ティナさんと
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連れて来られたカフェは、体に優しい食べ物を提供することをモットーにしたカフェで、原木を活かした作りに素直に好感を抱いた。
でこぼことした木のつくりの先に、真っ白な土壁。
木の枠で縁取られたやや歪な形のガラス窓は、取り壊すことが決まった古屋、あるいは浜辺に流れついたものを使用しているらしい。
近づいてまじまじと眺める。
よく見ると、うっすら青い色を浮かべるガラス窓は長年の漂流の賜物か、程よい加減で表面が削られており、天然のすりガラスさながらである。
外から差し込む太陽光を優しく分散させるそれらはキラキラと輝き、あたたかい空間をカフェの中に作り上げていた。
ぎし、とやや深く軋む椅子に腰掛け、メニュー表を見つめるティナを見る。
先ほどまくし立てられた時は全く覚えがなかったが、今思えば以前会ったことがあるような気がする。リンはそう思った。
視線に気付いたのか、メニュー表を追っていた視線をこちらへ向ける彼女は、それでもやはり様子がおかしい。
頬を赤らめたり、視線を横に流してみたり…と思えば、潤んだ瞳で何か言いたげにこちらを見ていたり。
先ほども少し感じたのだが、その予想はまさかの真実であるかもしれない。
リンはややげんなりしながらここに来てしまった事を後悔したのである。
これは気付かないふりをしてさっさと席を立つに限る、そう心に誓ったのだが、そんな時にうまく行かないのもやはりリンの星回りの悪さが全てなのであった。
掴まれた右手が、熱い。けれどもそれよりも熱いのは、ティナの視線だ。
「あ、の、離してもらえますか」
「…い、嫌よ!離したらあなたどっか行っちゃいそうなんだもの!」
かっと、目を間開いてそう言われてしまってはリンも強くは言えなかった。
実際に逃げ出そうと思っていた後ろめたさも邪魔したように思う。
リンはとにかくティナを諭し、何とか手を離させることには成功した。
こんなオシャレなカフェで昼下がり、女が手を握り合っているなどおかしな光景以外の何物でもない。
少し落ち着いたらしいティナに侘びと簡単な説明をするが、話を聞くにつれてその表情は悲しそうに歪んでいく。
正確には味覚訓練だが、食事制限をしているのでここで食事は出来ないということ、街には別の人間と訪れているため長居はできないということ。
ティナも強引に連れ行った後ろめたさがあるのか、それ以上食い下がることはない。
思ったよりも話が通じたことに安堵しつつ、リンは溜息をつく。
店内を見渡している間にティナが適当にオーダーしたらしいドリンクが運ばれてきた。
それに口をつけることは出来ないのが残念ではある。
けれどもリンを何より悩ませているのはそんなことではない。
彼女が自分に、あらぬ“恋心”を抱いている。それをどう砕くか、それに尽きた。
いくつも言葉が浮かんでは消える。なにぶんこんなケースは初めてだ。
女性に嫌われることはあっても、好かれるなど、ましてそれが恋だなどと経験があるはずがない。
つくづく自分は人とは似て異なるものなのだ、と気付かれないように溜息をつきつつ…ココのことが気になる気持ちが後押しし、リンはティナへと話しかけた。
「……ティナさんは私に恋をしているのね?」
「…………う、あ………ええ、…はい、そうなの」
自分で問うておいてどこかショックだったのは、彼女が否定しなかったことだ。
まさかのまさか、自惚れであって欲しいと思っていた希望が打ち砕かれた瞬間である。
なにがどうしてこうなったのか、分析は後だ。
何より今は、せっかく芽生えた彼女の恋の芽を根こそぎ摘み取るのが己のすべきことなのである。
例えそれが、自分が望んで撒いたものでなかったとしても。
「ごめんなさい、私、もう好きな人がいるの。だから、あなたの気持ちには応えられないし、今後も気持ちが向くことはないです」
種を回収し根を削ぎ。取り付く島のない言葉を選んで言い放った。
はずであった。
「じゃあ2番目でもいい!」
「は、はい…?」
どうやらティナという女性はリンが思う以上に斜め上を行く女性だったらしい。
逃がすまいと再度握られた、正確には捉えられた手がじわじわと熱を宿していく。
なんてこったいこりゃあ参ったことになったぜ!!なんて心中で降参ポーズを取ってみるがそんなもの何の意味もない。状況もよくなるはずもない。
先ほどまでの憂い表情はどこに言ったのだと叫びたくなるような、元気な様子のティナに迫られて行き場をなくした、その時であった。
入り口のドアがゆるり開き、救世主が現れたのである。
「…!ココさん…!!」
「えっ!?どこ!?四天王ココ!!?」
全身黒タイツの巨人、ココが店へとやってきた。駆け寄りたい気持ちは、ティナにより繋がれた手に阻まれる。
先ほどまでリンに意識を全て預けていたティナも、ココの登場に目を輝かせてそちらを見ている。
当のココはというと、どこか上の空のような様子でゆっくりと店内へと進んでいく。
突然の有名人の来店に従業員もどうしていいものか混乱しているようであったが、ココ本人は気にした様子はなかった。
「(…こちらを見ない?)」
急にココの後ろをついて来なくなった己を探しに来たのだとリンは思ったのだが、それにしてはココにそれらしい仕草は見受けられない。
むしろ、ここに目的はないかのような、周囲の好奇の視線も声も聞こえないかのように振舞っている。
どうして。そんな“不安”が急に広がってくる。
急にいなくなった自分に非がある事はリン自身が一番よく分かっている。
だからこそ、ココのその何気ない、気にも留めない様子に酷く恐怖した。
怒っているのならまだいい。自分へと意識が向いている証拠であるから。けれど今のココは違っている。
それ以上ココを見ていられなくて、リンはそっと視線を落とした。熱く繋がれた手が視界に入る。
「(手をつなぎたいのは、この人となんかじゃないのに…)」
そう意識した瞬間に、ぶわ、と涙が溢れ出した。
泣くまいと必死に堪えるが下を向いていてはそれも叶わない。
ぽたり、ぽたりと数粒膝へと涙粒が落ちたところで、リンは傍らに人の存在を感じた。きゃあきゃあと騒ぐ声が少し静まる。
未だ硬く握られた手に、第三者のそれがそっと触れ、それを解いた。繋がれた二つの小さな手は、大きな手によりあっけなく離される。
触れたのは、リンリンの手にだけ。
剥がされたその手はそのまま大きな手に包まれる。
そして、傍らの人はリンを覗き込むようにそっとしゃがみこんだ。
恐る恐る顔を傾けると、滲んだ視界に映ったのは呆れたように困ったように笑う、ココの顔。
「ココ、さん……」
「本当に心配したんだよ?」
リンが発するより前に、空いた一方の手が伸びてリンの涙をぬぐった。
少しかさついた指先が目じりを擦り、涙を浚っていく。
―――触れてくれた。彼から。
その瞬間、胸に渦巻いていた悲しみが溶け出し、雲散していくのをリンは噛み締める。
同時に溢れ出してくるのは後悔の念だ。彼はこんなにも私を愛してくれているのに、どうしていつも、私は、
「不安だったんだね」
「………でも」
どうやったら信じてもらえるかな。そう言うココの声色は穏やかだが、寂しさも含まれている。
彼はもう十分すぎるほど私を推し量ってくれている。身に触れ、言葉を贈り、まごころで触れ合ってくれている。
あとは、私の信じる心があればいいだけなのに。
ぐるぐると巡る思考を言葉に留める事が出来なかった。地に沈んでいくように、徐々に下がるリンの頭。
それに、そっと手が添えられた。ごつごつとした、けれども優しい、大きな手。
髪を掬うように、そっと撫でられる。その絶対的な安心感に、涙がまた溢れだしてきた。
「謝るものじゃないよ。少しずつ、寄り添ってくれたらいいんだ」
さあ、それ以上泣かないで。頭から今度は頬へ。涙で冷えた頬を気にもせず、ココはリンへと体温を分けていく。
じんわりと沁み込む温度。けれど、それだけではない。じわりじわりと沁み込んでいくそれは、まるで毒のようにリンの脳へと響き渡るのだ。
甘露のようで、決して溶ける事の無い誓い。
「あなたは人気者だから、時々、不安になっちゃうの」
「……君ほどじゃないよ」
ぽつり、とココが漏らした言葉に面食らう。思わず彼の顔を覗けばそこには口を尖らせ、子供のように拗ねた表情が目に留まる。
そのギャップに思わず笑いを零すと、ココの機嫌をより損ねてしまったのか攻撃的な毒の言葉をちくり投げかけられた。
そっと、彼の手を取る。心に一番近い―――心臓に招いた。
「私にはあなただけ」
―――ああ、そういうことなのだ。
彼は何度もこうして私に言葉を贈り続けてくれているのだ。
それを信じてもらえないという状態は、きっと、とてもさみしい。
真っ赤になって固まる、巨体の男を精一杯抱きしめた。背に手は回りきらなくても、それでも。
ネガティブで後ろ向きで、自分ばかり守っている臆病な私を、それでもと選んでくれた優しい男にひたすらに―――感謝していた。
「…帰ろう。今日はもう、家でゆっくりしたい気分だ」
「はい。ココさんの好きな紅茶、淹れますね」
いつ用意したのか、さり気ない仕草で代金をテーブルに残すと、ココはリンを抱き寄せて店から去っていく。
伝票の横に置かれたのは二人分の飲食代で。嵐を巻き起こされ完全に飲まれてしまっていたティナは、ようやく意識を取り戻し、ココを振り返った。
振り返る様子もないその背に、そして愛しい人を浚っていくその男に恨み言でも放ってやろうを喉を膨らませた瞬間であった。
――マントが翻され、一言。
「リンは食事を好まない。彼女を視ていない君はお呼びじゃないよ」
「な……っ!」
意義を唱えるよりも先に店のドアが閉まってしまった。カランカランと鳴るベルがただ寂しい。
未だ十分に回復しない、ぼんやりとした思考のまま、ティナはテーブルへと視線を戻した。
向かいの席のドリンク―――グラスにはたっぷりの汗。触れた様子もなかった。
ココの言葉がティナの中で巡る。去り際のこれ見よがしなドヤ顔が浮かんだ時、湧いてきたのは失恋の痛みよりも。
「い、一グラムでもギャフンと言わせてやらなくちゃ気が済まない!あんたに負けないくらい私だってリンさんに運命感じたんだから!!」
絶対にスキャンダル撮ってやる…!
鬼のような形相でココへのリベンジを誓う熱き野望が芽生えたティナなのであった。
「…女性まで魅惑するとは。…本当に僕は苦労するよ」
「…え?ココさん何か言いました?」
―――いや、なんでも。
空を切り裂くキッスの背で、未来に襲い掛かってくるであろう敵を思い浮かべてココは一人、溜息をついていたのであった。