【OP夢】泡沫人【シャンクス】
ランカスター・ダイアナが王都学校に入学してから二年が経った。一年目の大きな事件である鑑定勝負からは特に大きな事はなく、比較的温和に時間が進んでいった。相変わらず流れる噂には一切関与せず、無言でトップの成績を維持し続けた。商業科の面々はもうダイアナを疑うことはしていないし、噂に対してもまたか、と慣れていった様子だった。ダイアナもそれが有難く、特に振り回されることはなかった。
上級生の卒業式を終え、寄宿舎の自室に戻ってくると、いつもいるはずのターニャの姿はなかった。買い出しにでも行ったのだろう、とダイアナは特に気にすることなく暖炉に火を灯し、ターニャの帰りを待つことにした。
「……お嬢様!!!お嬢様!!!」
暫く待っていたダイアナの元に、ターニャが息を切らして飛び込んできた。顔色は酷く、まともに呼吸さえできていない。軽いパニック状態になっていることから、余程の大事件が起こったことが伺える。ダイアナはパニックになっているターニャの手を取り、とりあえず落ち着かせるよう椅子に座らせた。
「ターニャ、私はここにいますわ。まずはゆっくり、息を」
「お嬢様。覚悟して、お聞きください。ギルバート様が、ギルバート様が――!」
「――――――――え」
暗雲から雪がチラチラと舞い落ちる寒い日。テトリー辺境伯ランカスター・ギルバートの容態が急変し、その日の内に亡くなった。
ランカスター先代当主が亡くなった訃報は一気に国中に伝わり、嘆き悲しむ声が後を絶たなかった。
「――――先代、ランカスター・ギルバートは当主を退いた後もテトリーで治安維持に尽力しました。その尊厳はテトリーでも劣ることなく、長年発揮されておりました」
スーニュエの大教会にランカスター・ヘルマンの声が響く。ランカスター家当主であり、ダイアナの父親である彼がギルバートの喪主を務めることになった。一応、親族であると判断されたダイアナは、オスカーと共にヘルマンの隣に立っている。最愛の人を失ったことから顔に生気はなく、終始落ち込んでいる様子が痛いほどに見る者に伝わった。
「本日はご多忙の中、ご参列いただきまして、誠にありがとうございました。おかげさまで、葬儀・告別式を無事に済ませることができました。今後ともランカスター家にご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。本日は誠にありがとうございました」
喪主の挨拶が終わり、まばらな拍手が起こる。ヘルマンが喪主席へ帰った後、司教が無機質な声で読み上げる。
「ランカスター・ヘルマン公爵様、ありがとうございました。最後に、故人ランカスター・ギルバート様より遺書をお預かりしております。故人の長年のご友人であるアテンプター・スクワート様よりお読みいただきます」
司教の指示でスクワートが杖をつきながらも壇上に上がる。握られている手紙は間違いなく本物の遺書だろう。ここで遺書をランカスター家の者に読ませない判断をした司教にダイアナは少しだけ安堵した。
「それでは、ランカスター・ギルバートの遺書を読み上げさせていただいく。内容を改変していないこと、そのままの形で読み上げることを、この勲章に誓おう」
では、とスクワートは息を吸った。ランカスター先代当主の最後の言葉に、この場にいる全員が注目した。
「『私、第九十八代ランカスター家当主、ギルバート。ここに最後の遺言を残す。国法第四十八条により、遺言はどのようなものであれ優先させることをここに記す。
一、ラディアナ国テトリー領の次期当主はランカスター・ダイアナを指名する。彼女以降テトリーの当主は、彼女の指名や制度によって決めることとする。
ニ、私の遺産は全てテトリーに還元するものとする。尚その使い道はテトリー領当主に一任する。
三、私の墓はテトリーに立てることとする。その際告別式を行う場合はテトリーの領民を必ず招き、主催はテトリー領当主が執り行うこととする。』」
以上です、とスクワートは読み上げるだけで席に戻っていった。静寂なはずの大教会に僅かだがどよめきが起こった。
「ギルバート様の遺産は、本家じゃなくダイアナ様が全部継ぐってことか?」
「ダイアナ様ってあの、テトリーの引きこもり令嬢が?」
「こりゃあ、ヘルマン様の顔がなくなったな」
読み上げられた遺言に、ダイアナの目頭は熱くなった。王都でおこなわれるであろう葬儀を踏まえて、テトリーでも別れの機会を遺言に示してくれたこと、テトリーに残された財産を還元してくれたこと、そしてダイアナにテトリーを任せてくれたこと。最後に立ち会えなかったが、確かにダイアナを愛してくれていた証拠がそこにあった。
一方、ヘルマンはぎゅっと僅かに手を握りしめていた。
ギルバートの葬儀までターニャは控室で待機していた。喪主のヘルマンに「神聖な大教会に庶民を入れるわけにはいかない」とはっきり拒絶されてしまったからである。即座にダイアナが反抗したが、ターニャは大人しく引き下がった。ここで揉め事に発展し、ダイアナの今後を傷つけるわけにはいかない。ギルバート亡き今、ターニャにとって一番大切なのはダイアナなのだ。
暫くして葬儀が終わったのか、どんどん人が大教会から出ていく。その中でダイアナが、若干早足でターニャの元へ歩いてきた。
「テトリーへ戻りますわよ、ターニャ」
「え……急すぎませんか!?学校は」
「今は春休み期間ですから、学校は大丈夫です。それから、私はお爺様の遺書で正式に次期当主に指名されました」
「!お爺様が、正式に……!」
ダイアナの言葉にターニャは涙を浮かべる。七歳のときから傍で見守り続けてきた彼女が、ようやくと宣言したのだ。これからどうなるのか、と心に立ち込めていた暗雲が少し晴れた。嬉しそうに涙を拭うターニャに、ダイアナは眉を下げて微笑む。
「お爺様の遺言には、お墓をテトリーに立ててくれとありました。テトリー領民との告別式はそこでおこないましょう。お爺様のことは教会にお願いしてありますので、後は馬車の中で」
「その必要はない」
ターニャに説明していたダイアナに、低く重い一言が後ろから突き刺す。ゆっくりとダイアナが振り返ると、ヘルマンとオスカーが厳しい顔つきで立っていた。
「お前はまだテトリー次期当主ではない。だからお前が祖父の墓を立てる必要はないのだ」
「どういうことですの?遺言のことはお忘れになったのですか?」
「そういうことではない。お前はまだ十七だ。爵位を受け継ぐことができるのは、成人の十八歳――まさか、忘れたわけではあるまいな」
ヘルマンの冷たい物言いにダイアナの顔は固まった。確かにダイアナはまだ成人しておらず、辺境伯の爵位は継ぐことができない。だからテトリーの次期当主にもなれない、というのがヘルマンの言い分だろう。ダイアナは固まってしまったが、ゴクリと唾を飲み込んで自分より背の高いヘルマンを睨みつけた。ダイアナの後ろにはターニャがいる。たとえそれがトラウマでも、どんなに怖くても、もうテトリーの民を傷つけはしない――先程の葬儀でダイアナの覚悟は決めたのだ。
「随分と反抗的な目だな」
「お前、父親に向かってそんなことを」
「それでは、お父様はテトリーにお墓を立てたとして、領民のため告別式をおこなってくれるのですか?」
はっきりと物を言うダイアナの声はもう震えていなかった。拳を握りしめて、口を閉ざすヘルマンに向かってさらに続ける。
「テトリーの地形も墓場も知らないお父様が、いちから執り行うのは非常に手間がかかることだとは思いますわ。それに春休みの今なら、私の学業に何の支障もございません。そんなにテトリーの領主を任せるのが不安というのであれば、八年間過ごした私に一任するのも悪い話ではないとは思います」
「お前、父親に対してなんて口を……!」
「私は父親にお願いをしてるのではございません。テトリー次期当主として、ランカスター公爵家当主に申しております」
オスカーの突っかかりをパシリと退けて、ご判断を、とヘルマンに訴える。ヘルマンは少しだけ目を見開いた後、考えるように沈黙した。重い空気観の中、ダイアナはヘルマンに目で訴え続ける。するとようやくヘルマンの口が開いた。
「――分かった。お前の言う通りにしよう。自由時間で好きにするがいい」
「お父様!」
「いい、オスカー。帰るぞ」
何か言いたげなオスカーを連れて、ヘルマンは大教会を後にした。残されたダイアナはヘルマンの姿が見えなくなった後、ふぅとようやく息を吐いた。
「……お見事でしたお嬢様!本当に、ありがとうございます!」
「いいのですよ。これで少しは領主らしくできたかしら?」
ターニャに褒められて少し安堵したダイアナはヘラリと身内にしか見せない顔をした。余程緊張していたのが分かったターニャは、さあ、馬車へとダイアナを案内する。
こうして、意図しない形でダイアナはテトリー領を受け継いだのだった。
テトリーでの告別式が終わり、ダイアナは本格的に領主仕事に手をつけはじめた。学校に行く前まで手伝っていたものはほんの一握りで、やることなすことが山のようにある。加えてオード・ジュエリー・ランセンダルの運営も重なるものだから、毎日一日があっという間に過ぎていってしまう。そんなわけでダイアナがようやく日付を気にすることができたのは、春休みが終わる一週間前であった。書斎のデスクに積みあがった大量の書類を眺めながら、王都学校のことについて考えていた。
「(この生活を送りながら領主の職務をこなすのには限界がある……かと言ってテトリーをあと一年間放っておくわけにはいかない……)」
どうしたものか、と一人考え込んでいるとプルプルプル……と電伝虫が鳴った。
「…………もしもし」
「ランカスター・ダイアナ辺境伯嬢、で合っているかな?僕はグロスター・ハロルドだ」
ハロルドの声が電伝虫から聞こえてくる。二年間聞き馴染んだ先輩であり、学友であるハロルドの声にダイアナはどこか安心した。
「ええ、合っておりますわハロルド公爵殿下。お久しぶりですわね」
「そうだな。ギルバート様の葬儀以来……殆ど話せなかったがね。今はどうだい?休めているか?」
「……正直、毎日が手一杯ですわ。このまま領主の職務をこなしながら、学校に通うのは、難しいでしょうね」
「そうか。それなら領主はあと一年休むつもりなのかい?」
ハロルドの質問にダイアナは詰まった。その一年があれば、ヘルマンはテトリーを自身の手中に収めてしまうだろう。きっとそれは、ギルバートの意図しない方向に進んでしまう未来になってしまう。かと言って、休学することは許されない。きっとヘルマンのことだから、王都学校を卒業しないと爵位は受け継げないだろう。黙り込んでしまったダイアナに、ハロルドは優しい口調で話し始めた。
「公爵家と辺境伯で規模は違うと思うが……僕も長になったときは酷く焦っていた。周りの人間に助けてもらったからこそ、何とか学業と公爵家の職務も並行できたが、現実的な話、君には難しそうだね」
責めるつもりはないのだよ、というハロルドの優しさが酷く心に染みわたる。今のダイアナはランカスター本家を後ろ盾にはできない。唯一の後ろ盾であったギルバートは亡くなってしまったし、家業を支えてくれるほどの味方勢力がダイアナにはいないのだ。
「何か、力になれることはないかい?これはグロスター家としてではなくて、かつての学友としてだ」
「……学校は卒業したいですが、テトリーを一年間手放すものしたくはないのです。出来れば、学校の制度の範囲で何か出来ないかと考えておりました」
ダイアナの想いを聞いて、ハロルドはふむ、と暫く黙った。沈黙の間、ダイアナも思考を巡らせる。一人で考えていても順繰り巡りになってしまい、どうしても出口が見えなくなるのだ。
「……それなら、理事長に相談してみてはどうかな。彼ならいい案を提案してくれると思うよ」
連絡先はあるかい?とハロルド聞いてくる。知らない、と答えればじゃあアポ取っておくよ、朗らかに返された。
「いやそれは私事ですので、ハロルド公爵殿下は」
「いいんだよ、ダイアナ。その時間で少しは自分のために時間を使ってくれればいい」
詳細が決まったら連絡する、とハロルドは電伝虫を切った。一人執務室に残されたダイアナはぼーっと天井を眺める。一人の時間なんてもう暫く取っていなかった。ダイアナはハロルドに甘えて静かに目を閉じた。この少しの時間だけは、何も考えず休むことにしよう。
電伝虫が切れてから少しして、ターニャが執務室に顔をのぞかせた。一人肘をついて目をつむるダイアナを見て少しホッと息をつき、ブランケットを彼女の肩にかけた。
「本日はお時間いただき、ありがとうございますわ。スクワート理事長」
数日後、ダイアナは予定を何とかこじ開けスーニュエの王都学校に来ていた。ハロルドが取り付けてくれた理事長と話すためである。すぐ理事長室を訪れたスクワートは、快くダイアナを迎え入れてくれた。
「こちらこそ忙しいのによく来てくれた、ダイアナ嬢」
「いいえ、お会いしたかったのは私の方なのですから」
「ハロルドの話だとそうだったな。それで、どういった相談で?」
スクワートは穏やかな表情でダイアナに聞いた。その穏やかで温かい声はギルバートのものに似ていて、ダイアナは少しホッとしたような、泣き出したいような気分になった。
「実は……この度、テトリー領当主を継ぐことになりましたの。今は春休み期間ですのでテトリーに籠って職務をしておりますが、学校が始まれば続けるのは困難な状態です」
うんうんとスクワートはゆっくりダイアナの話を聞いてくれる。言葉が詰まりそうになりながらも、ダイアナは話を続けた。
「学校は卒業したいですのですが、テトリー領の職務も頼れる者はいないのが現状です。非常に失礼で我儘なお願いにはなってしまうのですが、学校の制度でどうにか両立できる方法はありませんでしょうか」
ダイアナのお願いにスクワートはふむ、と暫く黙り込んでしまった。無茶な申し出であることはダイアナも十分理解している。その上で理事長であるスクワートに相談しにきたのだ。
「結論から言ってしまえば、貴女の願いを叶えるような制度はない。ハロルド殿は公爵家ということもあり、例外だった」
「……そう、ですわよね」
「だが、手がないことはない」
スクワートはそう言うと、ダイアナの前に数枚の書類を置いた。軽く目を通すと、どれも各研究室からダイアナに向けた大学院進学の案内であった。
「君の研究の優秀さは大学院にまで響いていてね。是非貴女をウチの研究室に、という声が後を絶たないのだよ」
「それは、有難いお話ですが……私は大学院に行く気が」
「勿論、それは存じているよ。話はこれからだ、ダイアナ嬢」
柔和な空気が流れていた理事長室に、少しの緊張感が漂い始める。ダイアナも自然と姿勢を正した。
「王都学校から大学院を受けるときには、大学院の試験に加えて、王都学校でも試験をすることになっている。所謂卒業認定試験、というものだ」
「確かにそれを受ければ、卒業資格を得ることは出来ますわね」
「そうだ。今回は特例として、ダイアナ嬢にもこの試験を受ける権利を与えようと思う」
「!」
「数多の大学院・研究室から声がかかるほど優秀だ。この試験を受ける権利は貴女にも当然あると私は判断するよ」
真剣な空気を醸し出しながらも、優しくダイアナにチャンスを与えるスクワートにダイアナは勢いよく頭を下げた。卒業試験さえ、合格すればテトリーにいることができる。一年待たずに、そのまま職務に励むことができるのだ。
「ありがとうございます!!!スクワート理事長!!!」
「いや、卒業試験を受けるほどの実力を持ったのは貴女だ、ダイアナ嬢。それは誇るべきことだ」
何度もお礼を言うダイアナに苦笑しながらも、スクワートは席を立った。今まで曇天だった空が少しだけ日差しの刺した窓の傍でスクワートはポツリポツリと独り言を零し始めた。
「……ギルバートの遺言を見たとき、私は確信した。貴女が、ギルバートが残した最後の愛だと。長い間彼といたから、その想いは痛いほど伝わってきた。間違いなく、貴女は愛されていた」
「…………」
「そして戦友の最後の愛を、私も出来るだけ守ってやりたいと思ってしまったのだ。全く、罪な男だ――」
スクワートの語尾は少し滲んでいた。ダイアナはそんなスクワートに深々と頭を下げた。
「スクワート理事長様。私は、ギルバートお爺様の愛に答えてみせますわ。今頂いた権利を、そうしてよかったと思わせてみせますわ」
言葉尻強く、堂々と宣言するダイアナに、スクワートは何度も何度も頷いた。
「――お父様、あの者のことで報告が上がってきました」
「なんだ」
ランカスター公爵家の執務室で、オスカーがヘルマンに報告をしていた。内容はダイアナが王都学校の卒業試験を受けようとしていること、そしてそのままテトリーの職務を続けようとしていることだった。
「これでは、テトリーの実権を握ることはできません。あろうことか、あの者はグロスター家と関係を持とうと」
「オスカー」
ピシャリ、と雷が落ちたかのように執務室の空気が冷える。無駄なことを言ったか、とオスカーは内心冷や汗を流した。
「あれのことは放っておけ。テトリーに関しては私の方で計画を進めている。だからお前が心配し、報告することは何一つない」
「――畏まりました」
「それよりも、ユリアはどうなっている?また学校で下らないことはしていないであろうな?」
「口酸っぱく言うようにしてからは、大方大人しくなりました。教育の方も順調です」
「そうか。お前は今、ユリアのことだけ気にかけておけ。あやつは今後一番大きな駒になるからな」
はい、と返事をしてオスカーは執務室を後にした。
ランカスター公爵家の当主は王だ。全ての領民を駒のように扱うプレイヤー。親族でさえ当主の前では駒でしかない。オスカーは幼少のときからずっとそう教え育てられてきたのだ。だからこそ、その道を逸れ己の道を走るダイアナが気に食わない。それを止めない父ヘルマンも苛立ちの原因だが、ヘルマンに任せておけば大事にはならないだろう。なぜなら当主は王なのだから。
その後、スクワートの推薦で受験した卒業試験でダイアナは無事合格、しかもトップの成績を叩き出した。研究室から進学を惜しむ声を受け取りながらも、ダイアナはテトリーの執務とオード・ジュエリー・ランセンダルの運営に専念した。意外なことに、ヘルマンはダイアナが卒業試験で合格し、テトリーに居座り続けることに、何も言ってこなかった。
ギルバートの葬式から月日は流れ、一年後の冬の明けた頃。テトリー領主としての顔が板についてきたダイアナは、久しぶりに王都学校を訪れていた。懐かしい廊下を通って、通い詰めた教室の扉を開ける。懐かしい木の香りが鼻孔を擽る。肺に入ってくる空気ですら愛おしい。
「よお、テトリー領主様がこんなところで何やってんだ?」
聞き馴染んだ懐かしい、どこかダイアナを呼び寄せる声。後ろを振り返ると、変わらない商業科の面々が嬉しそうにダイアナを待っていた。
「あら、私が商業科の教室にいて悪いですか、ウォルト殿」
「悪いとは言ってないだろ、久しぶりだな」
「本当にお久しぶりです!!!ダイアナ嬢!!!」
ウォルトと軽い言い合いをしていると、カーラがダイアナの胸に飛び込んできた。勢いよく飛び込んできたカーラをダイアナは体感を崩すことになく受け止める。女子同士のコミュニケーションに若干呆れながらも、皆その様子を微笑ましそうに見ていた。
「本当に急にいなくなってしまわれたのでビックリしましたわ!一言言っていただければよかったのに……!」
「それは、本当に申し訳ございませんでしたわ。あれから立て込んでおりまして、学校に顔を出す機会もありませんでしたの」
「でも凄いよな、本来大学院入学のための卒業試験をトップ合格とか……」
「入学試験もトップでしたよね?最後の最後までトップとは、持ち逃げされた気分です」
朗らかな笑い声が商業科の教室を包み込む。何気ない友人たちの会話がダイアナの疲労を溶かしていった。
「でも、卒業式はダイアナ嬢も出席なさるのでしょう?」
「ええ、そのために時間を作って王都に来ましたの」
スクワートの計らいで、ダイアナの卒業式は入学年度生と同時におこなうことになった。そして王都学校の卒業式は、爵位授与式も兼ねている。ダイアナは明日の卒業式で正式にテトリー辺境伯の爵位を受け継ぐのだ。
「皆様と最後を過ごせて、私も幸せですわ。いい卒業式にしましょう」
ダイアナの心から嬉しそうな言葉に、皆まんざらでもなく頷いた。ほんの数年間であったが、協力し、議論し、ときにはぶつかり合いながらも、成長していった時期は何物にも変えられない。爵位は違えど、確かな絆が商業科には生まれて残されていた。
明日が卒業式ということもあって、ダイアナはランカスター家に久しぶりに足を踏み入れていた。スクワート経由で「卒業式に出席するならランカスター家に泊まれ」との指示がヘルマンから来たのである。特にヘルマンやオスカーのもてなしはなかったが、離れにある客室にダイアナは通された。かつてダイアナの面倒を見た者たちもいただろうが、誰一人挨拶にはこない。静かな部屋にはダイアナとターニャだけであった。
「いよいよ明日ですね、お嬢様」
湯あみをして着心地のいい寝巻に袖を通した後、念入りにターニャが髪を梳かしてくれる。ダイアナの卒業式だからと、ランセンダルの職人たちが腕を奮ってドレスとジュエリーを用意してくれた。テトリーでは正式就任を祝って町中でお祭り騒ぎだと耳に入っている。ランカスター家からはどんな対応をされようとも、ダイアナを祝ってくれたり愛してくれる人々のお陰で、ダイアナはランカスター・ダイアナでいることができるのだ。
「ねえ、ターニャ」
「はい」
「テトリーにはじめて行ったときからずっと、私を愛してくれて、ありがとうございますわ」
「……はい、お嬢様。私も、これからずっとお嬢様を愛し続けますわ」
少し鼻をすする音が聞こえる。ダイアナは気が付かないフリをして、そのまま髪を梳いてもらった。
「おやすみ、ターニャ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
明日は誰にとっても輝かしい日になる――ダイアナはそう信じて窺わなかった。
チリチリと木が燃える音が聞こえる。鼻には焦げ臭い匂いが入ってくる。異変を感じたダイアナはパッと目を覚ました。最悪の予感がする。急いでベッドから出て分厚いカーテンを開けると、ダイアナがいる離れが炎に包まれていた。
「お嬢様!お嬢様!!!」
サッと血の気が引いた瞬間、ターニャがダイアナの部屋に突撃してきた。幸い彼女も怪我はなく、無事なダイアナを見てあああと魂が抜けたような声を出した。
「ターニャ、大丈夫ですか?」
「ええ、平気です。それよりも、お嬢様」
「屋敷全体が火に包まれています、逃げましょう」
寝巻のまま靴を履いたダイアナとターニャは、火が回り始めている廊下を走った。玄関から外へ出ると、離れの門を取り囲むように火が回っている。もう走って逃げる場所はない。
「裏に馬小屋があったはずです、それで」
「はい!」
息を切らしながらも馬小屋まで走ると、幸い一頭だけ馬小屋に残っていた。鞍をつける暇もなく、手綱だけつけたダイアナは、後ろにターニャを乗せ、馬を走らせる。
「一体何故こんなことに……!」
「今は分かりません。とにかく、早く火消しの元へ」
「おい!いたぞ!」
誰もいないと思った中庭に、野太い声が響き渡る。ダイアナは今度こそ腹の底から冷えた。絶対そこにいないはずの者が、ダイアナを目指して走ってくる。身の毛のよだつ恐怖がダイアナを襲った。
「あれは、山賊……!?」
「何故ランカスター家の敷地内に!?」
とにかく逃げよう、とダイアナは全速力で馬を走らせた。中庭を出て門を潜り、王都の中心へ続く山道を懸命に走る。だが、後ろからの追手の他にも山賊はいたらしく、前から馬に乗ってダイアナたちの順路を塞いだ。
王都へ続く道はほぼ一本線。前からも後ろからも囲まれてしまい、ダイアナは完全に逃げ道を失ってしまった。
「……お前だな、ランカスター・ダイアナは」
「あなた達は誰ですの、道を開けてくださいまし!」
「さあな。さあ、お嬢さん。痛い目に合いたくなけりゃあ、おれたちに従うんだな」
「お断りですわ!」
山賊に対してもダイアナは一向に怯むことはない。通せ、と目で訴えながら馬をじりじりと操る。だが山賊たちは薄ら笑いをするだけだ。
「おいおいいいのか?おれたちに従わなきゃ、明日スーニュエは火の海だぜ?」
「ただのハッタリでしょう!騒ぎを聞きつけてもうすぐ警備隊が来ますわよ!」
「じゃあ、テトリーがどうなってもいいんだな?」
「っ!」
ダイアナがうっと言葉に詰まったその時だった。バアン!後ろから発砲された銃弾はダイアナたちの馬に命中する。馬は嘶きを上げて暴れ回り、ダイアナたちを振り下ろして逃げていってしまった。
「逃げ場はなくなったぜ。さあ、どうする?」
「おれたちはテトリーの近くを根城とする海賊とも縁があってなァ……賢い令嬢なら抵抗すれば分かるだろう?」
「お嬢様!聞く耳を持っては、きゃあ!」
ターニャが大声で叫ぶと、山賊はターニャを思い切り蹴り飛ばした。青白かったダイアナの顔から、さらに血の気が引いていく。
「ターニャ!!!」
「そうだ、見せしめに今ここでこの女を殺してもいいんだぜ?」
「…………」
ダイアナは黙りこくってしまった。いつもは動く頭が一向に動かない。頭の中は恐怖で支配されてしまい、手先さえ自由に動かない。そんなダイアナを見て、山賊たちは気味悪く笑うだけだった。
「…………分かりましたわ。貴方方に従います」
「お嬢様!!!!!!!!!!」
「ですが、一つ条件があります。受け入れてもらえなければ私はこの場で自殺しますわ」
フラフラと立ち上がったダイアナは地面に落ちていたナイフを拾い、自分の首に突き立てながら山賊の親分らしき者を睨みつけた。
「言ってみろ」
「彼女――ターニャに馬をやってこの場から逃がしてくださいませ」
「………………いいだろう。おいお前、降りろ」
親分らしき男はダイアナの条件を飲むと、近くにいた者に指示した。その間ダイアナはターニャを起こし、馬まで連れそう。だが、ターニャはダイアナを掴んで離してはくれなかった。
「ターニャ。このままテトリーまで行って皆の無事を確かめてきてください」
「ですがお嬢様が!!!」
「――――ターニャ」
ターニャを窘めるダイアナの声は、誰よりも慈悲に包まれていった。ゆっくりと首を横に振るダイアナに、ターニャは泣きながらしがみつく。そんなターニャをぎゅっと抱きしめ、山賊たちには聞こえない声でさっと伝言を託した。
「――――必ず、十年以内には戻ります。それまでテトリーを、皆をよろしくお願いいたします」
「おい女!早くしねェか!それともお嬢様を目の前で殺されたいか!」
バチンとターニャに鞭が入り、ターニャは泣きながらダイアナから引き離された。無理矢理馬に乗せられると、そのまま走り出してしまった。もう振り向くことはできない、恐ろしくて振り返ることができない。ターニャはそのまま涙を流しながら、テトリーまで馬を走らせた。
翌日の朝、ランカスター家の離れが火事で全焼したこと、その離れにいたランカスター・ダイアナが行方不明になった事件がラディアナ中を駆け巡った。彼女の親しかった人物は茫然とし、テトリーでは暴動が起こりそうになったが何とかランカスター家の警備兵が鎮圧。ランカスター家当主のヘルマンは捜索隊を派遣するも、ダイアナは発見されなかった。テトリーの新しい領主としてランカスター・オスカーが就任。そしてオード・ジュエリー・ランセンダルの総合運営役はその妻、ランカスター・ユリアが就任した。
ランカスター家の大火事から八年後、未だにランカスター・ダイアナは行方不明である。
上級生の卒業式を終え、寄宿舎の自室に戻ってくると、いつもいるはずのターニャの姿はなかった。買い出しにでも行ったのだろう、とダイアナは特に気にすることなく暖炉に火を灯し、ターニャの帰りを待つことにした。
「……お嬢様!!!お嬢様!!!」
暫く待っていたダイアナの元に、ターニャが息を切らして飛び込んできた。顔色は酷く、まともに呼吸さえできていない。軽いパニック状態になっていることから、余程の大事件が起こったことが伺える。ダイアナはパニックになっているターニャの手を取り、とりあえず落ち着かせるよう椅子に座らせた。
「ターニャ、私はここにいますわ。まずはゆっくり、息を」
「お嬢様。覚悟して、お聞きください。ギルバート様が、ギルバート様が――!」
「――――――――え」
暗雲から雪がチラチラと舞い落ちる寒い日。テトリー辺境伯ランカスター・ギルバートの容態が急変し、その日の内に亡くなった。
ランカスター先代当主が亡くなった訃報は一気に国中に伝わり、嘆き悲しむ声が後を絶たなかった。
「――――先代、ランカスター・ギルバートは当主を退いた後もテトリーで治安維持に尽力しました。その尊厳はテトリーでも劣ることなく、長年発揮されておりました」
スーニュエの大教会にランカスター・ヘルマンの声が響く。ランカスター家当主であり、ダイアナの父親である彼がギルバートの喪主を務めることになった。一応、親族であると判断されたダイアナは、オスカーと共にヘルマンの隣に立っている。最愛の人を失ったことから顔に生気はなく、終始落ち込んでいる様子が痛いほどに見る者に伝わった。
「本日はご多忙の中、ご参列いただきまして、誠にありがとうございました。おかげさまで、葬儀・告別式を無事に済ませることができました。今後ともランカスター家にご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。本日は誠にありがとうございました」
喪主の挨拶が終わり、まばらな拍手が起こる。ヘルマンが喪主席へ帰った後、司教が無機質な声で読み上げる。
「ランカスター・ヘルマン公爵様、ありがとうございました。最後に、故人ランカスター・ギルバート様より遺書をお預かりしております。故人の長年のご友人であるアテンプター・スクワート様よりお読みいただきます」
司教の指示でスクワートが杖をつきながらも壇上に上がる。握られている手紙は間違いなく本物の遺書だろう。ここで遺書をランカスター家の者に読ませない判断をした司教にダイアナは少しだけ安堵した。
「それでは、ランカスター・ギルバートの遺書を読み上げさせていただいく。内容を改変していないこと、そのままの形で読み上げることを、この勲章に誓おう」
では、とスクワートは息を吸った。ランカスター先代当主の最後の言葉に、この場にいる全員が注目した。
「『私、第九十八代ランカスター家当主、ギルバート。ここに最後の遺言を残す。国法第四十八条により、遺言はどのようなものであれ優先させることをここに記す。
一、ラディアナ国テトリー領の次期当主はランカスター・ダイアナを指名する。彼女以降テトリーの当主は、彼女の指名や制度によって決めることとする。
ニ、私の遺産は全てテトリーに還元するものとする。尚その使い道はテトリー領当主に一任する。
三、私の墓はテトリーに立てることとする。その際告別式を行う場合はテトリーの領民を必ず招き、主催はテトリー領当主が執り行うこととする。』」
以上です、とスクワートは読み上げるだけで席に戻っていった。静寂なはずの大教会に僅かだがどよめきが起こった。
「ギルバート様の遺産は、本家じゃなくダイアナ様が全部継ぐってことか?」
「ダイアナ様ってあの、テトリーの引きこもり令嬢が?」
「こりゃあ、ヘルマン様の顔がなくなったな」
読み上げられた遺言に、ダイアナの目頭は熱くなった。王都でおこなわれるであろう葬儀を踏まえて、テトリーでも別れの機会を遺言に示してくれたこと、テトリーに残された財産を還元してくれたこと、そしてダイアナにテトリーを任せてくれたこと。最後に立ち会えなかったが、確かにダイアナを愛してくれていた証拠がそこにあった。
一方、ヘルマンはぎゅっと僅かに手を握りしめていた。
ギルバートの葬儀までターニャは控室で待機していた。喪主のヘルマンに「神聖な大教会に庶民を入れるわけにはいかない」とはっきり拒絶されてしまったからである。即座にダイアナが反抗したが、ターニャは大人しく引き下がった。ここで揉め事に発展し、ダイアナの今後を傷つけるわけにはいかない。ギルバート亡き今、ターニャにとって一番大切なのはダイアナなのだ。
暫くして葬儀が終わったのか、どんどん人が大教会から出ていく。その中でダイアナが、若干早足でターニャの元へ歩いてきた。
「テトリーへ戻りますわよ、ターニャ」
「え……急すぎませんか!?学校は」
「今は春休み期間ですから、学校は大丈夫です。それから、私はお爺様の遺書で正式に次期当主に指名されました」
「!お爺様が、正式に……!」
ダイアナの言葉にターニャは涙を浮かべる。七歳のときから傍で見守り続けてきた彼女が、ようやくと宣言したのだ。これからどうなるのか、と心に立ち込めていた暗雲が少し晴れた。嬉しそうに涙を拭うターニャに、ダイアナは眉を下げて微笑む。
「お爺様の遺言には、お墓をテトリーに立ててくれとありました。テトリー領民との告別式はそこでおこないましょう。お爺様のことは教会にお願いしてありますので、後は馬車の中で」
「その必要はない」
ターニャに説明していたダイアナに、低く重い一言が後ろから突き刺す。ゆっくりとダイアナが振り返ると、ヘルマンとオスカーが厳しい顔つきで立っていた。
「お前はまだテトリー次期当主ではない。だからお前が祖父の墓を立てる必要はないのだ」
「どういうことですの?遺言のことはお忘れになったのですか?」
「そういうことではない。お前はまだ十七だ。爵位を受け継ぐことができるのは、成人の十八歳――まさか、忘れたわけではあるまいな」
ヘルマンの冷たい物言いにダイアナの顔は固まった。確かにダイアナはまだ成人しておらず、辺境伯の爵位は継ぐことができない。だからテトリーの次期当主にもなれない、というのがヘルマンの言い分だろう。ダイアナは固まってしまったが、ゴクリと唾を飲み込んで自分より背の高いヘルマンを睨みつけた。ダイアナの後ろにはターニャがいる。たとえそれがトラウマでも、どんなに怖くても、もうテトリーの民を傷つけはしない――先程の葬儀でダイアナの覚悟は決めたのだ。
「随分と反抗的な目だな」
「お前、父親に向かってそんなことを」
「それでは、お父様はテトリーにお墓を立てたとして、領民のため告別式をおこなってくれるのですか?」
はっきりと物を言うダイアナの声はもう震えていなかった。拳を握りしめて、口を閉ざすヘルマンに向かってさらに続ける。
「テトリーの地形も墓場も知らないお父様が、いちから執り行うのは非常に手間がかかることだとは思いますわ。それに春休みの今なら、私の学業に何の支障もございません。そんなにテトリーの領主を任せるのが不安というのであれば、八年間過ごした私に一任するのも悪い話ではないとは思います」
「お前、父親に対してなんて口を……!」
「私は父親にお願いをしてるのではございません。テトリー次期当主として、ランカスター公爵家当主に申しております」
オスカーの突っかかりをパシリと退けて、ご判断を、とヘルマンに訴える。ヘルマンは少しだけ目を見開いた後、考えるように沈黙した。重い空気観の中、ダイアナはヘルマンに目で訴え続ける。するとようやくヘルマンの口が開いた。
「――分かった。お前の言う通りにしよう。自由時間で好きにするがいい」
「お父様!」
「いい、オスカー。帰るぞ」
何か言いたげなオスカーを連れて、ヘルマンは大教会を後にした。残されたダイアナはヘルマンの姿が見えなくなった後、ふぅとようやく息を吐いた。
「……お見事でしたお嬢様!本当に、ありがとうございます!」
「いいのですよ。これで少しは領主らしくできたかしら?」
ターニャに褒められて少し安堵したダイアナはヘラリと身内にしか見せない顔をした。余程緊張していたのが分かったターニャは、さあ、馬車へとダイアナを案内する。
こうして、意図しない形でダイアナはテトリー領を受け継いだのだった。
テトリーでの告別式が終わり、ダイアナは本格的に領主仕事に手をつけはじめた。学校に行く前まで手伝っていたものはほんの一握りで、やることなすことが山のようにある。加えてオード・ジュエリー・ランセンダルの運営も重なるものだから、毎日一日があっという間に過ぎていってしまう。そんなわけでダイアナがようやく日付を気にすることができたのは、春休みが終わる一週間前であった。書斎のデスクに積みあがった大量の書類を眺めながら、王都学校のことについて考えていた。
「(この生活を送りながら領主の職務をこなすのには限界がある……かと言ってテトリーをあと一年間放っておくわけにはいかない……)」
どうしたものか、と一人考え込んでいるとプルプルプル……と電伝虫が鳴った。
「…………もしもし」
「ランカスター・ダイアナ辺境伯嬢、で合っているかな?僕はグロスター・ハロルドだ」
ハロルドの声が電伝虫から聞こえてくる。二年間聞き馴染んだ先輩であり、学友であるハロルドの声にダイアナはどこか安心した。
「ええ、合っておりますわハロルド公爵殿下。お久しぶりですわね」
「そうだな。ギルバート様の葬儀以来……殆ど話せなかったがね。今はどうだい?休めているか?」
「……正直、毎日が手一杯ですわ。このまま領主の職務をこなしながら、学校に通うのは、難しいでしょうね」
「そうか。それなら領主はあと一年休むつもりなのかい?」
ハロルドの質問にダイアナは詰まった。その一年があれば、ヘルマンはテトリーを自身の手中に収めてしまうだろう。きっとそれは、ギルバートの意図しない方向に進んでしまう未来になってしまう。かと言って、休学することは許されない。きっとヘルマンのことだから、王都学校を卒業しないと爵位は受け継げないだろう。黙り込んでしまったダイアナに、ハロルドは優しい口調で話し始めた。
「公爵家と辺境伯で規模は違うと思うが……僕も長になったときは酷く焦っていた。周りの人間に助けてもらったからこそ、何とか学業と公爵家の職務も並行できたが、現実的な話、君には難しそうだね」
責めるつもりはないのだよ、というハロルドの優しさが酷く心に染みわたる。今のダイアナはランカスター本家を後ろ盾にはできない。唯一の後ろ盾であったギルバートは亡くなってしまったし、家業を支えてくれるほどの味方勢力がダイアナにはいないのだ。
「何か、力になれることはないかい?これはグロスター家としてではなくて、かつての学友としてだ」
「……学校は卒業したいですが、テトリーを一年間手放すものしたくはないのです。出来れば、学校の制度の範囲で何か出来ないかと考えておりました」
ダイアナの想いを聞いて、ハロルドはふむ、と暫く黙った。沈黙の間、ダイアナも思考を巡らせる。一人で考えていても順繰り巡りになってしまい、どうしても出口が見えなくなるのだ。
「……それなら、理事長に相談してみてはどうかな。彼ならいい案を提案してくれると思うよ」
連絡先はあるかい?とハロルド聞いてくる。知らない、と答えればじゃあアポ取っておくよ、朗らかに返された。
「いやそれは私事ですので、ハロルド公爵殿下は」
「いいんだよ、ダイアナ。その時間で少しは自分のために時間を使ってくれればいい」
詳細が決まったら連絡する、とハロルドは電伝虫を切った。一人執務室に残されたダイアナはぼーっと天井を眺める。一人の時間なんてもう暫く取っていなかった。ダイアナはハロルドに甘えて静かに目を閉じた。この少しの時間だけは、何も考えず休むことにしよう。
電伝虫が切れてから少しして、ターニャが執務室に顔をのぞかせた。一人肘をついて目をつむるダイアナを見て少しホッと息をつき、ブランケットを彼女の肩にかけた。
「本日はお時間いただき、ありがとうございますわ。スクワート理事長」
数日後、ダイアナは予定を何とかこじ開けスーニュエの王都学校に来ていた。ハロルドが取り付けてくれた理事長と話すためである。すぐ理事長室を訪れたスクワートは、快くダイアナを迎え入れてくれた。
「こちらこそ忙しいのによく来てくれた、ダイアナ嬢」
「いいえ、お会いしたかったのは私の方なのですから」
「ハロルドの話だとそうだったな。それで、どういった相談で?」
スクワートは穏やかな表情でダイアナに聞いた。その穏やかで温かい声はギルバートのものに似ていて、ダイアナは少しホッとしたような、泣き出したいような気分になった。
「実は……この度、テトリー領当主を継ぐことになりましたの。今は春休み期間ですのでテトリーに籠って職務をしておりますが、学校が始まれば続けるのは困難な状態です」
うんうんとスクワートはゆっくりダイアナの話を聞いてくれる。言葉が詰まりそうになりながらも、ダイアナは話を続けた。
「学校は卒業したいですのですが、テトリー領の職務も頼れる者はいないのが現状です。非常に失礼で我儘なお願いにはなってしまうのですが、学校の制度でどうにか両立できる方法はありませんでしょうか」
ダイアナのお願いにスクワートはふむ、と暫く黙り込んでしまった。無茶な申し出であることはダイアナも十分理解している。その上で理事長であるスクワートに相談しにきたのだ。
「結論から言ってしまえば、貴女の願いを叶えるような制度はない。ハロルド殿は公爵家ということもあり、例外だった」
「……そう、ですわよね」
「だが、手がないことはない」
スクワートはそう言うと、ダイアナの前に数枚の書類を置いた。軽く目を通すと、どれも各研究室からダイアナに向けた大学院進学の案内であった。
「君の研究の優秀さは大学院にまで響いていてね。是非貴女をウチの研究室に、という声が後を絶たないのだよ」
「それは、有難いお話ですが……私は大学院に行く気が」
「勿論、それは存じているよ。話はこれからだ、ダイアナ嬢」
柔和な空気が流れていた理事長室に、少しの緊張感が漂い始める。ダイアナも自然と姿勢を正した。
「王都学校から大学院を受けるときには、大学院の試験に加えて、王都学校でも試験をすることになっている。所謂卒業認定試験、というものだ」
「確かにそれを受ければ、卒業資格を得ることは出来ますわね」
「そうだ。今回は特例として、ダイアナ嬢にもこの試験を受ける権利を与えようと思う」
「!」
「数多の大学院・研究室から声がかかるほど優秀だ。この試験を受ける権利は貴女にも当然あると私は判断するよ」
真剣な空気を醸し出しながらも、優しくダイアナにチャンスを与えるスクワートにダイアナは勢いよく頭を下げた。卒業試験さえ、合格すればテトリーにいることができる。一年待たずに、そのまま職務に励むことができるのだ。
「ありがとうございます!!!スクワート理事長!!!」
「いや、卒業試験を受けるほどの実力を持ったのは貴女だ、ダイアナ嬢。それは誇るべきことだ」
何度もお礼を言うダイアナに苦笑しながらも、スクワートは席を立った。今まで曇天だった空が少しだけ日差しの刺した窓の傍でスクワートはポツリポツリと独り言を零し始めた。
「……ギルバートの遺言を見たとき、私は確信した。貴女が、ギルバートが残した最後の愛だと。長い間彼といたから、その想いは痛いほど伝わってきた。間違いなく、貴女は愛されていた」
「…………」
「そして戦友の最後の愛を、私も出来るだけ守ってやりたいと思ってしまったのだ。全く、罪な男だ――」
スクワートの語尾は少し滲んでいた。ダイアナはそんなスクワートに深々と頭を下げた。
「スクワート理事長様。私は、ギルバートお爺様の愛に答えてみせますわ。今頂いた権利を、そうしてよかったと思わせてみせますわ」
言葉尻強く、堂々と宣言するダイアナに、スクワートは何度も何度も頷いた。
「――お父様、あの者のことで報告が上がってきました」
「なんだ」
ランカスター公爵家の執務室で、オスカーがヘルマンに報告をしていた。内容はダイアナが王都学校の卒業試験を受けようとしていること、そしてそのままテトリーの職務を続けようとしていることだった。
「これでは、テトリーの実権を握ることはできません。あろうことか、あの者はグロスター家と関係を持とうと」
「オスカー」
ピシャリ、と雷が落ちたかのように執務室の空気が冷える。無駄なことを言ったか、とオスカーは内心冷や汗を流した。
「あれのことは放っておけ。テトリーに関しては私の方で計画を進めている。だからお前が心配し、報告することは何一つない」
「――畏まりました」
「それよりも、ユリアはどうなっている?また学校で下らないことはしていないであろうな?」
「口酸っぱく言うようにしてからは、大方大人しくなりました。教育の方も順調です」
「そうか。お前は今、ユリアのことだけ気にかけておけ。あやつは今後一番大きな駒になるからな」
はい、と返事をしてオスカーは執務室を後にした。
ランカスター公爵家の当主は王だ。全ての領民を駒のように扱うプレイヤー。親族でさえ当主の前では駒でしかない。オスカーは幼少のときからずっとそう教え育てられてきたのだ。だからこそ、その道を逸れ己の道を走るダイアナが気に食わない。それを止めない父ヘルマンも苛立ちの原因だが、ヘルマンに任せておけば大事にはならないだろう。なぜなら当主は王なのだから。
その後、スクワートの推薦で受験した卒業試験でダイアナは無事合格、しかもトップの成績を叩き出した。研究室から進学を惜しむ声を受け取りながらも、ダイアナはテトリーの執務とオード・ジュエリー・ランセンダルの運営に専念した。意外なことに、ヘルマンはダイアナが卒業試験で合格し、テトリーに居座り続けることに、何も言ってこなかった。
ギルバートの葬式から月日は流れ、一年後の冬の明けた頃。テトリー領主としての顔が板についてきたダイアナは、久しぶりに王都学校を訪れていた。懐かしい廊下を通って、通い詰めた教室の扉を開ける。懐かしい木の香りが鼻孔を擽る。肺に入ってくる空気ですら愛おしい。
「よお、テトリー領主様がこんなところで何やってんだ?」
聞き馴染んだ懐かしい、どこかダイアナを呼び寄せる声。後ろを振り返ると、変わらない商業科の面々が嬉しそうにダイアナを待っていた。
「あら、私が商業科の教室にいて悪いですか、ウォルト殿」
「悪いとは言ってないだろ、久しぶりだな」
「本当にお久しぶりです!!!ダイアナ嬢!!!」
ウォルトと軽い言い合いをしていると、カーラがダイアナの胸に飛び込んできた。勢いよく飛び込んできたカーラをダイアナは体感を崩すことになく受け止める。女子同士のコミュニケーションに若干呆れながらも、皆その様子を微笑ましそうに見ていた。
「本当に急にいなくなってしまわれたのでビックリしましたわ!一言言っていただければよかったのに……!」
「それは、本当に申し訳ございませんでしたわ。あれから立て込んでおりまして、学校に顔を出す機会もありませんでしたの」
「でも凄いよな、本来大学院入学のための卒業試験をトップ合格とか……」
「入学試験もトップでしたよね?最後の最後までトップとは、持ち逃げされた気分です」
朗らかな笑い声が商業科の教室を包み込む。何気ない友人たちの会話がダイアナの疲労を溶かしていった。
「でも、卒業式はダイアナ嬢も出席なさるのでしょう?」
「ええ、そのために時間を作って王都に来ましたの」
スクワートの計らいで、ダイアナの卒業式は入学年度生と同時におこなうことになった。そして王都学校の卒業式は、爵位授与式も兼ねている。ダイアナは明日の卒業式で正式にテトリー辺境伯の爵位を受け継ぐのだ。
「皆様と最後を過ごせて、私も幸せですわ。いい卒業式にしましょう」
ダイアナの心から嬉しそうな言葉に、皆まんざらでもなく頷いた。ほんの数年間であったが、協力し、議論し、ときにはぶつかり合いながらも、成長していった時期は何物にも変えられない。爵位は違えど、確かな絆が商業科には生まれて残されていた。
明日が卒業式ということもあって、ダイアナはランカスター家に久しぶりに足を踏み入れていた。スクワート経由で「卒業式に出席するならランカスター家に泊まれ」との指示がヘルマンから来たのである。特にヘルマンやオスカーのもてなしはなかったが、離れにある客室にダイアナは通された。かつてダイアナの面倒を見た者たちもいただろうが、誰一人挨拶にはこない。静かな部屋にはダイアナとターニャだけであった。
「いよいよ明日ですね、お嬢様」
湯あみをして着心地のいい寝巻に袖を通した後、念入りにターニャが髪を梳かしてくれる。ダイアナの卒業式だからと、ランセンダルの職人たちが腕を奮ってドレスとジュエリーを用意してくれた。テトリーでは正式就任を祝って町中でお祭り騒ぎだと耳に入っている。ランカスター家からはどんな対応をされようとも、ダイアナを祝ってくれたり愛してくれる人々のお陰で、ダイアナはランカスター・ダイアナでいることができるのだ。
「ねえ、ターニャ」
「はい」
「テトリーにはじめて行ったときからずっと、私を愛してくれて、ありがとうございますわ」
「……はい、お嬢様。私も、これからずっとお嬢様を愛し続けますわ」
少し鼻をすする音が聞こえる。ダイアナは気が付かないフリをして、そのまま髪を梳いてもらった。
「おやすみ、ターニャ」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
明日は誰にとっても輝かしい日になる――ダイアナはそう信じて窺わなかった。
チリチリと木が燃える音が聞こえる。鼻には焦げ臭い匂いが入ってくる。異変を感じたダイアナはパッと目を覚ました。最悪の予感がする。急いでベッドから出て分厚いカーテンを開けると、ダイアナがいる離れが炎に包まれていた。
「お嬢様!お嬢様!!!」
サッと血の気が引いた瞬間、ターニャがダイアナの部屋に突撃してきた。幸い彼女も怪我はなく、無事なダイアナを見てあああと魂が抜けたような声を出した。
「ターニャ、大丈夫ですか?」
「ええ、平気です。それよりも、お嬢様」
「屋敷全体が火に包まれています、逃げましょう」
寝巻のまま靴を履いたダイアナとターニャは、火が回り始めている廊下を走った。玄関から外へ出ると、離れの門を取り囲むように火が回っている。もう走って逃げる場所はない。
「裏に馬小屋があったはずです、それで」
「はい!」
息を切らしながらも馬小屋まで走ると、幸い一頭だけ馬小屋に残っていた。鞍をつける暇もなく、手綱だけつけたダイアナは、後ろにターニャを乗せ、馬を走らせる。
「一体何故こんなことに……!」
「今は分かりません。とにかく、早く火消しの元へ」
「おい!いたぞ!」
誰もいないと思った中庭に、野太い声が響き渡る。ダイアナは今度こそ腹の底から冷えた。絶対そこにいないはずの者が、ダイアナを目指して走ってくる。身の毛のよだつ恐怖がダイアナを襲った。
「あれは、山賊……!?」
「何故ランカスター家の敷地内に!?」
とにかく逃げよう、とダイアナは全速力で馬を走らせた。中庭を出て門を潜り、王都の中心へ続く山道を懸命に走る。だが、後ろからの追手の他にも山賊はいたらしく、前から馬に乗ってダイアナたちの順路を塞いだ。
王都へ続く道はほぼ一本線。前からも後ろからも囲まれてしまい、ダイアナは完全に逃げ道を失ってしまった。
「……お前だな、ランカスター・ダイアナは」
「あなた達は誰ですの、道を開けてくださいまし!」
「さあな。さあ、お嬢さん。痛い目に合いたくなけりゃあ、おれたちに従うんだな」
「お断りですわ!」
山賊に対してもダイアナは一向に怯むことはない。通せ、と目で訴えながら馬をじりじりと操る。だが山賊たちは薄ら笑いをするだけだ。
「おいおいいいのか?おれたちに従わなきゃ、明日スーニュエは火の海だぜ?」
「ただのハッタリでしょう!騒ぎを聞きつけてもうすぐ警備隊が来ますわよ!」
「じゃあ、テトリーがどうなってもいいんだな?」
「っ!」
ダイアナがうっと言葉に詰まったその時だった。バアン!後ろから発砲された銃弾はダイアナたちの馬に命中する。馬は嘶きを上げて暴れ回り、ダイアナたちを振り下ろして逃げていってしまった。
「逃げ場はなくなったぜ。さあ、どうする?」
「おれたちはテトリーの近くを根城とする海賊とも縁があってなァ……賢い令嬢なら抵抗すれば分かるだろう?」
「お嬢様!聞く耳を持っては、きゃあ!」
ターニャが大声で叫ぶと、山賊はターニャを思い切り蹴り飛ばした。青白かったダイアナの顔から、さらに血の気が引いていく。
「ターニャ!!!」
「そうだ、見せしめに今ここでこの女を殺してもいいんだぜ?」
「…………」
ダイアナは黙りこくってしまった。いつもは動く頭が一向に動かない。頭の中は恐怖で支配されてしまい、手先さえ自由に動かない。そんなダイアナを見て、山賊たちは気味悪く笑うだけだった。
「…………分かりましたわ。貴方方に従います」
「お嬢様!!!!!!!!!!」
「ですが、一つ条件があります。受け入れてもらえなければ私はこの場で自殺しますわ」
フラフラと立ち上がったダイアナは地面に落ちていたナイフを拾い、自分の首に突き立てながら山賊の親分らしき者を睨みつけた。
「言ってみろ」
「彼女――ターニャに馬をやってこの場から逃がしてくださいませ」
「………………いいだろう。おいお前、降りろ」
親分らしき男はダイアナの条件を飲むと、近くにいた者に指示した。その間ダイアナはターニャを起こし、馬まで連れそう。だが、ターニャはダイアナを掴んで離してはくれなかった。
「ターニャ。このままテトリーまで行って皆の無事を確かめてきてください」
「ですがお嬢様が!!!」
「――――ターニャ」
ターニャを窘めるダイアナの声は、誰よりも慈悲に包まれていった。ゆっくりと首を横に振るダイアナに、ターニャは泣きながらしがみつく。そんなターニャをぎゅっと抱きしめ、山賊たちには聞こえない声でさっと伝言を託した。
「――――必ず、十年以内には戻ります。それまでテトリーを、皆をよろしくお願いいたします」
「おい女!早くしねェか!それともお嬢様を目の前で殺されたいか!」
バチンとターニャに鞭が入り、ターニャは泣きながらダイアナから引き離された。無理矢理馬に乗せられると、そのまま走り出してしまった。もう振り向くことはできない、恐ろしくて振り返ることができない。ターニャはそのまま涙を流しながら、テトリーまで馬を走らせた。
翌日の朝、ランカスター家の離れが火事で全焼したこと、その離れにいたランカスター・ダイアナが行方不明になった事件がラディアナ中を駆け巡った。彼女の親しかった人物は茫然とし、テトリーでは暴動が起こりそうになったが何とかランカスター家の警備兵が鎮圧。ランカスター家当主のヘルマンは捜索隊を派遣するも、ダイアナは発見されなかった。テトリーの新しい領主としてランカスター・オスカーが就任。そしてオード・ジュエリー・ランセンダルの総合運営役はその妻、ランカスター・ユリアが就任した。
ランカスター家の大火事から八年後、未だにランカスター・ダイアナは行方不明である。
