるその姿はいつもと変わらない。それでいて安心した。
厭うほどに後ろ向きで汚らしい安堵には笑いが張り付いた。
気味が悪いと自称する、お得意の笑顔である。
「(その瞳の奥の孤独の変化なき姿を確認したい…そして)」
そして、それを変えられるのは、己だけなのだと、その瞳に棲む苦しみを開放できるのは自分だけなのだと実感したい。
湧き上がる恐ろしい独占欲に身震いする。
こんなにもこの無知な娘に執着するのはなぜなのだろうか。
鳥に例え、恩を売りつけ閉じ込めて解放の時を握る。
その一連に深層の心理を見出し、弁慶の目が間開いた。
弾けたそれは全身を巡り染み入って、開かれた瞳はみるみる内に悲しく儚く歪む。
一度被った“罪”はどれだけ自身で肯定しても赦されるものではない。
他人に赦しを得ることで初めてその鎖から解き放たれるものであると、弁慶は思っていた。
弁慶が貸し付けた恩を“自分の弱さという罪”として一心にそれから逃れようとするリンの姿に知らずの内に弁慶自身を重ねていたのだろう。
それを“解放”する――――――すなわち、それは、
「私を助けても、貴方の罪は赦されないんですよ…………弁慶さん」
再度見開いた瞳、割れた薄氷、流れる痛い沈黙と秋の深紺。
いつだって壊れてしまいそうな瞳の奥は、底が見えぬ程の深さと濁りで、いつだって息をするのが苦しいと喘いでいただけであったはずであった。
少なくとも弁慶の目にはそう映っていた。
彼女の過去など何も知らない。知らなくていいと思っていた。
ただその瞳が語っていた“幸せではない過去”、その漠然としたものだけでよかった。
救われたい、救われたいと口をぱくぱくと動かしていた彼女を、見下ろす立場であったはずなのに、いつからだったろうか、彼女はそんな僕の全てを見透かしていたのだ。
弁慶は何も言わなかった。
言えなかった。
常のように、即席の甘味の様な言の葉で飾ることすらも出来ないほどに、打ち砕かれてしまった。
けれども微笑むことだけは、もう身に沁みついたものであったか。
淋しい笑顔をしているだろうと思った。
そしてそれは、何より、本心からの感情という名の笑顔であった。
向かい合うリンは今までに無いほどに絶望の表情を浮かべている。
ああ、なんて可哀想なんだ。慰めてあげなければ。空疎な理屈から生まれた似非の感情が指令を下す。
僕を抉ったのは君なのに、なぜ君がそんな風に傷つくんですか―――――心の中で反響する。
ふと、思いつめた表情をしていたリンに感情が差し込まれる。
袈裟の中へ差し込まれたその手は弁慶の手を掴み、そっと引き寄せた。
その先は心の臓の、表面。柔らかい感触が掌に広がる。
「……………私を、使って」
乳房へと導いたその手は、己のものと同じく、冷たく、震えていた。
二人とも、泣いてしまいそうな顔をしている。そう、思った。