手無し娘
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02.困惑
軋む体を奮い立たせ寝所から抜け出せば、この箱庭には自分以外の気配はなかった。
カーテンの隙間から差し込む光は強く、時計へと目をやれば短針がもうすぐ12へと重なろうとしている。
窓際へ近づき、カーテンを引こうと力を込めれば、右手首に激痛が走った。
そっと目をやる。白い手首は青ざめ、ところどころ打ち身になっているようだ。
昨夜の情事…とは名ばかりの“折檻”の跡が生々しい。いつもより手酷く抱かれたものだ。
そんなにも、あの男達と話をしたことが癇に障ったのだろうか。
「…本当、小さい」
器も身の丈もアレも、ソレも、全て。
意識を飛ばす寸前、子供のように涙を垂らし懇願した姿といい、全てが小さい男なのだ。
「何年経っても…男の人ってそうよね」
この様子では玄関も外から例のロックが掛けられているだろう。
とすれば確認せずとも冷蔵庫の中は食材が詰め込まれているはず。
つまり、彼の機嫌が直るまではここから出られないということだ。
どちらにせよ、この痛々しい見た目では外に出ることすら億劫だ。
リンは諦めた様にベットへと身を投げた。
どうせ自分にはやることもない、そして事を起こす興味もない。だったら大人しく寝ていよう。
「…いい男、だったわ」
ほんの数十分の盛り上がりもない他愛無い会話だったが、思い出して胸を熱くするのは久々の他人との会話だったからだろうか。
楽しい時間であったことに間違いはないが、どことなく胸に渦巻くのは不完全燃焼の塊。
経験に裏付けられた絶対なるこの容姿、人当たりのいい女を演じ、それとなく探りを入れても彼らに下心も媚びる様子も見られなかった。
大抵の男であれば関係を残そうと、媚びへつらってくるのと対照的な彼らの紳士的なそれに、敗北したのは否めない。
もう二度と会わないだろうと、最後に投げた自分の本性上の挑発は彼らにはどう響いただろう。
「(…悔しいような、)」
嬉しいような。
大体の日常は全て自らの手の内にある、と驕った考えがないわけではないが、それでも日常はほぼ狙ったとおりに動いている。
見つけて、魅了して、落として。…捨て、
私を必要としない人は、私もいらない。
…けれど、どうせ見るのならば、昨日のあの美丈夫達の夢を。
瞳を閉じたのと意識が溶け込んだのは、ほぼ同時のことであった。
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「ありえん!ってか!キショすぎだし!あいつっ見る目なさ過ぎだし!」
「お?どうしたサニー今日はやけに荒れてるじゃねーか。そんなにさっきの店が惜しかったのか?」
「ちっげーよ!てかトリコ!前、遅刻してきたくせにでけー面してんじゃねーし!」
リンが連れ去られた後、入れ違いで店に入ってきたのはサニーとココの待ち人、美食屋トリコ。
彼が店内に入るや否や一瞬にして店内に黄色い声が走った。
あまりの異常な反応にトリコをはじめ他の二人も困惑を浮かべたが、すぐに慣れていると言わんばかりにため息で事が終わる。
トリコを認識した若い女達は、次第にサニーとココの正体にも気がつき再び黄色い声を上げる。店内は甲高い女の悲鳴であふれていた。
世界に数多くいる美食屋の一人である彼、もとい彼らは中でも“カリスマ”と呼ばれるほどの存在でその人気は絶大だ。
中でもトリコはメディアの取材を拒むことはないため、知名度も一際高い。
サニーとココはというと、メディアから一歩引き各自テリトリーを保っているため、
知名度はトリコほどではないものの、それでもその名を問えば誰しもが答えられる。その程度の人々の関心は集めていた。
そんな彼らは馴染みの店で2時間遅れの食事を始めている。
女性客の悲鳴で通常の営業が出来ないからと、先ほどの店を追い出されてしまったからだった。
「ありえねーマジあっりえねー」
「まあ、見る目がないのは間違いないな」
「サニーもココもさっきからいったい誰の話してんだ?」
「お前が来る前に一人の女性と時間を潰していたんだ。その人のことさ」
手短にココが説明をする。ようやく状況が飲み込めたらしいトリコは呆れたようにサニーを見た。
「別にいいじゃねーか、俺達から見ておかしなやつでもそいつにとって大切なヤツなんだろ?」
こういった答えのない揉め事の収拾に長けているのはココだ。トリコは同意を得るべくココを見やるが、
当の彼はどこか遠くを見て黙り込んでいる。何かを考えるように伏せられた瞳は、どこか晴れない。
不思議に思い眺めていると、おもむろにココが口を開いた。
「…いくつか、気になることがあったが…まあ、大したことじゃないさ。死相が見えたわけでもないしね」
大したことじゃない、ココはそう告げていつも通りの様子に戻り食事を再開する。
トリコとココが少しばかりやりとりを交わした間に、サニーがようやく落ち着きを取り戻したらしい。
何かを思い出したのか、その表情は楽しげだ。まるで、いたずらを仕掛けた子供のように。
「あいつの服に連絡先を仕込んでおいたんだよ」
「そんなに気に入ったのか、あの子が」
「んー…。ま、何かこのまま終わるのは惜しいって思っただけだし」
それが気に入ったって事じゃないのか。
男二人が心の中ですかさず突っ込みを入れたが、当の本人は知る由もなく上機嫌で料理を口に運んでいる。
別に、彼があの子と連絡を取ろうが自分の知ったことではない。二人はもう大人の男女なのだ。
必要以上に介入するのも好まないし、重ねるが、どうなろうと知ったことではない。の、だが。
「…僕はあまり深入りしないことをおすすめするよ」
彼女に対する複数の疑問と、知己を思う気持ちと。気づけば本音がこぼれていた。
そう、彼女には視力ではとらえられない何かとてつもないものが隠されている気がする。
自分の予感と、予知力が外れたらいい――――ココは久々に、そう願った。
ーーーーーーーーーー
長く、夢の中にいた。
酷い、夢だった。けれどそれはかつて現実であった。生き地獄だった。
今、思えばの話だが。
本当に今更だとリンは思った。今更なぜあんな昔の夢を見たのだろう。しかし、すぐに答えに行きついた。
大きく息を吸って、吐き出す。静かな部屋にそれはやけに大きく響いた。
「(もう一度会えば、何かが変わるのかしら)」
そんな、人任せな思考に気づき苦笑する。変えたいものなど何もない。
ただただこの毎日が続けばいいと願っているのは誰より己のはずだ。
明日は、機嫌がいいだろうか、明日は、………たりしないだろうか。与えてくれるだろうか。
くるりくるりと変わる毎日で、そんな風に祈りながらドアを開ける日はもういらないと選んだのは他ならぬ私だ。
夕焼けは酷く気持ちを落ち込ませる。
リンはベットから起き上がると、脱ぎ捨てられた衣服を手に取りベランダへと向かった。
そこから見えるミニチュアのように小さな街の景色は一面の橙色に照り輝き、胸に切なさを招く。
この広い世界に、自分の存在など、必要ないといわんばかりに。
センチメンタルな思考から抜け出そうと、頭を振る。すると微かに音を立てて何かが床に落下した。
小さく折りたたまれた、メモ用紙。そっとあけた中には流れるような筆で書かれた電話番号と、一人の名前。
「(サニーさん…、いつの間に)」
驚きと、嬉しさと…それらを押さえつける“作られた私”と。
急いで服を洗濯機へと放り込み携帯電話を求め寝室へと戻っていった。