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「ここが俺ん家」

路肩に停めたフェラーリから降り立つと、宏明は自慢気に自宅を指さした。
こじんまりとした一軒家。庭はほとんど無く、隣家との間は1メートルも離れていないように感じる。軒並み同じような造りの家が建っており、ベッドタウンとして整備された建て売り住宅、といったところか。

「つっ立ってないでさ、早く家入ろうぜ」

「ああ……」

宏明の家の玄関を目の前にし、心なしか緊張してきた気がする。他人の家に上がるのはどうも苦手だ。
恋人の家に「娘さんをください」と挨拶に行く時も、こんな気分なのだろうか……
と、これは例えが悪かった。

俺が宏明の家に来たのは、彼の両親に会う為だ。未成年の少年を自宅に泊めた大人の責任として、一度挨拶する為ここまで訪れたのだ。といっても、宏明に上手く丸め込まれ連れてこられた……というのが正解か。

「たっだいま~」

宏明が勢い良く玄関のドアを開けると、奥からパタパタとスリッパの音が聞こえてきた。

「ひろちゃん、お帰り~」

玄関へ出迎えに現れた宏明の母親は、パーマのかかった長髪を後ろで結わき、キレイと言うよりは可愛らしい顔立ちで、ぱっちりとした一重の瞳は宏明そっくりだ。
歳は40そこそこだろうか。さすがに高校生の母親は若い。昔10歳上の女性と付き合ったことがあるから、許容範囲内、か……
と、一瞬プレイボーイならではの、いけない思考が働いてしまった。

「早かったのね。あらっ?後ろの方は……」

母親は宏明の後ろに立つ俺に気付いたようだ。

「あっ、この人は……」

宏明の言葉を遮り、自分から挨拶しようと前に出たその瞬間、奇声が玄関中に響き渡った。

「あらぁ〜〜っ」

うっ、バカでかい声だな……。こういう所がそっくりだ。

「まあまあ、わざわざすみません。狭い家ですけど上がってください」

「ちょっと、母さん!」

結局自己紹介もできぬまま、家の中へ通されてしまった。

「お、お邪魔いたします……」

先程の母親の反応の意味する所がまったく分からないが、取りあえず案内された居間へと入りイスに座る。

「いつも宏明がお世話になっておりますぅ」

宏明の母はいそいそと台所から紅茶を運んでテーブルの上へ置き、俺の前に座ると突然神妙な面持ちで口を開いた。

「……それで、先生。この子、学校で何かやらかしましたでしょうか」

「えっ??」

「母さん、何言ってんだよっ!」

何やら、物凄い勘違いされてるような。

「え?だってこの方、ひろちゃんの担任の山本先生じゃないの?」

やっぱりな……

「おい!あきらを、あのハゲブタと一緒にするなよっ!!」

ハゲ……ブタ……?

そんな男にこの俺が間違えられてはたまらない。ジャケットの内ポケットから、いつもの営業スマイルで素早く名刺を差し出した。

「私、仙道彰と申します」

名刺を受け取る宏明の母の顔が、途端に赤く染まったのが分かった。

「母さん、勘違いすんなよ?この人はこの間の電話で話した……」

「まぁ!じゃあ、この人がひろちゃんの彼氏?」

ブーーッ!!
俺は紅茶を吹き出してしまった。

「かっ、母さんっ!!」

宏明は顔を真っ赤にしている。
おいおい、ちゃんと否定してくれよ。

「だってこの間お泊まりしたっていう人でしょ?まあまあ、男の方だったなんて」

「な、何言ってんだよ!」

慌てて母の言葉を制止する宏明を、俺は横目で睨む。

「おい宏明、俺の事ちゃんと説明してなかったな?」

宏明は苦笑いしながら「ごめん」と舌を出した。


その後、宏明の母は俺の容姿から社長職の事、はたまた年収まで色々質問責めにして来た。
俺はそれをうまくあしらい、誤解のないよう宏明と会った日の出来事から順にきちんと説明して行った。
酔いつぶれたりの失態は、当然省かせていただいたが。
その話を全て聞き終えた母親は、恋人ではないと分かると何故か残念そうだったが、同じ田岡門下生としてこれからも仲良くしてやって欲しい、と宏明そっくりの笑顔を俺に向けたのだった。

「それにしても仙道社長、男前だし美声だし、背も高いし。ひろちゃんもこんな素敵な男性に成長してくれればいいんだけどね~」

「ははは…」

もう社長呼ばわりか。
ところで宏明は……というと、先程からすっかり話の和に入れず、むすっとしながらテーブルの上のクッキーを頬張っていた。


一息ついた所で、宏明が自分の部屋へ案内すると言うので、共に2階へと向かうことになった。
彼の顔は膨れっ面のままだ。

「何だよ、宏明」

階段を上りながら、優しく声をかけてやる。

「あきら……母さんの事、狙ってただろ」

「はあ?」

何を言うのかと思ったら、こいつは……。

「ふんっ、すんごい笑顔で楽しそうに、鼻の下のばしてさ……この、女ったらし」

「おいおい」

そりゃ一瞬、許容範囲ではあると思ったが。さすがにもうじき三十路になる男が後輩の母親に手を出すなんて事は、100パーセント有り得ない。
……いや、100パーセントは言い過ぎか。


「ここだぜ」と2階奥のドアが開かれ、俺は身を屈ませて宏明の部屋へと入る。
意外にも整理整頓された部屋の壁には、NBA選手のポスターが何枚も貼られ、限定物なのかキレイなバスケットボールがケースに入って棚の上に大事そうに飾ってある。正にそこはバスケット少年の部屋だった。

「随分きれいにしてるじゃないか」

「ああ、たまに母さんが勝手に入って掃除しちゃうんだよね」

はは、まだまだガキだ。
そんなんじゃエロ本も置けないな、なんて考えながら部屋を見渡していると、タンスの上にある写真立てが目に入った。
試合後に撮ったものだろうか、バスケ部全員集合の写真だ。真ん中に田岡先生を挟み、その後ろに一際大きな口を開け、白い歯をみせて笑う宏明が写っている。

「あ、それは去年のインハイ予選で撮ったやつ」

「ふっ、お前いい顔して写ってんな」

俺の言葉に照れながら、宏明は「座って」と言って側にあったクッションをポンと投げた。
それには"○×レンジャー"とでっかくキャラクターがプリントされているが、かなりの年期物なのか消えかかっている。俺は思わず吹き出してしまった。

「あ……えっと……飲みもんとってくる!」

さすがに居たたまれなくなったのか、宏明は急いで部屋を出て行った。

1人部屋に残された俺は○×レンジャーのクッションを敷き、ベッドに寄りかかるようにして腰を下ろす。と、手が何かに触れた。
ベッドの下に何冊か雑誌が隠されるように置いてある。
ん?エロ本か?
1冊手に取ると、それは10年以上前のバスケ雑誌。

懐かしいな。しかし何でアイツがこんな昔の雑誌を……。
雑誌を開くと、すぐに折り目が付けられたページへとんだ。

「これは……!」

そこには、高校時代全国でプレーしていた俺の写真と、その特集記事が載っていた。

"超高校級プレーヤー仙道彰の魅力"

記事の隣には、海南大附属の牧さんの写真。
あの時の……試合か。

「あっ、それっ!」

部屋に響いた声に振り向くと、オレンジジュースとケーキを乗せた御盆を持つ宏明が立っていた。

「こんなの、良く持ってたな……あ、さんきゅ」

宏明は持ってきたオレンジジュースを俺に手渡すと、無言で勉強机の椅子に座り、焦った様子でゴクゴクとジュースを飲み出した。

「……どうだ?高校の時の俺。惚れたか?」

意地悪く笑顔を向けると、いつものように顔を紅潮させて口を尖らせ、「自分で言うなよな!」と言って俺の手から雑誌を取り上げてしまった。

「も、もらったんだ。母さんの友達の息子が昔バスケやってて、くれるっていうからさ」

「ふふっ」

宏明の焦りように、また吹き出してしまう。

「それよりさ、ショートケーキ早く食べようぜ」

むぐっ。オレンジジュースにケーキ?
何を考えてるんだ。只でさえ甘いものは得意ではないのに。せめてさっきの紅茶を持ってきてくれ。
一口も食べていないのに、胸焼けしそうだ。
そんな俺とは反対に宏明は、手掴みで旨そうにショートケーキを頬張っている。

「母さん、あきらが来て張り切っちゃったのかな。いつもケーキなんて誕生日くらいしか買わないのに」

「良かったじゃないか」

まだ幼さの残る会話に、目を細める。

「ほらほら、クリームついてる」

生クリームがついた口元をごしごし腕で拭きながら、宏明は何気なく尋ねてきた。

「そういえばさ、あきらのお母さんてどんな人?会ってみたいな」

「……俺の?」

「うん、きっとすごい美人なんだろ?」

母さん……。


「12年前に、亡くなったよ」

口を拭いていた宏明の手の動きが突然止まる。

「……ごめん」

「なんで謝る」

「だ、だって、俺何も知らずに……」

申し訳なさそうに下を向く宏明の頭に、「気にすんな」と軽く手を乗せ、笑顔で語りかけた。

「俺の母さんは、とても優しい人だった」

「なあ、もしかして、あきらがバスケの道に進まなかったのって……」

言いかけて宏明はハッと口を押さえると、「ごめん」と再び詫びた。

俺に何を聞きたいのかは分かっている。
この間の練習試合の時もそうだが、コイツといるとあの時のことを思い出してしまうんだ。
ずっと頭の片隅にしまい込んで来た俺への、天国にいる母からの仕打ちなのか……。

ゆっくりと瞳を閉じると、12年前のあの出来事が、鮮明に甦ってきた。


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