08…流れる朱
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【08.流れる朱】
「…僕、凛桜さんとこうしてお逢いする時間の他にも学園での後輩や先輩、級友との時間も好きなんです」
突然ぽつり、と零した孫兵の言葉。
伏せられた眼と顔で、今孫がどの様な表情をしているのか判らない。
けれど脚の上に乗せられた手は硬く拳を握っていた。
「凛桜さんに逢ってお話する時間が好きになって、凛桜さんに“周りをよく見なさい”って云われて…。
それから、云われた通りにしたら煩いけど、嫌いじゃないって、思える様になって…」
『…うん…』
ぽつりぽつり、小さく呟くその言葉に俺は相槌を返しながら孫の頭を優しく撫でる。
あまり人と関わらなかったこの子。学園に入学した時だって教室の子等とは話さなかった。
話さなかった、というよりも接し方が判らなかったといった方が正しい。
この子がどういう環境で育ってきたのかは知らないが、生物が話し相手になってからそれがこの子の“普通”になっていたのかもしれない。
だから周りにいる歳近い子等に打ち解けなかったのだ。先輩だって同じ。
優しく話し掛けるも、どう返せば良いのか判らない。
この子にとって友と言えるものは、何時も隣にいたペット…生物達だ。
その生物達に逃げているうちに、この子は独りになってしまった。
毒を持った生物を恐れたのか、この子にどう接すればいいのか判らなくなったのか。両方か。
この子の周りから一人、また一人と居なくなり、後に残ったのは生物だけ。それが当たり前…。
そんな時に、迷子になっていたジュンコを見付けて孫に届けに行った。勿論、姿は見せずに。
けど何故か俺はジュンコに気に入られた様で、ジュンコの異変に気付いた孫は俺と逢おうとしていた。
気難しいジュンコが一度逢っただけの相手を気に入るのは滅多にない。だからその相手がどの様な奴なのか気になったそうだ。
そうして孫から逃げる日々が続いたある日。孫の大切にしていたペットの大半が逃げ出して学園が大騒ぎになった。
涙を流して必死に探し回る孫に、俺は心の中であの子達に謝罪して孫の前に姿を表した。
近くに生えていた葉を一枚頂き、口元に持っていく。神の力を少し使い、昆虫たちを誘う音を奏でる。
その音で孫のペットは集まり、事件はあっと言う間に解決した。
まぁ、昆虫を上手く操る俺を見て、尊敬の情を抱いた孫兵と“友人”としての関係がその日から始まった。
“後輩に”近寄るな、ならば友人として逢うなら良いだろうという屁理屈。
キラキラと眼を輝かせて見上げるのだもの…。
逃げ回るのに気が引けてね。それに、俺と接する事で友人達に話し掛ける練習にもなるだろうと思った。
そしてそれは当たっていた様だ。二年の頃から藤内と話す様になり、その流れで数馬、作兵衛達と親しくなっていった。
先輩とも少しずつ打ち解けて、後輩とも話す様になって。そして今の孫兵が出来上がった。
相変わらず無表情が多い子だけれど、笑う様になった。楽しい、面白い。心の底から笑える様に…。
――それなのに…邪魔者が現れた所為で…。
「ジュンコ達ほどじゃないですけど、事件ばかり起こす後輩も、毎日煩い級友も、個性豊な先輩達も…。
面倒で煩い…けど、一緒にいて退屈しないそんな学園での時間が、好きだったんです」
「その好きだった時間が、突然来たあんな見知らぬ女なんかに壊された…」
孫兵の口から発せられた低く冷たい聲。
「あんな…あんな女なんかに…っ」
先程より強くなった拳を握る力…。
嗚呼、嗚呼…辛いよね?悲しいよね?自分の大切なモノを、見知らぬ女なんかに壊されたんだもの。
小さく深呼吸を繰り返した孫は、意を決した様に伏せていた顔を上げた。
そしてゆっくりと俺の方へと顔を向けた孫は口を開いた。
「あの女は“皆を元に戻せ”と言って聞く様な輩ではありません。“出て行け”、そう云えば術中にある上級生も一緒になって出て行くでしょう。もしそうなれば、これ程までの好奇敵が見過ごす筈がありません。それでは下級生…特に一年は危険になります。
かと言ってこのまま居座らせても結果は同じ…嫌、操られて一二年やくノたまに危害を加えるかもしれない。
どちらにしろ、あの女はこの学園にとって“害”です。
…だから僕達三年はあの女について話し合いました。その結果、皆全員一致で決まりました」
膜の張った茶色の瞳には強い意思を、幼さがまだまだ残るその顔にはまだ抱いていけない決意を。
嗚呼…孫、孫…それ以上は口にしてはいけない。君にはまだ早いんだ…そんな想いを、抱いてはいけない…。
孫兵の次の言葉が簡単に想像出来る。だから俺は、孫がその言葉を口にする前に、頭の上に置いていた手を後頭部に回して孫を引き寄せた。
口を塞ぐ様に服に押し付けて、体温の低い俺でも安心できる様に心臓の上に耳がくるようにして。
そして優しく…優しく、孫に語り掛ける様に。俺の言葉で震える身体を落ち着かせる様に、その背を撫でる。
『良いかい、孫兵。まだ三年の君達が、その言葉を口にしてはいけない。その強い殺意も、まだ抱いてはいけないんだ。
四年に上がる試験で、君達は“死”と言うものをその眼で見る。四年になればその手を朱く染め、“生”をその手で奪う…。
人を殺めるのは覚悟がいる事だ。何れ程今は憎くて忌々しい存在で、殺してしまおうと想っていても…。殺ってしまった後は、どうしようもなく怖くなる。手に残る生暖かい感触も、朱い血も。どれも鮮明で忘れる事が出来ないんだ。殺めた相手の顔も、ふとした瞬間に思い出す。それが怖くてたまらない…。
君達三年が、何れ程悩んだか、何れ程辛い想いをしてその決断に至ったか。それは痛いほど判る。けれど、その手を汚す事はない。
君達はまだ、守られる側なんだ…。今は只、上に守られてていい存在。
そんな君達に、大きな任は背負わせられないよ。
だからね、孫。君達のその任は、俺に背負わせておくれ?“先輩”である俺が、“後輩”の君達を、必ず護るから…』
背に回る細い腕に力が篭る。
嗚咽混じりに、小さく…何度も「凛桜先輩」と繰り返し呼ぶ孫に。
俺は唇を強く噛み締めた…。
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