手無し娘
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05.道標
「…あんまりです。あんなに、綺麗な人なのに」
人のまばらになった部屋で、小松が独り言のように呟く。
結局あれからリンが席に戻ることはなく、連れの男に抱きかかえられたままホテルから去っていった。
一人戻ったココに、トリコをはじめ事の始終を見ていた者達から非難が集中したが、
当の本人が深く傷ついたように笑ってみせたため、皆もそれ以上言うことは出来なかった。
ココは小松の発言に、ふと彼女の言葉を思い出していた。
彼女は言った「仕方がない」のだと。
目に受け止めきれないほど涙を流し、それでも自分の運命を呪わずただ諦めへと走る。
その姿は滑稽だったかもしれない。自分の運命から逃げているだけだと責められるのを恐れただけかもしれない。
けれど、ココにはその姿が目に焼きついて離れなかった。理由は、分からなかった。
あれほどに人に触れることを拒絶し続けた自分が「抱きしめたい」と思った答えも、深い霞に遮られ見ることが出来なかった。
「なあ、ちょっといいか?」
深い思考に囚われていた三人に声をかける男がいた。
今回のセンチュリースープ披露会に招待された、グルメマフィアのマッチだった。
「さっき、そこを走っていった女って、もしかしてリンって名前じゃなかったか?」
「え?マッチさん、リンさんを知っているんですか!?」
「やっぱりそうか…しまったな、呼び止めてやりゃよかったぜ」
チッと、マッチが舌打ちをする。
何か因縁でもあるのだろうか、とその場の全員が息を飲んだが、実際はまったく異なる理由であった。
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マッチがまだ幼いころ、父親の都合で一時だけネルグの外れにある施設に預けられたことがあった。
ある日、ネルグにあるスラムに転げ落ちていた、傷だらけの痩せこけた塊。それがリンであった。
人と分かるや否や、マッチは必死で施設に訴え保護するように頼みこんだ。
看護の甲斐あり回復したリンは平和な毎日を送っていた。しかしそのリンは突然姿を消してしまった。
どれだけ必死に探しても、大人たちに詰め寄っても、皆言葉を濁すばかりで埒が明かず。
結局、マッチが施設から去るまでに、リンが見つかることはなかった。
ところどころ曖昧ではあったが、要約するとこんな感じだ。
「生きていてくれたなら、よかった」
ぽつり、と独り言のように呟く。
遠くを見つめるマッチの瞳は不安げに揺らいでいる。
泣きながら走り去った彼女は、あの頃と変わらない美しさを纏ったままであった。
男であれば誰しもが目を引かれるほどの。
「あいつ、目を見張る別嬪だろ?」
ふと、マッチがトリコ達三人に問いかける。曖昧に返答を返す。マッチが苦笑するのが見えた。
「あんな風だから女からはどうも好かれなくてな…いつも施設で一人だった。…いや、一人ではなかったな。
いつだってあいつの周りには男で溢れてた。なぜか惹きつけるんだ、男を。特別何をしているってわけじゃないって、あいつはいつも」
あの頃から、あんな年齢で、諦めたように笑う顔が瞼に焼き付いている。自分ももしかしたら引き付けられてしまった一人なのかもしれない。
胸に広がる加護欲は、もしかしたら彼女の力で湧き上がっているだけなのかもしれない。
けれど、願うのはただ一つ。“妹分”である彼女が幸せになったらいい。
小さな体を抱きしめて、兄さん、と呟いた遠い日の彼女を、守ってやらなくてはいけないと思った気持ちは
マッチ自身の心から沸きあがった思いに間違いなかったのだから。
「(異常に男を惹きつける、)」
テンプテーション。その言葉がココの頭に弾き出された。
あの時、泣いている彼女を咄嗟に抱きしめたい、と差し出された己が手が、
マッチのように本心からの行動だったかと問われれば、自信がない。
自分は“毒人間”だ。誰よりもそれを自覚し、理解していて、だからこそ他人を遠ざけ生きる道を選んだ。
仲間内から度々心配性だと比喩される事も多々あったが、それは全て最善の安全策を講じたいが故の選択肢であり、ココ自身、それを特別改めようと思った事はない。
今後も、そんな日はきっと来ない。
あの時、殆ど感情に突き動かされるまま差出した腕。それは、彼女に選ばれることはなかったけれど。
「(僕の横をすり抜けてあの男の胸へと飛び込んだとき…僕は、)」
ココは静かに首を振った。今までの状況を踏まえれば答えは既に導き出されている。
彼女本人は事態に気づいているようであるが、その威力がどれほどまでか理解はできていない。
そこに在るだけで男を惹き寄せ毒刃にかける。彼女は紛れもない、筋金入りの“毒婦”だ。
「(浅いうちに気づいてよかった…まだ予防もできる)」
これ以上惑わされる前に距離を置かねばならない。
サニーは聞く耳持たぬだろうが、報告と共に伝えねばならないだろう。
今度は忠告ではなく警告だ。
そして自分自身も、今後彼女と接触する機会があっても決して惑わされぬよう、律さなくてはならない。
ちり、と焦げるような感覚が胸を刺した気がしたが、ココは終ぞそれに気づくことはなかった。
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最初のひとは父だった。父がそうだと気づいたのは汚れた世界に足を踏み入れてしまった、その後であった。
ゆらりと起き上がる。開いた視界は重く、昨日の失態で見事に腫れ上がっていた。
触れるとぶよりと皮が動くのがわかる。最悪な目覚めに、リンはため息を一つつき、ぬくもりを感じる左手を見た。
やせ細った手が離れぬようにリンの手首を掴んでいる。本人は深い眠りについているにも関わらず、すごい力を感じるようであった。
「(この人も、もう)」
終わるだろう。と思った。ほんの数日前まではもう少し人らしい見目をしていた。
ここ数週間の衰弱は激しく、あと数日で絶えてしまうのだろう、リンは他人事のようにそう思った。
そうなれば、必然と訪れる孤独の時間。
リンは男が絶える事よりも、それが何より怖かったのだった。
リンは震える手を男のそれに重ねる。貝殻を閉じるように握れど、男の手は弱弱しく冷たい。
それでも願うのは自分勝手な願いだ。
「せめて、次が見つかるまで生きてくださいな」
死に逝くあなたができる唯一ですよ。吐き出した言葉は、己も驚くほどに冷え切っていた。
憂う心に閃いたように浮かんだ一つの案。リンはココの言葉を思い出していた。
――――占いをしている。
その言葉を繰り返し胸に刻み、恋人を見た。痛ましいほどに衰弱し痩せこけた頬、腕、胸。
じわじわと黒いものが心の侵食を始める。
考えてはいけないと意識をそらそうとしても黒い闇はあっという間にリンを飲み込み、気分が落ち込んでいく。
こんなことを何度も繰り返す私に、どんな意味があるのだろうか。
疑問は膨らみ、次第に自分を責める言葉ばかり浮かび始める。
答えも正解もない不毛な自責の言葉達が浮んでは消え、結論はまとまらず行き場のない心が軋む。
ようやく意を決し自宅から飛び出したのは、短針が頂に重なる少し前のことであった。
グルメフォーチュンは、古くから易学で栄えた街であった。万物を読み解き把握し、導く。
外部の人間からすれば不透明で曖昧な運命を受け入れ、生活を続けるここを遠ざけるものも少なからず存在した。
この街には“猛獣注意”の看板が立っている。
住民達は占い師が占った猛獣の出る時間帯に合わせて毒壁で作られた家に身を隠す生活をしている。
ここ数十年、住民が猛獣に襲われたことはなく、それがこの街の占いの信用性の根拠となっているのだ。
乾いた風が街を通り抜ける。行き交う人々の表情は活気に満ち溢れ、豊かな平和を感じさせる。
通り過ぎる数ある占い店の人入りこそ差があるが、どこも客足が途切れることがないようで、皆、思い思いの占い店へと足を運ぶ。
石畳の道は一歩踏み出せば小気味よい音を鳴らし、リンを導いていく。
かつん、かつん。石畳を叩く音が止み、一際賑わっている店の前へたどり着いた。
「すごい、人」
“CoCo占い”控えめな看板を掲げた簡素な作りのその建物の前には老若男女問わず多くの人間が行列を作っていた。
人々の表情も、姿もまちまちで、中には左右にボディガードを従えた企業の重役のような男もいた。
最後尾へと移動し、改めて人並みを見渡しため息を吐く。この様子では自分まで番が回ってくるのは遅くなりそうだ。
人の隙間から店内を覗くと、列の先頭のさらに前。ちらりと見えたのは緑色の巻き布。
「(間違いない、やっぱりココさんのお店だ)」
もしかしたら違う店なのでは、などと都合のいい妄想をしてみたが、この店が目的地で間違いないらしい。
がくりと肩を落とし、大人しく順番を待つこととなった。
味覚がないというのに、空腹は等しく訪れる。
長蛇の列に並び始めしばらく経って、リンは自分が空腹である事に気がついた。
街の喧騒に比べればささやかな腹の虫は、誰に気付かれる事もなかったらしい。ほっと、リンは胸を撫で下ろした。
味覚を欠いていると“食べる事”への意欲、すなわち食欲が大幅に減退する。
両親のもとにいた頃も、施設にいた頃も、気を抜くと食事を忘れる事がたびたびあった為その度に指摘を受けていた。
大人になって自己管理が常になってから、それこそパートナーが食事をしなければ食事を忘れる事が多々ある。
まだまだはけそうもない人の波を見て、リンはため息をついた。
一度列から離れて、何か食べに行こうかしら…ぼんやりとそんな事を考えていたその時だった。
「…避難しろ!近くの建物の中に皆避難するんだ!時間だ!」
誰かの叫び声が聞こえた瞬間、周囲が騒然とした。
行列も分散し、みな足早に近くの民家、店などに逃げ込んでいく。
リンはただ困惑していた。状況がうまく把握出来なかったために、反応が遅れたのだ。
避難しろと言われてもどこへ逃げればいいのか分からず、その場に茫然と立ち尽くしていた。
どこでもいい、避難しなくてはいけない、ようやく思考が働いた時には周囲に人の気配は消え失せていた。
「…この街は猛獣の出る時間帯にみんな建物の中に避難するんだ。君はそんな事も知らないでこの街に来たのかい?」
背にかけられた声。振り返った先には先程まで行列をいなしていた店の店主、ココが立っていた。
呆れたように見下ろす瞳に、先日まであった“何か”が抜け落ちているのに気付く。
その目はひどく冷たい。何の事もない刺を含んだいつもの調子が、心に突き刺さる程に。
「ココ、さん」
「本当は避難時に人を入れたくないのだけれど、君は一応知り合いだから。入りなよ、猛獣に食い殺されたいなら別だけど」
「それは……………、…すみません、……失礼、します」
じわり、と胸に広がるような痛み。ココの放つ鋭さは両親のもとにいたあの頃からよく知っている。
不要な物を近寄らせまいと、人が放つ、拒絶だ。恐怖心が体中を駆け回る。
足がすくみそうになるが、外に出れば待つのは死。外に出るという選択肢は残されていない。
リンは大人しくココの店内で猛獣が過ぎるのを待つ事となった。
中は外観同様に簡素なつくりであった。
ここに至る前にいくつもの店を見たが、どこも装飾を凝らした怪しげな布や、エキゾチックな魔術文字を店内に書き込むなど、神秘的に見せる内装が施され雰囲気を作っていた。
その為、ココの店のシンプルさに驚いたのだが、それを本人に問いかける事は出来そうもない。
無意識の内に両腕をこすっている。リンは先程の拒絶の瞳に、すっかり委縮してしまっていたのだった。
しかし沈黙も長くは続かない。外が騒がしくなり、土埃で窓の外が見えなくなった。
猛獣が、走っている。
「…っ、」
こわい。その言葉が喉元まで出かかって、そのまま言葉になることはなかった。一層、腕に力を込める。
この街の事情は分からないが、彼がここまで平然としていられるのは安全だからだ。
そう自分に言い聞かせ、震える心を落ち着かせた。頼ってはいけない、彼は頼らせてくれない人なのだ。
そうしてどれほどの時間が経過しただろうか。
次第に街は騒がしさを取り戻し、視界を遮っていた土埃は嘘のようにどこかへ消え失せていた。
時計を見やる。時刻は夕方―――気がつかない間に、思いのほか時間が過ぎていた。
ふと、ココが立ち上がり席を変える。座ったのは、店主としての位置、デスクの前だった。
「今日はもう店じまいだよ。…だけど、君は特別だ。そんな青い顔をした人を放っておくのも人としてどうかと思うしね」
席を促される。言われるがまま指定の場所に腰を下ろした。
近くにココがいる。その表情は隙がなく硬いものだ。それでも造形の美しさは近くで見ればより一層明らかであり、もし、彼から拒絶の念を感じなければ、浮ついた気持ちであったかもしれない。
けれど、今はただ、この距離が怖くてたまらなかった。
「何を知りたい?」
「……ぁ、そ、その」
尻込みしてしまった気持ちを奮い立たせる。ここに来た目的は2つ。
一つは先日の、泣いて迷惑をかけてしまった事への謝罪。
そしてもう一つは、
「……いつ、死にますか」
「…君のこと?それともあの恋人のこと?」
「………私のことです」
死期を知りに来たのだ。
彼女が今日この店を訪れる事は深く視たわけではなかったが、ココは予感として感じ取っていた。
マッチの話を聞き、決意したのは「彼女を遠ざける」ということ。
この街に入ってきた彼女の電磁波を拾った瞬間から、訪れる占いの時まで緩めなかった強固な意識だ。
猛獣の出る時間が迫り、いつも通り人々が避難する中、
困惑の電磁波を目一杯放ち佇んでいた彼女をココはただ眺めていた。どう動くのか、見てみたかった。
おろおろと辺りを見渡すが、運悪く周囲には女性客ばかりで、彼女を構う“男性客”の姿はない。
遠慮して逃げ損ねるなんて、変なところで消極的なのだな、と皮肉を呟いて、彼女を招き入れたのだった。
どうせ今日1日では捌ききれなかった人数だった。
遠くから足を運んだであろう気づかいぐらいは別に構わないだろう、とココはリンを視て営業を終了しようと思った。
彼女の誘惑に惑わされぬように気を張れば張る程、彼女は縮こまっていく。
その姿にはさすがに罪悪感が芽生えたが、それすらも彼女の誘惑なのではないかと思うと、警戒を解く事はできなかった。
どうせ、恋愛の相談だろう、とある程度の予想を立て彼女との対話を始めたココであったが、投げかけられた悩みは、想像をはるかに超えるものであった。
「…それは、味覚がないことに由来しているのかい?」
彼女は静かに首を振った。思い出したのか先日の失態の謝罪をし、そして続ける。
「…覚えているか分かりませんが、あの日言った通りです。天は二物を与えぬと言います。けれど…与えられる物が、それが導く人生が、必ずしもその人の望むものではないと思います。
…驕るわけではありません、ありませんが…。私はこの姿を与えられました。……たまたま、味覚が与えられなかった。…それだけです、悲しむ事なんてありません」
ふわ、と彼女は笑った。その笑顔は言葉とは裏腹に今にも泣き出しそうな悲しみを湛えている。
困惑するココの表情を同情と取ったのか、彼女は続ける。
「それに、たくさんの人が助けてくれます。気にかけてくれます。味覚がなかったのは不幸と呼べば不幸ですが、ココさんがそんな顔をされるような、特別な不幸ではないんです」
「…ならなぜ死にたいと思うんだい?助けてくれる人間が周りにいるんだろ?そいつらを頼ればいいじゃないか」
彼女はまた首を振る。
「みんな、この顔と体が欲しくて、集まるだけ。………本当の、わたしなんて」
誰も。
最後の方は言葉にならなかった。
哀れな娘だと思った。きっと中には本当の意味で彼女を思う人間もいたかもしれないのに、過剰な器を与えられ、人を信じられず、傷つくのを恐れ、拒絶する。
“視る”必要はなかった。家に帰ればその悲しみを埋める答えが待っている。
そう思い、ココは出口へと誘う。
「占いの答えはもう出てるよ。運命の答えは、家で君を待っている」
結論付け、納得して導いた。完璧な占いと、その解決法。
そのはずなのに、店を去るリンの背を視て胸に渦巻いたのは毒のように濁り、淀んだ気持ち。
しかし、湧き上がった淀みを晴らす手段をココは知る事はできなかった。