やさしいひと(弁慶長編:完結)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あとがき
完結。
登場人物のネガティブさに辟易としながら、何とか最後まで吐き出すことが出来、漸く一息ついた気分。
望美も優しい人間であり、主人公も優しい人間であった。
全ての人間、形は違えど「他人を想う心」がある限り「優しい」のだろうと思う。
望美のように、口に出して叱咤し、励まし、手を引く優しさ。
主人公のように、寄り添って諭し、本人に気付かせる優しさ。
どちらも正しく、またどちらも間違っているのだろう。
前者は速攻性があり、後者はゆっくりと好転していく。
どちらもメリット、デメリットが存在し、どちらが正しいかは「受ける主観」が優先されるだろう。
ゲームプレイ当時はただただ望美の猪突猛進な背から怒りの感情を揺さぶられた。
こんなに娯楽に対し「憎い」と感じたキャラクターは初めてで本当に戸惑った。
ゲーム内だけでは彼女の「優しさ」は読み取れず、只管に他キャラクターが「優しい人だ」と褒め契るのに苛立ち、望美の姿に苛立ち、と、本当に何度ディスクをぶち割ってやろうかと考えたか、数えきれない。
今となってはその気持ちも失せてしまったが、未だに望美というキャラクターは好きではないかな、と思う。
無論、連載開始当時とは大きく変わったが。今は「好きじゃないが嫌いでもない。どうにも苦手なキャラ」という感じである。
しかし、イラストを見るだけで頭を掻きむしる程嫌いだったキャラクターが、ここまで心持ち改善された事が、この連載を始めた決定的な成果であると個人的に思う。
やってよかった。狙った通り。
人と寄り添い生きるには必ず双方が歩み寄らねば成り立たないと考える。
人の意見を聞き入れないままの、ゲーム内の望美では、弁慶と恋仲まではなれたとしても、家族にはなれないのだろうなと思いながら、描写されていない一歩奥まった部分を吐き出したつもりである。
独善的な正義感ではなく、本当に相手が喜ぶか。それを量る、という事を学んだ妄想内の望美ならば、弁慶と寄り添い生きることも出来ただろうと思うが、そこはまあ夢小説ということで、
主人公と弁慶、似た者同士の二人で切磋琢磨しながら友白髪を体現してほしいと願う。
完成した人間はそれ以上がないので。望美さんは完成してしまった。
まだまだ半人前で「自分が一番大切」な二人は、今後、互いを労わりながら「相手と幸せを求める勇気」を養っていってもらいたい。
茶屋夫妻から託された命、同僚の死と裏腹に生きている自分の命。
主人公が「自分の命は他人の死と隣り合わせである」という事に気付く成長があった。
『自分が生きていることが、他人の命を背負う事である』という自尊心へ繋がっていてほしいと願う。
もう、この主人公は人の為に命を投げ打つような愛し方はしないだろう。
また、全てが「自分のせい」と思わず、物事の本質を見つめ、他人が「間違っている(自分が間違っているのではない)」という事を認められるという成長が感じられるよう盛り込んだ。はず。
ちゃんと将臣、望美に怒る事が出来た…ので。
だらだら長々綴ったが、一言で表すならば
『運命を遡り、変えるという選択はありえない』ということだ。
一度きりの人生故、私は胸を張って今を必死に生きていると言える。
遡ってやり直したい事などない。間違った選択をした過去もあった。人を傷つけた過去もあった。
けれど、それがあったから今の私があり、人を傷つけてしまったという勉強と成長の成果を得ている。
もし、これを通じ「人に伝えたいこと(人に変わってほしい事)」を挙げるとしたら、「自分と向き合い、自分の無力さを認め、正す事から逃げない事」を挙げる。
自分と向き合うという事は酷く心を病む行為である。
だが、それを避け、他人が悪いと、自分以外のせいにばかりする人間は私は好かない。
自分の行為を肯定してほしいのならば、それ相応の血を流し、自分を変えねば得られないと強く思う。
そんな事を願いながら、長々しい私の後向きな吐き出し妄想にここまでお付き合い下さった全ての読者の方へ、感謝申し上げます。
ありがとうございます。
全てのやさしいひと達。
追伸:
十六夜記も運命の迷宮も、今後も多分プレイしない。
望美と結ばれる弁慶、将臣、(朔)を見たくないので。
望美と相性いいのは九郎、譲、景時、敦盛だと思うので…その辺は見たい気はする。するだけ。
いつか、とある漫画家があとがきに綴った言葉
『漫画は娯楽。もしこの作品が読者にとって不快なものでしかないのならば、娯楽からの目覚めが心地よいものであるよう、私はまだまだ努力が必要なようです』
というのを不意に思い出す。
もし私が次「閲覧者と共感したい、伝えたい」という気持ちを以って創作を行うのならば、上記の漫画家の心意気のようになれたらいい。強く、そう思った。
2014.01.24 あさの