第二幕 揺れる気概
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「私はスイがお昼寝を続けると予想していましたが、その通りでした」
くすくす、クツクツと楽しげな声が響く。
ハクはひとり面白くなさそうにしていたが、そんな三人にしっしっと手を振る。
「時間がもったいないんだから、さっさと乗っておいでよ」
せっかくヨナ姫が馬に乗りに来たのだ。
約束は果たせとばかりにスウォンを見れば、「そうですね」と笑いヨナ姫をようやく馬に引き上げた。
少しの間、ヨナ姫が馬の乗り心地を楽しみながらスウォンに頬を染めている様を眺めていたが、また睡魔が船を漕がしにやってきた。
うとうとと現と夢の境を彷徨っていると、いつの間にやら時間が経ってしまっていたらしく、覚醒しない頭にぼんやりと音が飛び込んでくる。
ヨナ姫の声だ……。
少し焦ったような……そんな声。
しばらくそのまま聴いていたが、ふいにとんでもない言葉が発せられた。
「こ、婚約者なら私にだっているわ!……ハクとか!」
「ぶふぅっ!」
「(いや、お姫さんそりゃ無理がありすぎるって!)」
思わず飛び起きて心の中でツッコミを入れれば、目があったヨナ姫はスウォンからは見えない顔で大量の冷や汗をかいている。
その隣では、馬を労っていたハクがなんとも面白いへんちくりんな顔でヨナ姫を見ていて、次第にものすごくうろんな目をした。
なんだこの間は。
なんだこの空気は。
あまりの混沌具合に居た堪れなくなり、ついつい寝たふりを決め込むことを選択してしまった。
そしてスウォンから聞こえてきた言葉は……。
「いいんじゃないかな。おめでとうございます」
という、なんとも天然満載なスウォンの空気を読まない言葉であった……。
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「ひどいっ。あんまりよスウォン」
小さくうずくまり「うわーん」という典型的な泣きを見せるヨナ姫を尻目に、自分はお茶を飲みながら苦笑を禁じ得なかった。
「あんな嘘を信じるなんて~っ」
「ひどいのはアンタだ。そして迷惑だ」
このヨナ姫とハクのなんとも言えない空気。
もはや笑いしか込み上げてこない。
「元気出せよお姫さん。ちゃんと誤解を解いたらいいんだから。ハクからも言ってやればいいだろ?」
「なおさらいい迷惑だ」
「うわーん!」
茶の間で大人が何人も固まって、なにをやってるんだかとまた苦笑するが、ヨナ姫にとっては大事件であること間違いないなしだ。
世話係のミンスが必死にヨナ姫をなだめている中、乗馬したヨナ姫に怪我がないかと立ち寄ったイル陛下が少し呆れ顔になっていた。
そしてふと表情を落とすと、泣いているヨナ姫の元に近寄った陛下は真剣な眼差しで呟いた。
「お前の結婚は嘘にならんかもしれんぞ」
「え……?」
「無論、相手は然るべき者を選ぶがな」
「父上?」
キョトンと、なんの話だと目を丸めるヨナ姫に、イル陛下は畳み掛けるように言葉を続けた。
「じきお前は十六だ。婚約者が居てもおかしくないだろう。いずれ話そうと思っていた」
「ゃ……嫌よ、私はスウォンが……」
「スウォンは駄目だ」
「……」
二人の会話に……というより、陛下の言葉に耳を傾ける。
政略結婚。
それは、王族や貴族なら至極真っ当で当たり前のことだったが、ヨナ姫にとっては何よりも嫌な話だろう。
思いもしていなかっただろう言葉に、ヨナ姫は顔を青ざめさせていた。
そんな彼女に、畳み掛けるようにイル陛下が首をゆっくりと横に振った。
「お前が望むものは何でも与えてきた。だが、お前がどれだけ望んでも、スウォンを与えることは出来ない」
いつもは腑抜けた顔のイル陛下の、ひどく真剣な表情。
そして、厳しい声。
ヨナ姫を甘やかしては、ヨナ姫のワガママに困ったように笑っていた彼とは似ても似つかぬ『国王』の顔。
「ヨナ、お前の夫となる者は、この国の王となる者なのだ」
ずしりと、ヨナ姫の肩に重い荷物が乗ったように見えた。
陛下の言葉は自分には良く理解出来る。
そして、スウォンに玉座が似合わないことも。
父親を亡くし、ただひとりであるスウォン。
誰かを失うかもしれない日常がひしめく玉座は、彼にとっては苦痛以外の何物でもないだろう。
ヨナ姫はイル陛下を「武器を恐れて触れもしない、臆病な王様」と言ったが、そんなはずはないとも知っている。
それでも、イル陛下はヨナ姫の言葉を飲み、自らを臆病な王と認め、スウォンの婿入を完全に不可とした。
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朝から宮女達が慌ただしく駆け回るのを眺め、自分の元へ来ていた宮女に礼を言い見送れば、ヨナ姫の姿が見えた。
「おめでとうございます、姫様」
「ありがとうスイ……って、わあ!今日のスイ、すっごく素敵!」
「ありがとうございます。姫様も、今日もとても綺麗です。これはもう、宮中の男どもはみな、姫様に心を囚われてしまいますね」
にっこりと何の含みもなく笑って言えば、途端にヨナ姫の顔が赤に染まった。
相変わらず、ウブな反応を見せてくれる。
「スイこそ、その格好じゃ、宮女たちみんなに見られちゃうわね」
「自分はヨナ姫様のためだけに舞うんですよ? 貴女だけが見てくれればそれで」
「……っ!スイは罪作りね!」
「はははっ!」
ついに真っ赤な顔になったヨナ姫に笑って、改めて自分の姿を顧みる。
ヒラヒラの袖に裾。
白と青を基調にした色合いに、あちこちに金色の刺繍が施されている。
いつもは適当に下に結っている髪も、今日は女官達に上に結われ、背中でフワフワと揺れていて妙に落ち着かなかった。
そしてその髪に差された簪は単調ながらも上品にまとまり、手渡された剣の柄にはふんだんに飾り布があしらわれている。
「自分には豪華すぎる衣装なんだよねぇ。今日だけとは言え、緊張するなぁ」
「あら、スイでも緊張なんかするのね」
「もちろん。でもまあ、失敗する気はないから安心して」
「自信過剰」
「ぷはは!」
自信満々に笑えばヨナ姫にジトリと睨まれた。
生まれてこのかた必死で功績ばかり残してきたんだ。
こんな子供遊び、失敗する心配すら浮かばないというものだ。
「さぁて、スウォン様があなたに用があるみたいなので、自分は準備に戻らせてもらいますよ」
「え?」
柱の向こう側、スウォンがヨナ姫に向かって手を振っていた。
「よ、スウォン。あとは姫さんのお守りよろしく」
「こらスイ!何がお守りよー!」
「はははっ」
ヒラヒラと手を振って去り際にスウォンにニヤリと笑う。
ここ数日、スウォンのヨナ姫に対する態度が少し変わっていたのは気のせいじゃあ、あるまい。
「スイ!剣舞、楽しみにしてます!」と声を掛けてくるスウォンにまた笑って、背後からヨナ姫の喜ぶ声にチラリと視線だけで振り向けば、綺麗な簪をもらい受けて頬を染めている様が見えた。
「二人に幸あらんことを」
ポソリと呟いて、ふとハクを見付けて手を振る。
いつか、彼も報われるといい。
そうすれば、その時は……───
もしかしたらすぐにでも訪れそうな未来に、ほんの少しだけ苦笑をこぼした。
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外の大広間。
少し離れた場所で、中央に佇む自分を囲むように楽師たちが座っている。
笛、太鼓、管楽器、琴、鈴。
それらを楽師達が流暢に操り、音が奏でられ始めると自分もまた動き出した。
今行われているのは、ヨナ姫の誕生日を祝う剣舞だ。
普段握ることのない装飾まみれの剣。
低い姿勢で地面に弧を描くように流して、徐々に立ち上がり剣を頭上へと掲げる。
すると、風に乗った薄衣がふわりと空へ舞った。
奏でられる音色と共に、この身体をどこまでも軽く、高く低く舞い踊らせる。
剣技の基礎を舞いに取り込んだだけの簡単なものだが、取り囲む観客からは感嘆の息がこぼされていた。
剣が身体の一部に感じるまで自身を鍛え込んだ。
切先がどこに向くのか、どう動かせば貫きたい場所に届くのか、
外から見て喜ばれるだろう型をいくつも舞に組み込んで行き、即興でいくつも技をこなしていく。
動けば動くほど衣が揺れ、空を彩る。
いくばくの時が経ったのか、曲が終わりへと近付いて行くのを聴きながら、脳裏で願って居たのはヨナ姫の幸せだった。
音が止むその瞬間、ザンッと地面に剣を突き立てれば一瞬の風が辺りを吹き抜ける。
しばしの沈黙の後、割れんばかりの拍手喝采に顔を上げるとヨナ姫がしどく高揚した様子で大きく手を叩いてくれていた。
「ははは!お姫さんが一番元気に拍手してくれてる」
目を輝かせ、壊れるんじゃないかと思うほどに両手を叩くヨナ姫。
その姿は屈託なく無垢で可愛らしく、こんな芸のようなものでもやって良かったと素直に思えた。
少し向こうでイル陛下も立ち上がって手を叩いてくれていて、さらにまた両隣ではスウォンとハクが楽しげに笑っていた。
慣れない衣装で群衆の前で踊るなど、慣れないことで気疲れ感が半端なかったけれど、ヨナ姫のあの姿を見れば素直にやってよかったと思えた。
いつの日か、誕生日には絶対舞って欲しいと請われた時のヨナ姫の顔を思い出す。
『スイの剣舞はとても綺麗だから、もう一度見たいの、お願い!』
そう言ってお姫様のくせに頭を下げてきた彼女に否とは言えるはずもなく。
今日こうして踊らせてもらった次第だが……いやはや、自分にとっても良い思い出になりそうだと苦笑する。
頭を下げて舞台から退がれば、宮女たちがここぞとばかりに駆け寄ってきた。
手拭いやら水やらを手渡され、黄色い声で名を呼ばれ、賞賛の言葉を浴びせられる。
スウォンの言っていた噂を思い出し、思わず苦笑がこぼれそうになった。
「ありがとうございます。では、失礼」
にっこりと笑って
背後から聞こえた盛大な黄色い声に、ほんの少しの頭痛と申し訳なさが生まれた。
気持ちは嬉しいが、それらの想いに応えられる器は持っていないのだから仕方ない。
ヨナ姫や陛下に遣えるミンスが遠くから手招きをしているのに気付き駆け寄れば、イル陛下が呼んでいると言われそちらへと向かう。
辿り着いた先にはヨナ姫はもちろん、スウォンや警護役のハクもいて、そんな豪華過ぎる面子に迎えられ笑ってしまった。
「ヨナのワガママを聞いてくれてありがとう、スイ」
「いえ、陛下の御前で舞えたこと、誇りに思います」
「ははは、素晴らしい剣舞だった。さすが、高華の白鬼だ」
「お褒めに預かり光栄にございます、陛下」
膝を着いてこうべを垂れ、目一杯の敬意を払う。
武器を厭う王だからこそ、剣舞なんてものは好まなかったかもしれないというのに、陛下は「怪我だけはせんように」と快諾をくれたのだ。
「本当に素敵だったわ、スイ!老若男女みんなスイに夢中になっていたもの!」
今だとばかりに駆け寄り、至極楽しげに笑うヨナ姫。
そんな彼女にニヤリと笑って、耳元で囁くように礼を返す。
「ヨナ姫様のために舞わせていただいたものです。貴女様が賞賛をくださるなら、他の者の声など自分には不要のものでございますよ」