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キキ――ィ!!
寝不足で鉛のように重たい身体が、一瞬にして叩き起こされた。
俺が乗っていた送迎車が急ブレーキをかけたのだ。
「どうした」と後部座席から運転手に尋ねると、人をひいてしまったらしいと言う。
只ならぬ状況に青ざめて車外に飛び出すと、道路に一人の少年が横たわっていた。
死んでるの……か??
これが、その後の俺の人生を狂わすことになる男との出逢いだった。
「うわー、すげぇ!!」
港区にある高層マンションの最上階。リビングからは東京の夜景が一望できる。
「ガキをこの部屋に招いたのは初めてだな」
「むっ、ガキじゃねぇ!もう17になったんだぞ」
膨れっ面して、まるで餌を貰えず拗ねる犬……そうだ、コイツは野良犬だ。
俺は2時間前の出来事から振り返る。
いきなり車の前に飛び出してきたコイツを、俺と運転手は慌てて病院にかつぎ込んだ。が、奇跡的にも傷一つなかった。
親が心配するだろうから早く家に帰れと諭すと、それを無視して送迎車に無理矢理乗り込んで来た。その後も俺のあとをチョロチョロ付いてきて、結局家に上がり込んじまった……。
犬の名前は越野宏明。
高校2年生……充分ガキじゃねえか。俺より一回りも下だ。
「しっかしこんな部屋住んでる奴、本当にいたんだな~」
相変わらずうろうろする犬に早くソファに座るよう促す。
俺は少し苛つきながら冷蔵庫を開け、缶ビールを2本手に取ったが、慌てて内1本を奥にあるオレンジジュースに取り替えた。
「ちっ、めんどくせぇ……」
グラスにわざと溢れそうなくらいオレンジジュースを注いで出してやると、ものの2,3秒で奴は全部飲み干してしまった。
「ぷは~、うまいっ」
……お前、その手のCM出れるんじゃないか?
すると、片手で口元を拭いながら俺の顔を見つめていたガキが、素っ頓狂な声を上げた。
「あ~~~っ!!」
「な、なんだ突然、いちいち忙しいやつだな」
その声にビクついてしまった自分が恥ずかしい。
「思い出した!あんた、仙道グループの若社長、仙道彰だろっ」
"若"と付けられたのは気にくわなかったが、自分の名を言い当てられたことに悪い気はしなかった。
最近は経済雑誌などのインタビューで顔を露出することも増え、街中で声をかけられたりファンだと言う女性に詰め寄られることもしばしばある。
自慢する気はないが、このタッパと高校時代から変わらぬツンツン髪、という社長らしからぬ出で立ちが人目を惹くのだろう。今まで女に苦労したことはなく、散々お持ち帰りはしてきた。
が、今夜はなんだ……
17歳の野良犬のようなガキで、しかも男。
もしコイツが女だったら、今日はどんな夜になっていたのだろう……
一瞬とんでもないことを考えてしまったが、すぐにその思考を振り払った。
「仙道グループってプロバスケチームのスポンサーやってるだろ?だから思い出したんだ」
ん?バスケから入って来るのは珍しい。コイツひょっとすると……
缶ビールを飲み干すと微笑みながら尋ねてみる。
「なんだ、やけに詳しいな?」
「俺、高校でバスケ部なんだ。だからバスケ雑誌でみたことあってさ」
――ビンゴだ。
このガキ……一見華奢な身体だが、よく見れば程よく筋肉がついているのが分かる。それに、先ほどの事故で掠り傷一つなかったという運動神経は、よほど鍛え上げられている証拠だろう。
「そうだ!これからはガキって呼ぶなよな。俺にはちゃんと"宏明"って名前があるんだから」
ふう、まったく。最近の若者はすぐこうタメ口になるし、話もコロコロ変えるしで全くついて行けんな。
少々じじくさいことを考えたがしょうがない、奴の話に耳を傾けてやることにした。
「……俺の高校さ、去年も今年もあと一歩の所で全国を逃しちまったんだ。でも来年はうち、陵南が優勝候補NO,1だぜ。なんせスタメンがほとんど残ってるんだからなぁ」
陵南……?
「お、おい!おまえ今、陵南って」
「ああ、俺が行ってる陵南高校のことだけど」
「も、もしかして、そこの監督って……」
「「田岡茂一!」」
2人の声が重なった。
ふっ、これは傑作だ!
俺は額に手をあて苦笑した。
「なんだよ、うちの高校と茂一を知ってんのか??」
「ああ……」
知ってるもなにも、田岡先生は俺の高校時代の恩師だ。
バスケ部の顧問で、3年間俺のクラス担任でもあった、当時怠け者だった俺を唯一叱ってくれた先生。
社内では誰にも話したことはないが、高校時代の俺はバスケに熱中し、その世界では当時天才プレイヤーと呼ばれるほど活躍していた。
高2、高3と2年連続東京代表として全国にも出場し、周囲は当然のようにバスケ進学を薦め、スカウトも数え切れないほど来た。
しかし、仙道グループの御曹司だった俺にはそれは許されなかった。昔からの両親との約束を守って、俺は父の秘書をしながら大学へ通い、経営学を学んだ。
生まれた時から俺の路は決まっていたし、特別バスケに未練もなかったが、今思えば高校生だったあの頃が一番楽しかったのかも知れない……
俺は柄にもなく自分の昔話をこのガキ、宏明にしてしまったことに驚いた。
同門の後輩と分かり気を許してしまったからか。他人に自分の過去を話したのは初めてだった。
「田岡先生……俺が卒業してすぐに鎌倉の陵南高校に転任したんだったな。相変わらず恐いだろ?」
「そりゃもう!茂……田岡先生の雷が落ちると恐いなんてもんじゃないぜ??」
へへっと屈託のない笑顔を見せられ、可愛いと思ってしまったのは、ほんの一瞬のことだった。
「おい、それより宏明、お前もう帰れ」
「あっ、やっと名前呼んでくれた!」
応えになってねぇぞ。
どうも調子が狂う。
「お子様はもう寝る時間だろ?」
「もう、終電になっちまうし。だから今日はここに泊めてくれよ」
宏明はドスンとソファに深く座り直すと、口を尖らせながら言った。
「おい……」
なんて図々しい奴なんだ。田岡先生に尻でも叩いてもらいたいくらいだな。
「だめだ。お前は未成年なんだから、早くお家に帰るんだ。何か騒動になったら、俺が誘拐罪でしょっぴかれちまうんだからな!」
「何だそれ?……わ、分かったよ」
宏明は少々うなだれながらソファから立ち上がると、窓のそばへ歩み寄って暫く外を眺めていた。この部屋から望む夜景に浸っていたかったのだろうか。
「まだ終電には間に合うから、近くの駅まで車を出そう。交通費は出してやるから」
さすがに車で鎌倉まで送る……とはいかない。
明日は朝から会議が入っているから今夜はゆっくり休みたいし、いくら同門の後輩と言えどもそこまでする必要はないだろう。
これが、か弱い女なら別だが……
駄々をこねる宏明を引っ張って、無理やりエレベーターに乗せエントランスを出ると、すでに送迎車が待ち構えていた。
「彰様、お待たせ致しました」
運転手が後部座席のドアを開け、頭を下げる。
「こんな時間に呼び出してすまないな。こいつを駅に送ることになった」
「へ~、自分で運転しないのかよ!いい御身分だな?」
へんと宏明は鼻で笑った。
「ああ。俺は社長なんだからいい御身分だぞ?ほら、送ってやるんだから大人しく乗れ」
むむっと宏明は再び膨れっ面をしてみせた。
まったくコロコロと表情の変わる奴だ。
送迎車は地下鉄の駅に向かって走り出した。
そう言えば、俺は奴に一番肝心な事を聞いてなかった気がする。
「宏明。お前、そもそも何でこんな時間に東京にいた?」
「……母さんと喧嘩して、そのまま家飛び出して……道に迷って」
野良犬、というのもあながち間違ってはいなかったということか……
「くくっ」
車窓から深夜の街並みを眺めながら苦笑した。
さすがにこの時間帯の道路は空いており、数分で駅へと到着した。
「おい、ここで降ろすぞ」
宏明のほうを振り向くと、スースーと気持ちよさそうに寝息をたてて眠っているではないか。
「お、おいこら、起きろ!」
肩をゆすってみるが、この短時間で完全に熟睡してしまったようだ。起きる気配はまったくなかった。
「んー……ガキ、じゃねぇ……んだ」
寝言まで飛び出すと、さすがに笑うしかない。
「すまないが、このまま鎌倉まで行ってくれないか?」
「鎌倉ですか?しかし彰様、今からだと相当お時間が」
「……構わない」
振り向いた運転手に、俺は眠っている宏明を指差して合図を送った。
運転手はその光景を目にして微笑むと、「了解致しました」と再び車を走らせた。
その衝撃で、宏明の身体が力なく俺の肩にもたれかかる。
「ふっ、まったく可愛い奴だな……」
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