手無し娘
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07.過去
キッスの背に乗り羽ばたく空は澄んだ空気の層で景色が抜群に美しいが、高度が上がる分寒さが強い。
その為、強くしがみ付き、体温を共有するのがお決まりの行動になっている。
高らかに声をあげ、空を羽ばたくエンペラークロウ。程なくして街へと辿り着いた。
「ありがとう、キッス」
お礼を言えば小さく喉を鳴らし、キッスはすぐに空へと飛び立っていった。
街へと視線を戻す。
グルメフォーチュンとは異なるこの街は、規模はそれほど大きくはないものの、細い路地には個人経営の小さな店が軒を連ね、この街で生活する人々は皆活気に満ち溢れている。
軒下に詰まれた籠の中には色鮮やかな果物が盛られていたり、はたまた別の小道には天然石が目を見張る小物が並べられていたり。
使い込まれたシートテントから差し込む光は辺りを明と暗に輝かせ、まるで町全体が宝箱の中のような、そんな錯覚に陥る。
かつんかつんと石畳を音を鳴らして歩けば、その雰囲気に浸り自然と顔が綻んでいく。そんな街であった。
柱に貼られているチラシや案内を見ては、店を訪れ、検討する。
ここが住みやすそうな街である事は間違いないのだが、なかなか就職への決定打が得られない。
ココの家に居候をするようになってから幾度もこの街を訪れ、
気になる店舗に顔を出したりしていたのだが、未だに店を決めることが出来ないでいた。
今頃、家ではサニーとココが楽しい時間を送っているのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていたら、曲がり角で人とぶつかる。慌てて非礼を詫びようと顔を上げれば、強面と視線がぶつかった。
すっかり悪人面になってしまったが、その顔には言うまでもなく見覚えがある。
「…マッチ兄さん」
「……! お前、リンか?久しぶりだな」
白いスーツに身を包んで部下を従え出で立つ男。街に似合わぬ厳つい風貌に周囲も困惑した様子で通り過ぎていく。
この平和な街にはマッチのような姿では都合が悪かろう、促されるまま近くの喫茶店へと入り、そこで話をすることとなったのだった。
「本当に久しぶりだな…あれから何年経った?」
「…七つの時でしたね。兄さんには本当にお世話になりました」
「急に施設から姿を消して…俺本当に心配したぜ」
本人は気付いていない様子であったが、再会したのは小松がセンチュリースープを完成させた、あの披露会であった。
泣きながら脇を走り去っていった美しい女。
感情を剥き出しにし、泣き崩れていても人目を引く美しさはあの頃のまま変わっていない。
あの日も周囲にいた男達がこぞって振り返り、その後姿を見送っていた光景を思い出して苦笑した。
今もそうだった。
部下達の興味は完全にリンに注がれており、普段の硬派な姿など、本当に持っているのかと疑いたくなるような腑抜け状態。
マッチはテーブルの下で部下達の足を踏んづけた。
「そんなんじゃ相変わらず女共には好かれてなさそうだな」
「…最近は周囲も大人になりましたから。あからさまに嫌がらせをしたり、昔のようなことはありませんよ」
兄さんに守ってもらう必要もないくらい。
そう言って微笑んだ彼女はマッチには酷く歪んで見えた。
自衛する力はないが、己を放っておかない男がたくさんいるから、それらを盾にすればいい。
まるで、過去の自分が“兄さん”という付加価値のついた盾であっただけだと言われたかのようで、心が軋んだ。
「お前、嫌な女になったな。何がお前をそうさせた?…あの施設から急に姿を消したのは…なぜなんだ?」
空気が変わった。
リンは相変わらず無表情だが、微かな表情の変化がある。
以前トリコ達に施設にいた頃の話をしたことがある。
リンが施設から急に姿を消したあの日、マッチは血相を変えてそこら中の心当たりを回った。
けれども大人達は意味深に口を閉ざし、リンの周囲に群がっていた子供達もみな知らないと泣き出すだけ。
マッチが親の元に戻った後に伝を使い必死に探させども、本当に手がかり一つ何も手に入らなかったのだ。
その空白の時間が埋まる願ってもない好機。
マッチにのみ聞かせるという条件の下、人払いをさせた席でリンは静かに口を開いた。
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施設は貧しい所であった。
時代に取り残され十分な資金を得られずに、それでも人々の善意からなる少ない資金で運営している小さな施設であった。
マッチがそこにいた頃は特に受入数の上限ぎりぎりであり、リンの受入はあまり歓迎されるものではなかった。
人の命に優劣などない、そんな美しい精神も現実的な資金繰りの前では霞みがちで、投資しても見返りを期待できそうもないリンの受入を渋った事に関しては仕方の無いことだったのかもしれない。
それでも、マッチの必死の懇願と彼の持つグルメヤクザという名前の力もあり、施設に迎えられる事となったのだった。
楽しかったですね、あの頃は、あなたは、とても。
時折、投げやりな感想を挟んでは記憶を綴る。もう表情は読み取れなくなっていた。
特に大きな出来事もなく、平和に細々と施設での生活は過ぎていくはずだった。
マッチが異変に気付いたのは、リンが施設に入所してほんの数日経過したばかりのことであった。
ほんの些細な事である。
リンの行く先に、そして向かう姿の後ろには必ず「男」がくっついていたのだ。
さして気にも留めていなかった。早くも性別を超えた友人が出来たのか、と、施設へ導いたことを誇る以外に疑問にも持たなかったのである。
それが、どうだろうか。
日を重ねるごとに変化していく周囲がありありと取って見えた。
リンの周りには常に男がいた。それが一人、また一人と増えていき、入所して一週が過ぎる頃には施設内の殆どの男児がリンのそばに群がっていたのだ。
それを面白く思わないのが女であった。
事あるごとに難癖をつけては、彼女を虐め始めたのである。
施設の大人も同様であった。理由は異なれども、一人の娘に吸い寄せられるかのように男児が群がる光景というのは異常以外の何物でもない。得体の知れないその現象に、大人達もどう対処すべきか持て余していたのだ。
次第にその歪は大きくなっていき、最終的に間に入ったのがマッチであったのだ。
「その頃からでしたね、あなたをマッチ兄さんと呼ぶようになったのは」
マッチは手を伸ばす男児を払い、リンから切り離すよう努めた。
なるべく彼女のそばにいるように気遣い、異常事態を引き起こさぬよう監視を始めたのである。
その甲斐もあってか、男児達が必要以上に彼女にまとわりつくことはなくなった。
女児との間の溝を埋めることは出来なかったが、それでも彼女は幸せそうに笑っていた。満たされていた。
その出来事をきっかけに、マッチとリンとの距離はみるみる内に縮まり、色んな話をした。
その中でも今でも強烈に忘れられないのは、彼女の味覚異常の話であった。
彼女は言った。
「あじがわからない」のだと。
幼い姿に見合わない、諦めたような大人の表情でぽつりと漏らしていた。
幸せな家庭だったらしい。少なくとも、彼女の記憶ではそうであったらしい。
幸せそうな、家族、だったらしい。
記憶は幼さゆえに曖昧で、断片的な記憶しかなかったが、それでも語られる記憶の欠片は凄惨なものであった。
生まれながらにして味覚を持たずして生まれてきた。そんな事を知りもしない両親は愛情一杯に娘を育てた。
グルメ時代に生まれた幸せ。美味しいものを分け合い、与え、共有して育てていく。
そんな幸せな家庭の元、リンはすくすくと育っていった。
けれどリンには両親が“食事”の時、“食べ物”を頬張るとなぜあんなにも笑顔になるのかがよく分からなかった。
分からなかったが、見よう見まねで“食事”を続け、こう言ったのだ。『おいしい』と。
その四文字を口にすれば両親は更に笑顔を濃くし、食べ物を差し出す。意味も分からない言葉。
それでも小さなリンには両親が笑顔になることがただ嬉しく、偽りの言葉を吐き続けたのであった。
偽りの食卓が崩れたのはあっという間の出来事であった。
ほんの些細な出来事だ。
けれども、その些細な出来事をきっかけにリンに味覚がないことを知った両親は酷く落胆した。
世はグルメ時代。この世界の全ては“食”を中心に回っていることは最早誰が説明する必要もない。
食が支配するこの世の中で、自分達の娘はどれだけのハンデを背負って生きていくのだろう、と、絶望しては泣き崩れた。
笑顔の食卓は滅多に見られなくなってしまった。『おいしい』という言葉を封じられた。
「笑ってほしくて、何回も言ったの。でも、笑ってくれないの。時には…叩かれたり、痛いこと、いっぱいされた」
小さな背中を丸めて吐き出した過去は、その背には背負えぬほど重く大きすぎたのだろう。
ただ、笑ってほしかった。ただ、愛してほしかった。きっとたくさん、考えたのだろう。
包まれていた温かい場所へ行きたくて、幼い心できっとたくさん考えたのだろう。
けれど、当時のマッチにはそんなリンを抱きとめる言葉も、腕も、どこにもなかった。
ただ、蚊の鳴くような声で、搾り出す言葉達がただただ悲しくて隣で泣くしか出来なかったのだった。
運命の日は、あっけなく訪れた。
マッチが日課である施設外の川へと水汲みに行っていたそのたった少しの時間だった。
戻って着たときにはすでに施設にリンの姿も、その痕跡も何一つ残されておらず、まるではじめから何もいなかったかのような錯覚さえ覚えさせられるほどであった。
今となって思い当たることといえば、水汲みの帰り際にすれ違った一台の高級車。
人里離れた施設にはまったく似合わない、贅を尽くした悪趣味な車だった。きっとあれに乗せられ、連れ去られたのだろう――――
は、と我に返る。
記憶が追いつき、目が冴えた。
目の前にいるのは幼い彼女ではない。美しく成長した孤児だった女。その表情は、無だった。
「…売られたんです。好色な、物好きの老人に」
ぱん、と耳の奥で弾けたのは怒りだったのだろうか。
もう、何であったかマッチには判別できない。ただ、目の奥が熱く痺れている。
「あまり覚えていませんが、相当な金額だったと聞いています。その老人が幾度もぼやいていましたから」
「施設が、人身売買なんかしてたのかよ!」
「…もちろん、人道的ではありませんし、施設の人は何度か断っていましたよ。でも」
貧しい子供を助けたい。
けれども運営していく費用が足りない。
施設は一の犠牲を払い、多数を助けるという判断だった。
捨てられ、ぼろ雑巾のような肉片が、莫大な金へと姿を変える。それはまるでシンデレラストーリーのようだ。
施設はその精神を、魂を売り渡したのだ。
けれど、お陰で施設の運営は立ち直り、何名もの子供達が巣立つことが出来たのは紛れもない事実だ。
それでも、それでも。
「だからって、お前が犠牲になる義理なんかどこにもねぇじゃねぇかよ!」
「でも存在理由を与えられた」
「!?」
「可愛い可愛いって愛され、愛でられ、閉じ込められ………毎日、毎晩、ずっとずっと」
どろり、と濁った液体が流れていくような不快感。思わず背に嫌なものが走った。
もう、リンの目を見られなかった。そらした視界の端に、ゆらりと動く彼女が見える。
続きを聞きたいような聞いてはいけないような、じわりと広がるのは好奇心か、それとも嫌悪感か。
動揺を啜ったのか、滑稽だと蔑んだのだろうか。くすくすと、女が笑う。
「私があの日、お母さんに捨てられた日、兄さんに拾われたあの日、私、お父さんにね」
「やめろ!」
「お母さんにね、言われたの。毒婦だって。おかしいでしょ、兄さん。私、こおんな小さな娘だったのに、毒婦だって」
「…リン、もういい!」
「汚らわしいって。私を襲おうとしたお父さんから助けてくれるって、私、お母さんのこと信じてたのに、汚らわしいって」
実の父さえも魅了する魔性の女。
施設の男を釘付け引き寄せる魔性の女。
枯れた老人の目の色さえ変えさせる魔性の女。
施設から消え去ったあの日から、男を渡り愛玩少女となって寄生し生きていく。
必要とされるのならば、どこへだって。脚だって。胸だって。尻だって。すべて、あなたのもの。
「産まなきゃ良かったって 言われちゃった」
静まり返ったテーブル。グラスの氷がカランと空しく鳴るだけであった。