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ピピピィーー!
「青5番ハッキング!バスケットカウント、ワンスロー!」
「うわーっ、やった仙道!」
これで1点差、残り時間40秒。
ダンクで相手のファウルを誘い、フリースローを確実に決め、3点プレーとなる。
「すげー、あの仙道って奴」
「あの海南の牧さんと互角にプレーする奴なんて、初めて見たぜ。まだ2年だろ?」
ようやく出場権を得た全国の大舞台。神奈川の海南大附属との2回戦。
ここまで来たら、頂上まで行ってやる。
相手が昨年全国2位の強豪と言えど、負けられない。いや、絶対に負けることは出来ない。
勝つんだ!
「まだ、甘い!」
突然、海南のエースの声が響いた。
物凄い速さで目の前をボールが横切り、ゴールへと運ばれていく。
「ぬ、抜かれるなっ!」
振り向いた時には、既にボールはリングに吸い込まれていた。
重い追加点、再び3点差。
田岡先生はたまらずタイムアウトをとった。
「まだ、行けるぞ!」
励ましあう部員達の目が、こちらに向けられている。明らかにこの後の逆転劇を俺に期待していた。
ああ、やってやる!
いや、やらなきゃならない。
何故なら、必ず勝利を…全国制覇を持ち帰ると、病床の母と約束したのだから……。
「そうだ、行けるぞ。まだ20秒あるんだ!」
檄を飛ばした田岡先生へ、皆大声で応えた。
すると、先生の後ろからマネージャーが声をかけた。ひそひそと先生に耳打ちする彼の顔は、青ざめているように見えた。
いったい何だろう……。
「……仙道さんの……」
唇の動きで、確かに俺の名前を言っているのが分かった。
仙道さんの……
俺の?何だ!?
その後は推測が難しかった。
「な、何っ!?」
こちらへ振り向いた先生のただならぬ表情に、一気に不安が走った。
「せ、仙道……」
「先生?」
ピピィ――!
試合再開のホイッスルが鳴り響く。
ま、まさか……母さん、の事か?
俺は先生の顔を見つめたまま、何も聞けず無言でコートへと戻る。
まさか、母さんのことじゃないだろうな?
母さんに、何か……
試合が開始されると、無情にも時間は無くなっていった。
残り15、10秒……。相手の気迫のディフェンスにボールが回らない。
早くパスをくれ。勝たなきゃならないんだ!
「は、はやく……」
あと5秒……。
くっそ……
母さん!!
俺は大声で叫んでいた。
「はやくよこせー!!」
――ピピーーィ!
ホイッスルの音に俺はハッと我に返る。
耳には体育館の床を打ちつけるドリブルの音、選手達に向けられた歓声が聞こえてきた。
「ファウルだ、ドンマイ!」
「ディーフェンス!ディーフェンス!」
「陵南、陵南!」
「……ふっ」
額に手を当て苦笑する。
俺としたことが。久しぶりの試合の雰囲気に、珍しく昔の事を思い出しちまった……。
頭を振って軽く頬を叩いてからコートに目をやると、視線の先には宏明がいた。
彼は大きく声を張り上げ汗をとばし、ガードに相応しい良い働きを見せている。
「ナーイスアシスト、越野さ~ん!」
副キャプテンとして、ベンチの後輩達からの信頼も厚いようだ。他のチームメイトも無駄のない動きで、これは正に田岡先生の指導の賜物だろうと思った。
「よーし、パスまわせっ」
ダムダムッ!
ドリブルをしながら向かってきた宏明はこちらに気付き、はにかんでピースサインを送ってきた。
ばかっ、試合中だぞっ。
思わず苦笑してしまった。
「こらー、越野ー!よそ見をするなーっ!」
すかさず、田岡先生の怒号が木霊する。
ほ~ら、言わんこっちゃない。
試合は陵南の大量リード。このまま行けば陵南の勝ち試合だろう。俺は肩を撫で下ろした。
それにしても宏明の奴、まだ前半だというのに息が上がりすきでいる。顔も赤い。まったく、ウォームアップで張り切りすぎたんじゃないか?後半にくたばんないといいが……
と思った時だった。
ピピピィ―!
突然のホイッスルと同時に、ドスンと体育館に鈍い音が響いた。
「ファウルだ!」
三浦台の選手と宏明の身体がぶつかり、2人が倒れた音だった。
あの三浦台の4番、わざとファウルしやがったな、まったく。ま、これで1点もらったな宏明。
……ん??
うつ伏せのままの宏明は、いつまでたっても起き上がらない。
宏明……?
ザワザワと周りで心配する声が聞こえ出し、直ぐにタイムアウトがとられた。
「越野さんっ」
ベンチ部員が集まり、声をかけながら身体を揺するがビクともしない。
「宏明っ!」
気がつくと俺は、コートの中へ駆け出していた。
「あ、仙道さん!」
この間茶を運んできてくれた彦一が俺の後を追って走ってきた。
「おい、宏明、宏明っ」
うつ伏せの身体を抱き起こしてやると、大量の汗をかき顔を紅潮させ、息を荒げている。
身体が妙に熱い。
額に手を当ててみると火傷する程熱いではないか。
「もの凄い熱だ!」
田岡先生がこの状況を審判へ説明し、すぐさま交代が告げられる。
俺は宏明を抱き上げ、急いでコートから出た。
先程まで元気な姿でプレーしていたのが嘘のように、今は力無く、俺の腕にぐったりともたれ抱かれている。どうやら、宏明の体力は限界だったようだ。
「仙道さん、保健室を案内します」
「ああ、頼む」
彦一の後に付いて保健室へと向かった。
宏明を白く清潔なベッドの上へ運び、そっと寝かせてやる。
ハンカチで大量の汗を拭ってやると、引き出しから体温計を見つけ宏明の脇に挟んだ。
「彦一くん、タオルを何枚か濡らして持ってきてくれないかな?」
「あ、はいっ。分かりましたっ!」
彦一は一目散に保健室を飛び出していった。
いやに手際良い自分に照れ臭くなったが、そんな事を気にしている状況ではない。解熱剤と水の入ったコップを持ち、宏明の眠るベッドの傍らに静かに座った。
「ん……」
やっと意識が戻った宏明は、暫く焦点の合わない目で天井を見つめていたが、ゆっくりと俺の方へ視線を移した。
「……あきら?」
「やっと起きたな」
「こ、ここは……」
「保健室だ」
「あ……」
「熱があるなら試合に出るな、バカ」
ようやく今の状況を理解したのか、宏明は怒られた犬のように目をギュッとつむる。
「ご……ごめん」
ピピッ、ピピッ――
体温計の音だ。
俺は宏明の腕を持ち上げ、脇からそれを取り出す。
「なっ、何?」
「熱、計ってた」
見ると、39度3分。
「はぁ……」
俺は頭を抱えた。
まったく、この熱でよく試合なんぞ出れたものだ。
「一生懸命が過ぎるのも、問題だな」
コツンと軽くおでこを叩いてやると、宏明は「ごめん」とまた謝って、布団で自分の顔を覆ってしまった。
「宏明、薬を飲んでおけ」
「いいよ、寝てれば治るから」
布団の中からくぐもった声が聞こえた。
「何だと?ずっとここでぶっ倒れてるつもりか」
「わっ……!」
勢い良く布団を剥ぎ取って、露わになった宏明の顔の前に風邪薬と水を差し出す。
「俺、風邪ひいても薬飲まない質だから」
「ダ・メ・だっ!」
再び顔の前にコップ押しつけると、「いらない」と言って赤い頬を膨らませ一向に飲む気配はない。
風邪薬の錠剤を取り出し、宏明の顎をぐいと掴む。
「俺、飲まないから」
「ったく、うるさい奴だなっ……」
俺は素早く自分の口に錠剤と水を含ませ、
「んんっ……??」
宏明の唇に自分の唇を重ねた。
そのまま口の中のものを舌で押し流してやると、一瞬宏明の身体が硬直したが、飲み込むと直ぐに力が抜けたのが分かった。
「はぁっ…」
唇を離して、目の前の顔を見る。
宏明の口元からは溢れた水が滴っていた。
「な、なに、すんだよ」
――ドクン
突然、心臓が大きく鳴り出した。
飛び降りるようにベッドから離れた。
「あ……後は、寝てりゃ治る」
――2時間後、熟睡していた宏明が再び目を覚ますと、その顔はいつもの威勢の良い表情を取り戻していた。
「どうだ?気分は」
「うん……すごい楽になった」
体温計で熱を計ると、36度8分。
「薬、すごい効いたね」
「ああ……そうだろう」
今の自分の顔を見られたくない気がして、俺は宏明に背を向けてしまった。
背後から、穏やかな声がした。
「ずっと側にいてくれたの?」
「……ああ、まあな」
「ありがとう」
屈託のない少年の笑顔を横目に、またドキリとしてしまった。
まったく、俺の心臓はいかれちまったのか?
「あっそうだ、あきら!試合、どうなった?」
「ん…。最後には三浦台に追いつかれて、逆転負けだそうだ」
「そっか……くっ……くそっ!!」
悔しそうに布団を強く握りしめた宏明に、語りかける。
「こんな時もあるさ。この悔しさは、次の試合でぶつけろ」
再び笑顔が溢れる。
「……へへっ、いいこと言うじゃん」
俺達は試合後の体育館へ戻り、荷物を取ってから昇降口へと向かった。
宏明の重たいバッグを抱え、まだ微熱のある身体を支えてやりながら歩く。
「越野さ~ん、仙道さ~ん!」
向こうから走り寄ってくるのは、さきほど保健室を案内してくれた彦一だ。
「越野さん、もう大丈夫なんですか?監督がえっらい心配してましたで~」
「おう、もう熱も下がったよ。心配かけすまねえな」
そう言えば彦一。タオルを持って来るよう頼んで、結局戻って来なかったな。
「あ、仙道さん。さっきはタオル頼まれておきながら、えらいすんませんでしたぁ」
「いや……」
彦一はこちらを覗き込みながら笑っている。
「いやあ~、タオル渡そう思て戻ったら、お2人があんまり良い雰囲気だったんで、つい~」
「「なっ……!!」」
俺達の反応を見て再びニヤついた彦一は、宏明に思いきり頭を叩かれていた。
「おい、宏明帰るぞ」
「えっ?」
愛車のドアを開け、中へ入るよう顎で促す。
「ほら、早く」
「えっ、いいの?」
言いながら遠慮なく乗り込んで来た事に、少々イラっとしながらエンジンをかける。
「しょうがない、病人だからな。送ってやる」
彦一にも乗っていくかと声をかけたが、「ごゆっくり~」と彼は手を振って俺達の乗る車を見送ったのだった。
助手席に座る"犬"は、風邪薬が効いてすっかり元気を取り戻したようで、何度も振り返っては彦一に手を振り続けている。
その姿が見えなくなると、宏明は俺の方へ向き直って口を開いた。
「あのさ……この間の、ことだけど……」
「この間?」
「一緒に寝ちゃった……ことだよ」
「……っ!?」
突然その話題に触れられ、言葉に詰まってしまった。
あの件については、酔いに任せて無理やり未成年に手を出してしまった、俺の責任だ。
煮るなり焼くなり……一発ぶん殴ってくれても構わない。しっかり罪は償うつもりだ。
慰謝料…というならしっかり……
「宏明……俺は……」
「あの日さ、別に何にも無かったんだ」
「……へっ?」
予想外の言葉に、素っ頓狂な声を発してしまった。
「だから、あきらとは何にもなかった」
な、何だって!?
「あきらが熟睡しちゃってつまんないから、少し隣で添い寝しようとベッドに潜り込んだら……俺もそのまま朝まで寝ちゃって、さ」
そ、そうだったのか……。
朝パンツ一丁だったのは、どうやら酔っ払った自分が脱いだだけだったらしい。
そんな見窄らしい俺の姿と焦りようを見て、からかいたくなった宏明が思わず口にしたのが、
あの言葉――
「あ、はは……」
その日の会議にまで引きずって悩んでいた俺は何だったんだ。プレゼン聞き逃して、幾つも下らない企画を通しちまったんだぞ。
しかし、これで俺の責任はなくなった……のか?
「あ、なんか安心してるな~?」
宏明はぷっくり頬を膨らませ俺の顔を覗き込んできたが、何を思い出したのか急に大人しくなった。
「じゃ、じゃあさ、さっきのは……どうなんだよ」
「あ?」
「ほ、保健室でっ」
「ああ、あれはお前にきちんと薬を飲ませるために」
「……お、俺っ!!」
「宏明?」
「あ、あれが……」
宏明はそれ以上言わず、顔を赤くして口を尖らせている。
その反応に俺はハッとした。
「ま……まさか」
まさかアレが、初めてだったと言うのか!?
「宏明……?」
今度はフンッと笑って宏明は白い歯を見せた。
「責任とれよなっ!」
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