手無し娘
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08.変化
そっか。と、初めから知っていたかのようにサニーは呟いた。
その目にどこか寂しそうな色が見えた気がしたのは、似たような年齢の妹がいるせいだろうか。
どこか彼女と鈴ちゃんを重ねて見ていたのかもしれない。根拠はないが、ココは何となくそう感じた。
「で、どうなんだよ」
「どうって、何が」
「っらばっくれんなし!」
先ほどの切なげな表情はどこへ行ったのか、そもそもあの顔が本心から来るものだったのか疑いたくなるような切り替えの早さだ。
語られるだろう彼女との共同生活について突っつく気満々なのだろう。したり顔が癇に障る。
こっちは毎日距離を保つことに気を割いて疲れているというのに、人の気も知らないで。
と、内心文句を垂れながら、平然を取り繕いサニーへと放つ。
「どうもしないよ。必要以上に干渉しないようにしているし。基本的に気を回したりしないからね」
「っわ、っでー男だな前は…気になって俺に報告する振りしてリンの動向探ってきてたくせに素直じゃ」
「誰がいつそんなことをした?」
「毒」
出そうだぜ。と、いけしゃあしゃあとよくも言ってくれる。
心を落ち着かせ一呼吸置けばすぐに静まる体内の活動。
ココにとってそれは禍々しい体でしかなかったが、それでもかけがえのない自分の体でもある。
若年者にからかわれたくらいで取り乱していてはこの先が思いやられるだけだ、とココは気持ちを引き締めた。
「ところでサニー、覚えてるか?初めて彼女に会った時に言った僕の言葉」
「んなの覚えてるわけねーし」
「…初めて会った時、不思議な違和感を感じた。それで僕はお前に“深入りするな”と言った。彼女に味覚がないと知った時、違和感の正体がこれだと思ったが、少し違う」
メニュー表をろくに見もせずに注文を行った。余程コーヒーが好きで、注文がいつも決まっているのかと思いきや、そのコーヒーには一切手を付けずに立ち去ってしまった。飲み干す時間など余る程あったにも関わらず。
センチュリースープ完成披露会にて曝し上げる形でそれを確認し、解決したと思ったが違っていたのだ。
もう一つの、違和感。
女の周りには常に男がいた。否、男しかいなかった。
道を行けば擦れ違う男を引きつけ、席を共にすれば視線を攫う。
感情を逆撫でするあの視線も、常人ではありえない。異常であり過剰な“魅力”。
一度関わってしまえばたちまち骨の髄まで女の虜となり、精神を壊され、精気を絞り取られ、最期はあの“恋人”のように、朽ち果てるのだ。
藍色の空は群青へと濃さを増し、橙を食い殺そうとしていた夕闇の空の中を風のように飛んだ。
聞き分けの良い賢い相棒は急かす男を咎めもせず、ただ目的地へと懸命に羽ばたいていた。
必死の思いで辿り着いた女の部屋を覗き込んだ時、息が止まった。
あの日、部屋に転がっていたのは精気の限りを絞られ朽ちた屍。そして血だまりに崩れ座る彼女の姿。
死んでいる。
そう見間違えた時の恐ろしいまでの心地悪さは今でも忘れられない。
“視”えるココにとって、その生命体が生きているか死んでいるかなど、姿を見れば一目瞭然だ。
電磁波を見れば見間違うことなんてありえない。
それにも関わらず、あの時のココはリンが死んでいると見間違え酷く動揺した。刹那、息が止まった。
それが何を意味するのか、分かっていないのは本人だけなのだ。それはあまりにも滑稽であった。
「…彼女は、毒婦だよ。彼女の恋人が死んだ時の不可解な部屋の話はしただろう?彼女は普通じゃない。…真実は何一つ分からないが、もしかしたら―――――――」
人じゃ、ないのかもしれない。言葉は発せられることなく消えた。
禍々しい存在以外の何物でもない。
取り込まれた男はずるりずるりと底なし沼にはまるように、女の魅力に取りつかれそして命まで奪われてしまう…と、本当にその推測が真実なのであればやはり警戒するに越したことなどないのだ。
たとえ、それが彼女が自らの意思で招いたものでなかったとしても。
「…警戒、するしかないだろう。優しくなんてして術中にはまってしまえば、それこそ自分の意思でコントロールできなくなるだけだ」
「ハッ!毒人間の前がそれを言うのかよ」
大袈裟な呆れ顔で挑発する。笑い事ではないと不服そうな視線を向けられたがサニーは訂正はしなかった。
サニーとて超視力に頼らぬココの心眼には一目置いている。
思慮深いココだからこそ、相手の深層心理まで読み取り答えへ辿り着く事が出来るのだ。
しかし、話を聞く限りでは今回の件に関してはその“思慮深さ”を使い間違えていると感じる。
問題の答えなど至極単純であり思考を巡らせる問題ではない。
考えず、感じて素直に動けば自ずと答えへと向かうものであるのに。
サニーは人知れず溜息を吐いた。
どれだけこの場でその間違いを指摘したところでこの男は聞く耳を持つまい。
矛盾共に可能性をも殺し、されどそれが自分のスタンスだと、
逃げ道を確保して高みから「好きにすればいい」と見下ろすだけなのだ。
経験のない忠告など、理解は出来ても本質はなかなか理解されない。
人との接点を持たず避け続けたこの男にとって、サニーの答えなど容易に理解されるものではないのだろう。
それでも、サニーは放っておけなかった。彼はそういう男であった。
「…優しくしてやりて、とか思うのか?」
「……そういうわけじゃない。…それは、彼女に取り付かれた男の役目だ。僕の知ったところではない」
「じゃ、俺が優しくしたらどうだし」
「別に、いいんじゃないか。お前なら…」
「内心おもしろくないくせに、良く言うし」
見え透いた言葉など聞きたくないと言わんばかりにココの言葉を遮った。その顔には心外の二文字がありありと刻まれている。
挑戦的なサニーの瞳を見て、ココの顔に浮かんだのは年長者のそれだ。
この期に及んでも“年長者のココ”を崩さないのは、最早余裕だとは到底言えるはずもない。
ココは何か言いたげに口を開いていたが、間を入れずサニーは続けた。
「前みてーに、分析し、慎重に事を運ぶのは大事だ。けど、使い所を間違えたら意味なくね?」
「僕はお前が何を言いたいのか分からない」
「ほら。そうやって閉ざしたまんまじゃ手遅れになっちまうって言ってんだし」
明らかに険しさを増す男の顔にサニーの溜息は深まるばかりだった。
男の過去の散々な経過を知っているだけに言い辛くて誰も言い出さなかったのだろうと想像がつく。
答えは単純至極。恋は走り出したら自分の意思では止めることなど出来ない。
「たまには避けずに、全力でぶつかって汚れろ」
例え身姿が汚れても己の全てを賭けたその精神は何にも代え難くつくしい。
そう言い残し、サニーはココの家から去っていった。
バラバラと音を立て飛び去るサニーを乗せたヘリコプターは高度を上げ、小さく遠くなっていく。
その光景はリンが飛び去った今日の一時を髣髴とさせ、無意識に目を細めたが、程なくしてココは力なく首を振った。
ココとてサニーが言わんとすることが分からぬ程愚鈍ではない。
しかし閉ざされた心の扉は言葉一つで開かれるようなそんな生半可な気持ちで閉ざしたのではない。
胸に手を当て、地へと手を当てる。少し加減を違えば地を這い流れる猛毒の雫。異臭と共に腐り堕ち行く瑞々しかった草花が哀れだ。
「(……人に、非ず)」
降り注ぐ日の光が高度を下げ、辺りを橙に照らしていた。
眩い光線にいっそ貫かれ浄化されたいと願った。それはひどく愚かで、悲しくも女々しい願いであった。
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ふらりふらりと覚束無い足取りで女が歩く。その姿はひどくか細く映り、思わず手を差し出したくなるようだ。
事実、女が道を行く間に何人もの男が手を差し伸べたのだが、女がそれを受け入れる事はなかった。
蝶が花を選び、舞うように。女はふわふわと漂い、目的地なく町を行った。
実際は見目ほど麗しい物ではない。
晴れない霧に包まれ見失う正常な思考は、ただただ気分を滅入らせ顔を俯かせる。
夕暮れの橙が町を包み、濃さを増す影が足元へと伸びてくる。いっそ飲み込んでしまえばいいのに、と体を丸めてしゃがみこんだ。
放っておいてほしい。包み込んでほしい。二つの相反する感情がとぐろを巻き、逃げられない渦となる。
やはり、話すべきではなかったのだ。リンは今更ながら後悔した。
元より自分は気持ちの切り替えに長けていない。過去の、忘れてしまいたい思い出を掘り起こして何もなかったような顔は出来ないのだ。
否、忘れられないからこそ奥に閉じ込め埋めているのだ。不用意に開けてはならない思い出の扉。
蓮っ葉な自分を演じたところで、その跳ね返りが自分に戻り苦しむのだという事を痛感してきたはずなのに。
「(………いたい)」
寒い。気付いた時には辺りに人の気配はなく、一帯は濃紺に支配されていた。
この街は昼間はあらゆる商店でにぎわいを見せるが、夜は早いもので、夕方を過ぎる頃には殆どの店は店終いをしてしまう。
遅くまで語らう酒場などは稀で町の外れに数件ある程度だ。
「(キッスは…)」
夜空を飛べるのだろうか。
いつもならば夕方には切り上げてココの家へと戻っているため気にした事もなかったのだが、キッスは鳥だ。夜目が利かないかもしれない。
また、迷惑をかけてしまう。そんな恐怖が頭の隅に過った。これ以上は、これ以上はどうか。
明らかに持て余している、男にまみれた汚らわしい体を見る、あの瞳。
優しい彼から、もう、あの視線を向けられたくなかった。
自分の思考に飲み込まれがちなのはリンだけではなく、ココも同様だった。
サニーが去った後も自問自答は続き、考え疲れるまで答えの出ない問題を脳内で回していたのだった。
いい加減キリを付けなければいけない、と食事の支度を済ませたのだが、その後もぼんやりとまどろむ時間は止まない。
咎められた己の行動は、思い返してみれば確かに彼女には苦しいだけの対応であったに違いない。
一人になってしまったあの小さな背中を放っておけなかったのは紛れもない事実で、それを連れ帰ったのは己のエゴだ。
水を与えず陽を与えずではどれだけ土が素晴らしい物であったとしても、花は育たない。
「(…少し、改めなければいけない)」
彼女の正体に関する事は全て推測であって、事実ではない。
少なくともこの共同生活の中で、彼女が物理的に迷惑をかけたことなど一つもない。
そこまで至ったところで、ココはある事に気付いた。
「(…食事すら一人で採らせていたな)」
それはココなりの気遣いではあったのだが。
一人で採る食事は味気ない物だ、と誰かが言っていた。
昔から一人でいる事が多かったココではあったが、それでも時々あの悪友達と共にする時間や食事は楽しいと思う。
味覚に欠ける彼女はその楽しさを知らないかもしれないが、それでも一人で採る食事はきっと寂しいことだろう。
「…悪いことをしたな」
自分によい感情を向けない人間が近くにいるという事はそれだけで相当なストレスになる。
排除しようなどと極端な事は思ってはいなかったが、早く出ていくように促し、極力接触を避けたのはココの方だ。
そんな人間と毎日屋根を共にし、荒まないはずがない。
今日、帰ってきたらせめて食事だけでも共に採るようにしよう。そう心に決め、ココはスープを作る手を早めた。
しばらくして、聞き慣れた鳴き声が辺りに響く。
気が付き眺めた窓の外はすっかり夜となっていた事に驚いたが、少し離れた広場に降り立つ相棒とその背に乗る彼女を確認した。
出迎えようかとも思ったのだが、いざとなると足が動かない。仕方なくココは窓から見守る方法を選んだ。
キッスが頭を下げ、背に乗る彼女が滑り降りるのがいつもの下り方だが、どこか様子がおかしいと気付く。
目を細め彼女の姿を捉えた次の瞬間、その体がふらり揺れて、地面へと落下していった。
がた、と音を立て椅子が弾かれ倒れるが、それが地面へと横たわる前にココは部屋を飛び出していたのだった。
慌てて飛び出した庭に留まるキッスの足元に、力なく立ち上がるリンの姿を見た。
自力で起き上がっており、骨折が無いことを確認し密かに安堵の息を漏らす。
「…遅くなりました、ココさん」
「あ、ああ。無事でよかった。大丈夫かい?」
「…はい、問題ありません。ごめんなさい、また煩わせてしまいました」
俯き隠されている為か表情は伺えないが、声に明らかに元気が感じられない。
こんなにも委縮させてしまっていたのかとココは自分の今までの行動を恥じたのだが、それだけでは説明がつかない程にリンの様子がおかしい。
踏み込む事に躊躇はあったが、考えるよりも先に動いていた。
「…何かあった?」
「……いいえ、いいえ。……何も……ごめんなさい、ご心配を………わ…わ、煩わせ、て…」
力なく風が流れたと思った時には女はすでに面前から姿を消していた。慌てて振り返れば、宙に漂うかのように不安定な足取りで扉へと向かっている。
そのか細い背が主張するは疲労のみならず、軽い拒絶のようなものが感じられた。
「(酷い波長だ)」
極限まで張り詰めた糸が切れてしまうかのような。
今朝のものとは比べ物にならぬほど酷いそれに、ココは思わず声をかけた。
「…リンさん、酷い顔だ。……もう今日は、」
「………………」
「…え?」
ココの言葉を遮り、リンが何かを告げた。しかしそれは小さく、風に攫われココの耳には届かない。
耳をこらし彼女の声を聞き拾おうと近づく。しかし、それを待ち受けていたのは絶対なる拒絶であった。
静かに、けれども激しい悲痛の嵐が渦となり身にぶつかる。あまりの熾烈さにココは足を止めざるを得なかった。
女は振り返った。
その目に大粒の涙を溜めて、酷く恨めしげな色を浮かべ振り返った。
瞬時にココは己が言葉が最後まで吐かれていないこと、そしてその意図が伝わっていないことを理解した。
訂正をするべく口を開いたのだが、気おされる。
一瞬の隙をつき、リンの言葉が場に突き通った。
「…いっそ、」
捨てて下さい。
いつから吹き始めたか、強い風が辺りの木々を揺らし木の葉を攫った。
ざあざあとノイズのように流れる葉の音に、脳の指令すら遮られてしまったかのように、ココはその場から動くことが出来なかった。
リンの去った広場で懺悔のような言葉が、力なく落ちる。
「そうじゃ、ないんだ…そんなことが言いたかったわけじゃ、ないんだ」
けれどそれすらも分かってもらえなかったのは、今までの己の行動がそれだけ彼女を追い詰めていたということなのだろうか。
縋るものもない彼女は今頃一人で儚んでいるのだろうか。酷く胸が締め付けられるような思いだった。
サニーの言葉を鵜呑みにするわけではない、警戒を解いたわけでもない、けれど、この胸の痛みは紛れもない真実の痛みだ。
そう気付いた時にはすでに足は彼女の部屋へと向かっていた。
この超人的な視力がない一般人であったら、この部屋は無人だと判断して立ち去っていただろう。それほど部屋は人の気配を感じられなかった。
窓の外で木々が揺らめく音以外、この部屋に気配と言うものが存在していない。
ベット脇に丸く膨らむシーツの塊、そこにリンがあった。足を進めるごとに木張りの床が軋むが、彼女の反応はなかった。
深く眠っているその頬には痛ましい涙の痕がくっきりと見られた。瞼も腫れ上がってしまっている。
まるで身を守る盾のようにシーツを纏い、気配を殺して泣くその姿は見ようによっては哀れそのものだった。
けれどもココの胸は哀れみよりも悲しみに痛んだ。
しばらく何も出来ずリンの寝顔を盗み見ていたのだが、不意にその目から涙がこぼれた。拭うべく手を差し出したが、触れる寸前でそれは止められる。
――――毒人間。第一級危険生物。
紛れもない自分の呼び名。
差し出した手は、程なく下ろされてしまった。
己の心が向くままに行動できないジレンマに顔を歪め立ち尽くしていたが、視界の端が不意に揺れたのが目にとまった。
見れば彼女が少し震えている。
シーツ越しならば、と近くにあったブランケットをかけてやるべく近づけば、リンは小さく何かを訴えているようであった。
「…、……さん…」
拙く聞きづらい声を拾うべく、更に身を寄せる。長い睫毛が儚げに震えていた。
「…捨て、ないで」
「…………」
ああ、この子もなのか。
消え入りそうに呟かれた父を呼ぶ声、母を呼ぶ声。その言葉一つで悟ってしまった彼女の生い立ちの片鱗。
淋しかったことだろう。支えがないという事は、それは本当に押しつぶされてしまう孤独の世界だ。
男に寄生すると罵られても、それが正しくなどなくても、そう生きざるをえなかったのだろう。
捨てられたくなくて、捨てられた事を受け入れられなくて。
けれどどこか欠片で理解した現実を、その幼い身で、頭で、受け入れようと、自分を責めて。
泣き出す心を殺して、きっと深く、深く、刻み付けたのだろう。
決して触れる事は出来ないけれど、せめてもの手向けに囁く。
「…今まで悪かったね」
悪夢が少しでも晴れたらいい。ココはそう願わずにはいられなかった。