young and beautiful



When you and I were forever wild

Hot summer nights, mid July

The crazy days, city lights

The way you'd play with me like a child



1、花形



 ドアマンに両脇から押し開かれた扉の内側の世界に、花形は思わず脚を止めた。
 薄暗い照明の中に空気が絶えずキラキラと光って見えるのは、絶え間なく落ちてくる細かな金色の紙片だということに肩に落ちたそれを摘まんで理解した。
 ふんだんに飾られた生花が醸す甘い匂いが、集った人々の香水に混じって息苦しいくらいだ。耳慣れない楽曲の中に、女性の嬌声が度々高く派手に、どこか故意的に混じる。
 薄暗闇の閃光が上がって目をやると専用の機材を抱えた人間の姿が多く目についた。入り口でしつこいくらいのボディチェックと身分確認を受けたことを考えると、入室を許された報道陣なのだろう。
 これでは連れを探すのに一苦労しそうだ、と花形は息をついた。数度連れていかれたこの手の集まりは体育会色が強く、どちらかといえば垢ぬけない人間たちにふさわしい、立食とはいえちょっと会費が高いぐらいの固い飲み会の枠を出なかった。
 今回の会場は今までにない星数の都内のホテル。明らかにプロに頼んだのであろう会場の装飾は、シックながら潤沢な資金をつぎ込んだように手の混んだもので、集う人間達も背の高い体格のよい選手たちに交じって、花形ですらどこかで見たような、と記憶にある芸能人たちの姿もあった。
 洗練された動きで会場を静かに行き来するスマートなウェイターの一人に、そっと飲み物を勧められて、映画か何かで見たようだ、と面映ゆく思いつつ、礼をいって銀の盆の上のグラスを一つ手に取る。
 その隣のグラスがつい、と脇から掬い取られて運ばれた先を見ると、高校以来の縁の男の、整った口元に運ばれた。この喧騒と人混みの中を探さなくて済んだ、と安堵の息をつく。
「よしよし、ちゃんと来たな」
 藤真は一口舐めて、びっくりしたようにグラスから顔を離し、「シャンパンじゃん!」と目を丸くした。それが本当にシャンパーニュ地方産の発泡葡萄酒であるか把握してのセリフではない、ということは花形にもわかった。
 よくてビール、大体はチューハイが供されていたから、その背伸びしたような薄いガラスのフルートグラスの中身も大方そんなようなものだろう、と口にしたのだろう。
「力が入ってるな」
 頷いて一口自分も舌に乗せてみるが、やはり味の違いなどわからなかった。ただすっきりとして後味に甘さが残らない。それなりのものなのだろうな、と推測して曖昧に花形は頷いた。
「テレビで見たような顔が多くてさ。いろいろ金かかってるなぁ」
 どこか他人事のようにのんびりしながらも、変わらないストレートな物言いに笑いが漏れる。
「おまえも主役の一人じゃないか」
「俺は脇。今日の主役はあいつら」
 周りがワッと盛り上がって、波のように盛大な拍手へと変わっていった。突然照明が更に暗く落とされ耳を聾するラップと張りのある声で、DJがむせ返るような人熱れの中をいつの間にか進んでいた男達の来歴を英語まじりに大音声に披露し、据えられた壇上に一際大きな体が現れる。
 歓声とフラッシュの光の洪水の中に懐かしい顔を見つける。3人並んだ先頭の見覚えのある短い赤毛に花形の顔が緩んだ。
 朝のニュースでも見た顔だった。テレビの中では空港から未明に到着したばかりの眠たそうに不機嫌だった顔が、今は日本代表のスーツに逞しい長身を包んで、高校生の頃のふざけた面影は、外見からは髪の色にしか見つけることができない。
「あいつか、俺に会わせたい人間は」
「いや、あいつもそうだけど違う」
 そう言って藤真は、「美味いな、これ」と、また口をつけたグラスごと、花形の後方に顎を振ってみせた。花形が振り返ると、男が一人こちらに近づいてきていた。
 会場で見慣れた大男達ほどの身長ではないが、平均よりも上背のある均整の取れた姿が周りの雰囲気を圧して、混みあった会場の中にそこだけ男のために開かれていった。
「よぉ」
 気さくに笑いかけてくる顔は昔のままのようで違う。周囲を圧するようなオーラは試合中でもなければ感じられなかったものだ。花形は男を見て、いろいろな意味での狼狽に壇上に上がった3人の、最後の一人につい目が流れた。その視線を追って男が壇上を眺め、「懐かしい面子だな」と低く笑う。
「久しぶりだな、牧」
「ああ、藤真も元気そうでなにより」
 至近距離でも声が聞き取れないほどの歓声が、また爆発的に湧き起こる。DJは二人目のアメリカからの帰国者である流川を紹介していた。変わらない不愛想な美貌の無表情で、それにさえも熱狂的に大歓声と拍手が送られる。
 会場の興奮が冷めやらない中、「そしてBリーガーを代表して日本が誇るエース!」、と歓声をさらに圧するほどの大音響で作られた会場の静けさが、逆に関係のないはずの花形に緊張感を強いた。
 名を大音響で叫ばれた特徴的な髪型の男が、照れくさそうに、それでも慣れた仕草でにこやかに前に出て手を振ると、NBA帰りの二人に劣らない大歓声とフラッシュが巻き上がった。 今回の新リーグ発足計画を念頭に置いていたのかクラブ側からの選手のマスコミへの露出が格段に増え、外見の見映えのする男はその中でも本業以外にも人気がうなぎ登りだった。
 檀上にまたちらりと視線をやった牧の表情に何の変わりもなく、こちらに戻して笑んだ顔にはもうこれといった表情は見つけられなかった。
 だが、花形がまたライトの当たる方向に目をやった時、確かにこちらに顔を向けていた壇上の男と目が合った。
 いや、男が見ていたのは自分ではなかった。仙道は自分の隣に立った牧を凝視していた。
 はじめは信じられないものでも見たように。それから食い入るように。
 明るい舞台からでは人の顔の判別も難しいだろうに、だが薄暗い大勢が詰める会場の中で仙道は確かに牧を認め、不自然な程の視線を隠そうとはしなかった。
「…相変わらず忙しそうだな」
 空気を読んでいるのかいないのか、藤真がのんびりと話しかける。
「そうでもない。シーズン中はおまえ達の方が忙しいだろう。観たぞ? 昨日のゲームは惜しかった」
「げ。たまに観るんだったら勝ち戦にしてくれよ」
 穏やかに続けられる会話の中にも、昔はなかった僅かな緊張感を感じて花形は長い付き合いの方の男を見た。
 今では牧は大口のリーグ出資企業のトップの一人であり、新たにB1リーグの上に作られるプレミアリーグ発足委員会に参画している役員でもあった。論議を巻き起こしている新リーグ設立の渦中でも、藤真はその在り方に反対の意見を決して曲げない強硬派であり、選手会の会長でもあった。
「…足、平気なのかよ」
 藤真が視線を下に落とすと、「あぁ、」と牧はなんでもないように笑った。牧の歩き方に違和感はなかった。が、少しのストライドの小ささと歩調のぎこちなさが藤真の目を誤魔化せなかったようだった。自分などには完璧に見えていたのに、やはり藤真の観察眼には舌を巻く。
「おまえには隠せないな。いや、ちょっと挫いただけだ」
「ならいいけど。お互いもう年だからな」
「30に入ったばかりで何言ってる。引退はまだまだ先だろう」「おう、まだまだ若いもんにゃ負けねぇぜ?」
 悪戯に笑う藤真はもういつもの遠慮のなさで、花形は小さく息を吐いた。
 檀上の男達は一人一人、来季から所属するチームと抱負を語る。チアマンまで登場して、来季への展望と期待のスピーチを終えると、最後にマイクを奪った桜木が吠えた。
「この天才がきたからには勝ーつ!! プレミアリーグ一番乗りはウチのチームだ!」
 狼狽えたようなDJの声が苦笑いに代わり、「桜木選手に先を越されてしまいましたが」と続けると、爆笑していた会場内がまた静まりかえった。
「日本バスケット界、プレミアリーグの発足をここに発表します!」
 割れるような拍手と歓声が耳を聾するようだった。その中で真顔に戻った藤真が呟いた一言はこの喧騒の中、花形の耳にも届いた。
「こんなこったろうと思ってたけどよ。…こういう騙し討ちは好きじゃないな」
 振動を伴う大音響が響き渡り、3階分吹き抜けた天井から床までのガラス一面が震えて、湾岸に上がった花火に次々と彩られる。横顔をその色彩に染められた牧は何を言うでもなく、口の端を上げてグラスに口をつけた。
 舞台からは花火に負けず鮮やかな光を放つ男達の姿は消えていた。会場を流れる音楽は、また低く会話を邪魔しない程度のオールドジャズに変わっている。




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