12…知らぬ世界(尾浜side)
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【12.知らぬ世界】
尾浜 side
忍術学園で蔑まれ、唯一の嫌われ者であるあの人。
他とは違う珍しい白髪に紅い瞳。異様なその姿を隠しもせず、忍者に似つかわしくない目立つ白髪も染めない。
悪口を云われても敵視されても、あの人は何時も笑っていた。
それがまた不気味で、孤立になる原因とも知らずに―…。
忍術学園に入学して間もなく、学級委員長委員会に所属した。
自己紹介や委員会の流れを済ませ、解散間際になった時。当時の委員長に云われた「バケモノに眼を付けられるな」という忠告。
その者の名は心綺凛桜。俺の一つ上で兵助と同じ火薬委員会に属している。
白髪に紅い眼(マナコ)。目立つ容姿をしているにも関わらず、見付けることが出来ない。上級生でも気配が読めないらしい…。
只時折、何処からか視線を感じるそうだ。
振り向いた先にいるのは白髪を風に遊ばせて紅い瞳でじっ…と見ているその人。
何か用かと訊いても、クスッ…と微笑するだけ。その姿が不気味だと。
その人の事を知ったのはその時。
実際に初めて会ったのは俺が二年に上がった時。
まぁ、確かに先輩が仰っていた通りの人だった。周りと一線を引いて。そのくせ視線は感じるから気味が悪かった。
けど、その時はまだそこまで嫌いじゃなかったんだ。苦手な先輩、俺の中でのあの人はそういう位置付けだった…。
しかし、次第に俺はその人が嫌いになった。
切っ掛けは…特にない。強いて言うなら、蔑んでいる事を知りながら。自分が嫌われていると知りながら…何時も笑顔でいたから。
不気味に感じていたものが、不快に感じる様になったのだ。
何を考えているのか判らない。
先輩からも同輩からも後輩からも蔑まれているのに笑顔で。
気配を隠す事に長けているのに…。実技に関しては上級生以上かもしれないのに、それを全て隠して…。
気に食わなかった。それだけの力を持っているのに、授業に出ない事が。実技の実習で手を抜くことが。
まるで“力のないお前達じゃ相手にならない”と嘲笑っている様で…。
そしてある夜を境に、あの人は姿を表さなくなった。その夜を境に、先輩方はあの人を心の底から嫌悪し、あの人の名を口にしなくなった。
その夜、何があったのかは俺達は知らない。三年以上の先輩方…今の六年生と教員達しか知らない事だ。
只判るのは、先輩方から「バケモノに近寄るな」と前以上に云われる様になった事と。
…学園の一部が噎せ返る程の血の臭いがした事の二つだけだった…。
*********
あの人が何をしたのかは知らない。何故そう蔑まれる様になったのか、深い事情も知らない。友好関係も、得意も不得意も。
あの人-心綺凛桜先輩の事を、俺は何も知らないのだ―…。
「心綺先輩…」
六つの若草が散らばったのを確認し、俺は物陰から姿を表した。
そんな俺を、若草の中心に居た深緑は不思議そうに見詰め『隠れなくてもいいのに』と口にする。
別に隠れようとは思っていなかった。只先輩に頼み事をしに来ただけだし。今の先輩は昔と違って“先輩”として俺達の前に居る訳だし…。
……、ちょっと前に思っていた想いで隠れていた訳じゃ、ない…筈だ。
つい漏らしたであろう先輩の言葉に。聞き流すか冗談で返せば済んだのに。何故かそれが出来なかった。
『彼等に俺と一緒にいる所を見られたくなかった?』
答えあぐねている俺の代わりに、心綺先輩は言葉を発した。
俺が否定していた言葉を…口にした。
確かに、天女騒動が起きる前はそう想っていた。
後輩達に“心綺凛桜に関わるな”って云っている手前、自分が関わるのもどうかと思うし。先輩方に見られればグチグチと煩いだろうし…。
何より、級友四人が俺以上に心綺先輩を嫌っているから…自然とそう想う様になったのかもしれない。
けれどそれらは前に想っていた事であって、今は違う。一緒にいる所を誰かに見られても、どうも思わない。
素直にそう告げてしまえば良いものを…。
パクパクと開閉を繰り返す口からは音などでない。
…嗚呼、なんで肝心な時に―…。
『ふふ、そう…。なら、次から君に逢う時は気を付けるよ。
――で、何か用かな。君が態々俺の所に来たという事はそうなのだろう?』
弁解もせず只動揺する姿に肯定ととったのか、心綺先輩は微笑みを浮かべ“次は気を付ける”と云う。
別にアナタが気を付ける事なんて何一つないのに…。顔色も変えずに、ニコニコと笑って…。
俺が咄嗟に隠れてしまったのは若草…三年生と親し気に話す心綺先輩に、その光景に。…驚いたからだ。
だから本当に、先輩がどうのって事じゃないんだ…。
それを云おうとするも、先輩は弁解する暇さへ与えないかの様に違う話題を出して、無理矢理終了させてしまう。
これ以上踏み込むな、関わるな。そう云われている気さえしてしまう…。
「……、四年の綾部喜八郎について、お話しなければいけない事がありまして…」
この人と初めて会話した時と同じ様に、俺は先輩からの話題に乗る。
…弁解しようにも、きっとまた告げたい事が出来ないだろうし…。
そう思って、俺は当初の目的を先輩に話した。
否、話そうと口を開いた時。先輩の口から発せられた言葉に思わず口を閉じてしまった。
『その事なら知っているよ。気配を消して何処かに隠れているのだろ?そろそろ迎えに行こうと思っていたところだよ』
そう言ってにこ、と微笑む心綺先輩。「何故その事を?」と訊くのは愚問だろう。
この忍術学園で気配に関して先輩に右に出る者はいない。無論、先生方も含めて。
そんな人だからこそ、俺は綾部を“探して下さい”と、先輩に頼みに来たのだから…。
あの女の術中でない上級生が、まだこの学園にはいる。四年い組の綾部喜八郎だ。
あの女の傍にいる間綾部は一度も姿を表さなかった。
忍務かと思ったけど、俺の調べた結果この学園内に居る事が判った。
だから俺は秘密裏に綾部を探した。綾部の話しを聞くために。
俺と綾部があの…認めたくはないけど、強力な術にかかっていない理由を探るため。
それが判ったら、術から皆を助け出せるかもしれないと、思ったから。
相手は四年、俺は五年。この一年の差が大きい事は知っている。だから直ぐに見付けられると思っていた。
けど、綾部は見付からなかった。自室は勿論、競合区域にも居なかった。明け方から夜遅くまで…。
食堂のおばちゃんの証言で前に一度、誰もいない時に泥だらけの綾部が食堂に来ていたといっていた。
泥だらけ…つまりは何処かで穴を掘っているって事。
だけど綾部の気配が掴めない。
あの女に逢いたくないからか。あの女が綾部の事を探していると気付いているからか。正気を失った上級生に絶望し逢いたくないからか…。
恐らくは全部だと思う。
俺も同じ立場だったら、そうしていたかもしれないし…。今だって、あの女に逢いたくないし、正気を失った彼らを見たくはない。
だから綾部の行動の意味も理解は出来る。けれど、綾部も四年だ。後輩を護る立場にある。何時までも現実から眼を背けて逃げている訳にはいかない。
…なんて、格好良く言ってみたけど、現実から眼を背けて逃げていたのは俺も同じ。
事実、今だって眼を背けている。
…関わった事のない先輩を、一方的に嫌悪していたにも関わらず、今は頼りきっている。そのくせ信用出来るか?と問われれば首を振るだろう…。何とも都合のいい話しだと、自分自身思う。
先輩を信じていない訳ではない。けれど、心から信用は出来ない。都合のいい時だけ先輩を頼って、それ以外は関わろうとしない。意図して避けている。
口では“先輩”なんて呼ぶけど、本当は認めていないのでは…?
…そう思うのに、あの人から名を呼ばれたいと想う。
都合のいい、矛盾した考え…。
自分がどうしたいのか、先輩をそう想っているのか…。
頭の中がグチャグチャで、何が正しい選択なのか。何が俺の中での“本当”なのか…判らない――…。
(…この人はいったい、何を考えているのだろう…)
今でも心の隅で嫌悪している事に気付かず、無防備に背を向け歩く深緑。
…俺達(後輩)と関わる事を避けていたのに、『一緒に迎えに行くかい?』なんて…口にして。
――…本当に、この人の事が判らない…。
思考を巡らませていると、前を歩いていた深緑の背が止まった。それに合わせ俺も歩を止める。
深緑から白髪の流れる肩先へと視線を移す。そこから見える向こう側に視線をやれば、約60尺(6m)程先にぽっかりと穴が空いていた。
恐らくは其処に、綾部が居るのだろう。
成る程。此処は何回か来た事があるが、校庭の一番端で天女集団はあまり訪れない場所だ。
俺だって今までこの場所を忘れていたくらい、普段はあまり使われないし特別な用がなければ来ない場所。
隠れるには絶好の場だ。
『ちょっと此処で待っていておくれ。これより先は危険だから』
一人納得していると、先輩はそれだけ告げて歩を進めた。危険、という単語に俺は首を傾げる。…はて、何が危険だと言うのか…。
不思議に思い先輩の行動を見ていると不思議な動きをしている事に気付いた。それと同時に、相手が“天才的トラパー”だと云う事も。
万が一の事を考えてか、自分が隠れている場所の周りに罠を張り巡らせているのだろう。
それに気付いたから先輩は“危険だ”と云ったのだ。…俺一人だったら確実に罠に掛かっていたかもしれない。
流石は“忍術学園最強”…とでも、いうのかな。
数歩進んだ所で右へ飛んでは斜め左へ。二歩進み前へ大きく飛ぶ。
そうしてやっとついた大きな穴。その穴を覗く様にしゃがむと、先輩は何かを口にする。
此処からでは綾部の声は聞こえないけど、先輩の聲なら何とか聞き取れる。けど、俺は聞こうとはしなかった。
何故か?、さぁ??俺も何でそうしたのかは判らない。只、先輩と綾部の会話を…聴いちゃいけない気がした。…只、それだけ。
数分としないうち、穴に手を垂らした先輩の助けを借り綾部が出て来た。
しかし、勢いがありすぎた所為か。綾部が先輩に倒れ込む。
けれどそれを、微動だにせず受け止めた先輩。背はそれなりにあるとは言え、身体のつくりは華奢に近いのに…。その身体の何処にそんな力があるのだろうか…。
「…凛桜、さん…?」
『なんだい、喜八郎…。そんな顔をしなくても、俺は本物だよ』
何もしなくても聞き取れる二人の会話。
親し気に互の下の名を呼び合う姿に。綾部の泥や汗で汚れた髪を優しく梳く様に撫でる先輩の手に。
俺は眼を見開いて固まってしまう。何故?だって…誰が想像出来るだろうか。
蔑まれている嫌われ者のバケモノ心綺先輩に、抱き着いて離れない綾部。飄々とした姿はどこへいったのか。
幼子の様に大粒の雫を零して泣き、嗚咽混じりに先輩の名を呼ぶ。“凛桜さん”と…。
そんな綾部に先輩は優しく微笑みながら泥だらけのその頭を撫でている。血の様だと云われたその紅い瞳を細めて…。
愛おし気に、綾部を見詰めて…。
先輩の悪い話しは学園関係者全員が知っている。それは入学してきたばかりの一年だって耳にしている。
上の学年から事ある毎に云われるのだから、素直なあの子達は云いつけを守っている。
だから余計驚いた。
先輩の下の名を呼ぶ綾部に。此処まで感情を顕にする姿に…。
心綺先輩の、聴いた事のない…初めて耳にする、優しい聲――…。
俺の知る心綺凛桜は学園の嫌われ者でバケモノと蔑まれていて。級友から敵視されて。姿を隠してこそこそと俺達を観ては嘲笑って…。
其れが俺の中での心綺凛桜。けれどその殆どは先輩や兵助達から聞いたものばかり。
でも俺は元々関わろうと想っていなかったから「ああ、そんな人なんだ。サイテーだね」って、周りと合わせて…。
最終的には俺も心から嫌悪して。“本当の”心綺凛桜を見ようとはしなかった――…。
知らぬ世界
(知っている気でいた。)
(本当は何も知らないクセに、)
(俺は知るのを恐れていた…)
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