手無し娘
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03.再会
「お久しぶりです」
「ん、久しぶりだな、元気にしてたか?」
「ええ、おかげさまで」
彩色豊かな長髪が揺れる。長い睫の下の瞳に捉えられ、正面の席へと促された。
数週間前のあの日、自分の服から落ちてきた思いがけない落し物、サニーの連絡先のメモ用紙。
その力により今ここにサニーとリンが再会を果たしたのだ。
場所は前回とは異なる豪奢な洋食店。
中世を思わせる繊細で複雑、どこか古きよき時代の職人のこだわりが掘り込まれた細工の数々が目を楽しませてくれる。
店の存在は知らなかったが、随分と敷居の高そうな店である。
到着した時は、自分の服装では入れないのではないかと思ったほどに。
しかし、クラシカルで高い天井からさげられたシャンデリアが照らす下に、人はまばらだ。閑散としている。
高級そうな店のように見えるし、きっと特別な時にしか使われないのだろうと、
リンはさして気に留めなかったが、広い食堂に数人の人間という寂しい風景は、過去の記憶を嫌が応にも思い出させられる。
それは、リンにとってひどくさびしい記憶のひとつだ。
「…その、この間はとんだ失礼をいたしました。あの人、怒ると周りが見えなくって」
「や、別に気にしてねーし。自分の女が別の男に口説かれてたら誰だってああなるんじゃね?」
「口説かれてた、なんて、そんな…そんなつもりもなかったでしょう」
ちらりとサニーを見やる。相変わらずまっすぐな瞳をしていると思った。嘘を言わないまっすぐな瞳。
それは時に人を突き刺す言葉を放つのかもしれないが、それでも、この人は嘘を言わないのだと信用してしまう。
魅力的だ、と感じた。
「でも、そう、ですね、ありがとうございます」
ん、と小さな返事が返ってきた。
たった数時間話をしただけの人間であるが、その間にも気づいたサニーの人となりを思えば、過去の話をぐだぐだと掘り返しても意味がないのだろう。ここは素直に、言葉に甘えるべきだ。そう判断した。
事実あの人は、そう勘違いをしたわけなのだし。
そうこうしている間に前菜が運ばれてきた。
色鮮やかで“美味しそう”な旬の野菜の詰まったサラダ、香りだけでその濃さが分かる“美味しそう”なスープ。
目で捉えられる情報をくまなく探し、全神経を鼻に集中させる。香りから、分かる情報を脳に叩き込んだ。
知識と記憶の引き出しが開く。これじゃない、あれじゃない、これはこういうときに、あれはああいうときに。
だから、これは…きっとこれ、そう、見た目とも、一致…。
サラダには、普段あまり馴染みのない食材が入っていた。記憶を引き出す時間が、延びる。
まずい、もしかしたらその食材の情報が、ないかもしれない。
けれど、普段の料理ではあまり使われないそれが入っているということは、このサラダの肝は間違いなくそれだ。
何とか、何とか情報を。と、焦りにより強張ったリンの微妙な表情の変化を、サニーは逃さなかった。
「すごく…いい香りですね。バターの香りがすごく届いて…、お恥ずかしいです、語彙に乏しくって」
「別に感じたまま言葉にすればいいんじゃね?ルールなんて何もねーんだし。サラダもうまそうだろ?」
「ええ…、とても。旬のお野菜がたくさんで。最近、野菜不足でして、久しぶりの野菜です」
そうだ、無理やり知ったかぶる必要はないのだ。思うままを思うまま表現したらいい。サニーの言うとおりだ。
けれど、それすらも難しい事が誰より分かっているのはリンだけだ。悟られては、いけない。
言葉に乏しいフリをして、何とかやりすごしてしまおう。取り繕う事は得意だった。
道筋が決まったところで、目の前にフォークが差し出される。受け取ると、リンはサラダの葉に突き刺した。
新鮮な野菜が音を立てて砕かれる。シャキ、シャキ、と鳴る葉物は冷水でしっかり冷やされたからだろうか心地よい食感だ。
続けてサニーもサラダに手を付ける。
何気ない食事の仕草なのに、その姿さえ美しく見えるのは彼が美丈夫というだけではない気がした。
スター性と言ったらいいのだろうか、普段の仕草はもちろんだが、食に関わる動作には特に目が引かれる。
先日会ったもう一人の男、ココもそうだった。ただ、コーヒーを口に運ぶだけの、ただそれだけの仕草であるのに、その軌跡が、間が、特別な意味を持つように見えて仕方がなかった。
それが時に、只ならぬ熱を持ち胸を焦がす。恋慕なんて綺麗なものじゃない、これは間違いなく嫉妬だ。
「(嫉妬?一体何に?誰に?)」
時々、自分の感情が分からなくなる。胸に沸いたどろりと渦巻くどす黒いものは間違いなく嫉妬だ。
嫉妬だけれど、けれど。何かとてつもなく重い、例えて言うなら“蓋”が大切な箱を閉じている、そんな感覚がする。
きっと、思い過ごしだ。そうならいい。
女の自分よりも美しく、そして目に見えない「魅力」で仕草ひとつで魅了する。それが悔しいだけだ。きっと、そうだ。
ぐるぐると巡る思考で手が止まっていたらしい、サニーが少し屈んでこちらを伺っていた。
「あ…」
「口にあわね?」
「そ、そんなこと!とっても美味しいです、本当にお野菜久しぶりで…このドレッシングも、
程よくお酢がきいていて…普通の酢じゃない香りがします…食欲が、出てきますよ、ね…」
「そだな」
慌てて吐き出した言葉に矛盾はなかったろうか。
言葉の最後が尻すぼみになった感は否めないが、おかしなことは言ってないはずだ。
サラダには、ドレッシング、ドレッシングは、酢が入っていて、少し柑橘の匂いがしたから、何かフルーツをメインに使った酢なのだろう、酢は、食欲を増進させる力があって、あるはずで…大丈夫。大丈夫。
ばくばくと鳴る心臓を押さえ込み、変わらぬ笑顔で取り繕った。
リンはそのままフォークを進める。咀嚼。食物繊維の塊が、流れていった。
その後も次々と料理が運ばれて、次々に二人は口に運んだ。
会話に夢中だったが、リンはふと、サニーの皿の料理がなくなっていない事に気づいた。
リンは食べるのが遅い。口に含んで噛み砕いて、飲み込むのに時間を要するのだ。
きっと食べるペースを合わせてくれているのだろう、そう解釈したリンは気にせず食事を続ける。
突き刺し、含み、噛み……飲み込む。そして分析。時々笑顔。作られた食事マニュアル。
料理のことはもういいのだ、それより目の前の会話を続けたい。リンは笑顔を会話へと練りこんだ。
頃合。メインディッシュがやってきた。ウエイターが優雅な仕草で近づいてくる。
料理を並べ終え、去るのを待とうと姿勢を正したその時、ウエイターが深々と頭を下げた。
「サニー様、本日は当店へお越し頂きまして誠にありがとうございます。
本日のメインはシェフがサニー様のご来店を祝し、仕上げました特別メニューとなっております。どうぞ、ご賞味くださいませ」
「ん、シェフにも礼を伝えといてくれ」
「かしこまりました。必ずお伝えいたします」
一礼してウエイターが去る。
ぽかん、とその光景を見届けたリンであったが、我に返りサニーへ尋ねた。
「…もしかしてオーナー、とか、ですか?」
「や、ただの一般客だし」
「で、でも一般客にあんな…その、特別メニューなんて出てこないじゃないですか、あなたは、」
一体、その言葉は飲み込まれた。サニーの目がきらり、と鋭さを増したのだ。力の増したそれに少し萎縮する。
少しの時間無言が続いた。無言の間の意図がが読めず、リンは困惑した。相手の思考が読めないのは酷く不安定になる。
人渡りを続ける中で見に付けた処世術のひとつ、無知で無垢な顔を作り必死に耐えた。仮面を崩されないように。
決して“蓋”を開けられないように。
「美食屋やってんだ、俺」
ふっと、威圧が解かれ身が軽くなる。慣性の働くまま後ろに倒れたような、そんな錯覚を感じた。
耳に、縁遠い単語が届いた気がする。男は言った「美食屋」と。けれど疑問を解くにはまだ情報が足りなかった。
「美食屋ですか」
「そ。んで、世界中に馬鹿にてーにいる美食屋にも四天王ってのがいて、その一人が俺だ」
「四天王…の、一人、美食屋の、」
「ココも、あとこの間俺が待ってたやつも美食屋四天王の一人だったけどな」
全ての疑問が今ひとつに繋がった。
前回の店内に溢れ返っていた女性客は皆、色を含んだ眼差しで彼らを見ていた。
はじめはただ、彼らの美しさに純粋な興味をそそられているのだと解釈していたが、今の話を聞けば納得だった。
美食屋四天王という肩書きが、この食欲に満ち溢れた世界でどれほど皆の注目を集めるかなど、疎い身でも想像がつく。
すごい人と知り合ってしまった、という事そのものは、どこか誇らしささえ感じるが、
同時に湧き上がってきたのは、例えようもない、不安だ。
「すごいのですね」
絞り出した声が僅かに震えた。決して悟らせてはいけない。悟られたくない。その一身で言葉を漁る。
平常心を装い、先ほど運ばれたメインを口に運んで、“美味しい”と、口にする。そして完璧なこの美貌に恍惚を浮かべればいいのだ。
けれど隠し切れない震えは強さを増すばかりだ。
「おい、震えてっぞ」
「そんな有名な方だったなんて、存知あげ、なくって。緊張してしまいます」
「んな大げさなもんでもねーし、それよりほら、メイン」
冷めないうちに。とサニーが促す。
リンはそれに曖昧に微笑むと、メインを小さく切り分け口へ放り込んだ。予定通り微笑む。
ああ、口角が痙攣している。と空しく思った。問題ない、そう言い聞かせてサニーへもう一度微笑む。
「美味しいです、とても。素敵なお店にご招待くださって、ありがとうございます」
リンは一刻も早くここから逃げ出してしまいたかった。
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同居人が帰ってきてしまうので、と、食事の相手はどこか逃げるように足早に去っていった。
もう一度出会ったときに感じたのは、やはり文句の付け所のない“美しさ”であった。
悪友。その男が言った忠告を聞くには聞いたが、個人的に見て感じる情報にそれは当てはまらない。
ただしかし、1点においてはこれで確信を得た。
サニーは一人になったテーブルで、ラストオーダーのため、ウエイターを呼ぶ。
駆け寄るウエイターの表情は浮かない。どこか寂しそうな笑顔を浮かべる彼も、これが最後だということを知っているのだ。
「いつもの」
「かしこまりました」
この店は今日でその営業を終える。経営不振による閉店だ。
閑散としていたのは貸しきられていたからでも、人払いをさせたからでもない。
閑古鳥の鳴くこの姿が、この店が閉店に至った答えそのものだった。
見目麗しい作りと、手頃な価格で提供される上品な料理がこの店の最大の武器であった。
連日行列ができ、予約は数ヶ月先までとることができない程の、紛れもない人気点であったのだ。
その人気に影が差した原因は、シェフの病気だった。
人気店を任されているプレッシャー、鳴り続ける予約の連絡。
一刻も早く戻らねばと焦るシェフの責任感に圧され処方されたのは副作用の強い薬で、服用を続けた結果、復帰したシェフの味覚は、以前のそれとは比較できないほどに逸脱していた。
修復不可能なほどにまで。言うまでもなく、作られていく料理は、以前のそれとは雲泥の差であった。
加減の狂った匙、間違えて投入される調味料。だがシェフにはそれが以前と違っているという事が分からなかったのだ。
離れていく客を繋ぎ止めることもできず、けれど、自分の味覚に原因がある、などと、シェフは終ぞ認めることはできなかった。
運ばれてくる一杯のコーヒー。開店当初から寸分変わらない味だ。
口に広がる香ばしさと強めの苦味、サニーはようやく一息ついて、思考を止めた。
「…滅び行くものは、例えようなく儚く、そしてつくしい」
次はきっと、リンを泣かせるかもしれない。
空になったリンの皿と、あまり口の付けられていない自身の皿とを見やり、サニーは密かにため息をついた。