敦盛日記(ヒノエ夢:未完)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
01頁.6月20日 雨
こちらの生活にも随分と慣れた。
そろそろ梅雨に入るらしい。
図書館の脇の紫陽花が随分芽を膨らませていた。
ヒノエは相変わらず日夜出歩いては派手に遊んでいるようだが、単位に支障ない程度には真面目にやっているようだ。抜け目がない。
今日の食事当番は私なので、そら豆の炊き込みご飯を作った。
どうせヒノエは外食だろう。
明日の弁当に入れてやろうと思っている。
パタン。
敦盛はすっかり日課となった日記を閉じて時計を見上げた。
時刻は夜の9時。窓の外は既に深い闇が広がっており、開け放った窓から流れる風はどこか湿っぽい。
ああ、明日は雨が降るかもしれない。
梅雨前線の話題でもちきりの天気予報を思い出し、敦盛は一人時間を持て余していた。
「明日の下ごしらえでもしておこうか」
この生活を始めてからというもの、二人暮らしだというのに独り言が増えたように思える。
それもこれも同居人がちっとも家に居つかないせいだ。宙に浮かぶ言葉がどこか寂しい。
とはいえ外泊はしない主義らしく、必ず帰宅するのでそれを待てばいいだけの話であるのだが。
初夏の一番収穫。取れたてのそら豆はおいしいよ、嬢ちゃん。
そんな八百屋の店主のほくほく顔に乗せられて買ってしまったそら豆は炊飯器の中でほっこり炊けたごはんとなっている。
我ながらいい出来だ―――それを弁当箱にせっせと詰め込みながら、敦盛は心で毒づく。
「…私は、男だ」
自分の分と、同居人の分と。
二人分の弁当を甲斐甲斐しく作る、いわゆる「弁当系男子」ではちょっと説得力もないのだが。
敦盛の憤りは今日もひっそりと流れていくのである。
野菜が足りない。と、バランで仕切って…と仕上げをしている時の事であった。
ドアが開き、同居人が帰宅する。思わず時計を見るが、時刻は22時。彼にしては随分と早い時間であった。
「おかえり、ヒノエ……何かあったのか?」
「ああ、ただいま」
切り替えしにもどこか覇気がない。
これは本当にヒノエなのだろうかと敦盛はいぶかしげな視線でその背を追う。
「俺がいなくて淋しかったかい?」だなどと、帰宅の度に伴侶に向けるかのような軽口を飛ばすお約束すらないとは…。
怪しい。
明日の用意を片付け、気配を殺しながらリビングを覗けば、テレビを眺めるヒノエが目に入る。
滑らせた視線の先――――テレビに映っているのは、
「(…おかしい!ヒノエは動物ドキュメンタリーなど見ない!)」
いつも私が見ていると勝手にチャンネルを変えてしまうくせに!
ヒノエは愛らしいラッコの親子の映像に釘づけだ。チャンネルを変える気配もない。
水面に浮き、かちかちと。
石で貝を割る母ラッコのなんと愛らしい事か。思わず頬が緩む。
うっかり目的を忘れてしまいそうになり、敦盛は首を振って意識を取り戻した。
部屋から後ずさり、キッチン横に立てかけてあるごぼうを手に取る。これならば血なまぐさい結果にもならないだろう。
ぐっと握りしめ、ヒノエに気付かれぬよう背後へ回り込む。
ヒュオ、振り上げたごぼうは悲しげな悲鳴をあげた。
「(ごぼう殿、すまない…!)」
覚悟を決め、振り下ろした矢先、ヒノエが口を開いた。
「…本気で好きなやつできた」
「え?」
しかし時すでに遅し。振り下ろされたごぼうはヒノエの髪に深くめり込み、哀れその姿は中央でぼっきり折れてしまった。
明日は問答無用できんぴらでも作らせよう、どこまでもヒノエの心配をしていない敦盛は一人、そんな事を考えていたのであった。
「敦盛お前明日も食事当番な」
横暴!横暴!
敦盛の中の小人たちが一揆を起こすと意気込むが、所詮は器が敦盛である。
その抗議が表情に表れることはなく、コールは次第に鎮まっていった。
ごぼうの亡骸を前に正座させられるとはなんという屈辱だろうか。
熊野のヒノエの実家で暮らしていた時はこの役目は彼の役目であったはずであるのに。
色々と思う所はあるが言い訳しても無駄な事は分かりきっている。敦盛は真摯にヒノエの叱責を受けたのであった。
改めて姿勢を正し、先ほどの彼の言葉に関し尋ねれば、そわそわとどこか落ち着きのない様子を見せる。
敦盛自身は正直なところ、幻聴であったと理解している。
日夜男女問わずあれやこれやと宴会お祭りカーニバル脳のこの男が、ただ一人の人間を好きになるだなどと考えられない。
「お前反省してないだろ」
「…いや、そんなことはない。それよりヒノエが本気になる女性とは…そちらの方が気になっている」
適当に誤魔化した故に出た言葉だが、ヒノエはそれを聞くなり真剣な表情を見せ、考え込む。
言いたいのか言いたくないのかはっきりしない姿に焦れ、敦盛はテレビに集中する事にした。
母ラッコが子ラッコの毛づくろいをしている…猛烈可愛い。
そんな癒しの時を割り、届いたのは珍しく真剣な声色だった。視聴を止め、その言葉に集中する。
ぽつりぽつりと、ヒノエにしては拙い言葉数で語るのは出会いのきっかけだ。
敦盛としてはその内容は興味が引かれるものではない。しかし、ヒノエが真面目に自分と向き合っている事だけは分かる。
時折頷きを交えながら話を聞く。一通り聞き遂げた後、声をかけた。
「…そうか、年下の女性なんだな」
「お前何も聞いてないのか!年上!会社会人!一人暮らしだって言っただろ!」
こんなにも取り乱すヒノエも珍しい。いつもの余裕たっぷりの憎たらしい表情はどこへいってしまったのだろうか。
何にせよしばらく日記の内容には困らない――――敦盛は一人、そっと思いを馳せていた。
----------
薄暗い街を味気なく歩いていた。
故郷の海のそれとは異なる湿り気。
水たまりを避けながら目的地へと急ぐ足は、先日発売したばかりのブランドの靴に包まれている。
そのスタイリッシュなデザインに目をやれば、どことなく気分が高揚するのを感じる。
待ち合わせの場所にいる女友達はどんな反応をするだろうか、とか、身に着けている自分の姿を想像すれば自然と上向く気持ち。
県庁とは名ばかりの古ビルが連なる飲み屋街を抜けるべく、ヒノエは足を急かしていた。
噴水とちょっとしたライトアップと。
どこか寂れながらも待ち合わせスポットとして未だ重宝されているそこに辿り着いたのはよかったが、肝心の友人達はまだ到着していない。
せっかくの気分が少し欠けて落ちてしまう。せっかく靴を自慢してやろうと思ったのに。
そんな文句をひっそりと吐き捨てながら、時計に目をやれば、時刻は午後6時半を回ったところであった。
「(…げ、待ち合わせ1時間間違えてたのか)」
ついてない。
しかも今の自分超かっこ悪い。
女は支度に時間がかかるものだ、とかっこよく言ってやるにも時間を持て余し過ぎる。
とはいえ、今更喫茶店に入るのも面倒でヒノエはそのまま噴水の脇に腰掛け、人間観察をすることに決めたのだった。
似たような恰好の若者。
会社帰りの寂びれたOL。
くたびれた背広のサラリーマン。
クールビズだか何だか知らないが、ネクタイが無いだけで途端、覇気のない男の波を見て溜息をつく。
男ってそういうもんじゃないだろ、思わず口に出して言ってしまいそうだった。
ちらちらとこちらを見ながら通り過ぎる女性の視線は悪くないが、今日はどうにもそれを楽しむ気にはなれなかった。
輝く街のネオンは艶やかに存在を主張しているのに、そこに暮らす人間達はなんとくすんでいるのだろうか。
同じような服、同じような髪形、同じような行動。
大人になるという事が個性を失うということなら、自分はどうしたいのだろうかと、珍しくも考えてしまう。
しかし、答えは決まっていた。『“自分”を保ったままの大人になる』単純ながら、ただそれだけである。
将来まで達観できる俺…さすが。
ふふん、と自信満々に微笑したその瞬間、ぐぅ…と情けない腹の音が全てを台無しにしたのであったが。
「…おなかすいているんですか?私と同じですね」
不意に声をかけられる。随分と長くこの噴水に腰掛けているのだ。ナンパ待ちだとでも思われているのだろう。
次に続く言葉はどうせ「この近くに私おすすめのお店があります。よかったら一緒に」だ。
暇であればそんな誘いも嫌いじゃない。むしろ付いて行ってもいいと思えるのだが、今日は生憎待ち合わせ。
「(声の感じからしても、遊び慣れてなさそうな感じだしな)」
振り返らずに分析は進む。親切心から声をかけてくれるような、そういう類の優しい声の持ち主だ。
気軽に遊んで、飯を食って、じゃ、またな!…というのがやりにくいタイプの。
とにかく今日はテンションが低い。狩りをする気分でもない。
とっとと断ってしまおうとヒノエは顔を上げ、声の持ち主を見つめた。
「私も、今日は待ち合わせなんです。おいしいごはんやさんに連れて行ってもらえるって聞いて、楽しみで」
「………」
「…どうしました?あっ、私、変な人間じゃないですよ!…急に話しかけられたら気持ち悪いですよね、ごめんなさい」
同じような服、同じような髪形、同じような行動。ついでに、遊びに適さない女。
自分が一番唾棄すべきとくくったばかりの“大人”がそこにいた。それだけのはずであったのに。
「…名前は?」
気付いたら名前を聞いていた。
そして今に至る。
あれから名前だけじゃもちろん飽き足らず、職業やら住んでる場所やらなんやらかんやら…。
まるで探偵のように根掘り葉掘り聞き出していた自分を、今となってはダサイ!と叱ってやりたくなるが、あの時はそれに夢中になっていたのだ。
「女性の扱いには慣れているヒノエをそんなにあがらせてしまう女人とは恐ろしいな…」
いや、敦盛、お前絶対何か変な勘違いしている。にょにんって何だよ。古代かよ。
ようやく耳を傾けてくれたらしい同居人にささやかにつっこみながら、あの女性を思い出す。
結局あの後、一歩踏み込んだ話をする前に、彼女の待ち人がやって来てしまいその場はお開きとなってしまった。
おっとりとした雰囲気とは裏腹に、去り際の姿はさすがは社会人。
『立つ鳥跡を濁さず』を体現したかのように、華麗に立ち去ってしまった。そんなギャップも好ましい。
そう―――好ましかった。
ぜひまた連絡を取ろうと思う程に。
ヒノエは思わず頭を机にこすり付けた。
そしてメソメソと唸り始める。
困惑顔の敦盛なんかこうしてやる!と意味なく正座されたその股をはたいてやった。マジで何やってるんだろう、俺。
「本当にどうしたヒノエ………」
「…連絡先交換し忘れたんだよ」
もうやだ死にたい。俺こんなキャラじゃないのに。
めそめそとキノコが生えそうな程に六月の風景に同化し始める炎の男を、汚いものでも見るような目で見つめる敦盛の視線が痛い。
だって仕方がないだろう。こんな思い初めてなんだ。
どんな美女だってどんなに性格のいい女だって、何度だって肩を並べて時間を過ごしてきた。
互い切磋琢磨し合って、互いが互いを高め合うパートナー。
まるで最新のブランド装飾を身に着けるかのように、とっかえひっかえしてきた事を、悪い事だとは今も思わない。
そのどの過去にも当てはまらない。
たった一目見て、たった数十分話しただけの、それだけの存在。
「…どうしてこんなに気になるのか、俺だって分からないんだ」
頬を預けた机が冷たく反射している。
天板の端に映った敦盛の瞳は驚きと、何かの思案に彩られて見つめ返してくる。
とうとう、敦盛にも伝わってしまったらしい。小恥ずかしい気持ちは止められないが、それでもどこか心地良くさえあった。
「本気なんだな、ヒノエ」
「…悪いかよ」
視線を逸らし毒付いたのだが、敦盛の表情は変わらない。
呆れるようなため息一つ。反射的に顔を上げたが、ぶつかった紫の瞳は真剣で、勢いが削がれ鎮められる。
真っ直ぐだが決して冷たくないその瞳の温度に、ヒノエは優しさを垣間見て更に何も言えなくなってしまった。
口籠る様子を見て気を良くしたらしい敦盛はそっと微笑み、賛辞を口にする。そして、よかった。とも。
少し頬を染めて口元を緩ませるその顔のなんと愛らしい事か。
照れくささでついつっけんどんな言葉を生み出してしまうが、内心、ヒノエ自身も喜びに満ち溢れていたのである。
「自分の事は自分では分かりにくい。だから私が助言しよう、ヒノエ」
「うん?」
「いつものヒノエならば、接点を持ちたい女性の行動パターンを予測し、自分から接触を図っていた」
住まいを知っているのならば最寄駅も分かるだろう?
敦盛のその助言を聞き、呆気にとられる。そんな単純かつ当たり前の手段になぜ至らなかったのかとがくりと肩を落とした。
しかし、再度顔を上げた瞳に既にもう迷いはなかった。
ぎらり、と妖しく燃える炎と、不敵な笑み。
耳に残る彼女の住所から最寄駅を割り出す。特急列車も停車する、大きな駅だ。
帰宅ラッシュの波が荒れ狂う時間は骨が折れそうだが、波に乗るのは得意中の得意なのだ。臆する事はない。
必ず見つけ出して、一歩を踏み出してみせる―――ヒノエは固く決意をしたのであった。
「明日は遅くなるぜ」
「待ち伏せ作戦に決めたのか」
待ち伏せってやめてよ。ストーカーみたいじゃん。