【　揺れる気概　】



それはよく晴れた涼しい日のこと。

心地よい風が頬を吹き撫で、そよそよと流れていくのを目を細めて感じていた。

見回りがてらと散歩をしていて、ふとあるものに気付いて笑ってしまう。

「おはようございます、姫様」

向こうから歩いてくる我らが皇女様、ヨナ姫を見つけ、声をかければ向こうが駆け寄ってきた。

「おはよう、スイ！ねえ見て、今日の私。どこか違うと思わない？」

キャッキャと楽しげに笑ってこちらを見上げてくるヨナ姫に、愛おしさが込み上げる。

「なるほど、化粧をなされたんですね。綺麗で見違えましたよ。……ああ、でも。姫様は化粧などをしなくとも、いつも大変可愛らしいですが」

「まあ！」

おしろいを付け、薄く紅を差した普段とは違うヨナ姫。

自分の言葉に頬を染める姿はなんとも可愛らしいもので、これは世の男どもはイチコロだろうと笑いを堪える。

「でもね、スウォンは何にも気付いてくれなかったの！もうすっかり子供扱いで参っちゃうわ」

なんて言って途端に頬を膨らませるヨナ姫に、思わず笑い転げてしまった。

近くに大臣どもが居るだろうからと気を使っていた身分も吹き飛んでいく。

「ふ…………っははは！いや、さすがスウォン。お姫さんがこんなにお洒落をしても気が付かないとは！相変わらずの天然ぷりがまた凄まじいねぇ！」

「笑い事じゃないのよスイ！」

「ごめんって。自分にはちゃんと、今日のお姫さんが最高に可愛く見えてるよ。それに気付けないスウォン様は可哀想だ」

ヨナ姫の魅力に気付けないなんてもったいない。

そう耳元で囁けば、ヨナ姫の顔が真っ赤に染まり上がった。

「んな！？ちょっと！不意打ちでそういうこと言うのははダメよ！」

「おや、これは失敬。……んで、そこのハクさんはなんつー顔してんの」

柱の陰からこちらをじとりと睨んでいるハクの姿を見つけ、堪らず笑う。

本当に、彼もまたわかりやすい。

ヨナ姫がハクに気付いて悪態を吐きに行く背中を見送って、青い空を見上げ肩をすくめる。

「いやはや、青春だなぁ」



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「おや、スイじゃないですか」

「ん？ああ、お久しぶりですね、スウォン様」

渡り廊下を呑気に歩いている時だった。

背後から声を掛けられて振り向いてみれば、そこにはヨナ姫意中のお方、スウォンが立っていて、嬉々とした表情を浮かべて足早に近付いてきた。

「敬語、やめません？今は誰も居ませんよ」

「……あのね、最近上のヤツらがまた一層うるさくなってるんだよ、どこで見られてるか分かったもんじゃないの」

「それはまた、大変ですね」

「そうなんだよ。この間なんかハクと話してるときにスウォンの話題になってさ、スウォンくらいの好青年なら、女の子もより取り見取りだよなぁ！なんて話してるのを聞いた大臣どもに、呼び捨てなどおこがましいだのなんだのと喚かれてもう……」

「それは、災難でしたね。でも、スイは別になんとも思ってないのでしょう？」

「いや、まあ。実のところ、全く気にしてないんだよねぇ。ヨナもスウォンも友人とか言うより兄弟みたいなもんだしさ」

「だと思いました」

クスクスと嬉しそうに笑うスウォンにこちらもまた笑って、肩を並べて歩き出す。

スウォンとは物心がついた頃から共に過ごしていて、こうして互いに顔を見合わせれば、童心に返って馬鹿騒ぎをしたくなる。

そこで、スウォンがふと何かを思い出したように少しだけ唇を尖らせた。

「っていうか、別に私は、より取り見取りなんかじゃないですよ？」

酷く心外だと言わんばかりの口調で先程の話を否定するスウォンに、自分は間髪入れずに否を唱える。

「どうだか。縁談の話はそこそこ来てるんだろ？噂で聞いてるぞ。スウォン様がいつ妻をめとりなされるか、ってね」

「今はそのつもりはないと言ってるんだけどね……それより、噂なら私も聞いてますよ」

「へ？」

ジッとこちらを見据え、楽しげに目元を緩めるこの男に頭を傾げる。

「何を？」

自分についての話題なんかあっただろうかと考えていれば、スウォンがイタズラにこちらの顔を覗き込んできた。

「この頃、ラン･スイ将軍に嫁ぎたいっていう乙女が続出している、とか。いやぁ、隅に置けないですね、スイも」

「あー……その話な……」

スウォンの楽しそうな様子にがくりと肩が下がる。

将軍の地位に身を置いてからというもの、人前に出る事が多くなった。

そのせいか、最年少武将という称号を得た自分に少なからず興味を抱いてくれる女性達が現れたわけだ。

ここ数年でやけに黄色い声を掛けられるようになったとは思っていたが、ちょっとした困りものだった。

「自分には彼女らに応えられる甲斐性も時間も無いって言ってるんだけどね……。全く、スウォンとヨナとハクの相手でいっぱいいっぱいだってのに」

草臥れたようにため息を吐いてやれば、スウォンはにやりと口元を緩めてこちらを揶揄うように首を傾げさせた。

「とか言って、本当は意中の方が居るのでは？」

「ばぁか。んなもん居たらさっさと捕まえているっての」

「女の子が喜ぶ言葉なら君より知ってる」と悪戯を返すように笑えば、スウォンの阿呆はひどく感心したように深く頷く。

「なるほど！確かに、その顔で真っ直ぐ見つめられると、とてもドキドキします」

「ちょ、なんでスウォンがドキドキしてるんだよ。君は男でしょうが」

「ははは！いや、スイくらい綺麗な顔をしていたら、男同士もなくは無いですよ」

「……やめてくれ」

男同士が絡んでいるところを想像して、一瞬臓腑が重くなった。

しかも何故か絡む二人がスウォンとハクで、なんでそんな想像をしてしまったんだと自分で自分を責めてしまう。

と、そこで。

ふとある事を思い出した。

「そう言えば、ヨナが嘆いていたよ。スウォンがお洒落した自分に全く気付いてくれなかった、って」

さっきの妄想を振り消すように話題を変えれば、それを聞いたスウォンが目をパチパチと丸めた。

「え、どうしましょう。ヨナはいつも通り可愛かったので、何がどう違うかなんて……」

「あーはいはい、そうだよな、君はかなり鈍ちんだもんな。そうだろうと思ってたよ」

これだから天然は。

きっとヨナが丸坊主にしてフンドシを履いていたって可愛いと言うに違いない。

「……何か、失礼なことを言われているような」

こちらの思考を読んだのか、スウォンがうろんな目で見下ろしてきた。

それに真顔で対抗して、しっかりとスウォンの目を覗き見る。

「まさか、そんなわけないじゃん」

「ですよね」

ニッコリと笑うスウォンに、思わず笑いがこみ上げてきた。

必死に取り繕えばバレることだから、あえて同じく笑ってやろうとしたら

「むふふ……って痛い痛い！暴力反対！」

笑って誤魔化したはずが、滲み出ていたらしい。

スウォンにびにょーんと思い切り頬をつねられ、のたうちまわるハメになった。

コイツは意外と自分やハク相手には容赦がない。

ヒリヒリと痛む頬をさすって、おそらく涙目になっているであろう顔で彼を睨みつければ、スウォンは心底楽しくてたまらないという顔をして笑っていた。

昔ほどからかいにくくなったものだと思いながらも、友人の楽しそうなその様子に自分もまた笑ってしまったのだった。



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陽が真上まで登りきった頃、スウォンとハクが流鏑馬（やぶさめ）（馬上の射的）をしているのを縁側の陰から眺めていた。

上下に激しく揺れる馬の上で上半身をしっかりと均衡に保ち、馬の駆る早さに合わせて遠くの的へと矢を放つ。

それを交互に行なっているだけだが、やってみればわかる難しい的当てを、ふたりは難なくこなしている。

互角とも思われる的射ちに感心しつつ、だんだんと陽の暖かさに眠くなって来たその時だった。

うとうとと頭を揺らしているその頭上から、聞き覚えがありすぎる声が聞こえてきたのだ。

「私も弓をやるわ」

屋根越しで姿は見えなかったものの、その声からして明らかにヨナ姫である。

さらに聞こえて来た声から、そこにイル陛下とミンスが居ることも知れた。

「（あーあ、姫さん弓はダメだって陛下に怒られてやんの）」

聞こえた会話に笑いがこみ上げて、クツクツと喉を鳴らしてしまう。

すると、スウォンが馬上からこちらの屋根の上を見上げ、大きく手を振るのが見えた。

「いらっしゃい、ヨナ。馬に乗せてあげます」

ニコニコと楽しげに笑うスウォンに、おそらく頭上のお姫さんは顔をキラッキラに輝かせてることだろう。

ふいに、こちらの視線に気付いたスウォンが馬に乗ったまま近付いてくる。

「スイは、やっぱりまだ馬に乗る気にはなりませんか？」

「んー、コッチで日向ぼっこしてる方が好きだなぁ。スウォンはお姫さんとの乗馬を楽しんで来なよ。ほら、お姫さんが来たぞ」

顎で背後をしゃくってやれば、手を振りこちらへと駆けてくるヨナ姫をスウォンが見つけた。

嬉しそうに頬を紅潮させているヨナ姫に、思わずまた笑い出してしまう。

「スウォンー！」

一目散にスウォンだけを目指して走ってくるヨナ姫。

「こらこら、自分もハクも居るよ～？」

と声を掛ければ、ヨナ姫は「あら、スイも居たのね」と目を丸くさせた。

「上から見えなかったから、居ないのだと思っていたわ」

「だってほら、天気が良いからさぁ」

燦々と輝く太陽を指差し「ふぁ……」とひとつ大きな欠伸をすれば、ヨナ姫は合点がいったように頷いた。

「ふふっ。そうね、スイは何よりもお昼寝の方が好きだものね」

「そういうこと。こんな天気の良い日にお昼寝しないでいつするの、ってさ」

おどけたように笑って見せれば、ヨナ姫もまた楽しそうに笑い返す。

かわいいなー、なんて思いながら眺めていれば、矢を補充しに来たハクがうろんな目をして「お前は寝過ぎだけどな」と小言をもらした。

それに対して悪びれもなく、大袈裟に肩をすくめて返してやる。

「許されるなら一日中でも寝ていたいところだよ」

「もうそれ以上、身長も伸びないのにか？」

「ちょ、やかまし！」

痛いところを突かれ、反撃とばかりに軒下に落ちていた小石を拾い投げつけてみたが、ハクは飄々とそれをあっさりと避けた。

そのことにますます腹が立ち、小石を追加で拾って思い切ら投げてやったが、ハクは馬の上にいるくせに器用に上半身だけでひょいひょいとすばしっこく避け、勝ち誇った顔でニヤリとこちらを見下ろしてくる。

「呑気に昼寝ばっかしてるせいで、腕が鈍ったんじゃないか？」

「くっそ、腹立つ……！」

「お？やるか？」

「やんねぇよ！！」

「そこは乗れよ」

「今日は昼寝するって決めてんだよ！ハクの挑発になんか絶対乗らないからな！」

「ちっ」

自分怒らせて、そのまま流鏑馬で勝負させようなんて魂胆が見え見えだった。

そうはさせるかと頑なに縁側に根を張り、横になって見せる。

そんな自分たちの様子を傍観していたヨナ姫とスウォンだったが、ふいに腹を抱えて笑い転げた。

「ぷっ！ ふふふ」

「ははは！」

「スイはてっきりハクに乗せられると思ってたわ」