5ページ


東京の一等地に建つオフィスビル――

その最上階にある大広間では、朝から大勢の社員幹部が集まり、大規模な会議が催されていた。
巨大なスクリーンには議案やグラフ等が映し出され、今まさに大プロジェクトのプレゼンが行われている。
そのスクリーンをのぞむ最後列の特等席に座る俺、仙道彰は29歳にして仙道グループ企業の若社長。"若"と付けるのはあまり気に入らないのだが。

その社長である男があろうことか、重要な会議にも関わらずプレゼン内容はそっちのけで先程から溜め息ばかりついている。

「はぁ……」

カーテンで隠された窓の外はすっきりとした冬晴れだが、今日の俺の心はどんよりと曇っていた。そう、これには大きな大きな訳があるのだ。

朝から長時間に渡るプレゼンは佳境にさしかかっていた。

「それではただ今のプレゼンについて……社長、いかがでしょうか」

最終的な場面では、必ず社長の決定権が必要となる。仕事での俺は終始穏やかであるが、こういった場で一度でオーケーを出す事はまず無い。気になる箇所は徹底的に質問し、納得するまで論議させる。これが自分のポリシーであるのだが、相手に与えるプレッシャーは計り知れない……
それだけに、プレゼンしたメンバーは緊張の面持ちでこちらの発言を待ちかまえていた。
が、その社長の頭の中はプレゼンどころではなく、あの言葉がエコーしていたのだ。

――『責任とれよな』

「はぁぁ……」

静まり返った大広間に俺の大きな溜め息が響く。
すると、それがプレゼンの反応と受け取った周囲が、一気に凍り付いた。

「社長……あ、あの」

「あ……」

社員達の視線に、はっと我に返る。俺は只ならぬ空気に思わず適当な返事を返してしまう。

「あ?ああ、いいプレゼンだった。それで進めてくれ」

張り詰めていた部屋に、一気に安堵と歓喜の声が沸き起こる。

あははは……
まさか、昨夜酔いつぶれて17歳の少年と朝まで過ごし、二日酔いでプレゼン聞いてませんでした~、なんて口が裂けても言えるものか。
その後も続いたプレゼンは、全く頭が機能しない社長のお陰で予定より一時間も早く終わったのだった。


予定外の空き時間が出来たので、社長室で暫く仮眠をとってから送迎車に乗り込み、今日の昼食会場へと向かう。珍しく父からの誘いで、久し振りに家族水入らずの食事だ。

父は、俺の祖父にあたる一代目から仙道グループを引き継いだのだが、これだけの大企業に成長させたのは全て父の功績によるものである。
現在は社長職を俺に譲り会長となったが、未だ仙道グループの権限は全て父が握っていると言っても過言ではない。この偉大な父に俺はいつまでたっても頭が上がらないのだ。
だからこそ、彼を越えることが自分の一番の野望でもある。

ブブブッ――
突然、携帯電話が振動した。スーツの内ポケットから取り出すと、それは下らぬメールマガジンだったが、画面を見ると留守番メッセージを受け取っていたことが分かった。
それは、宏明から。

今朝の一連の惨事の後、あの言葉通り"責任"を感じてしまった俺は、運転手に再び無理を言い鎌倉まで宏明を送らせた。自分は会議に出席せねばならず同乗出来なかったので、取り合えず連絡先をと番号を教えたのだ。

しかし、もうかけてきたか――
俺は少し頬をゆるめながら再生ボタンを押す。

『あ、越野…です。今日も運転手さんに送ってもらっちゃって、ありがとう……ございました。ええっと…そうだっ!今度の日曜の午後に、うちの学校で練習試合があるんだけど、良かったら来てよ。茂……先生も喜ぶからさ。…あ、でも忙しいよな。そ、それとさ――やっぱり何でもないや。じゃ、また連絡する!』

ブツッ――

少々緊張感が伝わってきたが、相変わらず声はでかい。耳が痛くなったじゃないか。まったく威勢のいいやつめ。
……そういえば、最後に何か言い掛けてなかったか?

「宏明様から、ですか?」

バカでかい声が携帯から漏れていたのか、運転手が話しかけてきた。

「ああ。そういえばすまなかったな、また朝っぱらから鎌倉まで。忙しくさせちまった」

「いえ、おかげで湘南まで良いドライブが出来ました」

ドライブ、か……。
昨日の湘南の海の青さと潮の匂いを思い出す。そして、陵南高校から望むあの素晴らしい夕陽。
あの景色をまた拝めるのなら、もう一度鎌倉へ行くのも悪くない、なんて思ってしまう。

「彰様、よほど宏明様の事がお気に召されたのですね?」

「…な、何を言ってるんだ」

「申し訳ありません。あの方のお話をされる彰様が、とても穏やかな表情をなさっているものですから」

「……そ、そうか」


そんな会話をしているうちに、目的地の料亭へと到着してしまった。
店の女将に案内されて奥の座敷へ入ると、上座にドッカリと陣取る父の姿があった。

「おお、彰。久し振りだな、元気にしとるか」

「ええ、父さんこそ。元気そうでなによりです」

71歳にして180センチ近くのガタイの良い父は、いつ見ても異常な威圧感がある。が、そんな父も最近は「膝が痛くなった」などと、会う度に老人の話題が増えてきた。
40歳を過ぎてようやく恵まれた1人息子の俺を甘やかし育てた父は、家庭では温厚なのだが、仕事に関してはとにかく厳しい。
一度雷が落ちると誰も手が出せなくなる所は、少しあの恩師、田岡茂一に似ている。俺が先生を慕うのは、そんな所以からだろうか。

「ところで彰、今日お前を呼んだのは食事の用だけではないぞ」

「…はい」

にこやかだった父が、急に仕事モードの表情に変わった。嫌な予感がする。

「お前も今年でもう30歳。そろそろ身を固めろ」

父は酒をぐびぐびと口に運びながら続ける。

「来週、ここで見合いの席を設けてある」

なっ、見合い!?

「と、父さんっ!そんな、いきなり…」

「今更だめとは言わせんぞ!こうでもしないとお前はすぐに逃げ出すからな」

前々から見合いの話は幾つもあったが、俺はそれをことごとくすり抜けてきた。最近はぱったり無くなったからてっきり諦めたとばかり思っていた……。

「いつまでも遊んでいては駄目だ!いいか彰、社長の威厳を保つには、妻帯者であることも重要な事なんだ」

「そんな事言われたって、結婚する気なんて全くないですよ!」

父の目が鋭く光った。

「……まさかお前、女嫌いで、男色の気があるなんてことは……」

「なっ、ないですよ!そんなもの」

勢い良く否定したが、一瞬ドキリとした。
男色の気なんてさらさらないが、俺の昨夜の失態を父が知ったらどうなるか。
この歳で勘当されたりして……。


俺はいつものように空返事で、仕事が詰まっているからと逃げ出すように料亭を後にした。
送迎車に戻ると、再び携帯が鳴った。

「もしもし……そうか!ああ、分かった」

それは秘書からで、以前から進めていたレジャー複合施設のプロジェクトが大台にのった、という知らせだった。建設地買収の反対等でいったんは凍結していたが、それが全て解決したということでいよいよ建設に乗り出せる、というのだ。
そう言えば、プロジェクトの建設地は鎌倉に近い。近い内に見学に行く事になっていたはずだ。
瞬時に、俺の頭の中に湘南の景色と宏明の笑顔が浮かんできた。

――練習試合があるんだけど、良かったら来てよ――

留守電でのアイツの声が甦ってくる。
確か、今度の日曜日とか言ってたな。鞄の中から手帳を取り出し、急いで日曜のスケジュールを確認する。

「ふっ、運のいい奴め」

微笑しながら秘書へ電話をかけた。

「……俺だ。日曜の見学の件だが、午前中に変更してほしい……ああ、頼む」




最高の行楽日和となった日曜日――

道路は予想以上に渋滞していた。しかし湘南の青い海をこうしてゆっくり眺めていられるなら、このノロノロ運転も苦ではない。
俺は自慢の愛車をオープンカーにし、海沿いの道を走らせた。

午前中にレジャー施設建設地を見学した俺がその足で向かうのは、2度目の訪問となる陵南高校。今日はここで午後からバスケ部の練習試合が行われる。見学を午前中に変更したのも、移動を送迎車ではなくマイカーにしたのも、すべてこの為だ。
ここまでしてやったんだ、いいプレーしろよ、宏明!


陵南高校へ到着すると、さすがに日曜の為か校内は静まり返っている。前回のようにギャラリーがいないのは少し寂しかったが、すんなりと駐車することができたのは幸いだった。

昨日、田岡先生には連絡を入れておいた。練習試合の見学とはいえ相手校もあることなので、突然当日に押し掛けては迷惑になると思ったからだ。
だが余計なプレッシャーは与えたくはないから、俺が来ることは部員達には内密にしてもらった。特に宏明には……。
腕時計に目をやると、既に13時35分。田岡先生の話では確か試合開始は14時という事だったから、少し急がねばならない。

体育館に入ると、入口付近で俺を待ち構えていた田岡先生が直ぐに迎え入れてくれた。

「おお仙道、忙しいのによく来てくれた。あいつらも良い緊張感で試合ができるだろう」

相手は三浦台高校か。そこそこ強豪校なのかも知れない。田岡先生から紹介された三浦台の監督に挨拶をすませると、俺は用意された席へと向かう。
すると、部員たちが軽く試合前のウォームアップをする中で、一際覇気のある声が聞こえてくる。
あの声は……

ほら、宏明だ。

おいおい、試合前からそんなに頑張ったら疲れちまうぞ。
黒いサラサラの髪を元気よく揺らしながら、パスやシュートに勤しんでいた。が、暫くして突然その動きが止まる。コート端に座る俺の姿に気付いたのだ。
宏明は一瞬目を見張ってから照れ臭そうに下を向いたが、すぐに顔を上げると白い歯を剥き出しで手を振ってきた。俺も、その挨拶に笑顔で返してやる。
さすがに試合前だけあって、前回のように「あきら~」とか言いながら駆け寄って来ることはなかったが。


田岡先生が集合の合図を出すと、部員達は監督を取り囲むように整列した。宏明は6番のユニフォームを身にまとい、どうやらスタメンのようだ。やはり、ポジションはポイントガードか。
宏明の顔が何時にも増して紅潮しているように見えるのは、緊張のためだろう。こういった試合前の雰囲気を10年以上味わっていなかった俺も、胸の鼓動が高鳴っているのが分かる。
再び宏明と目が合うと、ガッツポーズを見せてきた彼に、声には出さず口だけ動かして言葉を投げかけてやる。

――宏明、頑張れよ!

体育館に、試合開始のホイッスルが鳴り響いた。


次へ→6ページ