手無し娘
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06.生活
「運命の答えは、家で君を待ってる」
逝く命の待ち人が私であるというのならば、共に逝くのが定めでしょうか。
華奢なヒールが乾いた草を踏みしめる。西の空に溶けていく夕日が辺りを橙に染め上げていた。
タクシーを呼ばずに荒れた地を行くのはただの気まぐれだった。
微かに流れる風が生暖かく肌を撫でていく。ほんの慰みにもならないそれらは
染め上げられ色を無くした葉を揺らした。
占いなど対して信じた事はない。けれど、先程のココの言葉が耳に残って離れなかった。
彼は視えていたのだろうか。けれどはっきりと、それは告げられなかった。
占い師の全てが、彼のような力があるわけではない。
あの街の中でも何十件と存在する占い屋はただ単に用途に合わせて数が増えたわけではないだろう。
訪れる人だって、常に“真実”を求めて来る客ばかりではないはずなのだ。
己の中で答えが出ていて、それを確信に変えるための“占い”を求めている客の要求に合わせ
さまざまな占い師、占い屋が増えたと考えるのが妥当だからだ。
ココがどうだったのかは分からない。けれど、リンははっきりと言ってほしかったのだ。
自分の中には迷いがある。恋人と添い遂げればいいのか、新たな恋人を探せばいいのか。
そこまで考えてリンは苦笑した。
あの人も前の人も、今まで触れ合った人は皆、恋人なんて綺麗なものじゃない。
『寄生虫』
そう、罵ったのは誰だったろうか。
「(きっと疲れてるんだ…あの人と死にたいなんて思った事ないもの)」
必要とされていたくて身を売り脚を開き薄暗い悦びを噛みしめて彷徨い続ける。
虚しさに目が暗んだ日も、孤独という淵に立たされた日も、
「愛している」と、求められる言葉一つで自分の生きる価値を確かめた。
でなければ、人である事を忘れてしまいそうだった。
欲望を満たすだけの綺麗な入れ物。そう言われているだけのような気がして。
じわりじわりと闇が浸食を始める。飲み込まれて消えてしまう前に、
「(抱かれなければ)」
生きる価値を確かめたい。人格を持った人である事を確かにしたい。リンは自宅へ向かう足を急がせた。
“視る”必要はないと思った。
憂いを体一杯に溜め込んで、死にたいと呟いた彼女はよくある光景の一つで、ココは何度もそういう客の相手をしてきた。
そういう人間はおおよそ、本当に死にたいなどとは思っていない。ただ、現実が辛くてそこから「逃れたい」と言っているだけなのだ。
そういった客を“視る”必要はないのだ。培った経験を生かし、見て、励ましてやればいいだけ。
しかしココの気持ちはどこか晴れずにいた。
部屋内を行ったり来たりしては、腰掛け、立ち上がり、徘徊して腰掛け、を繰り返している。
求められた通りの回答を渡した。どこかチクリと痛む胸は見ないふりをして。
何が面白くないのだろうか、ココは自分に問いかける。しかし、答えは見えそうもない。
「(自分の事も視えたら楽なんだけど)」
馬鹿げているとは思いながら、ちょっとした余興だろう、とココは近くにある鏡を立てた。
自分の姿を映し、視る―――――、
背筋が、凍った。
「…!! これは…!」
立ち上がった衝撃で鏡が倒れる。
人の念は時として訪れた場所に微かな痕跡を残すことがある。例えて言うなら香水の残り香のようなものだ。
鏡に映ったのはリンが残していった“死相の欠片”だった。
「(追わなければ…)」
気がついたときにはココは相棒、キッスの背に乗り空に羽ばたいていた。
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「男の匂いがする」と怒鳴られたと思った瞬間、背には床があった。
体に走る衝撃に顔をしかめ、天の視界に映る衰弱した男の顔。ここまではいつものよくある光景であった。
いつもと違ったのは、男の体の震えだ。尋常でないその痙攣は、否が応にもこの箱庭の終焉を悟らせてしまう。
「(またひとりになってしまう)」
いかないで、と男にしがみ付いた。気配が柔らかなものになる。
なんて無様で浅ましい関係なのだろう、こんな共存の仕方を望んでいたわけではないのに。
ぼろぼろと涙を流すリンを見て優越感に浸ったらしい男は、いつも通り性急に事を進めようとするのだが、手の震えが邪魔をして服一つ剥ぎ取ることができないでいる。悔しげに男の顔が歪んだ。
突如、男がその痙攣を一層激しくした。目は飛び出しそうなほど剥き出され、声にならない声で喘ぐ。
怯んだリンが下から抜け出そうともがくが、男の力強く、それは叶わない。
渾身の力で男を突き飛ばし、リンは何とか男から距離を置いた。
男はもう立ち上がる事も出来ないのか、突き飛ばされ崩れたまま小さくなり喘ぐ。
「あ゛、あ゛、あ゛、あ゛」
何度も男を見送ってきた。あの時の光景が蘇る。何度も、何度も蓑を拾っては縋って、消費して、殺すのだ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
男が事切れ、床に血を撒き崩れ落ちた。
骨と皮だけの醜い屍を晒す。
床を赤い血液が伝う。
その光景に異様な興奮を煽られた。
「(なに…?)」
どくん、どくん、と鼓動が次第に大きくはっきりと伝わる。静かな部屋に響き渡るようにそれは低く波打った。
血の赤が誘うように、リンの足元に流れてくるのを眺めると奇妙な興奮が襲う。
“ナメテミタイ”
決して声にならない何かおぞましい要求が、背を走ったと思った瞬間。
ゆるりと指が血溜まりに伸ばされる。リンの全身は興奮に濡れていた。
「(…………アト少シ!!)」
「待て!」
「!!」
けたたましい獣の鳴き声で散らされた興奮と戻る正気。
ガラス窓の向こう一杯に広がる黒は鳥のような姿をしており、その背に乗っているのはココだ。
その表情は切羽詰っているような緊張したもので、けれど中に微かに安堵の色も浮かんでいる。
しばらく呆然とその光景を眺めていたが、我に返り窓へと近づき鍵を開けた。
「……、死相が、見えて。…君じゃなかったんだね」
「死相…」
まだ上手く頭が回らない。彼が言うには私が去った後、微かに残った死臭、もとい死相の欠片を視て、
心配になってやって来たということらしい。実際はリンではなく、恋人の死臭が移ったものであった。
「…死、んだのね、…あの人」
死んだ。その事実を理解するのに時間がかかった事に疑問を覚える。
間違いなく男が逝く瞬間をこの目は捉え、心が嘆いた、その感覚は残っている。
心の記憶を追えば次に全身に走ったのは強烈な悪寒だ。血に手を伸ばした記憶。それも、嬉々として、希望に満ち溢れた心で。
「…わ、わたし、わたし…」
なんて事を考えたのだろう!自分で自分が信じられないと全身が怯えで震える。
あの時、血反吐にまみれたあの男を目の当たりにして湧き上がった、その流れた血を舐めたいという欲求。
常軌を逸している。そんな思考は到底受け入れられるものではない。
湧き上がったその思いも、なぜそんな欲求が発生したのかも。全てが理解できなかった。
尋常ではない自身の行動に困惑するリンと同様、ココも自分の行動に困惑していた。
死相が見えた衝動に任せキッスに無理を強い、無理やりここを探り当てたものの、その行動自体を認めることはできない。
これではまるで踊らされているのと何ら変わりはない、と下唇をかみ締める。
彼女には男を惹きつけ操る力があるというのならば、それに利用されないよう振舞っていくしかないのに、死相一つ見たからといって、血相変えて駆けつける自分の行動は何なのだろう。
彼女のテンプテーションに操られているという自覚はないが、この有様では説得力はない。
しかも自分はこれから彼女にとんでもない提案すらしようとしているのだ。
ココはため息を吐く以外に、鬱屈を晴らす手段を持ち得ていなかった。
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急速に変化する環境についていけない。リンは心底そう思った。
どたばたとまるで喜劇のように片付けられていく、己の人生の節目の移り変わりに浸る間もない。
この喧騒が落ち着けば湧き上がってくるであろう孤独への恐怖も、その対処も、今は考えられず虚ろな視線が彷徨う。
なぜ私はここにいるのだろうか。
「…食べたくなくても食べるんだ。君は生きているのだから」
意識が面前の料理へ向かう。ゆらりと湯気が踊るそれは家庭の料理と呼ぶに相応しいだろう素朴なものだ。
素材の香りが優しく香る。ぴくり、と指が動いたがすぐにそれは静まってしまった。目敏く見つけられ、指摘が振ってくる。
「流し込むだけでいい。味わう必要なんかない」
「………そ…れは…」
責めているのですか。その言葉は続けられなかった。
従うままに指を動かしスプーンを手に取る。流し込んだスープには味はなかった。
「……お――――――」
耳の奥でかつての記憶の音が鳴る。瞬間、体が強張った。言ってはいけない言葉があるのだ。
悪魔のようなその言葉。
「なに?」
「…いいえ、…とても、あたたかい、です」
「…そう」
そう伝えるので精一杯だった。
目の前の男、ココはそれを確認すると小さく返事を返し部屋から立ち去る。
残された部屋の静けさが孤独を誘う――――ここは、ココの家だった。絶壁の壁の頂に立てられた人里離れた孤高の地。
風が木々を撫でる音、時折鳴く彼の相棒エンペラークロウの“キッス”の声以外は殆ど聞こえない静かな地。
恋人が事切れたあの後、キッスの背に乗せられ気がついたときはここに来ていた。
ココの様子を見る限りでは連れてこられる前に何か言ったらしい、おそらく同意を得る言葉であったのだろうが、
自失呆然としていたリンにはその記憶はなく、この状況も更に混乱を引き起こす要因の一つとなっていた。
ココはここにしばらく身を置くことを提案していた。
ただし、無条件ではない。もちろんある程度条件付の居候だ。その条件は全部で4つ。
一、滞在は3ヶ月までとし、その間に必ず職を見つけること。
二、選ぶ職業は性交渉・またはそれに準ずる性的行為を目的とした業務でないこと。
三、家にいる間は最低限の家事を行う事。ただし食事に関してはこの限りではない。
そして、声を低くし、付きつけられた最後の条件。
「四、絶対に僕に触れない事」
その条件がなによりの答えだった。
たとえ自分の行いから来ている結果なのだとしても、今はその言葉が何よりも悲しかった。
ーーーーーーーーーー
朝目覚めるのが何よりも苦痛になった。
陽の香りをいっぱいに吸い込んだシーツは心地よく、窓から差し込む朝日は穏やかだ。
開け放した窓からはひやりと肌を触る風が吹き込み流れ去っていく。
耳を澄ませば聞こえてくるのはトントン、と軽快な包丁の音で、徐々に香りが強まってくる朝食の香り。
一般的に見て、これ以上ないほどに幸せな朝の一シーンであるのは間違いない。
味覚のない私は、用意される朝食を“美味しい”と笑い合って食べることが出来ない。
色にまみれ汚らわしい私は、ここに留まることを望まれているわけではない。
ただ、男の優しさで置かれているだけに過ぎないのだ。その優しさが今はただ息苦しい。
触れてくれるな、男は言った。その言葉が重く圧し掛かる。
「(彼の為にも、一日でも早く出て行かなければ…)」
まずは手を煩わせないよう、生活するしかない。リンは支度を整え、下へ降りていった。
「…いただきます」
味覚がないことを知られているとはいえ、他人との食事は気が重いものであった。
生命を維持するためのやむを得ない日常行為、その程度の思い入れしかないリンにとって作った本人を目の前に食事を採るなど、試練以外の何物でもない。
苦しそうな顔は見せてはならない、これ以上不快だと思われたくない。ぐるぐると思考は渦巻き苛み続ける。
ココの優しさがただ辛かった。
この奇妙な縁から始まった共同生活は仮にも順調で、1日、1週間と時は過ぎていく。
その間、怯えているリンと警戒を解かないココとの間の歩み寄りはなかったが、大きな問題も発生せず、
ココは仕事へ、リンは職探しへと互いのやるべきことを行っていた。
「…あ」
「……どうか、されました?」
「言い忘れていたけど、今日サニーが来るよ」
「サニーさんが…」
極彩色の髪が視界に映し出された気がした。彼とは数ヶ月前に食事に行ってから連絡を取っていない。
センチュリースープの一件もあり、連絡を取りづらかった、正確に言えば取る必要がなかったのだが、
ココとサニーの関係性を考えれば、自分に味覚がないという話も伝わっているのだろう。
知られたからといって問題はないが、やはりどこか一歩引いてしまう部分はある。
少なくとも、食事の席で自分は嘘をつき、味覚があるように振舞っていたわけで。それはあまりにも不誠実だ。
今更その見栄を張った行動を恥じても仕方がないのだが、会うとなるとやはり気がすすまない。
リンはココに申し出た。
「私は、街へ出かけていてもよろしいでしょうか」
「…サニーに会わなくていいのか?」
「はい、問題ありません」
「…そう、じゃあキッスは任せるから、君の好きにしたらいい」
「……はい、ありがとうございます」
こんなやりとりは日常茶飯事であるというのに、突き放したようなココの言い方に心が痛む。
本当に、早く出ていかなくてはいけない。リンは味のしない料理を流し込んだ。
「では、行ってきます…あの、足りない物は」
「何もないよ。気を付けて」
「…は、い。それでは」
小さく頭を下げキッスに乗り込む。大きな体の背に一人では乗られないリンは、近くにある梯子をかけよじ登る。
触れないという約束通り、キッスに乗る時でさえもココは手を貸す事はなかった。
しっかりと掴まったのを確認し、キッスが飛び立つ。
冴えた青空に飛び立った影はほどなくして見えなくなり、ココはため息をついた。
腹の探り合いと言うべきか、この奇妙な共同生活は思った以上に不透明で知らずの内に無理をしていたらしい。
彼女が街へ出ているこの間だけが、緊張から解き放たれる唯一の時間であった。
いつもどこか不安に揺れる瞳で、申し訳なさそうに生活する彼女にもう少し柔らかく接したいとは思うものの、
気を許せばずるずると引き込まれ、自分を見失うような、そんな底の見えない不気味な予感が離れない。
我ながら本当に素っ気なく扱っていると苦笑するが、これも彼女が職を見つけここから独り立ちするまでの間。
そう考え、納得したのだが、ココはどこか胸にに晴れぬ違和感を感じた。
「?」
今までも何度か違和感を感じる事があった。
けれど、掴もうとしても形ないそれは名前をつけることも叶わずすぐに気配を消していなくなってしまう。
今回も何かが間違っているような、そんな掴み所のない霧を感じたのだがすぐにそれは分からなくなってしまった。
首を傾げる。しかし、答えは出そうもない。
すっきりとしないが、支度をしなければサニーが到着してしまう。咄嗟に頭を切り替え、ココは家の中へと戻っていった。